開戦前夜 日米諒解案の生成 5(予備草案)

2017年07月04日 | 歴史を尋ねる
 3月13日またもウォーカー長官から覚書がホーンベック顧問にとどけられた。ウォルシュ司教が起草したもので、鮎川儀介が現在進行中の交渉に疑惑を持ち、滞米中の来栖駐独大使に情報入手を依頼した。松岡外相のベルリン訪問は、日本の三国同盟の義務が平和的行動にとどまることことを説明するためだ、日本は米国を公式に太平洋の大国と認め、共同で極東モンロー主義を声明する用意がある、交渉期間中、日本の石頭連中や共産党支持者から反米宣伝の口実を奪う様に友好的に圧迫を加え続けることを希望する、近衛公爵は、寝室にローズベルト大統領の写真を掲げている、日本の有力紙、東京毎日、大阪毎日、朝日新聞の発行者、編集者は政府の示唆があり次第、米国に対する有利な報道を開始する用意をしている。
 覚書には相変わらずこの交渉をローズベルト大統領、ハル長官、ウォーカー長官の三人だけの秘密にしてほしいと望み、近衛首相に日本大使館に公式交渉をしないよう指示することを求め、最後のさりげなく、「私はわれわれの会談を通じて、米国の最重要関心事と思われるポイントを発見したと考えている。私は以下の諸点を目標にして作業している。①日本の枢軸同盟からの排除、②太平洋の平和の保障、③支那の門戸開放、④支那の政治的保全、⑤日本の軍事的または政治的侵略の防止、⑥経済および財政協定、⑦日本商船の使用、⑧ドイツに対する補給の停止、⑨共産主義蔓延の防止、⑩ローズベルト大統領、ハル長官が宣言した諸原則に基づく日本との協定」 覚書は前回より具体性を増した。それだけ日本側の態度と考えがはっきりしてきたとみられるが、その日本側とは誰を指すのか。
 ホーンベック顧問顧問が黙考していると、またまた特別覚書が届いた。この起草もウォルシュ司教の起草だが、松岡外相が3月12日にドイツに向かって東京を出発する際、もし招待されれば訪独のあとワシントン、ロンドンを訪ねたい、と述べ、また外相の秘書が「日米間の問題解決の最善の方法は、松岡外相がホノルルでローズベルト大統領またはハル長官と会見することだ」と言明した。そして覚書は次のように告げる。「井川は近衛首相にたいして、首相がワシントン大使館に松岡外相の訪米を米国側に示唆せぬよう指示してほしい、と打電した」「近衛首相からの電文によれば、首相はこれまでの二週間にワシントンから送った電報のうち、一通だけしか松岡外相に見せていない」等々。

 井川理事のような感情的な人物が果たして外交交渉の「全権代表」に選ばれるものであろうか、ホーンベック顧問は確かめようがないので、観測気球を上げることにした。3月14日野村大使がローズベルト大統領を訪ねることになっているので、ハル長官に「大使がワシントンに滞在して日米関係改善に努力している同国人に言及があった場合、国務省当局は日本大使が責任を持ちイニシアティブをとらない限り、それらの人々と個別に会談することは出来ない、と述べてほしい」 ハル長官はホーンベック顧問の勧告に従い、「両国関係改善のため、どのような問題に、いつ、どういう形で真面目に討議を始めるか、そのイニシアティブと責任は日本側にある。何よりもまず、日本側が言葉と行動によってその意図を明らかにすべきである」と。しかし、野村大使から積極的、具体的な反応はなかった。大使としては、ローズベルトと親しく話し合ったことに満足し、「大統領は終始一貫極めて機嫌よく語り、極東の事態を心配しつつありたり」と東京に打電した。ふーむ、アメリカ側から見れば、暖簾に腕押しといったところか。

 3月16日、ウォーカー長官はまたウォルシュ司教の覚書をハル長官に配達したが、この覚書では、すでに原則的協定の予備草案が相当な部分まで起草されていることを伝え、その内容はこれまでに指摘した項目を並べたあと、いずれ近衛首相とルーズベルト大統領がホノルルで協定にサインすることを期待していた。この予備草案作りは井川理事と二人の神父がかかわっているが、どうも本気で両国間の協定作りをしている。両国の当事者抜きで協定草案が出来ると信じて疑ってない様子だ。不思議な光景だ。三人は翌17日、早くも原則的協定の予備草案を完成した。
 この予備草案は、ほぼ一カ月後に作成される『日米諒解案』の基礎になるもので、「前文」「平和への支持」「枢軸同盟」「日支紛争の調停」「日支紛争の処理のための秘密提案」「海軍兵力」「商船隊の使用」「日独通商関係」「輸出入」「金クレジット」「石油」「ゴム」「南西太平洋地域における自治国家」「極東モンロー主義下における極東諸国の地位」「会談」の十六項目に分かれていた。内容はさらに進歩して、三国同盟については、その目的が合法的な自衛と平和的な分配だけであることを宣言する、支那事変解決に関しては、日本側は支那側に通商上無差別、反共政策、治安確保などを要求する代わりに、支那の「完全な政治的独立」「撤兵」「無賠償」「領土保全」「門戸開放」などを保証する。そして、米国は日本が必要とする物資を供給し、日米両国はこんご三年間は、一方が他方に対する海軍力の協力要請を認める、と。ホーンベック顧問は、眼をむいて覚書を何度も読み直した。これが日本側の正式提案であれば、まさしく政策の大転換を決意したことになる。だが、真実であろうか。覚書には、依然としてこの提案が日本大使館には伝えていないこと、近衛首相、有馬伯爵、内大臣木戸幸一侯爵たちが命を賭けて交渉成立を計画していることが、書き添えられてある。
 18日、交渉は一刻も早く進める必要があり、もしローズベルト、ハル両者によって権威ある内諾が得られるなら、この草案を二週間以内に提出するよう野村大使に訓令させる、という覚書がウォーカー長官経由で伝達された。ホーンベック顧問は、バランタイン日本課長をニューヨーク出張を命じ、二人の神父と井川理事に合わせることにした。

 一方日本大使館には、外務省から「井川理事から近衛首相に種々援助を求むる旨を電報してきているが言語道断であり、決して出過ぎた事なきよう厳命するよう」、財務省からは「首相その他に質したが、首相・内相・陸海軍当局等は、井川に対して何ら具体的な交渉を依頼していない」旨の電文が届いた。こうなると井川理事が何等の信任を与えられていないことは明白で、若杉公使以下の大使館幹部は井川理事に対する評価と態度を一段と冷却させた。

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