「マイ・バック・ページ」を軸にしてしまう・・・と。
どうしても、新しい試みについては、ワ、ワカイのぉと思ってしまう。けど、それは至極当然であり、今後、TAKUMI-DUOがその曲々にどんなアプローチをかけていくのか・いけるのか、むしろ僕は楽しみにしてる。もちろん、すでに今度はこんなアプローチを、って僕はいくつか思考&試行もし、そう。そうした思考や試行を働かせるだけの甲斐がある新しい曲と、結果、出会ってしまったのである。
ところで。自然と、1つのライブが次のステージにつながっていく…なんてことはない、
でも。だから。
それはそれで、ひとつ「オトシマエ」をつけつつ、先をにらんでゆこうと思う。
にしても、だ。
パルキングとの視線の交え…は、心地好かった。おおぅ、このまま、ずーっと、ステージが続かんかのぅって、二度三度じゃなかったなぁ。ことに、Play1もPlay2もだけど、後半の「アンダルシア」→「アダージョ」→「トルコ」の展開(転回)は、(ピアノのデキバエは好くなかったこと、それは棚にあげといて)正直、ふるえた。
どうしても、新しい試みについては、ワ、ワカイのぉと思ってしまう。けど、それは至極当然であり、今後、TAKUMI-DUOがその曲々にどんなアプローチをかけていくのか・いけるのか、むしろ僕は楽しみにしてる。もちろん、すでに今度はこんなアプローチを、って僕はいくつか思考&試行もし、そう。そうした思考や試行を働かせるだけの甲斐がある新しい曲と、結果、出会ってしまったのである。
ところで。自然と、1つのライブが次のステージにつながっていく…なんてことはない、
でも。だから。
それはそれで、ひとつ「オトシマエ」をつけつつ、先をにらんでゆこうと思う。
にしても、だ。
パルキングとの視線の交え…は、心地好かった。おおぅ、このまま、ずーっと、ステージが続かんかのぅって、二度三度じゃなかったなぁ。ことに、Play1もPlay2もだけど、後半の「アンダルシア」→「アダージョ」→「トルコ」の展開(転回)は、(ピアノのデキバエは好くなかったこと、それは棚にあげといて)正直、ふるえた。