天皇A級戦犯発言問題暫定トップページ

7月20日、富田宮内庁長官(故人)のメモとされるものがマスコミで大きく報道されました。その資料事体1988年とかなり前のものであるにもかかわらず、2006年に突然報道された点。また、報道された時期が終戦記念日のほぼ1ヶ月前である点など、多くの疑問点を持った報道です。

この報道に呼応するように、中国や韓国政府が声明を出しています。更に、日経新聞が初出ですが、日経にインサイダー取引の捜査が入る直前というタイミングでもあります。

陛下、富田氏共に亡くなっておられるため、本当に天皇陛下がA級戦犯全員の分祀を望んでおられたか知る事は不可能です。真実を知る事が困難な状況でマスコミの報道が先行しています。

そのような状況下で、このようなメモを公表することは、マスコミによる天皇陛下を政治的に利用する事になりかねません。また推測ですが、中国による日本への内政干渉への足がかりとして、中国が黒幕として動いている可能性も考えられます。

このブログでは、この報道のおかしい点を検証することを目的とします。2chからの情報が多いことをお断りしておきます。

このページに直接来られた方は
http://blog.goo.ne.jp/tech_innovation/
から入りなおしてください。

コンテンツ(8月後半)


その他 2chで集めた資料(未整理)
チャンネル桜「渡部昇一の大同無門」8/16
ちゃんねる桜(8/12) での秦氏の注目発言


コンテンツ(8月前半)


現時点での見解(2)
週刊新潮8月10日号
日経新聞8月3日
日本メディアの闇
親拝を止めた理由がA級戦犯合祀なのか?
富田朝彦元宮内庁長官のメモ(P1)


コンテンツ(7月)



7月31日時点での見解


メモの真偽に肯定的意見
三国同盟推進の2人を批判した説
23日以降に生じた疑問や分かった点
22日以前における疑問点
電凸
徳川侍従長発言説
富田朝彦元宮内庁長官のメモ(P.3, P.4)
1988年の天皇陛下の記者会見
インクの劣化についての疑問
富田メモに対する意見(岡崎、養老、桜井)
矛盾してきている報道
21日各社社説の比較(1)(2)(3)
20、21日の新聞各誌(産経,朝日(4)(3)(2)(1),日経)


画像


ムーブ(7/25)
日記とメモ
メモのアップ
富田氏
3ページ目検証(1)
3ページ目検証(2)
メモの1ページ目
藤尾発言説

・リンク


2ch
・マスコミ板【靖国参拝】富田メモに関する発言を集めるスレ(終了)
・ニュース議論板【日経富田メモ】何だった?【新聞協会賞決定】(終了)
・ニュース極東板富田メモ総合スレ

チャンネル桜掲示板
又出た、天皇がA級戦犯合祀に反対とのメモの存在の嘘

注目ブログ(9/12)
富田メモはた徳川義寛「元侍従長の記者会見」時の「富田メモ」
ほそかわ・かずひこの BLOG


ちょっと洒落の利いた2chでのコピペ


ID:JTCmi/z8
X-Sender: ■■■■
X-Mailer: ■■■■■■■■
Date: Fri 26 Aug 1988 15:21:35 +0900
From: ■■■■
To: ■■■■
Subject: 靖国

■■■■

シークレット・不快感扱いで処理して欲しいんだけど、おそくても2006年くらいまでに
できれば朕が生きてる間に■国神社さん宛てにA級戦犯を分詞するように手配して
ください(前回、訪問した千鳥ヶ淵と同じでOK)

項目は、皇族費で処理してね。

■■■■、侍従長の指示を仰いで。■■には、こちらからも伝えて
おくので心配しないで。

@■仁
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その他 2chで集めた資料(未整理)

943 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/12(土) 01:07:21 ID:JDBnoRzl0

4月28日に宮内庁長官の会見があったのは神田氏も言ってた

以下8月5日日経
8月30日付の日記では「陛下と90分。教科書問題に関連して韓国や中国へのお気持ちを大正末期、昭和初期の事実を踏まえてお話くださる」とある。沈んだ心を慰め、職務を続けさせたのは昭和天皇の昔語りだったのかもしれない。
12月30日付の日記にはこの年の出来事を振り返り、「すべてを通じて陛下の私に対して(の)お言葉に専念。これでこれでと涙のこぼれる思いをかみしめて救われる1年であった」とある。天皇が様々な問題への思いを語り、富田氏が皇室が抱える問題を報告する。立場上、人に言えぬ事柄を話し合ううち、両者の間に憂いを分かち合うような空気が生まれたのだろうか
「陛下が大いにお元気なご様子は私としては何とも有り難いことである。言上時、ふと申し上げたことにあれこれお考えになってお話あるのは恐縮である」(85年1月16日付)。富田氏の何気ない言葉にも誠実に答える昭和天皇。信頼はそこまで深まっていた。」


922 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/12(土) 00:20:06 ID:JDBnoRzl0

勇退の徳川侍従長が会見、昭和史のエピソードなどを語る
1988.04.12 東京夕刊 9頁 社会 写図有 (全1,556字) 
宮中の生き字引、尾張徳川家の血筋、学者肌、頑固--。様々な人物評を贈られた徳川義寛侍従長が半世紀を超える侍従生活に終止符を打つ。侍従に就任したのは2・26事件の年の昭和十一年十一月。戦前、戦後の激動の中で、天皇、皇后両陛下の素顔に接し、皇室を支えてきた。次の侍従長は生っ粋の行政官。天皇の側近も大きく様変りする。十二日午前の記者会見で徳川さんは「いつも陛下のおそばで教えていただいているうちに五十年がたってしまった」と退官に当たっての感想を語った。さらに「乾徳(けんとく)をつねに仰ぎてひたぶるに 仕へまつりぬこの五十年(いそとせ)を」と、今朝の心境を託した歌を披露した(乾徳とは天皇の徳の意味)。六十年十月、侍従長に就いた際「微風のような仕事をしたい」と述べたが、陛下の手術という“嵐”を無事乗り越え、皇居の新緑を渡る春風に送られて、昭和史のステージを去る。

927 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/12(土) 00:37:06 ID:yzlO9ptV0

徳川前侍従長、参与に
毎日新聞 夕刊 1988年4月26日 10頁
宮内庁は26日、今月13日付で勇退した徳川義寛前侍従長(82)を、同庁侍従職参与とする人事を発令した。今後、徳川さんは非常勤のかたちで陛下の歌づくりや、、
ご病気の鷹司和子さんら両陛下のお子様のお世話をする。
-----
島津貴子さん、常陸宮さまが自宅(東京新宿区)でお見合い、
結ばれたエピソードに触れると「島津さんの時は、皇太子さま(の結婚)に皆さんの注意がいっている時で、うまくいきました」と笑顔に。浩宮さまのお見合いも自宅で、と質問が飛ぶと「子供が家を建てるので、半分ぐらいに狭くなってしまいます」
とかわした。
------


1988.04.26 朝日新聞東京朝刊 2頁 2総 

 奥野国土庁長官の22日の記者会見での発言要旨

 (奥野氏が靖国神社に参拝したのは公人としてか私人としてか、の問いに) それは占領軍に聞いてみて下さいよ。占領軍は昭和20年12月に「公務員の資格で、
 いかなる神社にも参拝してはならない」と禁止指令を出した。再び米国に立ち向かえるような体制はとらせない、とにかく団結を破壊したい、ということだった。神道は祖先を氏神さまとして祭ろうというもので、人はみな死ぬと神になる。氏神さまの頂点にあるのが天皇家だ。参拝が公人か私人かでいま問題になっているが、戦後43年たったのだから、占領軍の亡霊に振り回されることはやめたい。中国はいろいろ誤解しているが、共産主義国家だから宗教への理解が少ない。だんだん理解してもらえるのではないか。小平氏の発言に国民みんなが振り回されているのは情けないことだ。中国の悪口を言うつもりはないが、中国とは国柄が違う。占領軍は国柄、国体という言葉も使わせなかった。神道に関することは教科書からも削除したが、神話、伝説をもっと取り上げたらいいと思う。
 白色人種がアジアを植民地にしていた。それが、日本だけが悪いことにされた。だれが侵略国家か。白色人種だ。何が日本が侵略国か、軍国主義か。開国して目をさましてみたら、軍事力強化の立場に追い込まれていた。小平さんが言っていることを無視するのは適当ではないが、また日本の外交当局がそれなりに対応されていいと思うが、日本人の性根を失ってはならない。

671 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/10(木) 22:50:47 ID:t0J41r8E0
朝○皇担取材簿 63/4.28

その後報告終えと後。驚いたが-確かだ。
少なくとも松岡白鳥二方はお祀りの
要件なり・違う意見。その日内。
筑波宮司には伝えてあったので-慮・処と
それは皆も知る事。気取る事は-せぬ。
宮司が終ましてしまわれた。着いて日浅い
伝えた時 何や申されたがあっさりに。
確かめたいと念じても出来ぬよ。
そうであれば私としてもお参りなどできようもない。
-率直に申しますとそれに尽きる。-
筑波さんは波風を立てぬよう一々
穏便に
知った時は
宗秩-での辛苦を知るか。疑問
父子であれば-更
図っていなく  (強く)


741 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/10(木) 23:32:56 ID:t0J41r8E0

関西ローカルで元宮内庁職員が発言(電話)していたけど、天皇以外から天皇に奏上を持ちかける場合、つまり天皇が呼んでもいないのに臣下が用事がある場合、侍従が受けて天皇に伝える場合も言上というんだって。もちろん直接声を掛けるのはすべて言上になるらしい。


763 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/11(金) 00:03:02 ID:PrIbf7PS0
(略)原初にして最大の謎、「左右で色が違い過ぎる問題」には言及が無く、また当日の動静も推測のみ。

で、秦「松岡と永野は、そもそも別枠なんです。合祀されたA級戦犯14人の中で、この二人だけは、判決前の病死ですから、戦後、厚生省が靖国神社に祭神名票を送るときも、この二人を最初は外していたくらいです」「ひとつ言っておきたいのは、富田長官の日記の方にも、天皇が靖国への批判をしているという部分が何箇所かある。たとえば、昭和60年12月31日にも《靖国・松平宮司への批判記述》とある。長官にとっては、折にふれ何回も聞いているから、A級戦犯合祀への天皇の怒りは、おなじみだったんだと思いますよ」


774 名前:文春から[sage] 投稿日:2006/08/11(金) 01:29:22 ID:PrIbf7PS0
半藤「松平宮司の考えが、いまの靖国神社の基本哲学になっていますよね。
    A級戦犯の分祀は出来ないと頑なに繰り返すのも、神道の教義に基くというより、
    松平精神なのかもしれない」

だから神社本庁が言ってると何度言われれば…
http://www.jinjahoncho.or.jp/news/170609.html
>祭神の分離といふ意味の「分祀」は、神社祭祀の本義からあり得ない。
そもそも「分祀」出来ないってのは筑波宮司の時代からだし。

秦「それを強く感じるのは、遊就館の展示ですよ。松平宮司の時代に、大々的な改装が
  計画されて、今の姿になったでしょう。亡くなった方の遺品とか、零戦なんかを展示
  するのはともかく、歴史観とか主義主張のトーンが露骨過ぎます。またそういうところに
  限って英訳が添えてあるんです」

が松平宮司は
http://homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/proposal.pdf
>松平・元宮司は、戦後、防衛庁防衛研究戦史室(http://www.nids.go.jp/about_us/)に
>勤務されておられたときから、宮司在任中、昭和 61(1986)年の遊就館再開に到るまで、
>「後世に残る『史料』の収集と整理の重要性から歴史観に言及するものではない」ことを、
>首尾一貫、理路整然と明言されておられました。
だったそうで。

やはりネットを使えないと専業と言えどミスが…


御厨貴:
http://www.videonews.com/asx/marugeki_backnumber_pre/marugeki279_pre.asx
「不の記録であるような気がするから全部見るのは気が重い。だから、その部分だけ見せてもらうことにした。」「文献は素直に読むべきだ…」


216 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/09(水) 18:15:27 ID:b0D0U0Of0

青山さんはこんな感じ。徳川侍従長。

「私、参拝、A級」は天皇が使うハズのない言葉。それでも、青山が侍従の日記等からすべて天皇の発言を調べたところ、「私」というのも「オレ」という発言もあった。「オレ」なんか特に言うはずがないから、これは日記を書いてる人が自分の習慣で記してるのもあるので、メモはあてにならない。 つまり「私」という記述だけで天皇ではありえないとは言えないし、むしろここは拘ってはいけない。「参拝」ということばについては、伊勢神宮に行く時だけ「参拝」ということはを1回だけ使ってた。でも、それは父祖の神社だから参拝というあがめるような言葉をつかったが、靖国で使ったことはないし使うとは考えにくい。「A級」。これこど一切つかったことがないし、これを天皇が使うとは考えられない。やっぱり冨田さんは天皇以外のだれかの発言をメモしたのではないか。

ここで徳川侍従長がでてくる。 4/28は徳川侍従長が参与として初出勤の日。この日に表にでない完全にオフレコの懇談会があったのではないか。それに冨田さんが同席した時のメモでは。天皇誕生日の前日で、4/25の短い会見では材料がすくないし
記者としては何か必要。 それに徳川侍従長は在任中は口が固くて有名だったが、その任をとかれて参与なった日に徳川元侍従長にぜひ内心を聞きたい記者はいたはず。

徳川侍従長の言葉ではないかとはいったが、それでもこれだけでは絶対天皇の言葉でないということも言えない。やはり、戦後天皇は象徴であって、そのお言葉に左右されずに政治を決めようというのが戦後の政治であって、しかも本人がしゃべったかどうかも定かでない他人のメモで政治が左右されることはあってはいけない。
メモはメモ、それを政治に反映させるのは間違い。


229 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/09(水) 18:49:42 ID:b0D0U0Of0

青山の共同通信時代の知り合いの宮内庁の関係者がいうところによると、公式の時は別として皇居の「奥」では決して「私」とは言いませんでしたよ、と言われたらしいよ、青山は。

昔天皇崩御の直前には「天皇班」だったので、宮内庁や皇宮警察等知り合いがいるらしい。

とにかく、メモの私を云々しても意味無いということ。

A級はずっと広く言われてるじゃないか、天皇がそう言う区別をしなかったと。


234 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/09(水) 19:15:22 ID:qyM7MKE60

「私」は入江相政日記見ると普通に奥で使ってるけどねー

「参拝/行幸」に関して取り上げるなら、宮中の勝手知ったる侍従(長)が、「靖国御行幸」を「靖国御参拝」と使うのもおかしいと思うけどねー
「靖国神社招魂殿に御参拝」 徳川義寛終戦日記 352頁
「両陛下靖国神社御参拝」 徳川義寛終戦日記 515頁
「靖国神社御参拝」 入江相政日記 第5巻 189頁

「A級」以外は、その言葉使いに拘るのは不毛のように思う

235 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/09(水) 19:20:10 ID:b0D0U0Of0

青山も言ってるんだけど、「奥」では使わないという情報を得たが、実際使ってると。 また、調べたところでは「オレ」というのもある。「オレ」という言葉さえ天皇はご存じなかっただろうし、このへんから「私」とかに拘るのは意味無い。


247 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/09(水) 21:27:27 ID:Dve0KdUh0
日経の記事では、通常、言上は1対1で、富田氏と昭和天皇ってことを暗にしめしてるけど、あの縦書きは1対1では不自然なんだよな。横の発言について、だれかの様子を書いたものと考えるのが普通だろう。メモした人(富田氏)、発言者(私)、傍聴した人(縦書きの様子の人)3人以上は現場にいたとみるべきでしょう。

314 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/10(木) 09:32:10 ID:TIhReXEq0

勝谷は文藝春秋時代半藤の部下だったから検証能力を疑っていない


371 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/10(木) 13:50:11 ID:e6UyA8NW0
文藝春秋

○秦・半藤両氏とも25日に行われた天皇会見と富田メモの内容の合致からみて、『記者会見の3日後の4月28日に、天皇が富田宮内官庁を呼んで、記者会見についての感想を語った。それがこの「靖国メモ」になったと思われます。(秦)』と、言上での発言メモと見ている。

○《余り閣僚知らず そうですかが多い》については、半藤『うーん、ここはよくわかりません。』

○秦『ひとつ言っておきたいのは、富田長官の日記のほうにも、天皇が靖国への批判をしているという部分が何箇所かある。たとえば、昭和61年12月31日にも《靖国・松平宮司への批判記述》とある。長官にとっては、折にふれ何回も聞いているから、A級戦犯合祀への天皇の怒りは、おなじみだったんだと思いますよ。』

○半藤『日経によると、記事を出す前日には、宮内庁を通じて今上天皇にも、富田元長官のメモを報じることと、靖国メモの内容をお伝えしたそうです。宮内庁からは、わかりましたという返事があったという。』


944 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/07(月) 19:53:07 ID:92TvzvGI0

44年 秋田県護国神社親拝、靖国神社親拝、長崎県護国神社親拝
45年 大阪護国神社親拝、岩手護国神社親拝
46年 広島護国神社親拝
47年 札幌護国神社親拝、鹿児島県護国神社親拝
48年 宮崎県護国神社親拝、千葉県護国神社親拝
49年 茨城県護国神社親拝
50年 滋賀県護国神社親拝、三重県護国神社親拝、靖国神社親拝

三木首相の公式参拝が問題化

51年 親拝なし
52年 親拝なし
53年 高知県護国神社親拝(5月20日植樹祭のついで? 松平が宮司に就いてA級戦犯を合祀する以前)

以降、昭和天皇の親拝なし


924 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/07(月) 19:34:51 ID:WgTB8F0A0

1979年、A級合祀が報道されたのは、厚生省幹部からのヒントで取材した三ヶ野大典記者(共同通信)のスクープだが、半日遅れで追いかけた主要新聞の扱いを見ると思ったより穏やかである。朝日新聞の見出しも「賛否、各界に波紋」といった程度で、二日後の二十一日の例大祭にクリスチャンの大平首相は予定通り参拝している。海外からの反応は全く報じられていない。(現代史の対決P274)

だそーな。国会では山花委員長が取り上げていた。

>むしろ、いち早く問題提起したのが陛下だったと言えないか?
誰が合祀されていたかを知っていると問題提起にならないw

953 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/07(月) 19:59:40 ID:fD1fit1P0

こちらの方が正確だろう。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060721/mng_____kakushin000.shtml


548 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/07(月) 15:50:56 ID:kIs926Q60

最後の「関連質問」云々は、「嫌だと云ったのは 奥野国土庁長/ の靖国発言中国の言及にひっかけて/云った積もりである」に関係してくると思われる。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060724/kaiken

陛下 今の質問に対しては、何と言っても、大戦のことが一番厭な思い出であります。

これだけしか29日の記事にはなっていないが、こういうインタビュー記事は、整合性をもたせるために、省略や前後の入れ替えがあるのが普通。日経の筋書きによれば、4月25日に天皇会見、28日に富田氏から記者のブリーフィングがあって、29日に記事になった。 とすれば、会見の後、記者からの補足質問状が提出されているはず。

奥野国土庁長官は、昭和天皇が会見されたほんの3日前の22日、記者会見で「靖国神社に参拝したのは公人としてか私人としてか」と問われて、閣僚の靖国参拝を非難する中国を批判している。これについて、「奥野氏の発言が波紋をよんでいるが、陛下は、近隣諸国との友好をどう思っておられるか」というような関連質問が、出されていた可能性は高い。それに対する答えとしては、「大戦のことが一番厭な思い出であります」でいいのではないか、ということではないかな。「関係者もおり批判になる」ので。


近隣諸国(中韓)との友好に関連して、「中曽根の靖国参拝もあったか」「藤尾(文相)の発言」というようなことがあった、という認識があって、「=奥野は藤尾とちがうと思うが」。つまり、富田氏が「奥野さんは、藤尾さんの場合とは話がちがいませんか?」と申し上げたところ、「バランス感覚のことと思う」「単純な復古ではない」と、奥田氏への言及があった。つまり、歴史の流れとして、単純な過去復帰ではないだろう、靖国参拝が過大に問題視されるので、奥田氏がバランス感覚を働かせたのだろう、ということ。

ここまでは陛下のご発言として、「私は」にはじまるA級戦犯にまつわる部分は、あきらかに異質。陛下のご心情であったにしても、記者たちへのブリーフィングにはけっして出せない話で、ブリーフィングのためのメモではありえない。この部分だけが、松平参与の話を個人的にメモした可能性は高い。


488 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/07(月) 15:17:51 ID:rmL50f1G0
尚、天皇の意志があっても行動が自由にならない例は去年のサイパン行幸がある。
http://www.mail-journal.com/20050629.htm
>なぜいま陛下がサイパン島慰霊訪問なのか、国民のひとりとして、筆者は知り
>たいと思っている。戦後60年、天皇が「慰霊」を目的に外国訪問をされるの
>は初めてのことなのだ。

>しかし陛下は、10年以上も前からこのことを強く望んでおられたといわれる。
>外務省や内閣府(以前は内閣官房)が強く反対し、宮内庁でも賛否が分かれて
>いたことから、ようやく、実現に至ったという経緯がある。


>>474
>「戦没者の定義」を拡大解釈して独自性を発揮したいのであれば、大東亜戦争での刑死者、獄死者の合祀を認可したのは昭和天皇。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/68f35e5b462db71626c67378079ca1a5

 昭和天皇に仕えた入江相政侍従長(故人)の日記には「靖国神社の松平君が『(皇太子さまが)御成年におなりになったのだから靖国神社に御参拝になるべきだ』と言ってきた由。『そんなのほっとけば』といふ」(八〇年五月三十日)、「また靖国神社の松永(松平)宮司が馬鹿(ばか)なこと、浩宮様(皇太子さま)の
御留学について反対を云(い)ってきたとか」(八三年三月十四日)との記述があり、松平氏が実際に皇室を諌めていたことが分かる。


富田メモの存在は、現宮内庁の高官が知っていた。創価学会に関わっており、現内閣で公明党から出ている閣僚とは特別の間柄。公明党は分祀を主張。福田の総裁選不出馬によって、何らかの手を打つべく相談。
このメモを利用することを考えた。この公明党閣僚はつい先日中国を訪問して、靖国問題については何とかしますというような話をこっそりして来た。靖国参拝反対を提唱している財界の動きから見て、日経のスクープとすれば効果もあり且つ2人の策動を表に出すことがなく、大きな影響を与えられると思策し、日経にその役を振ったようだ。

「公明党閣僚」とは、北側国土交通大臣。創価学会に関わっている現宮内庁高官は、隠れ学会員という噂がある風岡典之氏。風岡氏は、国土交通省次官から宮内庁次長に。北側大臣とは当然、関係が深い。風岡氏の人事については、4月12日付で、各マスコミに怪文書がばらまかれた。「“隠れ学会員”故に、本当はもっと適任者がいたにも拘わらず、その政治力で持って、学会の意思を体現して送り込まれて来たというもの」。
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チャンネル桜「渡部昇一の大同無門」8/16

796 名前: 文責・名無しさん 投稿日: 2006/08/22(火) 01:16:12 ID:DorS0aUo
チャンネル桜「渡部昇一の大同無門」8/16
ゲスト花田紀凱(月刊「WiLL」編集長)発言要旨

花田 私が宮内庁の古い記者に聞いた話では、陛下が(徳川)侍従長に話したのなら
   わかるが富田長官とはああいう親しい関係ではない、と。
   富田さんは警察出身、後藤田さんが無理矢理押し込んだ人で小役人的。
   陛下はああいうお話を彼にはしないんじゃないかと。

渡部 富田さんのお父さんは第一次近衛内閣の官房長官。この内閣はゾルゲ事件
   に関連して死刑になった尾崎ほつみのような共産主義者を抱え込んでしまい
   近衛の政策を誤らせた。大変日本に害を及ぼした人で昭和天皇は彼に良い
   感情を持たなかったのではないか。

花田 徳川侍従長の発言であるという週刊新潮の記事はなかなか整理された良い記事。
   その中に富田さんの息子さんの発言があるが彼の経歴職業は一切書いてない。
   
   日経スクープの直後にアエラが記事を書いた。あまりにも直後だったので
   どうせ中身の薄い記事だろうと思ったが読んでみると結構中身があった。
   ということは事前に二社の間に連携があったのでは。
   普通は朝日が出すがあまりにも見え見えなので日経に書かせ、そして2~3日      
   後にアエラでやる、と。
   印刷日数を考えるとこんな充実した記事をすぐに書けるはずがない。

   日経内部情報によるとあの記事を書いた記者は一匹狼で社内で阻害されてる人。
   勘ぐればそういう記者をどこかの組織がうまく使ったのでは。


渡部 富田長官の上役の後藤田さんは親中派。このあたりの組織が動いたのでは。
   富田さんは警察関係なので家族が遺品を処理するときに警察に相談した可能性。
   警察関係でも色々あるがそれがもし後藤田関係なら靖国つぶしに使えるぞと。


花田 普通遺族はこんな大切なものを公開しないがそういう可能性も考えられる。
   渡したとすればそれが夫人なのか息子さんなのか。

渡部 そこで先ほどの富田さんの息子さんの経歴が気になる。

花田 週刊新潮は優れた週刊誌で取材力もある、普通は書くはず。
   書いてないということは何かあると勘ぐれなくはない。

渡部 案外日経か朝日の関係者かもしれない。
   どちらにしてもこのメモの経路は国会で喚問する必要がある。
   単に国内問題ではなく中韓を利する行為になるので日経は入手経路を
   きちんと説明する義務がある。
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ちゃんねる桜(8/12) での秦氏の注目発言

649 名前:文責・名無しさん[sage] 投稿日:2006/08/12(土) 23:57:19 ID:AbpuClu+

本物であるとすればですね、もう今更ね、これどういう動機でどうだこうだと言ってもしょうがないわけですよ。もう出ちゃったわけですから。

秦郁彦@チャンネル桜

497 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/14(月) 02:53:27 ID:F8PHHDWk0
785 名前:  [sage] 投稿日:2006/08/14(月) 02:46:59
チャンネル桜の昨日の3時間討論で秦郁彦氏が天皇富田メモは本物だと主張。「それならなぜ全文を発表しない」と突っ込まれ、「あれを全部発表すると現皇太子妃の入内の是非が書かれているのでできない」と答えていました。

660 名前:文責・名無しさん[sage] 投稿日:2006/08/13(日) 13:49:23 ID:j5gxe9Im

真贋論争が出るというのは私も日経もまったく予想していなかった 
 ―― 秦

かつての同時代人にですよ、イタリア大使の白鳥さんのことをね、バードの鳥じゃなくテイクの取、あんなふうな間違いするとこ見たら、死者に対する冒涜かもしれないけども富田何某はもう相当呆けてたくらいに思ってたほうがいいんじゃないですか
 ―― 西部邁

662 名前:秦郁彦1/5[sage] 投稿日:2006/08/13(日) 15:05:41 ID:j5gxe9Im

日記のほうなんですけどメモではなく。1985年12月31日なんですが、『靖国松平宮司への批判記述』というくだりがある。日記はですね、細かいことはあまり書いていないんですね、具体的な中身は。ですからこれはそのよく分からないんですが、とにかく、そういうことがあったと、いうふうに私はとれるんで。同じやはり問題だろうと思うんで。天皇陛下は何回かそういうことをですね、発言しておられると、と考えられます。ですから、徳川さんの問題もあるし、それから今回のメモもありますけども、中間の時点におけるそういうのもありますんでね。全体を総合しますとね、やっぱり陛下がああいうことをおっしゃったと、というのはまあ間違いないんじゃないでしょうかねえ。

663 名前:秦郁彦2/5[sage] 投稿日:2006/08/13(日) 15:10:55 ID:YY9ikLvj

――何回かその種の発言をされてると。外交問題になったのは昭和60年。合祀された53年の秋以降、60年以前にやはりそういう発言をなさってるんですか。

ですから、さっき申し上げたのは85年、昭和60年12月31日ですね、松平靖国宮司への批判記述と。じゃあなぜね、こういうことがあったかっていうきっかけですね。これはね、この日の朝刊に朝日新聞ですよ、記事があるんですよ。あ、これだなと私は思いましたけどね。「松平宮司はこのほど朝日新聞記者のインタビューに対し『この件について靖国神社は一切発言しない。しかし東京裁判史観には与しない』と述べたという、まあ云々云々ありましてね。だからそれを陛下が新聞をお読みになってですね、それについて松平宮司への批判をおそらくされたんだろうと思いますね

664 名前:秦郁彦3/5[sage] 投稿日:2006/08/13(日) 15:14:03 ID:pBAyqGjb

――批判には二つあると思う。一つは東京裁判史観に与しないと言ったことについてなのか、もう一つはそんなことわざわざ朝日新聞なんかに言う必要ないんじゃないかという、騒ぎにのもとになるから宮司は黙ってりゃいいじゃないかという、内容と抗議の問題があるんじゃないかと。

それはね、どっちとも分かりませんけどね。やっぱりね、私は侍従長を通じ、あるいは側近を通じてですね、A級合祀について松平さんが一応宮内庁にお伺いは立てたわけですよね。で、その時に祀るなという意向であるという御内意が大体分かったわけですよね。だからそれを確かめるという方法もあるし、とりあえずその年の秋にですね、合祀するというのは延期してですね、その間いろいろその御内意をさらに確かめるとかそういう手段があったと思うんですけども、松平さんていう人は思い込んだらすぐやらないと気が済まない。ですからね、7月に就任をしてもう10月にはこれやってるわけです。私は普通ならね1年くらいはねいろいろと勉強してですね、それで徐々にいろんなことを考えたうえで決意をすると、いうのは分かりますけどね。だけどやっぱりね、御内意がこうであるということと、それからその時に釘を刺されてるんですよね。こういうことをすれば陛下の御参りはできなくなりますよと、宮内庁から言われてるわけです。にもかかわらずこれを決行したということは、松平さんは別にこれから陛下に御参りしてもらわなくて結構だ、そういう判断だったというふうに私は思ったね。

665 名前:秦郁彦4/5[sage] 投稿日:2006/08/13(日) 15:17:05 ID:a0FFpFAh

――御内意というのはこれは確かなんですか。

えー、ですから普通はですね、天皇が直接ね、言われるということはまあないわけです、戦前でもそうですね。しかしね、侍従長とか侍従武官長とか宮内大臣とかそういう人達がいるわけです。そういう人が発言をするということについてはですね、これは御内意だろうなと思うのが常識でしてね。で、ひょっとして君側の奸がね、勝手なことを言ってるんじゃないかということであれば、ちょっと時間を置いてですね、いろいろ手を廻してね、調べればいいんですよ。

666 名前:秦郁彦5/5[sage] 投稿日:2006/08/13(日) 15:21:57 ID:Yg09cqOr

――御内意というものが示されたと。53年秋の合祀に際して事前に、10月6日か7日ですか、池田良八権宮司はじめ三人の職員の方が行かれた。その時の侍従長の発言ということですか。

そうですね。(略)天皇は特に戦後の新憲法下ではですね、ようするに政治には関わらない。ということになれば、ようするに内閣総理大臣なりその他ですね、司司のトップの判断が優先すると。その論理からすればですね、宮内庁幹部がですね、駄目だと、言うことはね、それであれじゃないですかね。それはね、おそらく天皇の御内意があってだろうというね、そういう推定も成り立つわけです。で今度はそれがね、まさにぴったり一致してたということが証明されたという関係ですのでね。だからこれはもうね、実際にその本物であるとすればですね、もう今更ね、これどういう動機でどうだこうだと言ってもしょうがないわけですよ。もう出ちゃったわけですから。

中略

――やはり事の真実というのは何年何月何日にどういう場で誰が何を言ったかというその歴史的なものがなければそれは事実として伝えてはいけないと思うんですが。秦先生、今「あっただろう」とおっしゃいましたよね。だから宮内庁が松平さんに言われたんだろう、と。全部これ『だろう』ですけど、御内意というのは何月何日なにか書面(署名?)か何かに出てるんですか。

いや、それはありません。それはないんですが、ですから今までは推定だったわけです。そしたら今度はこれがどうやらですね、御内意だった、ぴったり一致するんだなという見当が今回の見たメモで分かった。
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現時点での見解(8/12 加筆)

正論が元駐タイ大使の岡崎氏の寄稿を掲載しました。そこで、85年4月28日に徳川氏の記者会見について言及していますが、氏自身が確認した訳では無さそうです。一方、8月3日の日経新聞の内容は、基本的に今までの説を大きくは越えていませんでしたが、85年4月28日に富田氏は少なくとも吹上御所には行ったらしいという事が明らかになりました。これは、昭和天皇自身が発言したという説を補強します。

しかし、新たな疑問点も多く生じてきています。8月3日に週刊新潮が「昭和天皇」富田メモは「世紀の大誤報」かという見出しで記事を書いています。以下にこの記事に関する2chのレスを示します。ここで大きなポイントは、日経新聞のずさんな検証体制が明らかになった事、そして25日の天皇記者会見は陛下の体調を考慮して15分だった事、さらに28日に徳川氏が出勤したらしい事だと思います。




気になるレスを2chで見つけました。これが本当なら、日経新聞の正当性が揺らぎます。

497 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/14(月) 02:53:27 ID:F8PHHDWk0
785 名前:  [sage] 投稿日:2006/08/14(月) 02:46:59
チャンネル桜の昨日の3時間討論で秦郁彦氏が天皇富田メモは本物だと主張。
「それならなぜ全文を発表しない」と突っ込まれ、「あれを全部発表すると
現皇太子妃の入内の是非が書かれているのでできない」と答えていました。

503 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/14(月) 03:47:25 ID:jhmjeroZ0
>>501
ふーん。8/3朝刊の富田氏のスケジュール表によると、富田氏の28日の予定は
10-11:40外務次官
11-12:言上(まるでかこんである)
16-17:(表記は4-5)皇太子と
とあるね。

昭和天皇とお会いしたときに取ったメモが1枚目
皇太子殿下とお会いしたときに取った未公開メモが2枚目

とすると、4枚目の記述が昭和天皇のお言葉を聴き、書き取ったものとすれば、富田氏は皇太子殿下と会ったあと、もう一度昭和天皇と謁見したことになるのかな? 日経の断定では言上のときに1枚目から4枚目が書かれた、と報道しているのだが。

秦氏の発言、かなり問題だと思うな。



288 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/05(土) 16:00:56 ID:Axvmgvmd0
言上とは質問・報告がある際に侍従を通じて天皇に奏上すること。
直接言上の場合はお召しに乗じてすること。

そういう仕組みにしたのは富田と徳川自身。
(富田長官以前は侍従にはからず言上した)

これは皇室担当記者にしたら常識。
ただし日経には皇室担当班自体ない。




219 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/08(火) 06:25:22 ID:a1j9ZMp40
>>218
多分、天皇が参拝をやめたのは、マスコミが騒ぎ出すのを恐れた
からでしょ。すると、別に三木発言説でも、A級戦犯合祀でも説明が
つく。また、昭和天皇がA級戦犯全員を不快に思ってなかったという
事も説明がつく。

さらに、新聞等のメディアがA級戦犯合祀説に拘るのは、結局自分達
に火花が飛んでくるのを避けようとしてると考えられる。




694 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/15(火) 00:20:12 ID:GYfdoqKX0
陛下がマッカーサーに述べられた内容

「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切
の責任はこの私にあります。
私の命においてすべてが行なわれました限り、日本に
はただ一人の戦犯もおりません。
絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されて
も、いつでも応ずるだけの覚悟はあります。」

さて日経の富田メモと比べてみようか・・・あれれ?




時事ブログ「グースの勿忘草」において筆跡鑑定を試みています。

その中でのコメントの一つを勝手に引用させてもらってすみません。

2006/8/8 19:13
これについては、問題のメモの画像をよく見ているうちに、大変なことに気が付きました。

問題のメモは、手帳に貼り付けられていない、ということです。

みんな、問題のメモは、なんとなく手帳に貼り付けられている、と思っていたら実はそうでなかった。日経の作戦勝ちですわ。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1715328

一枚目の画像では、問題のメモは一部が黒メモと重なっていますが、二枚目の画像では、問題のメモは黒メモと重なっていません。問題のメモが手帳に貼り付けられているのであれば、隣のメモと重なったり、重ならなかったりするわけがありません。つまりこれは、問題のメモは実は手帳の上に置いてあるだけだった、ということです。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1715328
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週刊新潮(8月10日号)

(1)2chのコピペを一部改変


1.徳川義眞(よしさね)氏(徳川侍従長のご長男)…「父の発言ににている」「…父は軍人が嫌いでした…」

2.東條由布子氏(東條閣下のお孫さん)…「陛下が富田メモのような事を言われる御方とはとても思えない…」

3.所功氏(京都産大・日本法制史)…陛下はA級戦犯というくくりかたをされるはずがない。他の確かな資料を見ても、昭和天皇は戦勝国の一方的な判決を容認しておられない。

4.神社本庁関係者…一般的には、陛下が神社に行かれることを“行幸”と言い、‥‥靖国神社は‥‥あくまで“行啓”。また、陛下ご自身が謙譲語である“参拝”という言葉を遣うのはおかしいし、陛下の“行く”というお言葉を富田氏が“行啓”でなく、“参拝”と表現するのもおかしい。

5.中西輝政氏(京大)…昭和天皇は軍人のことを股肱の臣といって、ことのほか親しく感じておられました。

6.元宮内庁職員…松平宮司の父親は宮内府の長でしたから、侍従職にあった徳川さんは、父親の存在をよく知っていた。親の心子知らずという表現は理解できる。“筑波がよくやった”という言い方も、筑波宮司は旧皇族なので徳川さんはよく知っていたと思う。

7.当時の宮内庁記者…8ヶ月後に崩御される陛下にとって、4月29日は、最後の誕生日。25日に陛下は記者会見をされ、予定されていた時間のほぼ半分の15分くらいで会見を切り上げた。前年に手術をされ、この時もすでに体調が相当悪かった。天皇誕生日に会見記事を出す予定だった各社は、陛下の真意や、お言葉の背景について、富田長官ら幹部にブリーフィングしてもらう。

8.八木秀次(高崎経済大)…親の心子知らず、などと非常に強い言い方は天皇にはそぐわず、むしろ松平が徳川家の家来みたいなものだったと考えると、徳川侍従長の方がそういう言い方をしてもおかしくない。

9.日経新聞社長室…「富田メモは今年5月に入手したものです。日記が10冊と手帳が二十数冊です。すべてに目を通して点検し歴史家などの意見も聞いて、検証を加えた上で報道しました。報道した発言が昭和天皇以外のものであることはあり得ません。」が、その具体的な検証方法を明らかにする様求めると「詳細については申し上げられません。取材の舞台裏をこと細かに説明すると言う事はしておりません。今後我々が必要と判断すれば、紙面で明らかにしていきます。」と、これを拒否。国民すべてが共有するべき歴史的な資料に対して、この理不尽な態度は信じがたい。

10.御厨貴氏(東大)…「私は、公開されたあの部分のメモしか見ていません。徳川さんの発言ではないかと言う人が居ることも承知していますが、それも憶測の上に憶測を重ねるだけです。本来、全部出して検証するのが歴史学ですが、それを日経はやる気がありませんね。少なくとも私はこの(天皇のものという)メモを本物と思っています。」

11.富田広士氏(富田氏のご長男)…報道を見る限り、父の日記や手帳には,歴史的な価値があると言われている。全部を公開するのは難しいにしても、信頼できるお立場の方に精査していただき、どこの部分を公開し、どこが駄目なのか決めていただいて、その上で公開すればいいのでは。

12.徳川侍従長の動向…4/13侍従職退官、4/26(火)侍従職参与に就任し、火、木出勤となる。28(木)は参与として初出勤。(宮内庁記者)

13.富田氏の動向…4/28(木)は富田氏が、記者たちのために陛下にお会いして改めて伺ったメモ、とされている。ただし、陛下のお具合が悪いので、侍従長から富田氏がお話を聞く、ということはありうる(宮内庁記者)。


(2)2chでのレス


648 名前:625[sage] 投稿日:2006/08/03(木) 03:51:46 ID:tmp2G74w0
週間新潮を読んで、大きな発見があった。それは、昭和天皇と徳川侍従長との意見の違い。陛下は股肱の臣として軍人をとても大切にしておられた。しかし、徳川侍従長は軍人が嫌いだった。終戦のときに、例の玉音放送のレコードを軍人が奪いに来て、それを渡さなかったために侍従長は殴られたらしい。あとで、殴った近衛兵がわびに茶釜をもってきたが、それを使うことはなく、今もその茶釜は使わずにあるそうだ。

これは陛下の発言ではないだろう。

一人の人間として、いかに国家間の戦争とはいえ、多くの人命を失ったご心痛は察するに余りある。さぞかし、靖国には親拝なさりたかったであろう。他国への配慮も大切ではあろうけれども、我々の象徴であった人の心もちも、やはり大切にしたいものだ。
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日経新聞8月3日

(1)記事要約


当日の富田メモは計4枚。一枚目の書き出しに「63.4.28 1117-1153(吹上)」とあり、富田氏が午前11時17分から同11時53分までの間、吹上御所で昭和天皇と会ったことが記されている。スケジュールを書き留めた別の手帳にも同日午前に言上と丸で囲んだ表記がある。メモ4枚のうち1、2枚目はこの年の3月に腸の手術を受けた昭和天皇の三女、鷹司和子さんの退院の見通しなど報告の内容の箇条書きとなっている。ついでこの日、最大の話題の天皇誕生日前の記者会見に話が移る。
冒頭に「PRESSとの会見」とある三枚目のメモには会見についての天皇の感想が生の言葉でつづられており、それが靖国神社のA級戦犯合祀に言及するきっかけとなった。二十九日の誕生日前の宮内記者会との会見は数日前に行われるのが通例で、八八年は二十五日に実施。昭和天皇は翌年一月に崩御したため最後の記者会見となった。

続けて八八年の会見について「戦争の感想を問われ、嫌な気持ちを表現した」「嫌だといったのは(当時の閣僚の名)の靖国発言 中国への言及に引っ掛けて言ったつもりである」などとある。とうじ、閣僚の発言に中国が反発したことがあり、これを気にかけていたことが伺える。

当時の一部報道によると、宮内庁の内部で打ちあわせた回答原案では「つらい思い出」と表現するよていだったが、天皇が「嫌な」と言い換えていた。その真意は定かではなかった。

これを受けて4枚目のメモで「前にもあったね」として過去にも首相の靖国公式参拝や数年前の閣僚の戦争に関する発言に触れている。この話の流れの中で、メモ後半部分に「私は或る時に・・・・私の心だ」などとする靖国不参拝の理由の述べた発言が記述されていたこの年の記者会見で「戦争の最大の原因は」と問われた天皇は[人物の批判になるので述べることは避けたい」と答えている。メモ4枚目の末尾に「関連質問 関係者もおり批判になるの意」とあり、この事実と符合している

この年の5月20日のメモにも「靖国のことは多く相当のものも知らぬ。長官が何らかの形でやって欲しい」とあるほか、86年7月23日付の日記で「靖国のこと、教科書問題などで言上しきりである」などの記述がある。これらの問題に昭和天皇が気にかけていたことが伺える。

富田氏のスケジュール手帳には一日ごとに、合った人たちの名がこまめに記されている。それによると、八八年四月二八日に富田氏が会ったのは午前中に外務次官と昭和天皇午後は皇太子(今の天皇陛下)、夜は新聞記者の取材を受けている。それ以外の名は一切記載されていない。


(3) 8月4日の日経新聞


779 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/06(日) 01:03:01 ID:5iaXFH5K0

富田氏の日記より抜粋 1982年8月30日 (日経新聞 2006/7/21 p.33)
 陛下と約90分。教科書問題に関連して韓国や中国へのお気持ち大正末期、昭和初期の事実をふまえてお話し下さる。白い霧が窓の外を渦巻いていた。一月半位でお目にかかったが、すっかり回復されておられる。

富田氏の日記より抜粋 1986年7月23日 (日経新聞 2006/7/21 p.33)
 このところ高松(宮)さんのこと、靖国のこと、教科書問題などでお召し言上しきりである。何故か那須へ共奉した夕、国際連盟脱退のこと、日米開戦前後のことなど、色々とお話を戴いた。東京はまだ暑いから十分に気をつけてねとのおいたわりの
お言葉と共に忘れがたい。

富田氏の日記より抜粋 1986年12月8日 (日経新聞 2006/7/21 p.33)
 四十五年を経た十二月八日。陛下とマッカーサーの記事が大きく紙面を飾るのみとなった。午後、陛下と約1時間、私の方からは南庭の冬、小春日和で、紅葉と常緑の木々の庭が眺められる。何かとお話申し上げたが、開戦の日のことはふれなかったし、陛下からもあえて何のお話もなかった。
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日本メディアの闇

(1)日経社員のインサイダー取引の捜査への目くらましか?


 日本経済新聞東京本社の男性社員による株のインサイダー取引問題で、東京地検特捜部は19日、証券取引法違反容疑で男性社員を近く取り調べる方針を固めたもようだ。
 関係者によると、男性社員は30代前半で、同本社広告局に勤務。今年2月までの数カ月間にわたり、企業が日経新聞に掲載を申し込んだ法定公告で株式分割などの内部情報を知った上、申し込んだ企業の関連株を公告掲載前に売買し、約3000万円の利益を上げた疑いが持たれている。
 株取引は数銘柄の短期売買だったとみられる。
掲載前の法定公告は広告局内の共用パソコンで管理され、男性社員はパスワードを使って内容を閲覧したとされる。また男性社員は本来、内容を知る業務には就いていなかった。
(共同)(2006年07月20日 02時02分)


(2)中国の対日工作?


202 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/07/25(火) 03:27:16 ID:v6qNc7+00
今回のメモ騒動は、これの一環か?
   ↓
581 名無しさん@6周年 New! 2006/07/25(火) 01:04:47 ID:k98IP4Dh0
【中国】対日工作会議「後継首相の靖国参拝を阻止するため、小泉首相を徹底的に攻撃し、孤立化させる」小泉首相に国家レベルで嫌がらせ

中国は、昨年12月20日に唐氏や一時帰任中の王毅駐日大使ら約10人が出席して北京市内で極秘に開いた「対日工作会議」で「後継首相の靖国参拝を阻止するため、小泉首相を徹底的に攻撃し、孤立化させる」との今年の対日基本方針を決定した。首相を「孤立化」させるため「政財界工作、民間交流などを幅広く展開する」ことも確認した。
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/photojournal/news/20060210k0000m010084000c.html



(3)日本メディアと中国共産党の接点 (恐ろしい話なので、このリンクを全部読むことを薦めます)

-------
中国はその数千年の動乱の歴史を通じて、我々日本人には想像もできないような凄まじい外交術を発達させてきた。その一つに、国際社会で「中国の友人」と呼ばれているものがある。

たとえば、中国がある国の将来性ある政治家なり、ジャーナリストなりに-仮にA氏と呼ぼう-狙いをつけたとする。A氏は中国に招待され、VIPとして「熱烈歓迎」を受ける。鼻高々で帰国したA氏は、以後、「何か中国に頼みたいことがあったら、自分に任せなさい、私には中国政府要人との太いパイプがあるから」、と触れ回る。実際にいくつかそういう実績を上げると、A氏は中国とのコネをバックに出世していく

A氏が実力者となると、今度は中国の方がいろいろ要求を出してくる。経済援助を増やして欲しい、とか、反台湾政策をとれ、等々である。A氏は自分の地位を守るためには、中国の意向に従わざるをえなくなる。(以下略)


(4)日経と中国の接点


10 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/07(月) 23:07:40 ID:OXSwRgGk0

◆日経の闇を突く! 第六弾 消された会談 8月2日 皇国史観研究会

今年の4月13日に日本経済新聞社の杉田亮毅社長と中国の国務委員である唐家旋が会談している。この席で次のようなやりとりがあった。

唐「われわれは『日本経済新聞』はじめ日本のメディアが現在の中日関係と中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導き、中日関係の改善と発展のために積極的かつ建設的役割を果たすよう期待している。」

杉田「日中関係は現在、重要な時期にあり、日本経済新聞は両国民の理解増進、日中関係の改善のため積極的に努力したい」

 このやりとりは中華人民共和国駐日本大使館のサイトで確認できる。この他にも人民日報をはじめ、中国系メディアがこの会談を報じている。

13 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/07(月) 23:08:35 ID:7GwOImjB0
 しかも会談した場所が北京の釣魚台国賓館だ。我が国の天皇皇后両陛下、米国大統領など世界の国家元首も泊まる、まさに名の通り国賓を接遇するところだ。
しかも、物価が激安の中国にして、スイートルームの一泊が3998ドル(日本円にして45万円ぐらい)というから驚きだ。

 そこで日経の杉田社長は中国の唐家旋と会談したのだ。まさに国賓級の扱いといっていいだろう。とても個人ではこうはいかない。ちなみに5年前、総理大臣の靖国神社参拝を「やめなさいと厳命」した時、唐は外交部長だったが、いまは出世して国務委員になっている。

 中国共産党と中国の政治体制の序列で見れば、国家主席、総理、副総理、国務委員
と来るからどの程度の人物かは分かるだろう。それほどの地位にある者と会談してきたのだから大ニュースだ。

 ところが、日経の過去の記事を探しても、この会談が掲載されていない。ネット上でこの会談が話題に上っているところもあるが、それは全て中国メディアがソース(情報源)だった。肝心の日経がこの会談を報じていないのだ。

16 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/07(月) 23:09:21 ID:Pikj1Ami0
 中国大使館の報道では唐が杉田社長に、日本国民の認識を正しく導くように、と言っている。他の中国系メディアもニュアンスの多少の違いはあるが、同様の記事を書いている。おそらく、この部分が日本に伝われば批判されると日経は思ったのだろう。だから、この会談を無かったかのようにしているのだ。

 そして、この会談か訪中の期間に「日本国民の認識を正しく導くための手段」
が話し合われたのではないか。朝日新聞の「AERA」が、日経が「富田メモ」を入手したのは去年の9月と報じたところ、日経は真っ先に7月27日付の朝刊で「富田メモ 『アエラ』記事訂正 本社が申し入れ」と題した記事を載せ、「実際に日経が富田メモを入手したのは今年五月。」と書いた。

 「AERA」の記事に限らず、他にも日経の「富田メモ」報道に多くの疑惑が寄せられていた中で、なぜこのメモを入手した時期にだけムキになって反論したのか。
「去年の秋」に入手していたのと、「今年の5月」に入手していたのでは何が違うのか。

20 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/07(月) 23:10:14 ID:4s0lyUPD0
(略)5月にメモを入手していたのならば、この会談の際に杉田社長は「富田メモ」を知らなかった事になるが、去年の秋に入手していたのならば会談の際に「富田メモ」を知っていた可能性が強い。これは何を意味するのか。

 それはつまり、会談の席で杉田社長以下日経幹部達と唐家旋以下中国共産党幹部達の間で「富田メモ」を用いて「日本国民の認識を正しく導くため」の謀議がもたれた可能性があるということだ。(略)

955 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん : 2006/07/22(土) 21:25:28 ID:q4qEt8ie
杉田亮毅 日経新聞社社長の華麗なる外交

呉邦国・全国人民代表大会常務委員長 杉田亮毅社長と会見(2003/9/11)

中央宣伝部の劉雲山部長 杉田亮毅社長の一行と人民大会堂で会見(2004/11/23)

杉田社長 趙啓正・国務院新聞弁公室主任と朝食(人民中国 2005年2月号)

唐家セン国務委員、杉田日本経済新聞社長と会見(2006年)

2006年4月16日 日本経済新聞社説 「双方の努力で日中関係を安定させよう」
 (社説の締めに「日本の首相がA級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社に
 参拝すべきでないことは繰り返すまでもない。」)

おまけ
財界主流は、“石原さんでは困る”と言っている」と杉田さん(2002年)


(5) その他



日経鮫島元専務(故人)と中国の接点
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本当に陛下が参拝を止めた理由がA級戦犯合祀なのか?

(1)三木首相参拝後の発言とその影響(wikipedia「靖国神社」)


歴代総理大臣は在任中公人として例年参拝していたが、1975年(昭和50年)、三木武夫首相(当時)は「首相としては初の終戦記念日の参拝の後、総理としてではなく、個人として参拝した」と発言。同年を最後に、それまで隔年で行なわれていた天皇親拝が行なわれなくなったのは、この三木発言が原因であるとも言われている。(昭和天皇最後の参拝は三木首相参拝の3ヵ月後)



(2) Let's Blow! 毒吐き@てっく
(以下、要約させてもらいました。是非リンクを辿って全文を読んでください。)


「あれ以来」の「あれ」とは昭和50年11月20のご親拝を指すのではないか。

三木首相は昭和50年8月15日に靖国神社に参拝し、これを「私的参拝」だとした。

政府自民党は、当初、靖国神社の国家護持を目指して、昭和44年に「靖国神社法案」を提出していた。昭和49年の衆議院では一旦可決までされたが、参議院にて否決、廃案となった。そこで自民党は、「靖国神社法案」から「公式参拝」へと戦術を転換した。今回のメモ書きを検討するに当たっては、こういう当時の背景を抜きにして メモ ―すなわち一片の紙切れに書かれた覚書― だけを見て語っても結論を間違う恐れがある。

圧倒的に左翼的な言説がまかり通っていた中、<bf>11月21日、天皇皇后両陛下は靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者記念墓苑にご親拝を予定されていた。そして、悪いことに、ご親拝の前日の11月20日の参議院内閣委員会で日本社会党がこれを問題にした。11月20日の参議院内閣委員会で追及を受けた吉国一郎内閣法制局長官は、遂に、天皇の参拝は、「憲法第20条第3項の重大な問題になるという考え方である」と答えてしまった。ちなみに、「信教の自由」を謳った第20条の第3項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と記されている。


(3)部落解放同盟と旧社会党が推進した反天皇(制)運動


242 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/08(火) 13:05:25 ID:5GzTMuCH0
私が思うのは宮内庁はかなり嫌がっていたんではないかという事。
富田メモに関連して親拝がなされなくなった事の理由として漠然と三木総理の参拝問題が言われていますがむしろ部落解放同盟と旧社会党が推進した反天皇(制)運動の苛烈さにその一因を感じるのですがやはりどうしてもスルーされてしまう。
1975年7月の沖縄皇太子火炎瓶事件にしてもセクトの周辺には解同関係者の存在も指摘されていたし同時期、部落解放運動は近世体制起源説に差別の原因を見出したと反天皇(制)が大きな運動方針になっていたのですから宮内庁への攻撃もすさまじい物であったわけです。どうもこの辺りが現代史の検証テーマから抜け落ちていると思うのです。

同時期、旧社会党は部落解放同盟と共闘して反天皇(制)キャンペーンを全国規模で行っています。これについては旧社会党内でも反対意見が多数出て党内がギクシャクしています。しかしそこで圧倒的な政治力を持つ上田卓三氏らによって社会党は急激に極左化していきます。実際、解同はじめ国内過激派との連携はこの時期が最も強かったと思われます。(略)当時の公務員等はその苛烈な様からターゲットになる事を恐れていました。

元々「反天皇」という思想はコミンテルン日本支部である共産党から部落解放運動に持ち込まれたものであるが水平社思想がそのまま戦後運動に同化していくのは1960年の綱領明文からでしょう。それが運動のテーゼとして確立していくのは1970年以降です。それまでは現実的に機能しなかったと思います。
こういった側面からも富田メモを検証しなくては実態などわかりようもないと思います。ポイントは「宮内庁」そのものでしょう。

http://ameblo.jp/disclo/entry-10015558824.html


(4) 中国の批判(2chより)


東京裁判で有罪とされた人々の合祀は1959年に始まり78年に14人のA級戦犯を合祀して終了した。この間、中国を含め海外から一切抗議はなかった。1979年、大平首相が、80年と81年鈴木首相が参拝したが、何の問題も引き起こさなかった。1982年教科書問題が日本を襲った当時も中国は教科書問題を取り上げるのみでA級戦犯の靖国合祀には一切言及しなかった。

中曽根首相が1983年、84年に靖国参拝した時に至るも何ら問題は生じなかった。つまり靖国問題はわずか16年前の1985年からなのである。戦後政治の総決算を掲げた中曽根首相は1984年に靖国神社問題についての諮問委員会を設置し、1985年8月15日に靖国を公人として参拝した。その直前の8月7日に朝日新聞は、中国は靖国問題について日本の動きを注視している、と報じた。当時の「人民日報」や新華社電を精査してもそのような中国の動きはまったく存在していない。

人民日報はこの朝日の記事を受けて8月11日付けで、日本国内に首相の靖国参拝に批判的な動きがあると報じた。ついに8月14日中国政府スポークスマンは中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人(中国人民)の感情を傷つけると正式な反対表明をするに至った。

かくして「無」から「有」が生じ、日中間で互いに相手国で靖国が斯様に論じられ報じられていると木霊のような遣り取りが始まった。


(5)wikipedia「靖国問題」


対外的には、1964年、日本社会党の佐々木更三委員長が毛沢東国家主席に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶したところ、「何も申し訳なく思うことはありませんよ。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではありませんか。皆さん、皇軍の力無しには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう」と発言したり、1978年のA級戦犯合祀時点での諸外国からの抗議も皆無だったなど比較的穏健な態度を保っていた。



(5) 勝谷氏のブログ(7/29)より、当時の戦犯赦免について


(略)1956年の段階で厚生省と靖国神社が緊密な連携をしつつ熱心に合祀の数を増やしていったと朝日は鬼の首をとったように書く。これを書いている記者はいくつなのだろう。恐らくその時代の空気に対する想像力など糞ほどもないんだろうね。独立を回復した当時の日本は誇りを取り戻すべく苦悶していた。そんな中で戦争犯罪受刑者の釈放を求める運動は国民的な盛り上がりを見せ何と4000万人の署名を集める。53年の衆議院での「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」は全会一致での可決である。時代の空気には狡猾に乗る朝日新聞のことだ。当時の紙面を少し探して見れば「合祀を急げ」なんて書いているんじゃないだろうね(笑)。靖国神社の存在そのものに手を突っ込み始めた勢力に注意しよう。


(7) 2chよりA級戦犯の罷免について


17 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/07/24(月) 11:22:09 ID:Cey+StLW0
つーか現在、日本に「A級戦犯」は存在しないって。理由は以下の通り。

1)昭和28年の衆院本会議で、社会党発案の「全戦犯の罷免」決議が全会一致で可決→国内で「戦犯」消滅。
2)サンフランシスコ講和条約第11条に基づき、戦勝国決議で昭和33年までに「A~C戦犯」が赦免→国外でも「戦犯」消滅。
3)ちなみにA級戦犯の重光葵は釈放後、鳩山内閣外相となり、国連加盟式典代表として国連から勲一等を授与→A級戦犯の名誉回復

~以上のことから、A~C級戦犯は既に「罷免」「赦免」され、国内的にも国際的にも存在してないのは明らか。
近代法では刑を犯した者が「刑期を終えれば」刑が消える。刑期を終えても
末代まで呪われ続けるのは「前近代的な慣習」(=中国の慣習)


更に言えば「極東軍事裁判」で敗戦国に「戦犯」を課したこと自体がおかしい。当時の国際法・先進国のどの法律にも「敗戦国」に「戦犯」を課した記述はない。


71 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/07/24(月) 11:34:11 ID:RG2Omfc20

>>48
>日本の新聞社は、口が裂けてもこの辺の事情は書かないだろうけどな。


● SF条約に批准していない中韓は、靖国問題に言及できない ●

( 略 )
日本と48カ国との間で交わしたサンフランシスコ平和条約には戦犯に関する取り決めが盛り込んである。何と書いてあるか。
この条約に署名、批准していない国々は戦犯について発言する権利はなく、
日本の立場を損ねたり害したりするような行動に出る資格はない
と記してある ( 第25条 )。

そして、この肝心な条約に、中華人民共和国、韓国、中華民国 ( 台湾 ) は署名も批准もしていない

つまり現在、日本との間でトラブルを抱えている中・韓いずれもが、国際条約の上でA級戦犯に関しては発言資格なしとされた国々なのである。しかも、今のところ資格ありとされる国からは、日本は一度もクレームを受けていない。

靖国をめぐるトラブルを解決するのは、心の問題や侵略の問題ではない。核心はサンフランシスコ平和条約にかかわる問題、の一点につきる。いまこそ日本政府は、この条文を根拠に国家として毅然たる声明書を発表すべきだ。

http://www.sankei.co.jp/news/060322/morning/seiron.htm
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富田朝彦元宮内庁長官のメモ(1ページ目)









★「問題メモ」の隣のページ★               ★「問題メモ」の1ページ目★                                     
皇太子と バラの間 4.26 1425-1450            63.4.28 1117-1153
○ 李●韓国大使                                    (吹上
      前任者着任前公表し○○云々      1 鷹司さん 5月10日ご退院とのこと
○礼宮  PV時  L.A     と為る               徳川 住居整備に
   (和田 勇(80)氏)                    お慶びを   1205 上野総理
   日系人引揚者ホーム 立寄時                    秘書官に依頼
                               3 礼宮 ◎陛下も承知し喜んでいる
 首席○○     角谷                           伝えて 欲しい
                                  ブラジルPV時 角谷前比大使
 英国修学    影井元伊大使                 首席に (角谷大使のこと)
                                   英国修学時(浩宮時の
○外務次官                            中川元ソ大使に相当)は
   賀陽所長のこと                     斉藤○  影井元伊大使(○○○時
  両参与の意見を求めて欲しい               大使の女 夫人○○ 随員に)
○ clsrity bawl時(mrs.abe)            2 先日 宮内記者クラブお会い
 浩宮                               クラブの感想について
◎大相撲夏場所行幸見合わせ                 、 沖縄
 決定の背景と経緯について             2’4.29.30   国民の慶じ



手帳スケジュール書込
○は解読不能、?はモザイクで伏せ字に

25(月) 14:00- ○○と
26(火) 10:00-11:00 辞令交付 12:00-13:00 ???? 14:00-15:00 皇太子と
27(水)?? 10:00- 血液検査 木曜午食会 14:00-15:00 信任状
28(木) 10:00-11:00 外務次官 11:00-12:00 (言上) 15:30-16:30 皇太子
29(金)天皇誕生日 11:00- ○○○祝○ 祝宴
30(土) ○祝○



1.目上の方に対して目前でメモを取ることはしない。記憶しておいて後から思い出しながら書いた。数字が不連続なのは、富田氏自身がメモの内容に関連してこなす任務の順位か。

2.貼り付けてあったメモの隣のページは4月26日のものだけど、真ん中あたりに(黒い手帳>(4)の左側の頁)
○外務次官          
  賀陽所長のこと
  両参与の意見を求めて欲しい
とあるから、参与は二人いて、徳川氏も参与。つまり、4/28日の朝外務次官に会う前後に富田氏と徳川氏が会っている?

3.「言上」のときに、4/26の礼宮様についての報告。報告できる人が同席していた可能性

4.もう一冊の手帳の26日の記載は、よく見ると「辞令交付」と「皇太子」の間にモザイクがかかっている。不都合な人物かプライバシーの関係?

5.肝心の25日の部分がトリミング。、28日の記載も「外務次官」「言上」「皇太子」の部分まではわかるが、記事ではその日の夜に新聞記者の取材を受けてるのに、その部分がトリミング。

63.4.28 1117-1153メモ作成の日時。終了後に書いた。
予定自国が11:13~57と半端になるはずがない。
(吹上 吹上御所にて
1 鷹司さん 5月10日ご退院とのこと
徳川 住居整備に
1205 上野総理秘書官に依頼
11:53に終って、上野治男内閣総理大臣秘書官にお礼を
伝言した。メモをとってすぐに行動したので1項。1,2
行目は言上前に用意し、3行目以降は言上後に追記。意
味は以下の通り:天皇陛下のご3女であらせられる鷹司
和子さんは、5月10日退院の運びとなった。かねてから
問題だった鷹司さんの退院後の住居(赤坂御用地)を
徳川さんが整備された事に対しお慶び(お祝い)を申
し上げる。それに対して、天皇陛下から「承知してい
る。整備してくれた総理に喜んでいる旨伝えて欲しい」
のお言葉を賜る。富田長官は言上後の12時5分に、当時
の内閣総理大臣竹下登へ伝えるためにその内閣総理大臣
秘書官上野治男に依頼(電話か)。
3 礼宮 ◎陛下も承知し喜んでいる
伝えて 欲しい
ブラジルPV時 角谷前比大使
首席に (角谷大使のこと)
英国修学時(浩宮時の
大使の女夫人
「PV」が単に「プライベート」の略。「角谷」「首席」「影井」など
はメモが張り付けてあったページの前の26日の記述に近
い文面がある。皇太子殿下の所で承った事を言上か。富
田長官が天皇陛下に明日の祝宴の席次を言上。記者会見
とは別項目。
2 先日 宮内記者クラブお会い
クラブの感想について
沖縄
4月25日の記者会見の件。
2’4.29.30   国民の慶び天皇誕生日の祝宴・行事は29,30日の二日間。


288 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/05(土) 16:00:56 ID:Axvmgvmd0
言上とは質問・報告がある際に侍従を通じて天皇に奏上すること。直接言上の場合はお召しに乗じてすること。
そういう仕組みにしたのは富田と徳川自身。(富田長官以前は侍従にはからず言上した)
これは皇室担当記者にしたら常識。ただし日経には皇室担当班自体ない。
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現時点でのtech_innovationの見解

ブログを書いてきた者として、とりあえず現時点での意見を述べておきます。富田氏のメモの記述を陛下の発言であると仮定すると、その理由は以下のとおりです。(肯定的意見の項を参照)

1.愛・蔵田氏の指摘(3)により、メモの3ページ目「戦争の感想を問われ、嫌な気持と表現した。」と25日の記者会見「今の質問に対しては、何と言っても、大戦のことが一番厭な思い出であります。」が対応していると思えます。これは、メモが本物なら徳川発言説を否定できる理由となります。
2.徳川発言説の項で蒟蒻ゼリー氏が指摘により、4ページ目「関連質問 関係者もおり批判になるの点」と記者会見の「人物の批判とかそういうものが加わりますから」が対応します。そして、主に3ページ目に「云いたかった。」など、陛下が言ったと思われる部分があります。要するに、上記理由が正しく3ページ目が天皇発言と仮定すると、天皇発言説を否定するためには、3ページ目と4ページ目が繋がっていないことが必要です。(文章的に3ページ目と4ページ目が繋がってないような感覚も持ちます。しかし、最後の「関係者もおり」の箇所は3ページ目と4ページ目が繋がっている一つの理由にはなります。)
2.勝谷氏の指摘(1)や、cool!氏の指摘(2)が状況証拠を提示。特に、勝谷氏は、自分のコネを使ってかなり調べたような印象を持ちます。

ただ、疑問点が消えた訳ではありません。
1.三国同盟推進の2人批判説より、陛下はA級戦犯全員を批判されていた訳では無いと思われます。
2.本当に陛下が参拝を止めた理由がA級戦犯合祀なのか?より、陛下が参拝をとりやめた直接の理由は、最後の参拝の直前に行われた国会での議論が大きく関係しているように思えます。ただ、A級戦犯合祀も同時に考慮されたのかもしれませんが。
3.23日以降に生じた疑問や分かった点での萩原氏の指摘より、筆跡鑑定等、メモ自体を物理的な方法で検証したとは思えない点です。
4.22日以前における疑問点では、「天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べている」「天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりする事ができるのか」等、徳川発言説の部分で記述している疑問点も含めて全てが完全にクリアとは言えない現状です。ただ、これはメモという性質上、小さな矛盾点は消えないとも思えます。

要するに、現時点でメモは本当に陛下の発言である可能性があります。しかし、分祀される事を実際に指示された訳ではありませんし、A級戦犯のうち特定の方だけを非難していたとも考えられます。よって、陛下の真意はメモからは分からないと思います。このメモを基に、A級戦犯分祀論を持ち出すのは間違い(メモの解釈の捏造)であり、かつ天皇の政治利用になると考えます。
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メモの真偽に肯定的意見

(1)勝谷氏のブログより
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2006年7月21日
(略)今回明らかになったお言葉は正に今私たちが突きつけられながら立ち往生している大東亜戦争と終戦と戦争責任そして東京裁判を巡る歴史観に対する思想的硬直の「場」を突き動かせという「ご聖断」ではないのか。もちろんその論議はこのお言葉が真正なものかどうかという所から始めなくてはいけない
(略)私は今回の「スクープ」がこの時期に日経新聞から出たことを心から惜しむものである。(略)「支那朝鮮に言われて」ではなく「昭和天皇のお言葉らしきものが出てきたから」私たちは論議を始めるのだ。まさに「場」が動くのである。保守論壇と言われる人々こそ自らの思想硬直から脱せよ。それこそが忠であり義ではないか。

2006年07月25日
(略)こんな下らない新聞社に世論を誘導されて愚民が靖国参拝についてまんまと騙されている<次期首相の靖国参拝、反対60%/本社世論調査>日経を使ってこれを仕掛けた売国勢力の動きをほぼ私は把握できた。あの日の紙面にしたのは安倍晋三さんのマニフェストとでも言うべき『美しい国へ』の発売日というわかりやすさ(苦笑)。というのもメモの入手とその検証に日経は3カ月以上の時間をかけていたからだ。検証はかなり慎重に行われている。私の知る昭和史の専門家たちの中にもメモを見せられた方々がいるようだ。重要なのはメモ以外にも富田長官が遺したものの中に「富田日記」とでも言うべき本編があるということ。世に出れば昭和史を最後に断ずる超一級の資料であろう。この本編とメモのすり合わせは当然行われているわけであってその点でも「誰の発言か」という最終判断には若干の疑問の余地はあるにしてもメモそのものは真正であり文脈からは昭和天皇のご発言と見る識者が多数のようだ。しかし「だからどうした」というのが私の今の偽らざる心境ですね。ましてやメモを受けて即座に靖国参拝の是非の世論調査をする築地などの卑劣外道ぶりのわかりやすさよ。昭和天皇のお気持ちの一端がまた明らかにはなった。しかし「A級」という言葉がそのまま全てを指すのかすらわからない。今回また新たに私が知ったのは靖国神社の宮司と先帝それから輔弼にあたる方々との温度差は確かに相当あったということだ。とても書き切れないな。まあ腰を据えて目を見開き耳を澄ませることですな。


(2) cool!氏
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富田メモ、マスコミが真偽について一切調べようとしないのは、アレが本物だということを前もって知っていたから。 (略)マスコミの論調で不思議なのは、「天皇陛下の本心はA級戦犯合祀反対だった→A級戦犯分祠&首相参拝反対」というふうな流れになっているところ。


(3) 愛・蔵太の少し調べて書く日記
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記者会見「について」後日尋ねたメモと見るのが一番しっくりくる。メモの「”嫌だ”と云ったのは奥野国土庁長の靖国発言中国への言及にひっかけて」に対して、記者会見の当該部分は、「今の質問に対しては、何と言っても、大戦のことが一番厭な思い出であります。」が当てはまる。



(4) 愛・蔵太の少し調べて書く日記
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20,21日の初期報道について


(5)秦郁彦氏の意見ですが、証拠の検証ではありません
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312 名前:pon[sage] 投稿日:2006/07/30(日) 11:58:34 ID:0APUdzjU0
●  合祀の手順の説明を 秦郁彦(日本大学講師)
従来の推定を裏付ける第一級の歴史資料
靖国神社は天皇参拝の中断覚悟で決断

 日本経済新聞社が入手した故富田朝彦元宮内庁朝刊の日記とメモに、目を通す機会を得た。日記は1986年まで、メモ手帳は86年から昭和天皇が崩御される半年前の88年6月までで、両者は重複していない。
 日記は害して簡潔だが、メモは天皇の発病(87年9月)以降は病状を記録する意味もあってか詳しくなり、昭和天皇も信頼する富田氏に言い残しておきたいとの気持ちもあってか、自らさまざまな話題を取り上げ、秘話的なエピソードを含めて語っている。皇室の内情に触れた部分もあり、全面公開は無理だろう
 第一級の歴史資料であることはすぐに分かったが、この時期に公開することによる波及効果の大きさを思いやった。
 富田氏は天皇が亡くなられた直後の89年1月9日から数回、「亡き陛下をしのぶ」と題したエッセーを読売新聞夕刊に寄稿している。比べてみると、日記やメモを参照しつつ書かれたことは明らかだが、今回発表された靖国神社関連の話題への言及はない。
 さて、論議の的になっている富田メモの靖国部分の全文についてだが、97年に故徳川義寛侍従長の「侍従長の遺言 昭和天皇との50年」(注 岩井克己 聞き書き・解説 朝日新聞社刊)が刊行されて以来、他の関連証言もあって、天皇不参拝の理由がA級戦犯の合祀にあったことは研究者の間では定説になっていた。
徳川氏は松平永芳宮司とのやりとりを、「天皇の意を体して」とあからさまには書いていないものの、関係者や研究者はそのように読み取ってきた。

321 名前:pon[sage] 投稿日:2006/07/30(日) 12:00:35 ID:0APUdzjU0
>>312続き

 したがって、私は富田メモを読んでも格別の驚きはなく、「やはりそうだったか」との思いを深めると同時に「それが私の心だ」という昭和天皇発言の重みと言外に込められた哀切の情に打たれた。なぜか。
 応対した徳川氏がA級合祀に疑問を呈したところ、「『そちらの勉強不足だ』みたいな感じで言われ、押し切られた」(「侍従長の遺言」)という。また、当時の靖国神社広報課長の馬場久夫氏によると、「こういう方をおまつりすると、お上(天皇)のお参りはできませんよ」(21日付毎日新聞朝刊)と宮内庁の担当者から釘を刺されたという。
 つまり、当時の松平宮司は天皇の内意を知らされた時、今後の天皇参拝が不能となってもかまわないという覚悟のうえで合祀に踏み切ったことになる。それは「私は就任前から『すべて日本が悪い』という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました」という松平氏独特の歴史観に発していた。
 しかも、合祀を期待していなかったはずの遺族(と本人)の事前了解もとらず、神社の職員に口止めしてこっそりまつったため、半年後に共同通信がスクープ報道するまで、国民も知らされていない。松平路線を継承しているかに見える現在の靖国神社は、当然の手順を踏まなかった理由を説明する責任があると考える。
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三国同盟推進の2人批判説

(1) 7/24の報道番組に出演した東条氏の孫の発言の要旨
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東郷が絞首刑になってから毎年家族の元に天皇から使者が来て、品物を下賜し元気にやっているか気を使っていた。東条元首相の孫である由布子さんは、メモはねつ造だとして上で、「処刑後、毎年お遣いの方が来られて『ご下賜』をいただいていた。『遺族の者たちは皆、元気にしているだろうか』と、ご心配をいただいた。そんな陛下が、ああいうことを仰るとは思えない」と述べていた。


(2) 産経新聞の記事より
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昭和天皇はA級戦犯をひとくくりにして批判していたわけではない。
 昭和天皇の側近、木戸幸一内相の「日記」をみると、昭和天皇はA級戦犯に同情を示している。昭和天皇は終戦直後の昭和20年8月29日に「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところ」、9月20日に「敵側のいわゆる戦争犯罪人、ことにいわゆる責任者はいずれもかつては只管忠誠を尽くしたる人々」と語ったという。
 宮内省御用掛の寺崎英成氏が記した「昭和天皇独白録」からは、昭和天皇がA級戦犯の代表格である東条英機元首相を信頼していたこともうかがえる。昭和天皇は21年3月ごろ、「元来東条という人物は、話せばよく判る」「東条は一生懸命仕事をやるし、平素いっていることも思慮周密で中々良い処があった」などと語っている。
 大原康男・国学院大教授は「メモが事実だったとしても、昭和天皇がA級戦犯の合祀そのものに不快感を示しているとは言えない」と指摘する。
 大原氏が注目するのは、今回のメモで言及された人物が、日独伊三国同盟を推し進めた松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使の2人とみられることだ。大原氏は「昭和天皇は『独白録』でも松岡のことを一番批判している」と語る。
 一方、「公の発言ではなく、非公式メモをA級戦犯分祀論に結びつけるのは、昭和天皇の『政治利用』になりかねない」(百地章・日大教授)との懸念も出ている。
 靖国神社は、昭和53年、厚生省が公務死と認定して靖国側に送った「御祭神名票」に基づいてA級戦犯を合祀した。
 昭和天皇も現天皇陛下も春秋の例大祭には勅使を派遣するなど、靖国重視の姿勢を示し続けてこられた。昭和天皇の弟宮である高松宮さま(故人)と三笠宮さまは、合祀後も参拝を続けられた。
現宮司の南部利昭氏は就任に際し「天皇陛下から『靖国のこと、よろしく頼みます』と直接、言われている」(関係者)とされる。
靖国側は分祀について「A級戦犯の御霊だけ除くことはできないし、ありえない」との立場を堅持している。
 政府筋は「手帳のあのページだけ紙がはり付けてあるという。メモを宮内庁で見た人はいない。本当に昭和天皇が言ったかどうかも分からない」と指摘しており、分祀論の高まりには戦没者の慰霊を置き去りにした政治的意図を強く感じる。

ソース(産経新聞)(阿比留瑠比)
http://www.sankei.co.jp/news/060721/sha037.htm
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23日以降に生じた疑問や分かった点

(1)23日の日経新聞の記事に対しての疑問(萩原@電脳物流氏)
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鑑定は日経、第3者確認はなし (萩原@電脳物流) 2006-07-24 14:57:08
『富田朝彦元宮内庁長官が残した日記、手帳(富田メモ)を公表するに当たり、日本経済新聞はその筆跡、内容などを詳細に分析し、現代史の専門家の意見を聞いた。その結果、書き込まれてきた行事、出来事の日付や内容は事実と整合性があり、メモの信頼性が高いと判断した。
』7月23日付け、日本経済新聞 特集面

つまり、この文章からは、抽出されるファクトは以下のとおり。


1.筆跡と内容の分析は日本経済新聞社が行い、社外の人間は関与していない。
2.インクや糊の経年変化についてなど物理的方法で資料の真贋を検証したかについては言明していない。
3.日本経済新聞が意見を求めた現代史の専門家の氏名、日本経済新聞社が意見を求めた内容と現代史の専門家からの返答ないよう、ならびにその問い合わせが行われた場所と日時については言明さていない。
4.日本経済新聞は『その結果、書き込まれてきた行事、出来事の日付や内容は事実と整合性があり、メモの信頼性が高いと判断した。』と日本経済新聞は7月23日の特集記事で言明した


要約すると「当社が検証し正体不明の現代史の専門家に場所・日時・内容が不明の確認を行った結果、メモは富田朝彦元宮内庁長官は昭和天皇の発言を正確に記載した史料価値のあるものとして当社は判断した」と日本経済新聞は日本経済新聞社の特集で言明したということである。

一般的に、資料に基づいて発言された場合、3つの点が検証されるべきである
1.資料自体の信頼性、正確性
2.発言は資料の示すファクトに根拠を置いているか
3.発言の論理展開は正しいか

日本経済新聞社が内部で検証を行ったとするなら、検証過程と資料の真偽や内容の正確性について下記の項目を確認する必要がある

1.資料自体の真偽と内容の正確性
1)資料自体は信頼できるか、入手経路は信頼できるか
2)内容は切り張りなどで改ざんされていないか
3)記載内容の正確性
発言者の発言を正確に記載しているか

なお、当然ながら、他の部分が如何に正確であって、切り張りや改ざんなどの証跡がないことが証明されない限り、当該箇所の正確性は保障されない。

このため、日本経済新聞社が当該メモの資料としての正確性を証明するためには、筆跡、インク、紙、糊などの物理的証跡について、判断の根拠を言明しなかればならない

また、発言者の肉声をその場でメモしたものであっても、「発言者の考えや気持ち」を正確に反映していることは自動的に保障されない。


このため、議事録等では発言者の確認をとってから正規の記録とするのである。
「書き込まれてきた行事、出来事の日付や内容は事実と整合性」は、メモが富田朝彦元宮内庁長官によるものであり、「昭和天皇のご発言」をメモした傍証にはなっても、「昭和天皇のお気持ち」を断定する証拠としては不十分である。
日本経済新聞は当該メモより「昭和天皇のお気持ち」を断定した根拠を明示し、これを論理的に証明しなければ、当該メモの記載内容の正確さを証明できない。

なお、当該メモの信頼性とメモの記載内容の正確さが証明されたとしても、日本経済新聞社の報道内容が、資料の示すファクトに立脚していない場合や論理展開が論理学的正しくない場合は、事実を利用した虚報ということになる。
したがって日本経済新聞が当該メモに基づく記事の正確性を証明するためには資料の真偽と記載の正確性の検証に加えて、記事内容が当該メモの示すファクトにのっとっているか、論理展開に過ちがないか、とういう点を証明する必要がある。


(2) (1)に該当する日経新聞の記事
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167 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/07/23(日) 13:36:53 ID:j+OEk9jP0
富田メモ - 意義と今後の検証 (7月23日付け、日本経済新聞 特集面)

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富田朝彦元宮内庁長官が残した日記、手帳(富田メモ)を公表するに当たり、日本経済新聞はその筆跡、内容などを詳細に分析し、現代史の専門家の意見を聞いた。その結果、書き込まれてきた行事、出来事の日付や内容は事実と整合性があり、メモの信頼性が高いと判断した。

富田メモにはいくつかの特徴がある。まず日記は一部年をまたいでいるが、一年で一冊の体裁。期間は1975年から86年まで、内容は昭和天皇の言葉や宮内庁の出来事のほか、家族や友人のことなど多岐にわたり、写真や新聞の切り抜きなども数多く張り付けられている。必ずしも毎日書き続けられていたわけではなく、日付の間隔がかなり空いている部分もある。一方、手帳は背とじと取れたものを含めると二十数冊。表紙に「T・TOMITA」の名前の入った手帳が八七年から九七年分まで。その日の予定、出来事が小さな文字でびっしりと書き込まれている。だだ、箇条書きが多く、天皇の言葉を詳しく書いた部分はほとんどない。
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189 名前:167 続き[] 投稿日:2006/07/23(日) 13:41:05 ID:j+OEk9jP0

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これと様相を異にする別の手帳が八七、八八年の二年分ある。八七年分は二つに分かれており、それぞれ五センチ近い分厚さ。八八年の手帳も二冊ある。内容もそれまでの年の手帳とは一変し、毎日の出来事や出会った人物との会話、宮内庁が抱える課題などが詳しく書き込まれている。なせこの二年分の手帳の内容が詳しくなったのかは不明だが、日記が八六年で途絶えていることから、手帳が日記代わりになったのではないかとみられる。この二年間の手帳の特徴は書き込みのあるメモ用紙が至るところに張り付けられている点。出来事や発言を手近のメモ用紙に張り付けたのではないかとみられる。昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示した言葉が見つかった手帳は、すべてメモ用紙を張り付けた形になっている。その内容は手元にあるメモ用紙にことあるごとに書き込んでいたのではないかとみられ、一日の出来事がすべて書き込まれているのではないかと思えるほど詳細。一日の出来事を思い出しながら書き日記とは違い、
タイムラグがすくないこの書き込みはより正確な記述といえよう。
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(3) サンデープロジェクト(7/23)の要旨
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446 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/07/23(日) 14:31:38 ID:gZXuF4XMO
本日のサンプロまとめ。
・筑波もA級戦犯合祀へ話を進めてい、昭和天皇に逐一報告していた。彼の在任中に合祀が決定していた。
(いつ合祀するかは未定)
・貴い人に仕える人達は、その人を傷つけないよう細心の注意を払う。
・松波、白鳥に昭和天皇が厳しい評価をしていたのは事実。
・A級戦犯を合祀したタイミングは、靖国法という法案が廃案になった後。
・天皇参拝の前日に社会党が首相の参拝について質疑していた。
・このスクープ発表は古賀が中国に分祀論を伝えた翌日。
・メモの上部には、中曾根等の名前がある。
・加藤は中国が尖閣諸島の領有を主張した当時の官房長官で、天皇の中国訪問を実現したが、天皇はそれを疑問に思っていた。
(天皇を以前にも政治利用していた)
・88年当時、天皇は大好きな相撲も満足に観覧出来ないほど衰えていた。

566 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/07/23(日) 14:55:38 ID:gZXuF4XMO
補足
・確かに筑波は、死ぬまで合祀するつもりはなかったらしい。
・独白録などから、天皇がA級戦犯を一くくりにして批判するのは考えにくい。東郷等には好意を持っていた。
・富田は今回の手帳類は棺桶に入れて燃やすつもりだった。



(4)ぼやきくっくり
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「サンプロ」富田メモについて、とても詳細なまとめ。


(5) ちゃんねる桜
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緊急特番「昭和天皇発言メモ」を考える-1    21.76MiB


緊急特番「昭和天皇発言メモ」を考える-2    18.54MiB



(6) Let's Blow! 毒吐き@てっく氏
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NikkeiWeeklyの記事の中で、4月28日のメモのはずが、The Emperor's words in a memo, dated May 9, 1988となっている件について。


(7) 極右批評氏
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(AERA):昨年秋ごろ、日経新聞の記者が久しぶりに自宅にやってきた。懐かしさも手伝って、一周忌のCD‐ROMを見せ、日記の現物と自分も読んだことのない『輪ゴムのメモ』を手渡したという「今回の昭和天皇の発言はこの中にあった」。(日本経済新聞社の7月20日のスクープ記事):「靖国神社についての発言メモは88年4月28日付けで、手帳に張り付けてあった」。これら二つの記事の整合性に疑問を投げています。


(8) 愛・蔵太の少し調べて書く日記
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20,21日の初期報道についての疑問等
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22日以前における疑問点

1 「昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてあった。
2 「だから私はあれ以来参拝していない。」  天皇陛下は75年(社会党批判時)から参拝していないのに、「私はあれ(3年も後の78年のA級戦犯合祀)以来参拝していない」では辻褄が合わない。「私」が誰を指すのか不明。
3 あったとされる「発言」が合祀から十年後の昭和63年(1988年)の4月。崩御の前年。
4 天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりすることはそもそもできない。それをできると思うのは、外国人か日本の官僚機構を知らない人達。
5 何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
6 白鳥を白取と誤字。普通間違えるか?
7 論理構成、概念、時系列が中国共産党にあまりに都合が良すぎるステレオタイプのような文章。「平和に強い考え」?何それ?中国共産党の影響力の強い旧社会党や社民党がいかにも使いそうな言葉。
8 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」合祀された78年ならまだしも、合祀から10年経った崩御の前年の88年に語ったとするとあまりに不自然な発言。
9 当時の侍従長でA級戦犯の合祀に大反対だった、徳川義寛氏の発言と考えれば、内容はすべて辻褄が合う。
  http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html
10 勅使は陛下の私費で現在まで靖国神社に派遣されている
11 他に比べて紙が劣化していない。インクも鮮明な上に色が違う。
12 メモ上部に「藤尾(文相)の発言」とある。藤尾の在任期間は1986年7月22日~9月8日。日付が合わない。
13 天皇は神社(靖国だけでなく、どこの神社でも)に参拝する場合「参拝」ではなく「御親拝」という表現を使う。
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