匠三刻#(たくみつどきしゃーぷ)

平田匠と「TAKUMI DuO」応援ブログ。及び管理人の『僕の1日は、昨晩の反省を鼻で笑うことから始まる』

ねこカフェいってきた

2010年10月31日 | 雑記
いやそんなことより聞いてくださいよ。
MJとか田中ナントカとかどうでもいいんすよ。

半分仕事で、半分興味本位でネコカフェ行ってきました。ねこカフェ。


すっげぇ近くにあったんでねー。

いやもー、ある程度予想してはいたんですけど、あれだな、やっぱり
超アウェー。

いやお店の人は良くしてくれたし、その場にいた人に別に敵意をもたれたとかそういうわけではないんですけどね。

そもそもあんま動物を愛でたこと自体がないもんで。
しかもむっさい男ふたりで、2ショットで突入したんで

超アウェー。

つかなんか申し訳ない。

それでも頑張って撮ってきた。


りりしいなー。



こっちみんな、とか言われてる感じ。


完全王様ですよ。自由。


動くもの撮るの凄く難しい。
コンパクトデジタルカメラなんで機材としてたいしたことないし。
これ、デカイカメラだったらもっと大変だなーと思う。

あとなんかケモノ臭い(笑)
いや、今まで動物を愛でたことがないもんで。
実家でなんか飼ってるとかないもんで。
僕ん中で、馴染みのない、なんつーか新しい匂いでした(笑)

それでも

同僚の、熱い一言
「猫をかわいいと思わないヤツがこのよにいるのかね?」

につられて、なおも二軒目に挑む挑戦者ふたり。


二軒目。


なんかコイツラ超よゆーなんだよ。


で、変に凛々しいんだよ。


名古屋の繁華街に位置する二軒目は、ケモノ臭くなかったです。

ま、何にしても超アウェー感は消えないまま帰宅。


いろいろ店員さんに聞いてきたけど、

・客層は9:1で女性がやっぱ多いらしい。
・でもたまにくる男性客はかなりコアなお客さんらしい。情熱が違う(笑)とのこと。
・または、ずうっと、本当に幸せそうにねこをずっと観てるらしい。
・休日の午後が一番込むらしい。

その他、一見目ではネコを交代制にしてたり、2店ともアルバム装備で、各ネコちゃんの特徴を余す所なく紹介しきってたり、
なんだか全体的にすっげぇ愛情に充ち満ちておりました。


<行ったお店>

一軒目
http://www.neko-manma.jp/index.html

二軒目
http://www10.ocn.ne.jp/~cat-st/


どっちも30分¥700~時間延長で課金。
フリードリンクでした。

新しい体験ができて楽しかったです。

超アウェーだったけどな!

あと動体撮るテクニックを身につけねば、もっと。




僕ん中じゃnねこはどちらかと言えば孤高のイメージなんすけどね。
ニコ動の投コメをアレンジしてるのが面白い。



MJQ2=X

2010年10月30日 | 音楽
さて前回のブログからひどい詐欺が見つかりました。
高校生の頃とか書いていましたが、その後どう考えても大学生の時じゃないとつじつまが合わないことに気づきました。
なんだこの無意識なアンチエイジング(笑)。
なんだこの叙述トリック(笑)。

なんで気づいたのかといえば、元々MJについて思いだしたのは、旧知の友人と思い出話で盛り上がっていたときに、同番組内での田中律子のある発言についての話題が上がったからでした。

そのときはお互いの高校時代に同じ思い出があったのを共有していたと思い込んでいたのですが、その田中律子の発言というものがミスチルと彼らのシングル『CROSS ROAD』に関してのことであり、『CROSS ROAD』のリリースは93年ですから、どう考えても僕、高校を卒業しているはずです。
ちょい違和感がありつつもそのまま書いてしまい、やっぱ気になったので調べてみたらびっくり。
すみません。訂正しておきます。
なんだなー歳とったなー。
つーわけで続き。



さて就職してから5年ほど経った頃のある日、20代の後輩達とカラオケに行った。
彼女が『天城越え』を選曲して、ただひたすら歌い上げたのを、僕はあっけに取られて聞き入っていた。
本人曰く、

「いや。フツウにいい歌じゃないですか。唄ってて気持ちイイし」

そのあと彼女はジュディマリの『自転車』を歌っていた。
また別の彼は「みちのく最高っすよ」と言ってはばからない。
90年代にとんねるずが自身の番組の中で「矢島工務店」という企画物バンドの曲としてカバーしたみちのくひとり旅の方じゃなくて、オリジナルの、ジョージの方のみちのく、をだ。その後、ラルクの『Honey』を熱唱する。

彼らの中で、山本ジョージとラルク・アン・シエルの間に格差はない。
石川さゆりとジュディマリの楽曲の間に格差はない。

いつでも好きなときに能動的にアクセス出来るネット環境は、作品抽出カテゴリにおいて「時代」の分野を結果的に排除した。(リスト=目次としては存在するが)
それはとても画期的なことで、例えばYouTubeでは「オラ東京さ行ぐだ」のリミックスが、何本もアップされている。
最初はこの曲をベストテンあたりで聴いていた世代がオトナになってサンプリングとリミックスを覚えて面白がってアップしていたものを、10代・20代の若い連中が拾って面白がり、またリミックスする。
その流れはとどまることを知らない。
楽曲はその楽曲のみで、判断される要素が大きくなった。

翻って、僕の高校時代。
同じクラスの連中とカラオケにいったとき、僕は『愛しき日々』を唄ったんだが、後日このセレクトは教室で話題となり、僕のキャラクタを固定するうえでの重要なパーツになってしまった。
例えば合コンの場所でウケ狙いの一発ネタとして

「こいつ、演歌唄っちゃうんだぜ」

なんて使用される具合に。

少なくとも僕が高校生だった頃、僕の界隈ではそれが一般的な感覚だった。
楽曲の価値を測るのに「新しいか」「古臭いか」という項目が存在した。(それは同時に音楽マニア以外にも浸透するレベルで【今の音楽】が存在していたということだけど。)
でもって、「古いものはださい」信仰がまだまだ信じられていた、そんな時代。すぐあとに70年代復古ブームがくるのにね。クダラネー。

(くだらねーがまだ世界は「新しい」と思われるだけの余地をコンテンツに残していたし、つまりはまだ未来に希望があったということだ。世の中は終末感が一見支配しているように見えて、まだまだ未開拓の場所がそこにはある、と実は信じられていた。サンプラーによるリズム・フレーズミキシングが邪道だと思われていた頃だ。著作権問題は語られていてもまだ副次的な問題として扱われ、それよりはクリエイターとしての姿勢の問題として批判されていた時代の話。)

だがまったく同じ時期に。
高校生のときに、芸術の選択授業で選択した「音楽」の講義の中で僕は、聞いている。
先生から、実際にピアノを弾きながらという実技を伴って、聞いている。

「エックスの曲のコード進行って、演歌でよく使われてる常套進行と似通っているんだよ」

そのときのコードネームも、進行も、例題になった曲も、さすがにもう覚えていないが、
ことばだけではなくて、実際にピアノを通した“響き”とともに行われた解説は異常な説得力を伴って当時の僕のハートをがっちりキャッチプリキュア(笑)したのだ。

Xジャパン(当時はX)と言えば僕らの世代直撃の、ファンが一大勢力を築きあげるくらいのスーパーバンドだった。
オンリーで東京ドームを3日満員にできてたくらいに。
彼らが世間の人気だけではなく、当時の音楽業界と日本の音楽史に、具体的に何を残したかについては詳しいファンにゆずるが、あらゆる意味であらゆる場所に大きな影響を残したということは僕でも知っている。

そして僕が高校生の頃、後に“影響”として俯瞰視される現象がまさにリアルタイムで起きていた。

その時に、その渦中に聞いた音楽教師の“講義”。
驚くと同時に僕は深く納得した。納得したと同時に昔からの、ある疑問に決着がついた。

何故、Xがここまで人気を獲得したのか。
当時よりわずか3年ほど前までは、スラッシュメタルといえば日本ではマイナーもマイナーなジャンルであったはずなのに。
彼らのファッションとスタイルは『天才たけしの元気がでるテレビ』でネタとして消化されていたはずなのに。(奇抜な衣装と行為。スラップスティックコメディの一種として演出されているスラッシュメタルのバンドマンたち)

東海林のり子がXに嵌った理由。
小泉純一郎が『tears』『Say anything』を好きだった理由。

何故、古臭い時代遅れの象徴でありながら日本人の心とも言われている演歌の、ドラムが刻むリズムパターンが8ビートなのか。
4拍子でいうなら、1・3拍に強拍をおいてしまうのが日本人のRhythm感覚と言われているのに、何故演歌では2・4拍にスネアを入れているのか。バックビートを効かせているのか。
世代の反抗(笑)の象徴という体をとっていた日本のロックが歌謡曲から抜け出せない理由。

宇崎竜童が演歌の作成依頼に関して最初は難色を示したものの、引き受けると決め、引き受けた以上は、と、ひたすら演歌を聴き続けるうち、100曲を超えたあたりに聴いた、ある曲で、涙を流した理由。

爆風スランプのファンキー末吉がRhythm&drumsマガジンのインタビュー記事で話していた内容、

「『Runner』演ってる時に、観客席のファンは1・3拍で手を振り上げてるんだ。こっちは必死でバックビートぶっ叩いてるのに。「はしるーはしるーおれーたーちー」で必死に1・3拍で両手を挙げてる(笑)。でも、ああ、これでいいんだよなって思った」

リズムもヴィジュアルも歌詞も、それらが醸しだすトータルの世界観よりも、ときにより優先されうる“響き”の存在があるということ。

それを→

<→時代の要請によって生まれた、実は未だその核になる現象が科学的に解明されていない、ただ方法論だけが発達して、それが限りなく優秀でどこまでも応用が効いてしまった、現代音楽史において最も有用な→>

→【コード理論】というメソッドによって明確に理論付けた音楽教師の解説が、僕に答えを教えてくれた。

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いやあこれを、(敢えて→)たかが普通高校の、指導要綱によってカリキュラムに埋め込まれなければいけない、いってみればアリバイ作りに等しい「芸術」という選択授業の時間に、教えてくれた先生には本当に感謝してる。僕の学生時代において、それは明確な,紛れもなく“授業の時間”だった。

選択授業“ごとき”バイト感覚でこなしてもよさそうなものなのに、先生は授業をしてくれたのだ。それも楽典を上から授け下ろすのではなく、僕らの視点から僕らの土壌から僕らのデータベースから参照して、そこから授けるべき知識へと接続してくれたのだ。
(まあ彼女自身、当時の日本ロックシーンに純粋に興味を持っていたらしいけど笑。でも音大時代は一度も“流行り曲”は聴いてなかったらしいよー)

選択授業“なんか”ナイショクの時間だよと言わんばかりに、もはや隠すこともなく数学の参考書を広げる生徒もいる教室で、先生は“先生”だった。僕は彼女の姿勢に深く感謝し、彼女の姿を敬意とともに、これからも記憶していくだろう。コードネームも、進行も、例題になった曲も忘れておいてなんだけど(笑)
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※1
もちろん、後に「ヴィジュアル系」という一ジャンルまで構築してしまうほどの力を持ったhideのヴィジュアルセンスが、Xのブレイクの大きな要素であることは周知の事実ですが、そして、曲とヴィジュアルの両輪をうまいこと回す企画=商品展開コンセプトというシャーシが存在したことが徹底的な要因ではありますが、あくまでここでは演歌とヒットという関係性を曲という要素に絞って書きたいので勘弁してください。

※2
バックbeatや日本人のRhythm感覚については近年大分様相が変わってきているというのが一般の見解だと思うし僕も賛成です。あくまで当時、1988~1994くらいの時代においての話。

※3
「演歌にバックビート」の理由としては、とても面白い記事があってなるほどと思ったのですがリンクしようにもすでに大元のサイトが閉鎖しているらしくキャッシュのみしか残っていなかったので泣く泣くあきらめます。あまりに話が脱線するので割愛したいということもある(笑)。

超簡単にすると

「ジャンルとしての【演歌】かどうかを決めるのはメロディのフレーズにあって、基本、バックのリズムパターンはまったくといっていいほど関係ない。乱暴に言えば、むしろフレーズがbeat(テンポでなく)を無視しているのが演歌の特徴。演歌で8ビートやってんのは恐らく、大雑把にいえば慣習(笑)であって、楽曲としての意味はない」

とのこと。要するに国語の授業受けるのに縦書きのノートをわざわざ買うのは面倒だし、コスト削減のためにも他教科と同じ横書きノートを(場合によっては90度回転させて)使っちゃってるってこと。うはー(笑)

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ま、別に「演歌が嫌いだというオマエは日本人じゃあねぇ」というつもりは一切ない。
ジャンルとして【演歌】を嫌うことを否定したいわけでもない。好きなだけ嫌えばいいだろう。着物で歌う意味が分からない、だけでも嫌う理由としては十分だ。

ただ、優劣を理由に否定をするなら話は別だ。

「チャゲアスの曲は素晴らしいのだから、演歌“なんか”と一緒にするな」?

“なんか”というからにゃあ、それなりの根拠があるんだろうなテメー?

と言いたかったわけだ当時の僕は。

MJにFAXを送ったチャゲアスファンの某女子に。
合コンで僕をネタにするクラスの男子に。

そして、当時の僕には上に書いたように、まがりなりにも自分なりの根拠を出来る限りまとめて主張するだけの技術も知識も言葉も根気も場所も勇気もなかった。なにより努力をしなかった。

そしていま、ブログという場所で、こんな雑記事を書いて悦に浸ってる。
それは決していいこととは言えないだろうけど、少なくとも自分の精神衛生上では良い効能があるように思える。
更には(それでも10ウン年前になるけど)『津軽海峡冬景色』と『人魚』を同じ日のカラオケで歌うような後輩に出会えたこと。
毎日のように違うドレスに着替えた、かつての知り合いである楽曲さんたちに出会えること。

取り敢えず生きてりゃ新しい何かに出会えて、それまでの自分のいろんなモノ・コトをひょんなことから解消できる可能性だってある。

まあ、歳をとってみるっつうのもいいもんだと思う。




さて、余談。
僕んなかでのXジャパン最新情報として興味があるのは、hideさん映像の権利問題だ。
門外漢が横から口出すことを承知で言わせてもらえば、

(敢えて言うけど→)あの急遽で伝説を完成させてしまったhideは、Xジャパンのファンにとって崇拝の対象になってしまった。(これで“復活”しちゃったらまいったなキリストだ笑)
信者にとって彼の映像は全てイコンだ。

フラスコ画ではないが、教会の壁画ではないが、フィルムでありデジタルデータであり2進法で紡がれた情報であることは間違いないが、間違いなくイコンだ。


資本主義という名の宗教は偶像崇拝禁止なのだろうか。
もちろん、彼の遺族の方や近しい友人たちに取って、得体のしれない何かの悪意から純粋に彼を守りたいという気持ちがあるだろうし、それは尊重すべきだろう。

だがもしそれ以外の目的のために問題が起きているのだとしたら。

少なくともLIVEという名のミサにおいて偶像を崇めることを禁止したいと言うのなら。

Xジャパン原理主義者たちは言うだろう。

「いつからhideは商品コンテンツ“なんか”になったのか」と。

その“なんか”には、僕も賛成だ。




ベーヤン最高だぜベーヤン。
白虎隊にはイマイチ感情移入できないけどな。
会津のあれはなんか、マゾヒズム的な部分からくるナルシズムの方を強く感じてしまってダメなんだ。
ファンの人いたらごめん。


MJ…Q?(1)

2010年10月26日 | 音楽
●その昔、MJという番組がありまして。もう20年以上前になりますね。

……。

マヂで!!??

…まーいーやしょうがない。


●古舘伊知郎司会、アシスタントは田中律子。
音楽情報番組?の体?態?を取っておりました。
基本はポップス歌謡曲を主に扱い、たまにジャーナル・ニュース的な切り口で日本音楽界のレコメンド(笑)ニュースをお届けするという番組でした。
今で言うなら、ミヤネヤが司会するようなワイドショーの音楽特化版だと思っていただければイメージが近いかと思われます。

●生放送。
当時はネットもEメールもなかった時代。
FAXと、それを操る「FAXレディ」(ひわいーおやじくせーアイディアだー)を数十台スタジオに中2階のスペースを作って並ばせておありました。
視聴者の意見をその場で募集。
“双方向”をやろうとした番組。
いつの時代も考えることは同じですね。

といいたいところだが、FAXとデジタルデータでは取り回しの容易さが違う。
特に送り手の負担が違うんじゃないだろか。
当時は個人情報についてそんなに(全然)厳しくない時代ではあったけども。(でも「ペンネーム」はやっぱり存在した。FAXネーム?)

ま、便利であれば使う。
道具は道具でツールはツールでしかないし。
いいんじゃないか。

●さて、「MJ」では、毎回古舘得意のべしゃくりオープニングトークがあったあとにアイキャッチ的なクッションを入れてCMへ。
つかアイキャッチそのものの素材として使われていたのが、BGMをバックに、ミニスカで長い足を組み替えるFAXレディを左から右へ流れ撮りするカメラ映像でした。
それが毎回生放送(笑)。

ぶっちゃけ扇情的でウハウハしてました。
高校生だったしね。

カンタンダナー視聴者(笑)。

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※ちなみに古舘の視聴者への攻撃的姿勢は、このころが一番うまく作用していたように思える。(要するに古舘ステーションはワタクシ好きじゃないのです。)

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●さて、この「MJ」の目玉企画が、毎回特集と称して、主にJ-POPアーティスト(笑)を一組取り上げて、解析するコーナーでした。
J-POPって言葉が生まれた直後くらいじゃないかな。

その特集コーナーがよく出来ている。
毎回、そのアーティストを一言で表すキーワードを最初に挿入する。
以後、そのキーワードを証明するようにそのアーティストを過去(ブレイク直前)から追っていき、現在までを構成する。

非常に構造的でテクニカルで分かりやすい。
最初にキーワードを提示しているから分かりやすい。
批評記事の典型です。
ニュースで取り上げる際にはどこでもやっている作業ですが、その手法自体を歌謡曲いや違ったJ-POPアーティストを使ってエンターティンメントで仕上げてあるのは当時画期的で面白く見てました。(大事なのはデリバリーです)


●さて、まだ思春期が抜けきらない麗しき若い頃の自分にとっての、忘れられない事件が起きたのはこっからだ。


その日も、いつものルーティンワークのように「MJ」にチャンネルを合わせていると、例の特集が始まった。

特集アーティストは「CHAGE and ASKA」。

まだ「チャゲ&飛鳥」だった頃。
もしくは「CHAGE and ASUKA」だった頃の、
外国人のエンジニアに

「それじゃ“エイスカ”って読んじゃうよ」

って言われて「ASKA」に変える前の。


CHAGE and ASKAに与えられたキーワードは

「CHAGE and ASKAは演歌である」

これを読み解く解説VTRの内容はとんと覚えていない。
そのあとの出来事のほうがあまりに印象的だったからだ。


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※まあ多分、解説VTRの結論は

「日本人の心に届くメロディと歌詞を紡げる今現在の進行形のアーティストが創る曲は、“現代の演歌”と言えるのではないだろうか」

みたいな感じのシメだったと思う。これ以外に落しどころが見つからん。20年経った今でも見つからん。正直面白いと思っても「これは!深い!ふけぇ~!」って感銘を得るような、後々まで議題に上がるようなセンセーショナルで革命的な提示を、この番組でしたことはないはずだ。

そんなん重すぎる。
週一のゴールデンにやるバラエティ番組で。
毎週創る身にもなってみろってこった(笑)。

で、もっと言うなら、大げさに言うなら、当時の番組スタッフを僭越ながらかばう気持ちでいうなら、決してダメな企画じゃなかった。むしろ面白かった(何度も言ってるが)。
同じ時期にやってたはずの番組を一切憶えていないのに、この番組のことは、今回のチャゲアスの件を抜きにしても、いくつか印象的なモノ・コトがあった。FAXレディのナマ足と共に鮮烈に僕の脳裏に刻まれている(笑)。

「お笑い芸人で初めてスタイリストをつけた【とんねるず】は~」とかね。

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解説VTRが終わってCM開け。
一枚のFAXが古舘によって読まれた。

「チャゲアスの歌を演歌“なんか”と一緒にしないで下さい」

「だってチャゲアスの歌は“素晴らしいのだから”」、と。










































…ええ~。演歌が素晴らしくない理由を挙げないままそれを言うか~。


当時高校生の僕はそう心の中で呟いた。


(この話つづく)




歌詞から曲からフレーズからアレンジから、おもいっきり“演歌”だ。

そして名曲だ。


雑感

2010年10月25日 | 雑記
●チリ落盤事故、全員無事救出おめでとさん。
プチプチの使い方知ってたそうですね。びっくり。
どっかで見たんですが、あの、プチプチの衝動は万国人類共通のものなのだそう。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー

●F1韓国グランプリ。まあ…とにかく…大きい事故がなくてよかった…。何を以て“大きな事故”とするかはいろいろ見方はあるが。

●『それでも町は廻っている』が面白い。
タイトルにはずっと惹かれていたんだが昨日ついに購入。
シットコムめいた展開とか好きなんです。小さなコミュニティのトボけた話。
何故か中途半端なミステリ風味が挟んであるのがいい。
数学教師の、ボケについて明確な説明を求める突っ込みが面白い。
「普通コーヒーはサイフォンやらコーヒーメーカーで入れるものだ。どうやってコーラと間違えるんだ。説明しなさい」

●『SPEC』の感想を、後期クイーン問題を絡めて書こうと考えていたんだけど既にSPEC=超常能力なんで、どうでもいいじゃないかと言う結論に達してしまった。あれぇ?
正直いうと、ケイゾクの柴田に比べてキャラの作りが甘いような気がするよ当麻ちゃん。
まあ左手の包帯が既に過去を背負っているので、徐々に行動原理等々明かされていくんだろうけど、ここ最近のドラマでそういう贅沢な展開が許されるのは良くも悪くも堤ブランドに固定客がついてると思われてるからなんだろーなー。いーなー。

全体的に少年漫画的設定・展開が全開だが、少年漫画こそまずはキャラ立ちなんですけどが。後出し設定や伏線を我慢して観てくれることは最近期待できないですよ。笑いも1分ネタだ。

ケイゾクは4フレカットバックとカット変りSEが日本ドラマとしては新しい手法で、堤印でしたけど、今回はとりたててないなーと今のところ思ってます。
よく使われている【早送り→一時停止ギミック】は、多分神木くん演じる一(にのまえ)のSPECを暗示しているんだろうと思われる。映像手法の面白さを目指したんじゃなくて表現方法としての演出だな。これを以て「堤も枯れたな」とか言う人は早いよ!見切りが早いよ!
神木くん、オトナになったねー。
主題歌がカッケーです。

●なんかTBSづいてる。昔は好きだったが今はもうそんなに、むしろマイナスのイメージを持ってるんだけどな。某誤報とかもってのほか。ここの局の報道は観ないことにしてる。でもドラマ等の物語コンテンツはやっぱり惹かれるものがあったりするのかな。新水戸黄門のキャスティングは、もう笑いを取りにいってるとしか思えないが。

●ちと、偵察も含めて、某音楽練習スタジオへ個人練習をしに行った。午後6時以降は個人練習料金になりませんと言われて絶句。でも2時間取った。
浜崎あゆみの曲をやってみる。結構難しい。こうなりゃ完コピするくらいの勢いでやっちゃるかぁ。

と思った矢先にテキトーに自由に叩いている自分が…愛しい(笑)いかんいかん。
他人のfill inをコピーしようとすると生理的に無理な音のつながりがあるんだよねー、とか言っちゃダメ!それは手癖でしかできない言い訳May beだばかやろお。チョーシにノッチャダメー(笑)。
自分には思いもつかないような手順を発見してそれをなぞって自分のものにしたときに初めて引き出しは増える。

なんて思いつつ、休憩室で一服してラスト10分はスキに叩こうと思い、嬉々としてスタジオに突入。思いっクソ入り込んで恍惚としながら叩きまくってたら

「おじかんでーす!5分前にはでてくださいねー!」

っって大声でありつつ棒読みな店員さんの声で我に返る。

すっげぇ恥ずかしかったです。


●で、偵察の目的も果たす。
グランドピアノが置いてある部屋は、練習でもフツウに使えるんだけども「リハーサルルーム・45畳」ってところで、1時間\5,000も取られます。マイクセッティングもするとプラス\3,000/時間
取られます。

どうしましょうね、シェフ。

以上、雑感ですた。



こういうBig beatの合間を6連符で埋めるのはすっごい好き。
キメの3拍前からfill inを入れる展開ってのは昔は得意だったはずなんだけどなー。
できなくなってた。しょっく。
学生んときに小節跨いだfill inを決めの前後にいれたら「拍がひっくり返っとるやん、直して」って言われたときのトラウマかなー(笑)

うん、beatを崩しちゃいかん曲もありますよね。

「アタシの性分だからぁ~」って言われるとそれ以上何も言えなくなります。
ずるい。つか便利すぎると思うわ。何にでも使えるから。


もしくはお客様は神様です2

2010年10月24日 | 雑記
午前1時を回った。

4年前に購入したPowerMacG4の、排熱のためのファンが唸る。最もパワーを消耗する動画作成ソフトのレンダリングタイムに入った。これからしばらくコイツに仕事をさせている間、僕は暇だ。
腹が空いたので、かつて行きつけだった中華料理屋が会った場所に向かう。
半年前に前の店が潰れたが、同じ場所に同じ中華料理屋が立った。
店が変わっても、その場所にほぼ同じ時間に、同じペースで通っていた。

その日も暖簾をくぐって、新聞を取り、いつものカウンター席につき、台湾ラーメンと餃子を頼んで、新聞を広げた。このルーティンワークはもうかなり洗練されていて、これ以上ないくらい最適化されている。ラップタイムは5秒44(自己申告)。それ以上にも以下にもいかない。

今日もいつもと同じ風景を繰り返すはずだった店内は、ひとつだけ違っていた。
オーダーを聞いた後、すぐに店の隅に引っ込むはずの店員さんが、あるテーブル席へそそくさと戻っていく。

そして、ひとりの客が座っているテーブルの側までいくと、所在無げに立ち尽くした。
まるで職員室に呼び出されて説教を食らう生徒のような佇まい。黒縁眼鏡に覆われた、やや小さめの瞳が所在無げにさまよう。典型的なドジっ子属性の女の子である店員さんは明らかに戸惑っている。
あんた、別の場所行ってメイド服着れば大人気だよ。お店間違えたね。

テーブルのひとり客は、4本目の瓶ビールを手酌で傾けてグラスにビールを注いでいた。萌えモドキ店員をずっと自分の側に立たせている。歳の頃は50手前の男性で、スーツは着崩れ、ネクタイはテーブルの、空になった瓶ビールの横に無造作に置かれていた。

僕は耳に突っ込んでいたイヤフォンを外すと同時に彼らのテーブルからも視線を外して、。目の前の新聞に目を落とす。関係ない。僕はエキストラだ。昨日の中日戦の結果と選手・監督の感想を知りたかった。2日ほどテレビを見ていない。


男の声が聞こえる。ろれつの回っていない言葉で、萌えモドキ店員を叱責する声が聞こえる。

「あなた、僕の言ってることわかる?日本語わかる?」
「注文も聞けないじゃない」
「しゃべれないのはまだいいよ。勉強すれば。あいさつぐらいできるでしょ」
「なんにも言わないんだもん。注文通ってるのかわかりゃしないよ」
「だいたいねぇ、前の店ではこんなことなかったんだよ」
「オレ、親友だったんだよ。前の主人はイイヤツだった」
「なんであいつの店が潰れて、あいさつもしないやつが店やってんだよ」
「返事しなさいよ、あんた」

正直、何を言われても言語になっていない、ただの呼吸でしかない萌えモドキ店員さんの「…ハァ。」には僕も苛立たされていた。その台詞が余計に男の怒気を助長していることに気づけ、と思いだした頃に台湾ラーメンと餃子が到着する。

僕にラーメン餃子をだした店主は、そこから2,3歩退いて、やや背中を丸めて、所在無げに立ち尽くした。どうやら、男の説教の矛先は店主にも向かっていたらしい。僕の注文を作り終えた後、男の説教を聞く姿勢に、店主も“戻った”のだ。

(あ~あ、えらい場面に立ち会っちゃったなー)

思いながら僕はラーメンを啜ることに神経を集中することにした。レンダリングに必要な時間っはおよそ40分。とっとと食べて戻った頃に調度良いタイミングの筈だ。

ろれつの回らない男の説教は続く。

「あんたの教育の問題でしょ。なんで雇ってんの?親戚?ムスメ?」
「ほら、言ってる間にビールがカラになってるでしょ?気づかない?」
「こんなことしてたら、そのうち誰も来なくなるよ」
「お前の店はこんなことなかったよ。オレとあいつは親友だった。あいつはイイヤツだ」
「なんであいつの店が潰れてんだ?なんでだ?え?」

おっさん、気持ちはわかるがそれが資本主義だよ。
それに彼らがあんたの親友を直接追い出したわけじゃないだろう。
実は間接的に追い出したかも知れないが。
そんなことは僕には関係ないことだ。
僕はエキストラだ。
だが、さすがに聞いていられない。
僕はイヤフォンを再び耳に当てることにした。
シャッフル再生にして流しっ放しにしていたiPodから再び僕の耳に曲が流れこむ。

泰葉の「Fly-day Chinatown」だった。

思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえる。
無駄なリアクションは、今、僕の背中で行われている修羅場に強制参加させられる材料になる可能性がある。
必死でこらえて、しかしこれ以上聴くわけにもいかず、イヤフォンを外すと、また男の声が聞こえる。説教絶賛継続中。

せっかくのプチ奇跡に少しだけ踊った気持ちが再び萎える。

「あなた、僕の言ってることわかる?日本語わかる?」
「こんなことしてたら、そのうち誰も来なくなるよ」
「なんにも言わないんだもん。注文通ってるのかわかりゃしないよ」
「だいたいねぇ、前の店ではこんなことなかったんだよ」

ループが、来た。僕がこの世で2番目に嫌う現象が目の前で展開された。
(ちなみに一番目は傘が盗まれることだ。特に夕立時に、賢明な判断で午前中から邪魔臭い傘をずっと携帯していた人間の努力を無にする、コンビ二前の傘置き場で当然のように起こる窃盗という名の犯罪。)

説教はいい。
やるならシラフでやれよ、ばかやろう。
もしくは同じことを言っていいから違う言葉を使え。
ボキャブラリィの貧困さが浮き出てみっともないぞ。
ひねりなさいひねりなさい(嘉門達夫)。
まあ、酔っぱらいのループは語彙力とは無関係なんだが。
酔っぱらいのループにいちいち正論で反論するという行為はアリなんだろうか。
思案材料がまた増えた。

完全に心のなかでは修羅場に参加していながら、表向き僕は、目の前のくどい中華料理を片付けることに集中した。
普段より、やや啜る音が大きかったくらいだ。
もちろんそんな音は、ろれつが回らない男の耳には届かない。
内心ほっとしつつ、僕は今までの人生で最高のラップタイムを叩き出してラーメンを食べ終えた。辛い。
辛いが、未だ僕はエキストラでいるつもりだ。

再び新聞を開いて餃子を片付け始める。四つめでさすがにペースが落ちて、しばらく新聞だけに集中していると、目的の記事は読み終えてしまった。
集中が途切れると、店内に今まで聞いたことのない音が漂っていることに気づいた。

鼻をすする音が聞こえる。萌えモドキ店員さんが泣いていた。
限界だ。
僕は立ち上がる。

説教リーマンが誰よりも早く僕のアクションに反応した。新しい材料を手に入れたリーマンは内心嬉々として表向きは怒気を孕ませて、萌えモドキ店員に嫌味ったらしく告げた。
「お客さんがお帰りだよ。なにぼっと立ってんの?泣いてる場合?」

瞬間、店の空間が全て僕を中心に再構築された。
濡れた瞳で僕を見つめる萌えモドキ。
苦笑いが精一杯の店主。
不貞腐れて空のグラスを持ち上げたままの説教リーマン。
立ち上がった僕。

以上、本日のエチュードの登場人物。
設定は「酒場でのよくある風景」。そろそろシメに入りましょう。

……。

僕は、新聞を、手に取って、そのまま、本棚へ、移動した。
新聞を、置いて、目の前に、あった、一番、取りやすかった、「週刊ポスト」を、手にとって、元の席に、座り、直した。

説教リーマンがろれつの回らない声を僕の背中に向けた。

「…。ハハ、残念、違ったみたいだね、すんませんね、勘違いして」



ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな

オレは!!深夜の1時に!まだ!仕事中で!たまたま!間があいたから!不健康で太るだけと知っていながら!腹満たすために!取り敢えずの満足を得るために!ここに来たの!テメーの!愚痴をきくために!酔いどれリーマンの!自己満足のために!もしくは!名古屋の中心街でも田舎でもない微妙な土地で!裸一貫借金して!店を立ち上げて!お金本国に送りつつ!小さな幸せつかもうねなんて!プチジャパニーズドリームの!登場人物に!なるために!ここにいるんじゃねーの!テメーラの!くだらない!三文芝居を!見学ぐらいはしてやるが!参加する!可能性は!ぜろ!ゼロ!ッゼロだばかやろう!!!勝手に酔っ払ってろ!いろんな意味で!オレに介入すんな!オレを登場させるな!テメーらの!三文芝居に!!!!!!!!(カイジ

僕は、

こんなふうに心中で、この店のあらゆるものに罵詈雑言を浴びせながら、表向きは平静を装って、イヤフォンを耳に突っ込み、週刊ポストを一応開いて、中身を確認することなく、目の前の残りひとつとなった餃子を、口に含んだ。
イヤフォンから流れる曲がなんだったかは、覚えていない。

時計をみると、まだ40分経っていなかったので、僕はタバコに火をつける。
煙を吐き出しながら、実は、なんと、信じられないことに、此処に至って、僕は、起死回生の策を練り始めていた。この現状を打破するための最高の一言を、必死に探していた。

取り敢えず、取り急ぎ、僕は空になった食器をカウンターに差し出した。店主が気づいて、食器を下げに来る。
店主が食器を片付けるさまを見ながら僕は、その風景が見慣れたものであることに気がついた。名古屋の片隅の小さい中華料理店の、ほんの些細な出来事に、些細だけども荒れに荒れてしまった空間に、瞬間、いつもの風景が戻ったような気がしてほっとした。

そうだ僕は、この店にまた訪れるだろう。
また、いつものように、この店に、取り敢えずの腹を満たしに来るだろう。
僕はこの店が嫌いじゃなかった。
いつも、この時間に迎え入れてくれる空間があることに感謝していた。
言葉がわからなくても、メニューの写真を指し示すことで得られるコミュニケーションが好きだった。
僕が欲しいものを了解したときの、萌えモドキのハニカミ笑顔が好きだった。
会計を済ませて店を出る時に、厨房からなんとなく顔を出す店主が好きだった。
別に何を言うこともないが、客を見送ろうとしている店主の動作が好きだった。
この店が、この時間に、ここにあることが、好きだった。

そうだ、僕は、また来るだろう。
「そのうち、誰も来なくなるよ」とリーマンは言っていたが、
そしてリーマンは今日の夜を最後に、もう来ないだろうが、
僕は、また来るだろう。

「また、くるよ」って言おう。店をでる前に「また、来ます」って言おう。


そこまで考えたときに、後ろで椅子を引く音がした。
考えることに集中できるほど静かなのは、どうやらリーマンが帰る気配を見せ始めていたからだった。説教疲れと酒が十分に回ったので、少し前から、もうリーマンはしゃべらなくなっていた。気付かなかった。思わずイヤフォンを耳からひっぺがす。後の祭り。

おいマテ。オマエがいいなけりゃ話にならんだろうが。
このエチュードは4人いないと成立しないんだぞ。なに先に退散しようとしてんだよ。
僕が思いついたこの一言は、店への感謝であると同時にオマエへの皮肉でもあるんだよ。いやむしろ8割方あんたへの復讐だよ。アンタがいなきゃ話になんねーだろーが。

などと考えていたら、リーマンはとっとと席を立ってしまった。
しまった。考えてる場合じゃなかった。人生最大の、何度目かの、よくある失敗。

ループ発言といい、絡みっぷりといい、酔っ払いのフォーマットを限りなく忠実に再現していた説教リーマンは、フォーマット通り爪楊枝を咥えながら、ふらふらのままで

「ま、ちょっと言い過ぎた、すまんね。ごめんね~」

と言いながら、レジの前の萌えモドキ店員にお金を渡していた。
カウンターの真後ろで行われているそのさまを、振り返って凝視しながら、僕は何も言えず、何もできず、ただ固まっていた。

そのとき、頭の後ろから、突然、巨大な音が鳴り響いた。

「ありがとう、ごじゃますたー!!!!」

店主の声だった。
大声だった。
大声どころか、店主の声を初めて聞いた。
店主のたどたどしい日本語を初めて聞いた。

説教リーマンは度肝を抜かれていた。
満面の笑みで自分を見つめ続ける店主に、気圧されていた。
一瞬の沈黙の後、我に返り、今度はオヤジ=フォーマット通りに、咳払いをひとつすると、説教リーマンは言った。

「ま、また、来るわ。」

僕が店に入ってから、40分が過ぎていた。




「Friday」じゃなくて「Fly-day」だそうです。



【トポロジー】で検索したら

2010年10月23日 | 音楽
●この動画がヒットしたのでびっくりしました。



いやすげぇ(笑)。
これがあるからあなどれないぜYouTube。
これがあるからやめられないぜYouTube。

●歌詞の意味を理解しようと努めましたがいかんせん収録状態があまりよくなかった?らしく、すまん聞き取れない。

必死に言葉の端々をすくいとって読み取るにどうやら「【ピュアな=マテリアルな=飾り気の無い=本来の=そのままの】かたちの言葉や感情を感じタイのね」みたいなことなのかなー。
まあ、間違ってはいない、と思う(笑)。僕も数学苦手だからよくわからんけども。
それよりは【トポロジー】って言葉そのものの持つキャッチーさ=音節とか語感とか親和性(この場合は敢えて聞きなれない言葉を使用することによる注意喚起)を優先したように思われますがいかがでしょうか、ときめきエキスプレスさん。ポップなシンセとギターにスプーン一杯分の切なさを足したネオキラキラ系バンドのときめきエキスプレスさん。
歌詞の全容が知りたくて仕方がナイス。

【トポロジー】って、かわいいよね(笑)。『トポ』って部分のトボケ具合がね。なんか、全体的につるっとしてて、まあるい、たまごみたいな四足動物だけど空飛べちゃうみたいな。体長40センチぐらいだな、多分。ちっちゃい羽ついてんだけど別に飛ぶためのものじゃないんだぜきっと。機能的にはもう使用することのない進化の過程の名残みたいな組織なんだ(笑)。盲腸みたいなもん。もちろん体はやわこい。柔らかい。ふわふわぷにぷに。日曜の昼下がりにクッションがわりにして、頭もたれさせてテレビが観たくなるくらい(笑)。

一応本家?トポロジーとは↓
wikipediaより【トポロジー】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9D%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC

です。


●さて、公式サイトに飛んで案の定あったMySpaceにアップされてた、この楽曲【トポロジー】を聴いてみたんですが、すっごい完成度高いっす。かなり音重ねてて、それでいて重さ感じない良質ポップスに仕上がっておりました。

対してYouTubeのLIVE盤の方は残念ながらLIVEっつうステージとしての限定条件のためにアレンジとしても音としても、どうしても雑になってしまったような気がします。

でも、ボーカル真横に置いてあるミニキーボード。それを曲中に衒いなく弾くボーカルの女の子。
キーボードから出てくる電子音は8ビット時代のテレビゲーム(要するにファミコンっすね)の音質をノスタルジックに想起させるし、
「小さいキーボードが置いてある風景」と「ボーカルがそれを演奏すること」が、まさに「スプーン一杯分の切なさを足す」状態を表現していると思いました。

で、かわいい女の子が頑張って立ちまわる姿が、いーね!!(笑)
LIVEならではの意味が、きちんとそこにはあったように思います。
(おっさんのエロ目線じゃないよ。じゃないと思う。じゃないんじゃないかな。まちょと覚悟はしておけさだまさし)


●ま、あれだ、恋愛と数学の親和性は高いと思ったり。同じぐらいに宇宙物理学(笑)と恋愛の親和性も高いと思ったり。ま、恋愛に限らずポップスの歌詞は、多分80年代の作詞家がペダンチックな言葉遊びを散々無責任にやっちまった過去を引きずってますからね。オマエのことだ松○某、あと悪友(好きだってことですよ笑)。

バンプの「天体観測」は言わずもがな。
宍戸留美の「コズミック・ランデブー」とかね(なぜ宍戸だと言われたら「芸能生活20周年だから」と返します笑)。
相対性理論なんてバンド名からしてそうだし。「おはようオーパーツ」「夏の黄金比」「ふしぎデカルト」「人工衛星」。
ときめき~さんの楽曲にも「コスモチックソニック」なんてのがあるらしいすね。


●誰も望んでないが僕も考えてみる。3秒で。

「恋の三角関数」とかどうすか(笑)?
「カノジョのtangent」とかね。
「サインカーブを描く私のアナログな感情」とかね。
「3分の一の純情な感情」とかね(笑。ドラマーはバカテクです)

うああ、古い。80年代だー。


・「P is not NP」そのまま。PとNPを全く違う単語の頭文字にすればいーじゃん。

・「Ricci flow」バンド名でどお?

・「ポアンカレー」8つの具材で構成されるカレーを歌う。細長いナンがついてて、それで必死にカレーをすくって食べるっていう(笑)。そのときのなんともいえない切なさ、全然すくえない、こぼれ落ちていくカレーを見つめるしかない自分の無力さを歌うみたいな(笑)

こんだけ書いてなんですが、相対性理論みたいに単なる言葉遊びのピースとして使ったほうが遥かに面白いと思いました(笑)


●そもそも検索した動機っつうのが、をポアンカレ予想を解いたペレルマンのドキュメント特集が随分前にNHKでやってて、そんときに印象的だったエピソードを調べようと思ったことからでした。リンク元にも書いてありますが、どうせだから紹介します。

<ペレルマンが数学者たちに証明の解説をしたとき、会場の数学者は一度に3つの落胆を味わうことになった。

一つは、自分がポアンカレ予想を解いた人間になれなかったこと。
一つは、トポロジーによって解けると思われていたポアンカレ予想が、彼らが捨てたはずの微分幾何学によって解かれたということ。
一つは、ペレルマンの証明の解説が自分に理解できなかったこと。>


うーん。
喜劇であり悲劇であり、面白くて滑稽で切ない。なんともいえないですわ。

調べてよかった。
いや、数学苦手だし、正直ポアンカレ予想が何を予想しているのかさえ、他人に説明できるほど理解していません。ですが、ペレルマンの凄さと、解説の場にいた数学者の落胆は理解できると思うんです。その確認ができたことがよかった。
数学苦手だけど。

スプーン一杯の切なさにも出会えたことだし(笑)。
あなどれんわー。



匠三暦の方で動画がまとめて観られます

2010年10月21日 | 告知
匠三暦_imageのページ

にて、今まであげた動画がまとめて観られるようにしました。
くだらない説明文を省いて、動画のみがストレスなく見られます(笑)。

いろいろ試してみて結局はHP作成ソフトのモジュールに頼ることにしました。
ちょっとだけ敗北感ですが、そっちの方が遥かに見やすいのでそれがいちばんよいわ。

さて、こちらで観られる演奏とはまた違った、もっといいモノになるように次のLIVEでは頑張りますん。

以上、告知まで。

うまいこと話せなかったので書くっていうことと多分同じことだと思う

2010年10月17日 | 音楽
●おひさの友人の食事をしました。彼らと食事をするといつも音楽の話になるんだけど、そのときによく言われるのが完成度についての話で。

曰く、CD(レコード)=レコーディングスタジオでレコーディングされた音源と同等の完成度をLIVEで如何に表現できるか、が演奏のウマさの基準になるみたいな話なんですが。

パット・メセニーの来日ライブでCDと寸分違わぬプレイで再現されていてすごかったとか。
QUEENのトリビュートLIVEでボヘミアン・ラプソディをヤッてる映像見てたら、やっぱりCD音源と比べて完成度は落ちるな、とか。
スティングはLIVEでも音外さないからすごいな、とか。


毎回僕だけが反対の立場に回るわけです。

LIVEとレコーディングでは求める完成度のベクトルが違うと思ってますので。

これは動画でもそうなんですけど、録画・録音と、LIVEで何が一番違うかといえば、それは“やり直しがきくかきかないか”なのだと思うわけです。「もいっかい」が通じるかどうか、「いまのなし!(方言?ノッカンもしくはノーカンつまりはノーカウントでってやつ)がいけるかどうか、なのですね。

むしろレコーディングでは何度も何度もトライして自分のポテンシャルの中から最高のモノを取り出して記録することができるから、その特性=記録=レコーディングが活きるんだとおもってるわけです。より“作品”を創る感じに近いと思いますね。

対してLIVEの特徴は即時性だと思うのです、その場で起こったことが伝わる、もしくは起こったこと・起こっていることを伝えるのが第一義だと思うのです。

ですから、テレビなんかで生中継なんかあったりすると、カメラがブレブレでもそれが徹底的瞬間ならその映像にはすごく意味があるわけです。ケネディ大統領のアレとか、しーじゃっく事件のアレとか、ですね。サダト暗殺とかソ連クーデタの戦車目の前とかね、第二時天安門事件とかサティアン突入とかですね。スタジオ収録なら完全NGの画なわけですよ。

音楽で言えば、LIVEで重要なのはなにより“場の共有”だと思うわけです。今そこでミュージシャンが何をしているか、なのです。

俗な言い方になりますが、その場に来ているオーディエンスとの一体感含めた、LIVEステージっていう“空間”が成立しているかどうかが、LIVEでの完成度だと思うんですけどね。

CDそのものの音を再現できることは、確かに凄いことなんですけど、一つは、そんなどこででも自分のベストプレイを発揮できる技量のあるヤツはなかなかいないということ、もう一つは“その場”でのベストプレイが、技術的(ひょっとしたら音楽的・楽曲的)に最高のプレイと必ずしもいえないのではないかと思う、ということ。

第一CDと寸分違わないプレイされても僕嬉しくないんですよ。他の客でまわりうるせーし(笑)。ヘッドフォンをすればですね、いつでも音源と自分だけの二人の世界に逃げ込むことはできるんでね(笑)。

むしろ音源ではやってないプレイとかしてくれると喜びます。ユニコーンはそのへんが面白かったんですよねー。
テッシーは毎回ビミョーにソロが違ったし、川西くんはやっぱりフィルイン違うし。必ず原曲よりBPM(←これって打ち込み以外でも使っていい単語なの?要するにテンポです)ハシるし(笑)アレンジが全然違うときも多くて楽しかったんですよ。民生のLIVEでもよくあったことですね。

演奏能力の高さだけを基準に聴くことも一つの楽しみ方だとは思うけど、それってかなり理性的な聴き方だとも思いますしね。それはどこででもできることなんで。


昔、Police復活LIVEいきましたけど、そんときある曲でスティング出だし間違えましてね。あの完璧主義者が(笑)。僕は凄く貴重なもん聴けたと思いましたよ(笑)。スティング苦笑い照れ笑いっつう貴重なシーンも生で見れました。

とかいいつつ、よくやるオーディエンスとのかけあい?コール&レスポンスってヤツが僕はすっげぇ苦手なんですけどね。場の共有とか言っておきながらそれを強制されるとものすごく嫌なんです(笑)。なんででしょうね。


で、表題なんですが、そのままの意味で、先日の食事の場で、こういうことをはっきり口にできなかったので思わず不満が溜まって書いてしまったという(笑)。

書き直しもできるし!

まあ昔から飽きるくらい言い合ってることなんでお互いもーえーわめんどくせーな感じなってるということと、相手が自分の興味のない話題になるとあからさまに態度に示すようなヤツなんで。そう、相手は友人Bですよ(笑)。

でもそこで無理やり続きを話そうとしても届かないことは明白なんで、このへんLIVE的な判断でもあるわけです。その場に適切な行動を状況を察して選択するというね、これもまた醍醐味ですわ~(笑)。

LIVEトークの場で序論・本論・結論なんて悠長なことやってられるシーンの方が少ないし。誰もオマエの講演会を聞きにきてはいないっていうね。冗長な説明を省いてその場で誰もが頭にすんなり入る言葉を選択して、自分の話を聴いて貰える環境づくりをすることが天才的にうまい人もいるわけで。それも技術の一つだし。そういう人に、いざ論文めいた主張文を書かせてみると全然つまらない文章だったりすることもありますしね。

ま、いちばんのきっかけは、今度スティングがまた来日するんで勢いこんで早速チケット予約したぜっ!って言ったら

「しょっちゅう来るやん。そこまでして観る気がオレはせんわ~」

ってサクって言われてムカついたってだけなんですけどね(笑)
超ドヤ顔?で言われてムカついたってだけなんですけどね(笑)
オレ忙しい社会人だしオトナだしぃーて感じで言われてムカついたってだけなんですけどね(笑)

彼がこの文を読んで怒りの電話をかけてきても

「ばっか、オマエのことじゃねーよ(笑)一言もオマエだって言ってねーじゃねーかバッカ(笑)」

っていってごまかそうと思います。僕もオトナなんで(笑)
そこらへんはね、ま、わかってても、バレバレでも認めないっていうね。



この、適当にその場で上いったり下唄ったりするボーカルの遊びが好きだったりするんス。




かなり自由に引きまくってます、すっかりおじいちゃんのアンディ=サマーズ。でも2008復活LIVEで一番そのプレイにビビったのもアンディでした。音の羅列に圧倒されましたよ。このビデオでは、いろいろ詰まってるところもありますがそれも味?


83年で事実上の解散をするまで、シニカルとアイロニックが代名詞だったポリス。
確か、VHSで90年代に出た「ヒストリー・オブ・ポリス」のライナーノーツにも書いてありましたけど、彼らの最高潮(そして例外のアムネスティを除けば実質最後の)のLIVE、5万人が集合したアトランタのスタジアムで、全員に「So Lonely」と叫ばせたステージ。

5万人も集めて、
同じバンドが好きっていう共通項を持った“ファン”5万人が、

「ソーロンリー」

って叫んじゃう、そんなアイロニカルに過ぎる空間は、ポリスだけが創れた“LIVE”だったんじゃないかと思います。


サッカー-ポジション性格診断

2010年10月15日 | 雑記
つうのを昔遊びでやっておりまして。

いや何か明確な権威による根拠があるわけでも何でもなく、仲間内でわあわあ騒いで遊んでただけなんですが…。

ポジティブで積極的なヤツはフォワードとか、
常に冷静で状況を見つつ場をコントロールするヤツはボランチとか、
堅実で冒険しないヤツがディフェンダーとか、ですね。
いやいや普段はおとなしくても爆発すると何するかわからんでー、時折誰も予想できないオーバーラップするがやー、とか言って盛り上がったりね。



で、仲間内のそれぞれが有名なサッカー選手に例えると誰かという話題もよくしてて。

僕の友人Aは
<とにかく、相手のディフェンスラインと終始格闘してウラを取ることだけに精を出し、線審にオフサイド判定を出されては3秒だけキレて何事もなかったように元の配置に戻る>
まるで【フィリポ=インザーギ】だな、なんてことを言ってたわけです。

仲間でのワタクシめの評価としては、
ある人は【オリバー=カーン】
ある人は【デシャン】

であると言ってくれまして。
ともに国を代表するスーパープレイヤーに自分をなぞらえてくれた友人たちの優しさに心震わせていた僕ですがこの二人、共通するのは

“鉄壁で攻撃的で頑固な守備”

なわけで。

あーまーそーかオレはそーゆーふーに見られてるのかとも思いつつ、
今後は若干言葉の使い方に気をつけようとか、
友人の辻褄の合わない行動を鬼の首を取ったかのように(笑)指摘するのは控えようかな、

なんて思ったりしたものです。


今思い出すと、話題に上がる選手のラインナップが時代を感じさせますね。要するにこういう選手がフツウに出てくるような頃に話していたことだということです。既に懐かしい。今ではデシャンが、既に監督としての功績を残してますね。



で、そんな遊びが高じて、当時も(今も)サッカーゲームの中では圧倒的な知名度を誇るウイニングイレブンというソフトで、オリジナル選手を創ることができるのですが、それぞれの友人に容姿を似せて、かつ性格を反映した能力値を設定し、日本代表に登録してゲームしてみようなんて試みをしていたわけです。

ま、暇だったんですね。

そういう試みをするのに実際に制作にとりかかるのは大体僕なんで(つか本気でやろうと思うのが僕ひひとりなんで笑)、頑張って作ってみました。

友人Aの制作基準としては

・フォワード
・ボディバランスでなくスピードで勝負するタイプ
・瞬発力高く、反応速度は飛び抜けている
・メンタリティは高いがいかんせん持久力に欠ける(笑)
・シュートテクニックは抜群だが精度がイマイチ(笑)
・【ラインポジショニング】の特殊能力


そして前回も登場した友人Bは

・サイドバック
・のくせにディフェンス値が低い
・攻撃性が強く、サイドバックなのに上がりっぱなし
・スタミナが無尽蔵(能力値100段階で99)
・足が速いが瞬発力がない
・パスはショート、ロングともにやたら速い(能力値99)が精度が0
(話す言葉の押し強く勢いがあるが会話が成立しないってことですね笑)


更に自分に置いては友人の意見も参考にしつつ出来る限り客観視して

・ディフェンシブ・ミッドフェルダー(DMF)
・DFに転向したほうがいいんじゃないかと思うくらいディフェンス値は高い
・パスの精度は高いがスピードがない
・カーブが凄い。すごく曲がる。とにかく凄く曲がる(能力値99)
・足回りの技術はあるが俊敏性が低い
・【パサー】の特殊能力
・コンディション安定度が激低(能力値1)


なんつう方針を立て、直接方針に関与しない能力値は全て【50】に設定しました。

なんつーかあれなんすよ、友人をディスってるわけじゃなくてですね、魅力的なキャラクタを創る際のポイントは「弱点をつくること」だとスラムダンク井上雄彦しゃんも言ってるんでね、ええ、友人Bが嫌いだとかそういうわけじゃないんですよ、ええ。(笑)。


そして実戦に投入。
監督モードで基本的には観戦。スタメンに無理やりねじ込んだり、いい場面で選手交代の一番手で出したりと、とにかく自分たちを贔屓。

何しろ5,6時間かけて容姿を似せるためにあらゆるモンタージュを試したので、結構みんな似ているのです。それだけに割と感情移入できてしまう。

友人Aが線審に文句をいう度に大爆笑。

友人Bがあさっての方向にセンタリングを上げる度に大爆笑。

僕のパスが敵にインターセプトされるたびに大爆笑。

実況:ジョン=カビラに「このパスは届かな~い」って言われるたびに大爆笑。


でもね、とある夜のアジアカップの決勝戦。
0-0で迎えた後半ロスタイムに奇跡は起こりました。

自分らからみて左サイドのセンター付近で団子状態でボールを取り合う。
相手の激しいプレッシングにあっぷああっぷしながら、DMFの僕が逆サイドにボールを蹴り出す。

どうせ誰も拾ってくんないだろーなーと言いたげな雰囲気を醸しだした、そのへろへろボールには、
凄く曲がるカーブがかかっていて、
ピッチセンターラインからみて垂直に打ち出された後、ぎゅんぎゅん曲がって逆サイドのタッチラインとほぼ平行に流れだした。

そのボールを、なんと、やっぱり上がりっぱなしだった友人Bが上がりっぱなしだったことが功を奏して拾う。

そのままダッシュで一目散に敵陣サイド深くへ突入する。

どうせまたあさっての方向にロングボールを放り出すと思いきや、
何故かこのときに限って、
友人Bの気まぐれで一貫性のないプレイを、ゲームのキャラがトレスする。
性格を打ち込む機能はないはずなのに。

ゲームキャラの友人Bはグラウンダーのパスを選択。

その、矢のようなドッ速い、地を這うグラウンダーのパスに反応したのは、

90分間一度も休まずに相手DFとウラを取り合っていた友人A。
彼だけが、このデリカシーのないパスに反応した。
ただでさえ体力がないのに、この段階で既にスタミナは0だったのに。

高い瞬発力を活かして、たった2歩で相手DFを置き去りにしてボールに向かうと、

そのままワンタッチで

そのグラウンダーのパスをゴールにねじ込んだ。

深夜2時の僕の自宅で起きた小さな奇跡。

1-0でアジアカップ優勝を果たした僕たちは、思わず雄叫びを上げた。

(※ 多分大丈夫。深夜2時でも階下のスナックからはビートを無視した極上の【津軽海峡冬景色】やら【天城越え】やら【ロンリーチャップリン】やら【メモリーグラス】が高らかに聞こえていたから)


僕らはその夜のことを【昭和区の奇跡】と呼んだ。(笑)。

あ、昭和区って言っちゃったね(笑)


まあ、その頃の家には引越しをしてもう住んでいないからいいんです。いーんです。
別に引っ越していなくても全然構いませんが。

いやまさか、3人全員が絡んだゴールが優勝に導く瞬間を演出できたなんて今でも夢のようですよ。
ゲームの中の話ですけどね。

各々が他人だったら無視するようなパスを拾いあうというね、
そして最高の結果につなげるというね、
なんだかもう、思いだすと
小生、泣けてきたでござる(笑)。

もしウイイレをお持ちの方がいらっさったら、お時間あるときにやってみてください。
いろいろ面白い。オヌヌメ。


そうそう、また新作が出るみたいですウイイレ。
もちろん買います。
もちろんやります。

PS2で(笑)。




NHKハイライトでギターの刻みが入る前にRhythmだけでしばらく続くバージョンを使ってたんだけど(関連動画にありますんでよければ聴いてみてくだせぇ)、その音源はNHKが独自でつくったものなのかなー?あそこカッコイイんだけどなー。

で、この曲は別にちゃんとPVつくられてるみたいスね。でもこっちの方が好き。
なによりSuperflyしほちゃんがカワイイ。オフシーンっぽい感じがいい。カワイイ。歌が上手い。カワイイ。歌が上手い。カワイイ。カワイイ。


3連休がまたきてまた終わったし小ネタ集ってことにしようかと思ったら

2010年10月14日 | 雑記
この間の3連休がカレンダー通りなら今年最後の連休だってことをご存知でしたでしょうか。僕は知りませんでした。だからなんだ。

SPEC観ました。ネタバレある?よ。ポロリはないよ。



●ほらね、ちょっと時間作って考えるって言った途端にこれだよ。そうだと思ったよ(笑)
あれだね、課題を課さないとやらないね。「いつかやる」は「永遠にできない」だね。

●キャンドル涼子さんになってしまわれたわけですが、僕の友人Bが非常にショックを受けておりました。具体的にどこがとは言いませんが。

彼は、僕の界隈では筋金入りのアイドルオタクなわけで、
某テレビ東京の某番組を最高画質でRECしたり、
これはと思ったアイドルのDVDを片っ端から集めるヤツです。

もちろん?その時点でそのアイドルの知名度は0に等しく、100人聞いたら98人は知らないという彼女のDVDを探しまわって手に入れるわけです。

「そのバイタリティを他に向けろ」

という文言はよく聞く常套句ですが、こんなに的を射ない、僕に言わせれば“わかってねぇ”常套句もありません。そんな合理的に生きられたら苦労はしないよと思います。彼をそこまで走らせることができるのはそのアイドルだけです。他に向けられるバイタリティではないのです。クラスの人気者に先生が

「オマエ、吉本行け!笑」

って言う発言ぐらい不毛な言葉です。


さて、そんな彼にこの間、某元AKBで某セクシータレント(笑?)になってしまわれた方について意見を聞こうと思ったので久しぶりに電話をかけたら

「あ~りなてぃんのこと?興味ないな~」

って、僕の質問にも僕の期待にも答えて応えてくれました。ちなみに某AKBの中で誰が一番好きなのかと聞いてみたところ

「まゆゆ?かな?」

って僕の質問にも僕の期待にも答えて応えてくれました。
ヲタクも歴が長くなってくると何故かプロデューサー視点で語ってしまわれる方がいらっさいますが

(それ自体を悪いとは申しませんが、かつてなんども書いたようには思いますが、自分の立ち位置を自覚した上での“敢えて”の発言なのかそうでないか、というのは僕的には重要です。ですが同時にいちいち「まあオレ、素人なんだけどね」なんていう前置きを言うのも煩雑といえば煩雑でしょう。むしろ受け手の方がアンテナを巡らせて送り手がどんなつもりで発言しているのか感知すべきなんでしょうね。ああめんどくさい)

友人Bが「う~ん、渡辺麻友なんか、いいよね」でなく「まゆゆ」と発音したことに僕は深く安心したのでした。

社会人になってからは盆と正月程度にしか連絡を取り合わなくなって久しい友人Bですが、知り合ってからの年月を思い返せばもう10ウン年になります。そんな彼に、思いついたときに、年月踏まえればもう数えきれないくらい聞いてきた質問が

「一番好きな人はだれ?」

という質問です。もちろん彼は僕の質問にも僕の期待にも答えて応えてくれます。
いつでも。
即答で。
今でも。
今日した電話の向こうでも。

「広末涼子だよ」


当時久しく現れなかった「一世風靡した」と言える、間違いなくアイドルだった広末涼子。

何しろ久しく見ていなかった【レコーディング風景をニュースされる歌手ではない人】を見たし、

久しく見ていなかった、【本格的なダンサーではない人がアテられた“振り付け”を練習する姿】をテレビで放映されたのが彼女だと僕は記憶してるのです。

その後の奇行と分かりやすい“落ち目”の図(からの復帰)も踏まえて彼女、芸能人だったなぁと思います。

当の本人は「15,6のガキがフツウに動いてケタケタ笑ってるだけなのに、なんでこんなに世間は騒いでいるんだろう」と思っていたらしいことを、何かの記事で読んだことがありました。それが後々彼女が抱える“解消できないギャップ”に繋がっていったのかと考えると…。

まあ、

90年代は彼女に酷いことをしたよね(笑)


それでもなお、きっと彼女は、友人Bの中で永遠のミューズであり続けるんでしょう。
できうれば彼の期待に答えて応えてほしいと思います。

が、

堪える結果になりそうだな~(笑)ま、がんばろうや友人B(ヌクイさんas堤真一)


●あれ?もう終わってよくね?

●「SPEC」観ました。面白い。“鬼才=天才=変人”の描写・演出は「キイナ」とかと較べるとやっぱり抜きん出ていると思う堤幸彦りん。戸田恵梨香が化けるといーなー。

相変わらずウラ番組のジブリに泣かされるつつみんが笑えますが、「TRICK」では【何度目だナウシカ】、今回は気功DVDに「るぱぁ~ん」「ふじこぉ~」でした(笑)

か、加瀬亮が…。渡部篤郎の偉大さを今のところ感じてしまっています。

●チリ岩盤事故救出ガンバレ(10-14 AM3:00現在)。もう少し。久しぶりに明るいニュースが聞きたい。

プチプチ送ったって話を聞いたが、あの感覚って万国共通なの?使い方説明の必要ありじゃね?


つうわけで以上、3連休がまたきてまた終わったし小ネタ集ってことにしようかと思ったら友人Bのヲタクぶり暴露大会になってしまいましたの巻。終わり。




広末さん違ったキャンドル涼子さん関連はこのPVが抜群に好きです。
監督有名な人じゃなかったっけ?忘れた。

【ジーンズ】って、デニムのこと唄ったわけじゃないんだぜ(笑)