開戦前夜 日米諒解案の生成 4(井川忠雄の画策)

2017年07月01日 | 歴史を尋ねる
 2月27日、ニューヨークから電話がかかって来て、中金理事井川忠雄であるが至急内密に面談したい、と連絡してきた。野村大使は東京でウォルシュ司教、ドラウト神父に同行してきたとき、井川理事と初めて挨拶をかわし数語を交換しただけだった。なんの用事かと訊ねると、詳しくが面談の上で話すが、今回の渡米は近衛首相および陸軍首脳部と連絡をしてのことであり、またすでにウォーカー郵政長官とも会見している、と井川は答えた。
 井川理事は二人の神父に同行してウォーカー郵政長官に27日会見した。二人の神父は井川理事を近衛首相の側近であり、日本政府の全権代表だと紹介し、ウォーカー長官は神父の言葉をそのまま信じて、ローズベルト大統領、ハル国務長官との連絡を約束した。野村大使に告げる井川理事の声は説得力に富み、大使の会見を承知したが、28日午後、大使館に現れた井川理事の話を聞いて野村大使はびっくりした。二人の神父はすでにローズベルト大統領、ハル長官と会見し、日米会談をひらく具体案を考案中である。ウォーカー郵政長官が橋渡し役であり、井川理事は神父と連絡の上、近衛首相、陸軍から交渉を進める内命を受けた。近く前軍事課長岩畔大佐が交渉促進のために訪米すると、井川理事は述べたからである。
 井川理事は近衛首相や松岡外相の信任を得て渡米した、という。が、そのような事情は、出発前も、ワシントンに着いてからも聞いていない。日米関係打開のための具体案を研究中であるが、その内容については井川は語らない、追々と御報告するという。野村大使は赴任にさいして、いずれ日米間の話合いでは支那事変の処理が議題になるだろうから、支那問題に詳しい人物を補佐役に欲しいと、陸相東条英機に要請した。岩畔大佐が渡米するというが、井川はこの日米交渉に一役買うという。井川の話が本当ならば、東京から一言も通報してこないのは、不審である。井川が退出すると、若杉公使は早速東京に問い合わせるよう野村に進言し、松岡外相あてに電報を送った。

 井川理事については、米国側も疑惑の眼で眺めていた。ウォーカー郵政長官は、井川が野村大使を訪ねた同じ日、ローズベルト大統領と会い、井川理事に関する覚書を提出していた。ただし書中では井川理事の名前を挙げず、「一人の日本政府の全権代表」がワシントンに来ている、その「全権代表」の見解として、日本政府は支那事変の調停を個人的にローズベルト大統領に依頼し、日本の枢軸同盟参加を無効にする手段をとり、太平洋と極東の安定のために現状維持、不侵略を誓約する用意がある、と伝えた。そして、この全権代表はそのような協定案を作成するために大統領が代表を任命し、できれば東京で協定調印するようにしたい、と述べている、と。この覚書はハル長官に回送されたが、相談を受けたホーンベック政治顧問は、「もし日本政府が本気で極東問題の解決を米国と協議するなら、日本はまず三国同盟からの脱退および南方侵略政策の停止など、具体的な証拠を示すべき・・・本官の見解では、この提案には日米両国の現実の政策およびその実行についての認識が欠けているという根本的な欠陥がある」といって、この全権代表との接触は避けた方が良いというのが、言外の結論だった。ウォーカー長官がハル長官と会見したのは、3月5日であったが、ウォーカー長官はその夜、急いでドラウト神父に連絡し、翌日もう一度ハル長官を訪ね、日本「全権代表」の具体的提案事項を伝えた。それは、極東地域における政治的・領土的進出問題から日米両国の航空郵便の開始まで13項目におよび、支那・満州に対する門戸開放政策の適用、日独伊三国同盟に代る日米両国の平和条約、協定妥結の際はホノルルで調印することなども含まれているうえに、そのいずれに対しても日本側は討議し合意する用意がある、という。

 そして3月7日、井川理事が再び野村大使を訪ね、明日8日、ハル国務長官と会ってほしい、ウォーカー長官はが会見を斡旋した、と大使に告げた。その時井川理事についての問い合わせ電に対する返事が東京から届いていた。松岡外相は「最近井川につき兎角の噂を耳にする。しかるべくご注意の上、井川をご指導相成りたく」と注意してきた。しかもハル長官との会談は翌日、なるべく人目につかぬようハル長官の宿舎であるホテルの非常階段から直接長官の部屋を訪ねられた、というのであった。「日本を代表する特命全権大使がなぜそのようにコソコソしなければならないのか」若杉公使は鼻をしかめ、会見は正式に国務省と打ち合わせて行うべき、と進言した。「いや、なにか相手の都合もあるんじゃないか、どんな形にせよ、国務長官と会うというなら、会っておいた方がいいだろう」 そういって気軽に井川の提案を承知した。さらに若杉公使には、ハル長官との第一回会談になるわけだが、それだけに顔合わせの意味もあって事務的な話にはなるまいから、同行しなくてよい、といった。ふーむ、ここは野村大使のわきの甘さが出たということか。松岡外相の注意事項を守らず、若杉公使の進言にも耳をかさず。井川理事は松岡外相の信任も得てると説明している。関東軍の行動と変わるところがない。

 ハル長官と野村大使の会談は約二時間つづき、話題は三国問題、日本の南進政策、支那事変、日米通商関係など両国が直面する問題を網羅したが、内容は一般的なものにとどまった。野村大使としても、第一回会談なので問題点を列挙するにとどめ、ハル長官もウォーカー長官、ホーンベック顧問から一般意見を述べるだけにしてほしい、と勧告されていた。実は前日ウォーカー長官は三度目の覚書をハル長官に伝達し、全権代表の井川理事の提案は、「近衛公爵、枢密院、陸海軍指導者、平沼男爵たちが天皇の承認の下に政策転換をした事実に基づいているが、これは極秘であり、洩れればこれらの人々は反逆者として暗殺されるので、野村提督、公使にも伝えられていない。もう一つ、野村大使はハル長官との会談で、日本政府は米国との改善関係再開を積極的に考えるというはずなので、その時はハル長官も米国に異存はない旨を述べて貰いたい、ということだった。
 会談後ハル長官は、ノムラの反応は意外なほど消極的だった。何度かそれとなく打診したが、ノムラは結構だと言いながら、ではいつ、誰と話し合いを始めるのか、なにも触れなかった、と不審げに述懐した。ホームベック顧問も、おかしいと思う、なぜこの全権代表は正式の資格を証明する文書も示さず、日本大使館も通さないのか。暗殺を恐れるというが、天皇も含め陸海軍も同意しているというのに、なぜ暗殺の危険があるのか。野村大使にも漏らさないというが、では野村大使も暗殺者側なのか、と。ハル長官もうなずき、なお慎重な姿勢を維持することをホーンベックと約束した。

 すると3月10日、またもやウォーカー長官から次の覚書が届いた。1、われわれはすでに協定案作成の準備を開始した。 2、日本代表は私的暗号通信で近衛公爵と連絡を保っている。 3、井川氏はサンフランシスコに到着する岩畔大佐と彼が接触するまで、日本政府が何等の行動に出ないことを期待している。 4、井川氏は近衛公爵にたいして、公爵がローズベルト大統領が同意するホノルル会談を開催するよう提案した。 5、松岡外相の訪欧は、近衛首相自身が米国との交渉を直接監督できるよう松岡外相を国外に出したと解釈される。 6、ホノルル会談の出席者は、専門家や事務関係者を除き、暫定的に近衛公爵、若槻礼次郎男爵、郷誠之助男爵、平沼騏一郎男爵、陸軍代表は武藤軍務局長または岩畔大佐、海軍代表は岡軍務局長が考えられている。 7、日本において政府の対外交渉の意図が漏れれば、われわれは激烈な反対を覚悟しなければならない。 8、岩畔大佐は友人を通じて、心配するな、枢軸同盟に関する詳細な訓令を持参すると電報してきた。 9、岩畔大佐の到着にさいして、サンフランシスコ入港の港湾当局に最大の接待をするよう訓令されたい。

 覚書を見せられたホーンベック顧問は肩をすくめた。一読した限りでは、いかにも秘密工作が進行中の様だが、日本大使館を批判し岩畔大佐の訪米に期待を持たせようとしているだけで、具体的な提案は何一つ見当たらない。そのような相手との日米交渉は不可能かつ無用だ、とホーンベック顧問は渋面を更にしかめた。ふーむ、ホーンベックならずとも、この文面を読むと底の浅さが分かる。井川はこの内容で交渉できると考えたなら、日本の運命を左右する局面で、国賊といわれても仕方がないだろう。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 開戦前夜 日米諒解案の生成... | トップ | 開戦前夜 日米諒解案の生成... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史を尋ねる」カテゴリの最新記事