匠三刻#(たくみつどきしゃーぷ)

平田匠と「TAKUMI DuO」応援ブログ。及び管理人の『僕の1日は、昨晩の反省を鼻で笑うことから始まる』

ライブ告知

2007年09月30日 | 告知
TAKUMI DuO
Live in Kobe

平田 匠(P)  VS  春木昇三(D)


「Just in Time」でのLiveが決定いたしました。



日時:12月2日(日) 
Play1;5:00pm (受付開始4:30pmから)
Play2;7:00pm (受付開始6:30pmから)
※「Play1」と「Play2」は入れ替え制となります。

Charge:2,000円(飲食代別途:要1ドリンク)

会場:JUST IN TIME
MAP 神戸市中央区元町通3-13-1

Copyright (C) 2004 JUST IN TIME . All Rights Reserved
(JUST IN TIMEさんの本サイトの方が綺麗に観られますので、わかりにくい方はそちらでご確認の程、お願い致します)




先行予約を承ります。   

先行予約 07年10月1日(月)PM13:00より  
078ー333ー1858(just in time)


* 定員になり次第、「予約サービス」は終了させていただくことを御了承下さい。

アンドロメダを西南に

2007年09月29日 | 雑記
(さあ大好きな番組改編期ですが、相変わらず1本もまともに観てません。実は仕切りの線がいつもと違うラテ欄を観るだけで満足なのです)


<僕の周りの音楽教師シリーズ1 たっさんと3>


さて、本気度100%のギターを背負った変態教師との対決も文化祭缶アート事件を機に、何となく沈静化。その後もちょくちょく気になる事態はありつつも、まあ何か、「まあいいや」って感じに気持ちがしぼんでいく自分を感じつつ、何より来年は3年生だし受験だし当時受験戦争まっただ中だし僕団塊juniorだし、そろそろうだうだ考えるのは止めて、モード切り替えてひたすら机にでも向かわないとね、なんて気分で3学期をやり過ごすことに。イヤ実は缶アート以来、あの名物教師の存在を認めつつあるんだなとは気付きつつ、その気持ち、認めたくなかったって感じだろう、ざるそばちゃん14歳。若いって大変だね(って思ってたら、最近でもそーいう状態になることあるんだなぁと再認識することあり、つくづく人は変われないと思いましたとさ)。

修了式前日、テレビ観つつコーヒー飲んでたら、ふと母ちゃんから
「もう2年生も終わりだねぇ」なんて言われた途端
「最悪の1年だったぜ。やっとあのクラスともお別れだぜ!やっと終わるわ。まったく長ぇ1年だった!」
って妙に過剰反応、やたらでかい声でさけんでみたあたり、なんとも素直じゃない自分を愛しく…思えねぇ。
隣の母ちゃん、驚いて目ぇ丸くしてたの、よく覚えてます。
「あのクラス」って言っちゃうあたり、最後の意地というか、親の前でも「あの担任」って言わないあたり、すさまじいツンデレっぷりです。フォローってわけでもないけどクラスの連中には決してイヤなヤツいなかったし、むしろ居心地は良かった方だと思うんだけどナ…。どーなんだろーな…。

ところがどっこい、3年生。始業式で担任紹介。体育館、教頭のアナウンスで呼ばれた先生が、新クラスが並ぶ列の先頭にそれぞれ立っていく。

「3年◯組の担任は、『たっさん』です。」
えええええええええ!!

冗談じゃねぇぜおい!どういうことなんだぜ?何かでかい組織の陰謀を感じるぜ!とざるそばちゃん頭の中は半狂乱。
そりゃねぇよ神様いわゆるゴッド。
おらぁよ、春休みによ、例えば10年後の自分を想像してみたりして
「まあ今んなって思えば、たっさん本気で俺にぶつかってきてくれたんだよね。なんだかんだで感謝してるっつうか…。あの時期にあの人に出会えたって凄い奇跡なのかも知んないね」
なんて焼き鳥屋で酒をあおりつつ、仲間おきざりぎみに一人いい具合に酔っぱらって、前に食ったレバーの串で、残ったつくねを突き転がしてもてあそびながら、成長した(笑)ナオナオを相手に、少々鬱陶しがられながら、くだまくついでに告白してるって画を想像しつつ、今は、今は待ってくれ、きっと時間が解決するから、それまで評価は待ってくれ、人生の授業の修了のベルは50分後じゃなくて、ある日生徒が気付いた瞬間に鳴るのだよ、と金ぱっつぁんも言ってたじゃないか、なあだから、もう少し先の話にしてくれよって、やっとやっと気持ちに決着つけたと思ってたところにっっっっぃいいいぃぃいいいいぃぃぃ。
ムキーッってなるよそりゃ。でも時間は待ってはくれないのです。現実は続くのです。運命は避けられないのです。と。


さて、本気度100%のギターを抱いた下ネタOKの変態教師は始業式後、各教室に戻ってよくある初日の儀式を終えたその後、僕にいきなり語りかけた。
「また1年よろしくな。あ。オマエ学級委員(うちの中学では『室長』でした)になってもらうから」
頼むよいい加減にしてくれよ。


さて、本気度100%の(以下略)はグリークラブ出身。受験生であるオイラたちに突然ある日言い渡す。
「必修クラブの時間がありますが、その中に、『合唱クラブ』を新設します。興味のある人来てね」
うーん、必修クラブと言えば当時、できるだけ活動が活発でないクラブに入って実質『内職(試験勉強)』を行う時間となっているはずだが…。マズイ。

「あ、オマエはもうメンバーだから。何人かつれてこい。大丈夫。下級生もいるし◯◯や××(例の缶アート実行委員会等、たっさんの企み実行委員会の常連)も当然メンバーよ」
やっぱり。このやろー調子のんなよ。と思いつつも以前聞いたことのあるたっさんの言葉を思い出す。

「実は今一般に使われている音楽の『音』というのは、理論上破綻のないように作られた…(長いのでカット)ものなんです。だからハモるとされている、例えばドミソ~とか。これは厳密にいうと、『他の音より調和する』だけであって、実はあってない。でもね、楽器じゃなくて自分で出す声なら、純粋な、本当に純粋な響きの調和が起こることがあるんです。それだけ人の出す音が不安定であるとも言えるのだけど。高校の頃、何の気なしに覗いたグリークラブで、僕はその体験をしました。本当に気持ちよかった。僕が合唱にはまったのはそれからです。」
(余談…これ、吹奏楽でも同じこと言えるらしいです。人が吹いて鳴る楽器ね)

なあ、不協和音しか出そうとしないざるそばクンよ。せめて一週間のうちの1時間弱ぐらい、皆とハモってみてもいいんでないかい?

たっさんがそう考えてたかどうかは知らないが、いや名迷言を吐くこの男、本当にそう考えていてもおかしくないが、いやあるいは単に扱いづらいクソガキを何とか自分の得意なフィールドに持ち込もうとしただけなのかも知れないが、とにかく僕はそのとき、ちょっとだけたっさんの策略に乗ってやってもいいかもな、なんて思ってしまったのだ。そしてその選択は正解だったと言わざるを得ない。

そのあとのことはいろいろあって、ここには書けないようなこともあったりして、例えばたっさん自身の身にもいろいろあったりして、そのとき学級日誌に「室長なのでこういうときにがんばらないといけない」なんてどっかのテンプレートのようなこと書いて、それに副担任が「そうだね、ざるクン、大変だけど頑張って」なんてテンプレート通りの返しがあって落胆したりとか、たっさんが復活したきっかけが、僕が小学生の頃から親友だった男が、わざわざたっさんの家を訪ねて言った一言だったらしいとか、何でその一言を自分は言えなかったのだろうとか、副担任のしたことに落胆する資格もねぇだろうとか、いろいろいろいろあって、こんだけ書いといて詳細はカット(笑)一つ言っとくと、その過程でオイラは少しずつ、まともな人間になっていったって言えるかも。今現在は逆にこう言えるのか、不安になってきてるけど。ハッハッハ。



卒業式が済んで、5日後ぐらい経ったある日、一本の電話。たっさん企み委員会の一人から
「今から合唱クラブの記念録音やるでよ、来いや」
買ったんだよ、メタルテープをよ。当時またカセットが主流で以下省略。まあ要するに売られている生テープで一番グレードの高いヤツ。後でダビングしてくれるっていうもんでよ。

収録曲は何曲かあって、曲終わりに一人一人何か言えってたっさんが言ったのね。
で、僕はなんて入れたかっていうとですね。

「有機化合物である人間は炭素を含みます。で、人間って酸素を吸って二酸化炭素を出すんです。ってことは人間って燃えてるってことですね。どうせ燃えてるのなら、人生かけて、燃えられるものを見つけたいです」

おおすげぇすげぇ。で、これ阿刀田高のエッセイ集からのパクリってところがまたなんともねぇ…。ざるそばちゃん15歳…。
たぶんたっさん知ってたんだよね。でも何も言わなかった。

(後日、高校になってから、たっさんの家で夏休みの宿題やったことがあって、そん時、たっさんの本棚に阿刀田高も、僕がいきなり学級日誌に連載しだした(笑)小説のパクリ元『ナーバスブレイクダウン』もあって。本当にもう、顔から火が出るってのはこのことだね。ジョルトコーラと二枚重ねの香りつきトイレットペーパーと自家製チャーハン。そんときの想い出)


録音終了後、下級生から花束と寄せ書きが送られた。部活に入っていなかった僕はこういうシチュエーションには縁が無いと思ってたから、素直に嬉しかったっていうか挙動不審(笑)

寄せ書きのメッセージを読んでいくと、ある人から
「先輩の『アンドロメダを西南に』のときの顔が最高でした!」
って書いてあったり。唄った曲に「天翔る天馬」っつうのがあって、そいつは確か市主催の合唱コンクールでの自由曲でよく練習した曲だったりして。『アンドロメダ~』ってのはその歌詞。
そんな気張ってたかなと思いつつ寄せ書きを読んでいくとど真ん中にたっさんからのメッセージ。
「よかった。明るくなってくれて。ずっと心残りだった。自分で幸せをつかもう!」



後日談。高校2年のときだったかな。たっさん結婚しまして。
で、例の企み実行委員会主催でパーチィを。え?お酒なんて飲んでませンよ。
僕は聞いた。遠慮しないらしいからね。
「どうやって、そういうことになったのさ」
そしたら、たっさん、嫁さん目の前にして
「一生懸命やってたら、いつのまにか傍にいた」
だってよ。どんだけ~(笑)
まあ、名迷言で評判だったからね。いつでも本気だからね。嘘がないからね。

(終わり)

2分の1の純情な感情

2007年09月28日 | 雑記
(ヒーローズのマシ・オカのキャラクタライズはどこか間違っていると思ってしまう33歳は、割とタンタンと続きを書くことにしたようです)


<僕の周りの音楽教師シリーズ1 たっさんと2>



さて、ギターを抱えた本気度100%の変態教師は名迷言で有名。
彼との決戦の後にもでるわでるわ。
「今のオマエに大宰はやばい。読むな」とか
「オマエ、わからないって簡単に言うな。思考を停止させてるだけだ」とか。
たっさんせめて、その目ヂカラは我慢するから、よく通る声を、腹から出すのだけは止めてくれないか。
頭ががんがんするんだよ。

放課後、べらべらしゃべっていると、突然会話に参加して
「温泉に行きたいだとぉ…ジジ臭え」とか。
荒れてるヤツにチョッカイかけられた後
「アイツは家でいろいろあるんだ。愛が足りてない。勘弁してやれ」とか。
僕がテストで誰よりも速く解答し終わって、とっとと教室を出て行こうと片づけ出すと、サイレントで「ミ・ナ・オ・セ。み・な・お・せ。」って一生懸命、口動かしたりとか。

笑えるっつうの。


「さて、この文章の最後を締める『◯◯だ』の『だ』は何の助動詞?はい、ざるそば」
「断定」
「さすがっ!」とか。
性格分析マークシートの結果を踏まえて、三者面談。
「こんなの、大体どの質問にどう答えればどういう結果がでるか予想できるんだよね」って言ったら
「うん。そういうこと言いそうな性格だって、きちんと出てるね」とか。
家庭訪問。本人いる前で、親、目の前にして、
「言うときは遠慮しないのに、言われるときは臆病だ」とか。

アンタ、人のことどんだけ分かってるつもりなのさ。
でも不思議だねぇ。アンタに言われたことは今になっても全部覚えてるんだ。
まあ、記憶力だけが取り柄だからね。


で、中学2ねん、ざるそばちゃん14歳の文化祭。
当時『缶アート』っつうのが流行りでして。ジュースのアルミ缶を集めてですね、缶の図柄を利用してモザイク状に、絵になるようにするんですわ。缶にヒモを通してつなげてね。
どっかの学校がやったらマスコミがこぞって取り上げて。もれなくたっさん食いつきまして。
「エビバディ、町中のごみ箱から缶を集めろ!」って大騒ぎさぁ。
でもって『◯◯中学文化祭缶アート実行委員会』に強制参加させられる僕。やったね9月から毎週末にごみ箱あさり。
最悪だ。

毎日放課後居残りで、せっせと缶を色分けして、底にヒモ通すための穴開けて。
後の家庭訪問でたっさん、その時の僕を語るに
「基本、非協力的なんですが、あるパートを任せることにしたら、その役割だけは死守って感じで『その件は俺を通せ。俺に任せろ』な感じでがんばってくれましたよ」だとさ。
アンタ…まぁいいや。親も黙ってよく聞いてたな(笑)さすが母上(笑)

さて缶で何を描いたかと言えば、秋だけに赤とんぼ。うん、軽薄。
メンドくさいんでクレームも特に入れずに黙々と作業に没する僕。

最終的にこれ、校舎の屋上から引っ張って、釣り上げて、校舎の側面に固定する。タペストリーな感じね。
そーだなぁ。なんだかんだで四方10mの正方形。空に舞う赤とんぼの図。だったのですが。
缶を甘くみちゃいけない。1辺10mありゃそりゃそれなりの重量ですよ。
まず持ち上がらない。さすが国語担当。重量までは計算できていなかったようだ。
それでも無理やり持ち上げる。すると…自重でつぶれだした。実行委員会、阿鼻叫喚の図。

何とか全壊を免れ、再び運動場に缶アートを横たえるも実行委員会、茫然自失。文化祭当日は明日ですよ。

佇むたっさん。近づく僕。話しかける。人に言うときは遠慮しないらしいからね、僕。

「どーする?やめる?」
「んにゃ。やめない」
「明日だぜ?」
「そだな」
「ご提案を」
「………」
「…2分の1にしよう」
「………」
「半分にすればあがるよ、たぶん」
「………」
「…メンドくさいから言ってんじゃないよ。今から半分にするほうがよっぽど…」
「おし、それでいこ」


たっさんが僕の言うことを聞き入れてくれたのは、多分これが初めてだったんじゃないかな。


(終われねぇ…)

さだまさしのしのことならチャンピオンだね

2007年09月27日 | 雑記
(最近とみに、家庭を手に入れ、守る人々に美しさを感じます。同僚にも増えたからかもね。えらいね。僕はひたすら過去に飛ぶことにします)



<僕の周りの音楽教師シリーズ1 たっさんと>



そうだなあ、濃いファンの間では、さださんは「まっさん」と呼ぶらしいから、ここは「たっさん」としておこう。

たっさんは中学教師。国語担当。
高校・大学とグリークラブ出身の唄歌い。
名言迷言多し。
「アルフィー程、生でキレイにハモれるメジャータレントはいねぇ」。とか。
まあ、1980年代の話だ。ゴスペラーズも小学生だったろうし、
ボイパーなんて単語も生まれてない時代だから勘弁してくれヨン。

ギターを抱えた名物教師。
ホームルームで最後に1曲、調子に乗れば3曲歌う。
得意ナンバーはさだまさしとかアリスとか。
あとは当時のローカルCMのモノマネ。
生徒にコール&レスポンスさせて盛り上がる。
下ネタだってOKだ。むしろ率先だ。
まあ、セクハラなんて言葉も生まれてない時代だったから勘弁してクレヨン。

他の教師は賛否両論。
しかしそんなことはたっさんは気にしない。
だってこの人、全部本気だからさ。嘘がないからさ。
まあ、こんな教師は大抵生徒には人気が出ますよ。
で、僕はといえば。
こいつのことがダイッキライだった。(はい、予想通りですね。そのまんまですね)
こいつが担任になるとわかったときはもう、どうしようもないくらい苛立った。
中学2ねん。ざるそばちゃん14歳。


「先生はさだまさしの『し』が好きなんだよね」
初夏、金曜日、昼下がり、テスト前。
相棒のナオナオがニヤニヤしながらペラペラしゃべる。うん。軽薄。

「あーそーだな。詞が最高だな。」
たっさんが余裕で返す。ナオナオの意図は分かってる。でも余裕だ。だって本気だからね。嘘がないからね。
うん。そんな牙城を崩すのは直接攻撃じゃないとダメヨ。ナオナオ。

「『さ』でも『だ』でも『ま』でも『さ』でもなくて、『し』が好きなんだよね」
僕の直接攻撃。ああもう言ってて反吐が出るよ、ナオナオ。なんてレベルの低い、野暮なからかいなんだろー。
なんかもっと、たった一言で、グアッと胸を抉るような、でもって、一度刺さると抜けない、何本も返しの入った釣り針のような、そんな台詞を思いつけよオマエよー。まあでもそんなオマエの頭の軽さが今の僕にはちょうどいいから一緒にいるんだけどね。

「…うまいこと言うね…」
ヤベ、イヤ違ったやったね。ちょっと動いたよほら。本気の目で見つめてきたよ。どーすんだよナオナオ。

「ね、『し』が好きなんだよね~」
あああ、ちっともわかってない。ちっとも感じてないなナオナオ。なんだその勝ち誇った顔は。あああ、ずっと言ってるよ。嬉しそうに「『し』が好きなんだね~」って言ってるよ。やっぱ駄目だな、オマエ。

「いい加減にしろ、おまえら~!!」
こんなときのたっさんはいつだって相手をヘッドロックで締め上げる、という芸に出る。今日の餌食はもちろんナオナオ。
そして二人とも笑顔だ。
一生やってろよ、お前ら。


さて、いつもの帰りの会という名のホームルームが終わって、僕はナオナオと校舎を出た。
後ろから声がする。上の方から僕らを呼ぶ声がする。振り返って見上げると2階の僕らの教室の窓から身を乗り出してたっさんが叫んでいる。よく通る、いい声だ。舞台慣れしてますね、先生。

「掃除ぃ!そ・お・じ・してかんかぁ~!!!」
よく通る、いい声ですね先生。

「お前ら掃除当番だろがぁ~!!!」
よく通る、いい声じゃないですか、先生。

「明日、まとめてやりま~す!!」
うん、イマイチ伸びが無いな、僕の声は。たっさんの声を後ろに僕らは校門へ向かった。
たっさんは追いかけてはこないようだ。

校門を出てしばらく行くとナオナオが言った。
「すごいね、今日もキレキレだね、ざるっちょ」
うん、でもオマエが隣にいなかったら、そそくさと「すいませ~ん」って言って教室に戻ってたんだよ。
そういうヤツなんだ僕は。

「今日も俺ンチでゲームやる?あ、金曜だからまだイタダキマンやるよな。それ見てからゲームだな」
ナオナオがウキウキだ。
「あーごめん。家帰るわ今日。テスト前だし」
僕はナオナオのウキウキな誘いを断って、そのまま家に帰って、イタダキマン観て、寝て、親に起こされて、飯食って、寝た。


「今日は皆さんにある歌を聴いてもらいたいと思います」
何日か経ったある日の国語の時間、たっさんが言った。
「僕は歌いません。本物を聞いてもらいます」
おもむろに教卓にやたらとでっかいラジカセを置いた。
(まだカセットテープが普通に流通してた時代じゃけえのう、許してクレパス神田川)

うん、授業時間潰してまできかせたいのだね、その曲。相変わらず本気だね。
いきなりかかるイントロ、ピアノのアルペジオからストリングス、上昇フレーズ、でもってギターのアルペジオ。
月末になるとゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに…と始まった。
さだまさしの『償い』という曲。

いやいやいやいやいやいやいやいやど~だろ~、その選曲ど~だろ~。たっさ~ん、ど~~~だろ~~。
あんたが言いたいことはわかるかも知れないさ、しかし、しかしだねキミィ~。
本気とは、ときにあまりに野暮なのだと思い知らされる出来事でした、と今日の心日記に刻もうと思った瞬間、教室中号泣。
すすり泣きの声が充満。
いやいやいやいやいやいやいやいやど~だろ~、そのリアクションど~だろ~。
みればナオナオまで泣いてるじゃん。そーかそーか。また僕はヒトリかと思った瞬間、本気の目線とぶつかる。
…はい。負けました。この勝負。こんな状況に追いやられてまでなお、闘う精神力は14歳の僕は持ち合わせておりません。
はいはい、聞きます、素直に聞きますよ~。
『人間って悲しいね だってみんな優しい それが傷つけあってかばいあって』
そんなんいわれんでもわかっとるわい。そんなんいわれんでもわかっとるわい。そんなんいわれんでもわかっとるわい…。

曲が終わった後、たっさんがどのようにこの状況をしめて、どうやって授業に移行したのか、僕はまったく覚えていない。
そして僕は最後の勝負に出ることにする。



「先生はさ~。みんなの前でよく歌うじゃん。それってさ~俺らの親の前でもやれんの?」
授業参観が2,3日後に迫ったある日、僕は意を決しつつもできる限り余裕ぶっこいた風に装い、たっさんに言ってみた。

「やるわけないだろ。オマエは俺の教師生命を終わらせる気か」
(今ほどじゃないけど、それなりにいつの時代もモラルってやつにはうるさいらしいですよ、表面だけ。許してくれなくてもいいヨン。)
そういって、たっさんは華麗にスルーした。取るに足らぬことのように。


参観日当日。授業も終わりに近づいて、その日の最後の1行の解釈が済んだ。残り時間は5分弱。
いつもなら「先生、時間が余ってますよ」と誰かから音頭が挙がるが、今日は誰もそんなことは言い出さない。
僕はといえば既に机の上を片づける準備。ペンケースにシャーペンを入れようとしていると教室がざわめいた。
たっさんがギターを担いだ。予想だにしないことだった。あっけにとられた。
オマエ、駄目だな、たっさん。

「まあ…。普段の授業を観ていただくことが趣旨ですし…いつもと違うことをしてもと思いまして」

今日のナンバーはチャンピオン。アリスのチャンピオン。いつもより激しく。ギターの弦がきれてもお構いなし。

「ご静聴、ありがとうございました」
教室中から拍手が湧き上がりましたとさ。


僕はその日、その授業が終わってから一度もたっさんと目を合わせず、教室の掃除当番をいつものようにサボって教室を出た。ナオナオが見つからないと思ったら、下駄箱に向かう途中、暗い廊下の片隅で何やら苦しい声がする。そっと見てみれば、ナオナオは、カツあげを食らってた。3人がかりで、いいようにナオナオをもてあそんている、カツあげ野郎の体のすき間から、ナオナオと瞬間、目が合ったような気がしたが、そんなことはお構いなしに、僕はその場を後にした。
そんな場合じゃないし。
何も見なかったことにしたほうが、お互いのためにいいことだし。
きっとナオナオとは、明日、何事も無かったかのように会って、話して、馬鹿なこと言い合ったほうがいいんだ。

そう、何事もなかったかのように、明日振る舞えるように、何とかしなきゃいけない。でも、

ちくしょーちくしょーちくしょーちくしょーちくしょーちくしょーちくしょーちくしょーちくしょーちくしょー。

校舎を出ても、イタダキマン観てても、布団の中でも、熱唱するたっさんの姿が頭から離れなかった。

(たっさんと続く)

ふりーとーく

2007年09月15日 | 雑記
『賢者の英知と年齢の経験は引用する事によって保存されよう』
 アイザック=ディスレーリー「文学についての好奇心」

こんちは、ざるです。おひさです。
日々の暮らしの中で予定外のことが起こっているのは、自分の読みが甘かった所為なので、特に何かに頼るわけでも無く、そのため、いささか苦しく、要するにどこにこのイキドオリエネルギーをぶつければいいのかと思いつつ日々を過ごしておりました。すんません。以下、だらだら雑感。


冒頭の引用は特に意味はありません(笑)。ただ、黒澤映画のDVD販売が著作権保護違反になったようだという話を聞きましてん。その事実に対するささやかな抵抗。
ロッキーが6やるときにね。1~5のDVDが¥1,000で売ってたのね。やー商魂たくましいな、と思いつつ、こういうの、いいね、なんて思ったりもしたわけで。まーロッキーシリーズともなりゃ十分過ぎる程ペイできてるっつんで、あとは売れれば売れただけ儲けなわけで、それはそれでええやん、と思ったり。
よく友人間で会話するとき、

「オイラはよー、当たった映画の続編は大抵認めねーけどよー、ロッキーとバック・トゥ・ザ・フューチャーだけは別だぜ!」

って言ってる人はたくさんいますね(笑)。僕はこの2作品にスパイダーマン2を足したいと思います。スターウォーズ?ゴメン、まともに観たことない。僕が知ってるスターウォーズ最高知識→ハン・ソロのギャラは只同然だった。 以上です。


あーgyoでいつまでもデブじゃなくなったオタキング岡田斗司夫が、
「映画館の映画が始まる前のCM『映画が盗まれている』っていう、場内盗み撮り禁止アピールのやつ。あれ、何で¥1,800払ってその場にいる人間がそんなCM見せられなあかんねん。俺らはきちんとお金払ってここにおんねん。そもそもお前ら、自分らに金が入ってこんから騒いどるんちゃうんか。きっとこのCM枠自体、只で使ってるくせに。」
って言ってました。立ち位置が自由でいられる人は好きなことがパブリックな場で言えていいですね。(←本人が自分でそう言ってた)この人多分すげぇ頭いいから(それこそ口八丁でバンダイから8億引っぱった人ですから笑)ちゃんと自分がそういう位置にいられるように計算してなってるんだな。人生そうありたいもんです。あと、友達はいらないって言ってました。それは僕はイヤです(笑)。  以上です。


スカパーの「夏フェス16!」ってあおり文句に釣られて、更に引っ越し!!!!!もしてアンテナ最初からついてるはずなんで、導入しちゃおーかなと思って、「e2byスカパー!TVガイド」ってヤツを買って、どんな番組やってるん?と見ていたら蒼井優のインタビュー。いぇい。読んでみるに…

「MTVの方に教えて頂いた『OK GO』というバンドのミュージックビデオにはまってます」

なんだとぉ?OK GOだぁ?あの!世界一前向きなバンド名のOK GOのことか!!
知ってるよぉ僕知ってるよぉ!(キモ)ここでも紹介しちゃったもんねぇ!

蒸気船winny番外(って記事内容は鬱…)

あーなんつープチ奇跡。これで明日も生きていける(笑)
ていうか、とーちゃん!オラ勝っただよ!MTV Insideのスタッフに情報の速さで勝っただよ!(そうか?)これで明日もホームランだ! 以上です。


とある友人から「さだまさし トークベスト」という、その名の通りコンサートの合間で語られるMCのベスト集!ってのを借りることになりまして。トークのベストって。そりゃ落語家が自分の弟子に勉強のためにさだまさしのコンサートに行けっつうわな。
ご存知の方も多いと思いますが、この人、随分昔に映画を創りまして。で、映画自体は(本人いわく)ヒットしたらしいんですが製作費をかけ過ぎて結局赤字。で、その借金を返すために1年中日本縦断コンサートを幾年も続けるという暴挙?にでたらしいです。そりゃベスト作れるくらいMCも弾むわってもんで。MCで笑って曲で泣く。曲で笑ってMCで泣く。さださんのコンサートは大変らしいです(笑)。感情揺れまくり。映画で作った借金を本業で返す。人生こうありたいもんです。
で、その4枚組(マジ)のCDの中のお話で「嗚呼!十津川村」というお話があるのですが、以下要約。

・日本最大の面積を持つ「村」十津川村はその昔、林業で成り立っている村だった。
・明治22年、十津川村は未曾有の大水害に襲われた。
・村は壊滅状態。住人は北海道への移住を選択。
・船で北海道へ出るため、神戸に寄る。そこで神戸の人たちに大変お世話になった。
・それから約100年、阪神淡路大震災の時、震災孤児を迎える「浜風の家」を建築する際、十津川村は建築木材を無料で提供した。

・ちなみに十津川村の郷士は坂本龍馬と縁が深く、坂本も十津川郷士を非常に信頼していたという。
・今でも、京都にある坂本龍馬の墓の周りに、十津川郷士の墓が建てられている。

とまあ、こんなぐあい。(語り口も絶妙だし、間に挟むコネタも笑えるのでよろしければ手に取ってね。って書いておけば引用も要約紹介も許されるか?)
さて、これだけでも十二分にイイ話ですが、ここにざるそばフィルタを通せば

→神戸+坂本+さだまさし。

という、ざるそば脳内ユカリラインが形成されるのです。あーなんてプチ奇跡(やや強引か)。これで明日も生きていける。
 以上です。


つーわけでさださんの話をしたならば、僕がさだまさしに特別な感情を向けるに至ったエピを語らねばなるまい。と勝手に決めて次回へ…続いたらいいですね。オツカレサマでした。
明日仕事やねん。
やっと締め切りに(そんなに)追われない毎日を過ごせるかもしれなかったのにねぇ。
残念でならない。

能登の工芸作家展

2007年09月08日 | 告知
告知です。

地震復興支援
能登の工芸作家展
展示即売会 入場無料

《開催日時》
9月7日(金)~11日(火)10:00~18:00

《開催場所》
酒心館ホール(神戸酒心館内)




(地図は拡大縮小、スクロール可能です)

《アクセス》
・阪神電車「石屋川駅」下車、石屋川沿いに南へ徒歩約8分
・阪神電車「御影駅」下車、タクシーで約5分


《お問い合わせ》
株式会社神戸酒心館
〒658-0044
兵庫県神戸市東灘区御影町1-8-17
TEL078-841-1121
FAX078-841-0002



既に始まっている展示会をお知らせすることになってしまい申し訳ございません。

この展示会に作品を出展されている、能登半島・石川県輪島市在住の漆芸作家「市中佑佳(いちなか ゆうけい)」氏は平田匠の知人であり、輪島に訪れる際に、必ずご本人のお店に行くことにしているそうです。そこには使うことを前提として創られた漆塗りの器が整然とならんでいるのです。

市中さんは言います。
「ぜひ、手に取って、触ってみてください」
その手触り、手に取ったときの納まり、も器の「出来」に含まれるのです。新品だけでなく、時間が経過して、色あせた「色」もまた、いい。そういう僥倖に期待することも許されるのではないだろうか。そう語った後におおらかに笑う、市中さんはそんな人です。


今年1月に仕事で市中氏に取材をお願いすることになり、平田と、春木含め数名のスタッフがお世話になりました。
そのときのインタビューで語られた、創ることの意味と姿勢には大変刺激をうけました。

「内省するということ」
「ホワイトノイズ(無駄だと思える「情報」)を無理に遮断しない」
「言葉で説明し過ぎても駄目。説明できなくても駄目」
「テクニックは磨けるだけに危険。それだけで完成したように思えてしまうから」
「作品という扉を作ると、それを開ける鍵を持っている人が必ずいる」

多くの受賞歴を持ち、日展で特選受賞を重ね、やがて審査員になるも2001年、その日展審査員を含む所属していた全ての美術団体の会員・役員を辞して無所属となり、作品を創ることのみに没頭することを選んだ市中さん。
平田が問い掛けた、
「市中さんにとって漆芸とは何ですか」
という質問の、その答えは
「わかりません。わからないまま、やっております」
でした。

その後につぎ足した言葉が更に印象的です。
「まだ、言葉で“こうですよ”と綴れるだけの哲学も持ち合わせていない、まだそこまで見えていないのですが…、取りあえずメシを食うための手だてでもありますし、自分の美意識を多少でも満足させてくれる作業、でもありますね…その程度のお答えしかできませんけど…。」

市中さんにとって漆芸、芸術とは、自分が生きていくこと、に直結する「作業」。
そう捉えたときに、僕は何故だかとても安心できたのです。

そんな市中さん(どんな?)の作品に触れることができる(買うこともできる)展示即売会「能登の工芸作家展」。
お時間のある方、是非、お立ち寄りください。                  (春木)