くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

5日間だけの宮城県民

2014年08月26日 | 旅日記
久しぶりの日記ですが(^^ゞ
移動中の車内から。
今日から5日間だけ、宮城県民になります。
・・・いやいや、そんなに喜んでいただき、光栄です(マテ)
・・・まぁ、冗談はさておき。
今日から仕事で仙台に行きます。
仕事の本番は明日から何ですが、今年限定で、業務関係の組織のトップに就いてるもので、挨拶回りやら準備やらで前日入りしてます。
尤も、準備は指示して、首を縦に振るか横に振るかの判断をするくらいですけど、トップ(代表)の大切な仕事。
正直?!気持ちいいです(笑)
せっかくの仙台、空いてるのは今日の昼過ぎまでなので、瑞鳳殿と、仙台市博で片倉家(江戸期)の 資料展示が今月一杯らしいので、それを観に行こうと思ってます。

あとは、仕事本番の夜は飲み会ばっかりなんですが、間違って国分町に行かないよう、気をつけてたいと思います。
・・・他社さんが行く!行く行く!!!って言ったら、っと考えますよ、ちょっとね(爆)

そして、仕事明けの金曜日の夜は、楽天×ソフトバンク戦を観戦。
翌土曜日は、白石で、鬼小十郎まつりの練兵に馳せ参じます!
今年も折よく出勤日に当たらないので、許可を得て、参陣します。
台本は着ましたが、お役目は、練兵初日の顔合わせて申し渡されます。
昨年は、全軍の殿を仰せつかりましたが、はてさて、今年はどうでしょう。
ドキドキしますが、楽しみです!

天気がちょっと気掛かりですけど、、、
4泊5日の宮城県民に、これから入ります!

ちなみに、次の週の日曜日にも、仙台に行きます。
一応、仕事で。
これは日帰りですけど、今年も宮城入りが多いです。
宮城にいい人でもいれば、、、。
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正真正銘の筑紫福岡!(後)

2014年07月14日 | 旅日記
動転の九州行きから4年ぶりに福岡へ、研修で来た2日目は大宰府観光。

・・・の前に。
旅に出ると朝早く起きるクセがありまして(^^ゞ
今回も、前日26時まで起きていたにも関わらず、翌日は朝5時半頃には起床。

一っ風呂浴びて身ぎれいにして、誰もいない天神の地下街を抜けて市営地下鉄で(天神中州川端箱崎宮前)、筥崎宮へ向かいました。

大分の宇佐、京都の石清水と並んで日本三大八幡宮に数えられる、由緒ある御社。
一本真直ぐに伸びる参道の先には玄界灘があり、海上交通の守護神として崇敬を受けた由緒を感じます。

重厚で立派過ぎる桧皮屋根を構えた楼門には、扁額には「敵国降伏」の文字が掲げられています。
醍醐天皇、亀山天皇(大覚寺統)が宸筆として残されているといい、扁額として今に伝わるのは、小早川隆景が筑前領主となった折、文禄年間に社宝の宸筆を謹写拡大して掲げたものだそうです。

しかし、どうも...
筥崎宮は、三韓征伐を成した神功皇后を祭神として御座し、蒙古襲来では敵国退散を成した御社として崇敬を受けています。
この扁額も、ひょっとして、太閤の唐入りと縁浅からぬのでは・・・と、邪推しました。
ちなみに、太閤秀吉は筥崎宮へ参詣しているそうです。
短時間ながら、朝の筥崎宮へ参詣した後、今度はJR箱崎駅から博多へ移動して、櫛田神社へ向かいました。

この2日後から、盛大に挙行される博多祇園山笠

その“主催”たるのが、この櫛田神社

博多駅から北へ歩いて10分ほど。

都会の真ん中のこじんまりと鎮座します御社が、かの盛大な祭の主催拠点とは、俄かには信じがたいのですが、準備は着々と進んでいました。

↑櫛田神社内の桟敷席の案内と、結構狭く感じる山笠が巡行地↓

街のあちこちに、出番を待つ山笠がありました。

その一つ、天神駅のすぐ近く、新天町の山笠

和やかなサザエさん一家を飾っている反面には、猛々しく荒々し前田慶次の飾り。

福岡の人は、この祭の事を熱っぽく語るので、いつかは間近で見てみたいですね。

さてさて、私的な単独行動はこれまで。
ここからは、大宰府まで団体行動に移行(^^ゞ
行きは、西鉄の大宰府観光列車[旅人]に乗車。
車外はもとより、車内も、各車両で異なる内装に成ってます。
ちなみに、この列車はこの日が運行開始100日目。
福岡天神駅では、大河を当て込んだ?!ゆるキャラのふくおか官兵衛くんと、福岡黒田武将隊+(プラス)なる武将隊がおもてなしをしてました。

けど、、、
どこの甲冑か、敢えて聞かなかった、いや、聞いても知っていそうになかったので聞かなかったんですが、なんかちょっと、、、
特に、久野四兵衛さんの兜。
角の脇立がペラペラ、、、
肖像画からは中々判別は出来ないですが、ペラペラはちょっと・・・残念な感じです。

さて、先にも触れましたが、大宰府まで誘う西鉄の観光列車[旅人]は、この日が100日目。
混雑することを見越して、早めに発着ホームで並んでみたんですが、それほどでも(^^ゞ
記念して、車内で何かするのかな?!と、期待してみたんですが、ミネラルウォーターとポスターカードが配られただけ。
駅でもてなしていた武将隊も乗り込んでましたが、特に何をするでもなく、ただ、大宰府までの移動手段として乗っている感じ、、、。
観光列車と言っても[急行]なので、通常のと変わらずに急行停車駅に停まるので、つり革に掴まる武将隊と一般客が混在する、若干シュールな光景が見られました。

福岡天神から大宰府までは、直通なので乗り換えなしで、30分程で到着。
昼食を取るお店に大きな荷物を置いて、天満宮へ参拝。
依然来た時は年末、しかも雪が止んだ後だったので、参拝者は疎らでした。

しかし、この日は暑かったですが、天気のいい日曜日だったので、大変な人出でした。

梅が苦手だからか、天神様とはあまり相性がよくないと感じているので(笑)
早々にここを後にして、天満宮の北に聳える宝満山に鎮座します、竈門神社へ向かいました。

縁結びに御利益があるというこで、しっかりと、しっかりとお願いをしました!(笑)

ムシムシした下(天満宮)と違って、竈門神社は宝満山の中腹辺りに鎮座しているので風が心地良く、涼しかったです。

また、ここの社務所が斬新でして。

こんなに綺麗でスタイリッシュなのは、見たことがありません。
巫女さんも、通常より3割増しで美しく見えます!(コラ)

天満宮まで戻るバスが出る30分程、見えないパワーをしっかりと受けて、眩しいくらいに茂る木々の緑と心地よい風を受けていました。

天満宮近くまで戻ってきたのは12時頃。
ここから、高橋紹運が700の兵で島津勢を迎え討った岩屋城を攻めたかったんですが、昼食の時間まで残り時間が少なかったので、暑さもあって、お店に入りました。
岩屋城は、高橋紹運最期の地で、それを偲ぶ石碑などがあるようなのですが、それは次回、涼しい頃を狙って行きたいと考えています。

(攻め方が徒歩しかないので(^^ゞ)

昼食のお店は、地元の寿司屋。
昼から酒をいただく贅沢に浸りながら(笑)
2時間ほど楽しみました。

帰路は、大宰府からバス。
参道に武将グッズを扱う店が在るのを横目に見ながら、(その先の駐車場から)バスに乗り込んで福岡空港まで送って頂きました。

乗る飛行機は17時発。
その2時間ほど前に空港に着いたので、土産を買い、他社さん達と再び1時間ほど酒肴を楽しみ(笑)
今度は間違い無く、無事に飛行機に乗り込みました。

けど、、、
離陸の時になって、操縦席(副操縦士だったかな)から、、、

羽田空港が悪天候で閉鎖されて、全ての離発着が出来ないので、暫く待機している。」

、、、とのアナウンスがヽ(゜Д゜)ノ
許可されて、スマフォの電源を入れて雨雲レーダーを見てみると、東京は真っ赤っか。。。
帰ってからニュースで知りましたが、かなりの雷雨だったようで、、、。
結果、1時間の離陸待機の後、閉鎖が解け、管制官から許可が降りたということで、羽田へ向かいました。
途中、積乱雲に遭って揺れるかな?!と思ったんですが、大したことはなく、飲み物のサービスもスルーされるほどぐっすりと寝てました。

結局、羽田には1時間遅れで到着。
飛び立った前日の朝は活気に溢れていた羽田も、20時近い時間で離陸機が少ないからか、閑散としていました。
ちょっと小腹が空いたので、何か無いかな・・・と探したが、日曜は20時頃閉まる店ばかり。。。
選択肢が少ない中で、レストランを選んで一息。
私は、おかわり自由のコーヒーとクラブハウスサンドイッチを注文し、暫し同僚と歓談してから、帰り着きました。

中々に、濃くて楽しい2日間でした。

≪終≫▲▲▲「正真正銘の筑紫福岡!(前)」に戻る▲▲▲
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正真正銘の筑紫福岡!(前)

2014年07月13日 | 旅日記
忘れもしません。。。
今から4年前の、暮れも押し迫った頃。
いつもの通り、単身で(爆)
柳川の御花史料館で開催されていた「立花宗茂展」目当てに、東京から博多まで新幹線を乗り通して初めて九州に入り、雪の降る中、柳川で目当ての企画展を見、合わせて文書館で開かれていた立花家の文書資料をも偶然満喫。
この後、JR九州の普通電車のクオリティーに感動しつつ熊本に移動し、熊本城大宰府、福岡博多と巡った帰りのこと。
行きは鉄路だったので、帰りは空路をにし、予定していた福岡空港へ行ったら、、、
旅行会社で手配されていた航空券が“p熊本空港発”に?!
頼んでいたのと違うそれに、搭乗手続き直前に発覚!
今更熊本空港へも行けず、慌てて博多駅へ!!
間一髪で、最終の[のぞみ|東京]行きの自由席でなんとか帰った、、、
その時の顛末は、ここに記していますが、実にそれ以来、そう、4年ぶりに九州入りをしました。
今回は研修で、行きも帰りも職場の人(後輩)と一緒だったので、全てその人に手配してもらい(^^ゞ
お蔭で、確実に羽田空港から福岡空港から出入りしました!


研修らしい研修は初日だけ(^^ゞ
それも、飲み会をする方便で開かれているのでは?!(笑)と思いたくなる、二次会デフォルトの研修。
一次会と二次会の合間に、幹事さんのコネで那珂川の遊覧船に乗船。

臨時便のこれは、天神近くの福博であい橋から中州の南端、博多川に別れるキャナルシティ博多近くでを折り返し、再び福博であい橋に戻るもの。
時刻は21時半過ぎ。

夜風が気持ち良く、両岸(お店など)や橋、中にはホテル、それも・・・なところからも手を振ってくれて、また気分よかったです。

それにしても、土曜の夜とはいえ、中州界隈は活気は、新宿や池袋のとは違う雰囲気がありました。


ちなみに、二次会は福博であい橋近くの居酒屋さん。
しめたばかりの、生きのいいイカの刺身や、明太子のおにぎりなどが出てきて、美味かったです。

けど、大半は、飲むか話すかのどちらかでしたが(^^ゞ

二次会後は、福岡で合流した職場の人達と人生3度目のトンコツラーメンを、一蘭総本店で食らいました。
けど・・・改めて、私には合わないことを確認して、ホテルに戻りましたorz

いや、しかし、噂には聞いていましたが、福岡の屋台の数は半端ないです。
しかも、日付が変わり、時が深夜に至っていても、どこも盛況、満席です。
土曜日の夜という事もあったからかと思うんですが、、、
福岡、恐るべし!です。

天神近くの宿に戻った時、時刻ははや、26時近くでした。。。

続きは◇「正真正銘の筑紫福岡!(後)」▼▼▼にて

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疾走の参ヶ月│追嵐の九月/第六段

2013年12月26日 | 旅日記
いきものがかりライブ翌日。
早足で駆け抜けた台風一過、山側から海側へ。
海の幸を堪能した松島を出て、次に向かったのは多賀城です。

今から1,200年余も前。
大和朝廷が律令制度を基軸として、次第に勢力を伸長。
今の日本の原形たる国家が形成されていく過程で、陸奥国府と鎮守府(将軍)の政庁として、大和朝廷北端の地の経営と蝦夷討伐を担っていた城府。

その活躍は築城から150年余。
貞観11年(869)に発生した、先の震災に類する巨大地震の被害を受けたり、律令制度の弛緩、蝦夷討伐の北進に伴う拠点(城柵)の移動などが、背景にあるようです。
城府が廃れた後、2度に渡る奥羽兵乱(前九年、後三年の役)や、鎌倉幕府滅亡後の動乱期に陸奥太守義良親王(後醍醐院七宮、後村上院)を奉じた北畠顕家(陸奥守兼鎮守府将軍)が、奥羽鎮定を目的として“陸奥将軍府”を置いたが、何れも一時的。
前者は、攻め手に合力した藤原清衡が漁夫の利を得て平泉に拠点をき築き(奥州藤原氏)、後者は敵対する北朝勢の攻勢に押されて退去。
以後、現在に史蹟として省みられるまで、城が重要な役割を担った室町以降で活躍を見聞する事なく、歴史の中に埋没してしまいます。。。

斉藤実(第30代内閣総理、海軍大将まで昇進、226事件で横死)揮毫の石碑が、正殿北側に建ってます。

史蹟は、最寄りJR東北本線国府多賀城駅から歩いて5分程。

発掘と調査研究が進められているせいか、随分と整備されていて、往事の規模を伺い知ることが出来ます。

中世以降の城とは違い、街が城壁の内側に造られて一体化している中国の城を模した中央の京を手本として築城されたので、城内がとても広いです。

なだらかな丘陵地に築かれていて、遠くも見渡せるので、城らしいと言えば城らしいんです。
けど、攻められることを想定していない城という印象です。

それは、政庁としての機能も有していた、大和朝廷の力を示す事も考慮していたから、かもしれません。。。


政庁(正殿、脇殿)を囲むようにしてある築地塀の南側に設けられた南門。
坂下の外郭南門を介して南北大路へと繋がっていました。
今は海は望めませんが、往時はきっと、海岸線は多賀城に近いところだったと推測されます。

(築地塀の)南門址を通り、白砂利の先に在るのが、(手前から)石敷広場(上)と政庁正殿(下)です。

政庁正殿には、表を奥の2棟が南北に続いています。

脇殿も近くにありますが、址だけ見ると、それほど大きい建物とは感じません。
けど、築地塀際まで移動して見ると、敷地的には結構広く感じます。

また、築地塀の外には堀らしき高低差がありました。

多賀城外(旧東門)には、陸奥国内の各社諸神を一社に集めた陸奥総社宮が鎮座しています。

これは、国内の諸社への参拝をしなければならない国司の任務を省くために創建されたそうで、表には、陸奥国内の諸社名が列記されている看板がありました。

ただ、総社宮自体(本殿)はこじんまりとしていて、とても質素。

一見すると地域の(少し大きめな)鎮守様の様ですが、いざ、中に入ると何とも言えぬ雰囲気。
住宅街の外れに在って静かではありますが、多少の喧騒をも呑み込んでしまいそうな静けさがありました。

凛とした気持ちになってここを後にして、この近くに在る荒脛巾神社に参ろうとしたのですが・・・見つからず。
スマホの地図アプリを手に行ってみたんですが、やっぱり見つからず。
この後のことを考えて仙台へ向かうべく、無念にも諦めて国府多賀城駅へ向かいました。
ただ、、、
途中、「あらはばき神社」と書かれた石柱を見付けてはいたんですが、そこへと誘う道の先がどうにも民家の玄関口に見えて引けたのですが、実はその先に在ったようで、、、。
今度機会があれば、勇気を出して行きたいと思います(^^ゞ

思いもよらず大規模な城割だった多賀城を1時間半掛けて周って、国府多賀城駅に到着。

時間が有れば、多賀城とは反対側に在る「東北歴史博物館」も見てみたかったんですが、、、
15:56発の東北本線[普通|仙台]行きに乗って仙台に戻りました。

仙台には16:12に到着。
復路の新幹線の出発は19時少し前だったので、それまでの時間、仙台圏の電車をちょっと堪能。
仙台以北や以西の電車は1時間に2~3本程度でしたが、以南、岩沼や仙台空港方面との電車はひっきりなし。
仙台の1駅南で市営地下鉄の接続している長町には、編成が短いとはいえ、事実上3路線(東北本線、常磐線、仙台空港線)が通っているので間隔も短く安心。
白石行き電車も24時跨ぎで運行していました。
流石は東北唯一の政令指定都市・杜の都仙台です!

再び仙台駅に戻り、帰路の準備。
まずは、日本酒を求めて駅地下街へ。
実は前日、ここで日本酒の即売会が行われていたので気になっていて、もう一度行ってみたら・・・!やってました!!
そこで、販売員さんに「ここでしか買えないお酒があればください」と言って買ったのが、「蔵王」です。
残念ながら、肝心の画像を撮り損ねたのと、既に飲み干してしまったので、情報はうる覚えですが(^^ゞ
この前に、同じフロアー内で笹かまぼこも買っていて、「新幹線の中で呑むつもり」と言ったら、試飲用のカップを、落とした時用にと2つくれました。
何とも心優し気遣いでしょう。。。
それに感謝して、新幹線改札口内へ。
ここに在るコンビニで、どうしても食べたかったはらこめし弁当を買って、予約していた[やまびこ156号東京]行きに乗車。
早速、笹かまとはらこめしを肴にいただきました!
いやはや、実に美味しかったです(笑)

新幹線は仙台始発。4分後の[はやて、こまち]に福島で追い抜かされる所為か、はたまた火曜日の夜だからか、車内は随分と空いていました。
お蔭で、ゆっくりと楽しめましたが(笑)
福島で[はやて、こまち]の通過(追越)待ちの間、新庄始発の山形新幹線[つばさ156号]と連結。

待つ[やまびこ](上)と突き迫り来る[つばさ](下)

両編成、合体(ドッキング)の瞬間!は、良い子と仲良く、興奮しながら見守ります(^^\)

10分近く停車の後に東京へ向けて再度出発。
仙台出発から2時間ほど掛けて東京に到着。
ここから更に自宅まで、路線を乗り継いで行きました。

台風に追い駆けられた時は、ライブどうなるのかが心配でしたが、終わって見れば、実にいい、感動的な2日間でした!

なお、「追嵐の九月」はまだまだ続きますが、それは新年明けてからといたします。

▼▼▼第五段|疾走の参ヶ月◇追嵐の九月|第七段▲▲▲

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疾走の参ヶ月│追嵐の九月/第五段

2013年12月25日 | 旅日記
いきものがかりを追ってやって来た仙台。
その後を追って来た台風の所為で開催が危ぶまれましたライブもは、台風が足早に去ってくれたお陰で何とか開催!
至近距離でメンバーが見られて大満足しました。

それから一夜明けて。
一っ風呂浴び、朝食を取って身支度を整えて、いざ!仙台市街に出ました。
台風一過で朝から快晴!
気温は、相変わらず暑く、陽射しが力強過ぎました(^^ゞ
この日は平日で、朝のラッシュの最中に地下鉄で移動して、向かっ先は北仙台
前日に果たせなかった青葉神社に参りました。

ここ最近、お手伝いで参陣している青葉まつり(5月下旬開催)の起点たる御社なので、仙台入りしたら真っ先に参りたかったんですが、台風に阻まれたので改めて。
諸地周遊の一番手に参りました。
本当は日の出の頃に来たかったんですが、起きられず(^^ゞ
朝の8時過ぎに来ましたが、いいですね♪朝の神社は。
ゆったりとした時の流れる中で、清々しい気持ちになれます。。。

大規模な青葉まつりの起点なので、それに相応しく大きな構えの御社を(勝手に)想像していたんですが、意外にも、住宅街の一画にこぢんまりと在る御社でした。

この後、通勤通学の為に駅へ向かう人の流れに乗って、次の目的地へ行くために仙山線北仙台駅へ。
途中、支倉六右衛門常長が眠る松陰山光明禅寺(臨済宗東福寺派)を門前(階段下)から拝見。
 
その先(北仙台駅寄り)に鎮座します鹿島神社も鳥居前から詣でて向かいました。

足早に行った甲斐あって、予定どおり、8:22発の[仙山線快速│山形]行きに乗って宮城を出て、山形の山寺に行きました。

フリー切符(仙台まるごとパス)はここまで有効なので、凡そ10年振りに来ました。

その時も、JR東日本が当時発売していた“土日切符”というフリー切符を使って、(日帰りで)米沢から仙台に出て帰る途中に寄りました。
その時は確か晩秋から初冬に掛けての時期。
曇天で寒かった印象がありますが、今回は、台風一過の晴天!
しかも、9月半ばだというのに暑い暑い(^^ゞ
噴き出す汗を拭いながら、前回は駆け足で、45分程で往復しましたが、今回はゆっくりと、2時間程掛けて往復しました。

連休明けの平日だったからか、参道を上り下りする人は疎らだったので、(時間以外は)何の気兼ねなく参れました。

山寺麓の立石寺根本中堂

立石寺根本中堂の隣に建つ山寺日枝神社
この先に在る山門が、奥之院までの登山口(石段)となっています。

奥之院まで道すがら、名所が随所にあります。
その一つ、山門から登ってすぐのところに建つ姥堂。周りの緑が心地よかったです。

奥之院の玄関口に在る仁王門と、その先に在る寶珠山金乗院(天台宗)。

その上に在る中性院の前に、最上義光の御霊屋が在りました。

中性院もまた、羽州新庄城主戸沢家と所縁有るお寺さん・・・の様ですが、真新しい札に「戸沢上総“佐”(=正しくは“介”)」と書いてあったのには、ちょっと。
・・・もしかして、位牌にはそう書いてあるのかもしれませんが、、、。

さて、奥之院(大佛堂)はこの更に上に在ります。
 
ここからもう少し上、五大堂へ行きました。
 
ここからの見晴らしは抜群です!
台風一過、澄んだそれゆえに、余計気持ちよく心地よかったです。
 

この後、山から一転海を目指して!
山寺10:55に出る[普通│仙台]行きに乗って(一旦)仙台へ向かいました。

往路は快速でしたが、復路は普通だったので時間はちょっと掛かり、山寺から1時間程掛けて仙台に到着。
これで午前は終了です。
この後、今度は(山側から)海側に出るべく、仙石線に。
12:07発の[快速│高城町]行きに乗って松島を目指しました!
けど、仙山線の仙台着は12:05だったので、着いて猛ダッシュ!!で、何とか間に合いました(^^ゞ

松島には2ヶ月振り。
その時行った瑞巌寺に再度参り、歴代仙台候とその子女の御位牌(食堂に安置)、初代政宗公と次代忠宗公の御位牌をじっくりと拝してきました。

この後、松島さかな市場に在る「かき小屋」へ行きました。
瑞巌寺同様、7月にも来ましたが、また牡蠣が食べたくなって来ました(≧▽≦)
前回は焼き牡蠣だけをここでは食べたんですが、今回は、その時食べたかった定食、しかも貝尽くしのを頂きました!

美味かったですぅヾ(≧∇≦)

松島は、これにて終了。

入りは仙石線松島海岸駅で降りましたが、出は、松島市街から少し離れた所に在る東北本線松島駅から仙台行きの電車乗って行きました。

ちなみに、この川向こうに在る仙石線の高城町駅から先は、津波の甚大な被害を受けて運休していて、バスの輸送代行(松島海岸駅が起点)になっていました。
松島市街も津波の被害を受けていましたが、湾内に大小幾つも在る岩礁がその力を軽減させたので、甚大な被害を抑えることが出来た・・・と聞いています。

▼▼▼第四段|疾走の参ヶ月◇追嵐の九月|第六段▲▲▲
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疾走の参ヶ月│追嵐の九月/第四段

2013年12月24日 | 旅日記
いきものがかりに逢いたくて!
本州に強襲接近(上陸)してきた台風に追われるようにやってきた仙台。
着いた直後は曇り空だったんですが、それもほんの少しの間だけ。
新幹線から見ていた(道中の)強風雨に変化。
それを押して、玉手崎の仙台東照宮に参拝し、別院の仙岳院を外からうかがって仙台にリターン。
接近しつつある台風に備えて仙台圏のJRが全線運転見合わせとなるのを間一髪で交わして、市街へ。
祭友さんから勧められた仙台市役所近くの「利休」へ、地下鉄で向かいました。

日曜の昼中でしたが、台風接近中だからか、はたまた、官庁街だからか、街はどこか閑散としていて、利休も空いてました。

青葉まつりの時の賑わいしか知らない私にとって、この閑散ぶりは、ただただ驚きです(^^ゞ
さて、カウンターの席に案内されて、注文したのはこれ。

このお店独自のメニューらしいです。いやぁ~、美味しかったです(*´∀`)!

満腹満足して店を出ると、雨だけ止んでいました。
これは、どこかへ参らねばなるまいて!と思い、近くの仙台市役所前のバス停から、仙台の北西、乾の方角に在る仙台総鎮守の大崎八幡宮へ参りました。

漆黒の造りに金襴の装飾が映えて、ついつい見とれてしまいます。。。
 
この2ヶ月程前にも参りましたが、その時は車で一気に本殿近くまで乗り込みましたが、今回は作並街道から石段の参道を登って参りました。

両側の木々が、台風の雨で水を得て心地よかったです。
正に、パワーをもらっているかのようです(笑)

大崎八幡宮へ参った時、強風雨は止んでいましたが、それも束の間のこと。天気は悪化する一方。。。
この後、ライブに関する情報が公式サイトに上がる!とのことだったので、スマホの電池補給も含めて今回の本陣に戻りました。
そこまで市バスに乗って行きましたが、仙台駅近くの本陣に戻る頃には再びの強風雨。
先が思いやられました、、、

ライブ開催の有無について、公式サイトで“14時に発表”と掲載されたので、その時を、固唾を飲んで待っていました。

多くの人がアクセスし、リロードしているのか、接続しづらい状況に(若干)焦りと苦慮しつつ、、、
予告の14時を15分ほど過ぎて、最新情報が漸くアップされました。
そこには、、、

“ライブ決行!”と、しっかり載ってました!!

この報に勇躍して、身支度を整えて、本陣を出発しました。
仙台圏のJR各線は昼から未定で全線運転見合わせをしていましたが、そんなこともあろうかと、仙台駅近くとライブ会場(セキスイハイムスーパーアリーナ)を結ぶシャトルバスのチケットを前日に購入していたので、安心して、その乗り場から向かいました。
電車が動いてないからか、事前予約なしでも乗れたようですが、備えあれば憂いなし!とは、正にこのことですね(笑)

台風は、足早に私を追い抜いて行ったようで、15時頃には強風雨も収まり始め、西の空には雲の切れ目と晴れ間が覗いていました。

ライブ会場の には16時前に到着。

雨風を凌ぐ人で、開いているスペースは大混雑。
どこか開いているホール等広いスペースを開放すればいいのに・・・と思いつつ、待つこと30分ほどで会場入りが開始。
雨風を凌いでいた場所(建物)から一旦外に出て行くことに軽い衝撃を受けつつ、チェックを無事経ていざ!中へ。
全席指定の会場で、私の席は「35列目22番」
一体どこなのか、事前に調べましたが一向に判らず、近いのか遠いのか不安になって会場に入って見ると、、、
中通路に面した場所!
しかも、その右手10m程先にはステージらしきものが!!
ますます期待が高まる中、ライブは予定より1時間遅れて開始!
音(楽)と連動して光る最新式のリストバンドを装着して、最新アルバム「」の楽曲を中心に、私も合わせて熱唱したりして(笑)
大いに楽しみました!!
←まるでカラータイマー。他の色にも変化します。→
そしてそして!ライブの中盤!!
予想していた通り!メンバーが会場中央の特設ステージに移動!
その途中、距離1m程前メンバーが通り過ぎて行きました!!!
もう、大興奮です(爆)
この特設ステージでは3曲、バラードなどを披露してくれました。

全部で何曲だったか、正直覚えていないんですが(^^ゞ
台風で中止も危ぶまれた今回。
仙台圏のJR各線が運転を再開したのが18時だったらしく、諦めたり、間に合わなかったりしてか、空席もちらほらありました。
そんなんで、メンバーからは「来てくれてありがとう!」と何度も言われて、感動でうるっとしました(笑)
昨年の新潟以上に盛り上がりました!

ライブは、帰路の事も考えて、と、21時前に終了orz
またシャトルバスに乗って仙台に
戻り、本陣が無料で出すラーメンを一杯食らって湯(温泉)に浸かり、出張のサラリーマンよろしく、部屋でビールを飲んで休みました(笑)

▼▼▼第三段|疾走の参ヶ月◇追嵐の九月|第五段▲▲▲

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疾走の参ヶ月│追嵐の九月/第三段

2013年12月23日 | 旅日記
本州のど真ん中へ接近しつつあった台風に追われるようにして入った宮城の仙台。
目当ての、いきものがかりのライブは夕方だったので、それまでいろいろと巡る計画を立てていたんですが、台風の接近で、ライブ自体の中止さえあり得る状況。
ライフの開催情報を逐次確認しつつ、(やっぱり)せっかくなので仙台市街近くだけを巡ることに。
そこで向かったのが、青葉神社です。
JRあおば通駅のみどりの窓口でフリーパスを購入し、最寄りの北仙台まで市営地下鉄で向かいました。

北仙台までは、地下鉄仙台駅から10分ほど。
地下鉄は4両編成なので混んでいましたが、本数もたくさんあるので便利でした。
けど、地上の状況が判らないのと、一瞬方向感覚を鈍らせるのが(地下鉄の)難点(^^ゞ
地下に潜った時は、まだ、何とか耐えられる風雨でしたが、北仙台駅地下から地上に上がったら、暴風雨、、、。
それに動揺したこともあってか、後で知ったんですが、青葉神社とは別方向に歩いていてました、、、。
余りの暴風雨に参ることを断念し、北仙台から撤退。
JR北仙台駅から、仙山線の[普通│仙台]行き乗って移動しました。

しかし、何も見ずして行くのは如何にも無念!なので(^^ゞ
北仙台の次、東照宮で下車して、伊達政宗公が勧進した仙台東照宮へ参りました。

東照宮までは、駅から歩いて3分ほど。

この時は風雨も控えめだったので、難無く行けました。

本殿に続く石段の両脇には、仙台伊達家一門や家臣らが献納した石灯籠が並んでいます。
 
普通は何も注目せずに通り過ぎて行くと思いますが、石灯籠一基一基に献納者の情報が彫り込まれています。

一基でもじっくり見ると、往時を偲ぶことが出来、名のある、知っている人のを見つけて楽しめる、と思いますので、是非是非気に留めてください(笑)

台風の接近する最中なので、境内には誰一人いません。
社務所は開いていましたが、私を見付けて「こんな天気の中でよく来たね」という視線を感じました(苦笑)

次の電車の時間も考慮しながら、本殿に詣でてぐるりと一巡りして、ここを後にしました。
すると、その途中、東照宮と駅との間に、仙岳院なる天台宗のお寺を発見。

東照宮の別院で、陸奥守忠宗公が建立したとかで、山門が開いていたのでちらと中を覗いてみましたが、木立と悪天の所為か、薄暗く、それより先に行き難い雰囲気。
ただ、山門前には、、、
東武皇帝御座所
、、、なる、見逃し難い文字が!
説明によると、戊辰の役の時、不埒な薩長に対抗するために組まれた奥羽越列藩同盟に推戴された輪王寺宮公現法親王が、江戸上野から仙台に移られた折に御座所としていたのが、ここ、仙岳院だったそうです。
尊皇佐幕の私にとっては、是非とも立ち寄りたかったんですが、、、
今後の事も考慮して、無念の回れ右!(いや、正確には左(^^ゞ)して駅方面に。

市営バスバス停があったので時刻表を確認すると、既に行った後だったので、予定どおり、東照宮駅から仙山線に乗って仙台駅に向かいました。
←東照宮駅とその由来説明板→
仙台駅には、ほぼ定刻どおりに到着。
ちょうど昼に入ったところだったので、目当てのところへ行こうと駅構内を歩いていたら、、、

「台風接近により、12:30から仙台圏の在来線が全線運転見合わせ!」

、、、の構内放送が。
いやいや、間一髪!
仙山線も、乗ってきた電車がとりあえずの最終でした。
よかった・・・と思う反面、ライブ会場は仙台から電車とバスを乗り継いで行かなければ行けないところ。
ますます暗澹たる気持ちになりました。。。

↓仙台駅構内、ホーム連絡通路には、エリア内路線図と各駅の由来説明板がありました。


▼▼▼第二段|疾走の参ヶ月◇追嵐の九月|第四段▲▲▲

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疾走の参ヶ月│追嵐の九月/第二段

2013年12月22日 | 旅日記
8月に続き9月にも、第一段で触れたように遠征をしました。
けど、8月のはほぼ仕事に便乗してのに対して、9月のは前段以外は私的。
しかも、後段触れる新潟以外は何れも(目的地が)宮城でした。

話はこれから3ヶ月ほど前の6月。
私が愛して愛して愛して止まないいきものがかりの6枚目のアルバム「」を購入した時に遡ります。
ここ最近、アルバムを買うと特典としてライブの先行予約(抽選式)が出来るので、今回も、昨年の新潟に続いて申し込んでみました。
すると、それから約1ヶ月後の8月初旬、当選のメールが届きました(*^ー゜)b
それから、すぐさまえきねっとで新幹線の予約をし、旅行サイトで宿の手配をして、その日を待ちました。
勿論!空いてる時間で観光も目論んでいました(笑)

そして、いよいよその日!は、前回の白石遠征から半月後の16日(月)。
宮城の利府町に在るセキスイハイムスーパーアリーナで開催されるいきものがかりのライブへ単独で乗り込むべく、向かいました!

・・・が!
こんな時に限って、台風が日本列島に接近、上陸しようとしていたのです。

何という事でしょうorz、、、

ライブ3日前の予報からそうなることは覚悟していましたが、ライブが決行されるか、気が気ではなかったです。

宮城に向けて自宅を出発したのは朝の5時半頃。
関東は、嵐の前の静けさか、薄日が射すほど穏やかでした。
荒天による新幹線等の運転見合わせも考慮して、車で行くことも直前まで考えて、どうしようかと大いに迷ったんですが、朝早い新幹線を予約していて、台風の影響を受ける前に宮城入りできる判断して、当初の計画通り、新幹線で行くことにしました。
ちなみに、新幹線で行くというある意味賭的な判断したのにはもう一つ、(往路が)E5系の新幹線だったからです(笑)

件の新幹線は、東京発7:44→仙台着10:01[やまびこ205号仙台]行きで、白石蔵王以外は全て停まります。

秋田新幹線E6系を連結していますが、今回はE5系に乗車。いつかはE6系にも乗りたいです!ね。

初めてのE5系。
グランクラスとグリーン車は遠慮して普通車の指定にしましが、それでも十分!

ただの移動するための手段という概念しか感じられない西行きの新幹線に比べれば、もう、言うこと無し(爆)
快適な旅が出来ました(*^ー゜)b
グリーン車↓と、扉の向こうがグランクラス↓ちょっと、敷居が高く感じて入れませんでした(^^ゞ
 

さて、気になる天気なんですが、、、
自宅最寄り駅を発って暫くは曇天でしたが、東京に着いた6:30頃には風が強まり京葉線アウト!
西行きの新幹線も抑止が掛かっていたようで、改札前は大混雑
片や北行きのは、上越長野がアクシデントで止まってましたが、東北新幹線は異常なし!
乗車した[やまびこ205号│仙台]は東京を1分遅れで出発しました。

この頃、外はもう横殴りの雨。

特に埼玉県内を走っている頃が一番ひどかったですが、奥州に入ると、多少台風から離れたからか、降ったり止んだりしていました。

福島駅は、ある意味ひどかったですが、、、。
←雨漏りを座布団で受け止めてます(笑)
新幹線はほぼ定刻通りに走行し、終点の仙台に到着。
その時は風が強く吹いていただけでしたが、間もなくして、雨も降り出しました。
降り方も、一気にザッと、そこに強風なんで難儀しました(^^ゞ
そんな中、宿に荷物を置いて身軽にして外出。
仙台に着いて直ぐ、市営地下鉄にバスまで乗れる仙台まるごとパス(フリー切符)を買おうとと思ったんですが、みどりの窓口には長蛇の大行列、、、。
びゅうカウンターも同じくだったので、隣駅で仙石線の終点・あおば通駅に向かいました。
隣駅と言っても直ぐ近く、地下道でも結ばれていて歩いていける距離で、ここにもみどりの窓口が在るので行ってみたら・・・予想的中!
規模は小規模でしたが、仙台駅に比べれば雲泥の差。
ちょっとの順番待ちで買えました!(笑)
そこから、また歩いて直ぐの市営地下鉄仙台駅から北仙台へ移動しました。

▼▼▼第一段|疾走の参ヶ月◇追嵐の九月|第三段▲▲▲

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疾走の参ヶ月│追嵐の九月/第一段

2013年12月21日 | 旅日記
疾走し、怒濤の如く過ぎ去った8月から10月までの3ヶ月。
2ヶ月目の9月も、8月に続いて泊まり掛けの遠出を2度しました。

・・・いや、厳密に言うと2.5回です。
・・・と言うのも、目が覚めたら9月1日になっていたので(^^ゞ
その始まりは8月の31日(土)。
日帰りで敢行した奥州白石からの帰りでした。
いろいろご縁があって、ここ数年奥州方面に出張ることが多くなりましたが、今回は、念願の「鬼小十郎まつり」への参陣準備の為でした。
今まで何度か見学はあるこのお祭りですが、志願し、参陣叶ったのは今回が初めて。
この日は、参陣者の第1回練兵の日。
呼集は白石城下に在る白石市役所に午前10時!
噂に聞きし祭へ参陣叶ったことに、ご助力頂し方々への感謝の念を胸に込め、勇躍して乗り込みました(笑)

けど、、、
自宅から白石までは、車で凡そ5時間強。
常磐道から磐越道を経由して東北道に入るルートが一般的で早く着きます。
しかし、どうにもこの経由する磐越道が苦手で(^^ゞ
ここ最近は、自宅から真北の方角に在る矢板から東北道に入り、そこまでは一般道を通るルートにしています。
一般道とはいえ、市街地を通るのは少しだけ。
大半は、総野の田園地帯を走るので、交通量も信号も少ないので、比較的快適な走行が出来ます。
今までの平均から5時間強程とみて、準備を進めていましたが、、、
残念ながら、身支度が円滑に整わず、出だしに失敗。
出発予定から30分程遅れてしまいました。。。
出張明けて、前日は結構な仕事量でしたが何とか目処と見切りを付けて早々に退勤し、一っ風呂浴びて就寝して、備えていたんですがorz
、、、

矢板から東北道に入ったのは8時前。
土曜日だからか、一般道に比べて混んでいた東北道を力を入れて激走し、何とか、何にも捕捉されず、10分程度遅れて到着しました(^^ゞ

受付で今回の参陣金と支払い、資料と共に(申し)渡されたのが、今回のお役目。

片倉軍五番隊槍持ち

殿
(しんがり)であり、真田軍は片倉軍の前に出陣するので・・・全軍の殿!とのこと。
身の引き締まる思いでした(^^ゞ

さて、10時から始まっ(てい)た軍議では、各隊前に出ての自己紹介。
(出番には間に合っていたので)取りあえず、期待には少し応えられたかな?!と、思います(爆)

この後、隊内の自己紹介をして、昼餉を挟んで白石城本丸御殿址で練兵開始。
まず、居合の先生から槍の扱い方を手解きを受けました。
石和や上越、米沢などでも槍は持ちますが、行軍中のみなので、参考になりましたφ(.. )

扱い方の手解き受けた後、いよいよ全軍での練兵。
途中、奥州片倉組の片倉小十郎景綱殿が指導に加わり(私もお相手をして)、凡そ2時間行いました。
最初は軽い気持ちで(正直)臨みましたが、終わる頃には汗だくな程しっかりとやりました(^^ゞ

全軍での練兵後は、2度の合戦で手合わせする真田軍五番隊槍持ちの方と打合せ。
試行錯誤しながら案を出し合い、取りあえず型を決め、次回の練兵までにより精度を上げる、考えるという課題を持って、この日は終わりにしました。

本番前に練兵をする祭りは少なからずありますけど、多くは責めて前日。
それを3度も!日を別に行うのには最初閉口しましたが、やってみると、楽しかったです(笑)
ダラダラしたものではなく、しっかりと、細部にまでこだわっていて、主催者側のやる気と熱意を感じ、こちらの士気も上がりました!

練兵は15時過ぎまで行われ、その後、個々で打ち合わせをしたり、祭友さんたちと暫く話をしたりしてから帰路に着きました。

ただ、前日の仕事後、あまり休まずに来たので、練兵が終わった安堵感からか、疲労と睡魔に断続的に襲われて、小刻みに休みながら(運転して)帰り、最後、取手市内のコンビニで一眠りした時に、9月を迎えました(笑)

本来なら、9月の29日(土)に行われる2回目は、翌日(30日(日))が仕事なので参加しない予定だったんですが、、、
あまりにも面白かったので、思わず“参加”しました。
その時のことは、また別に、、、。

▼▼▼第七段│八月の連洛◇疾走の参ヶ月◇追嵐(おいらん)の九月│第一段▲▲▲

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疾走の参ヶ月│八月の連洛/第七段(終)

2013年11月24日 | 旅日記
8月下旬。
中2日明けての京滋方面に3日以上の出張。
その後半は、前乗りして洛中洛外の観光。
それも、仕事が始まる直前までしていました(^^ゞ
その最後、昼食を取りに烏丸御池に出ました。
目当ての店は「伊右衛門サロン」。
あの“伊右衛門”茶を出しているサントリーが作ったカフェで、美味しいお茶と食事が頂けます。
場所は、烏丸御池駅から南(京都駅方面)へ、烏丸三条交差点を右に、路地のような三条通を入ってすぐのところに在ります。

着いたのは11時30分過ぎでしたが、店内は混雑気味で、暫し待って、席に通されました。
何にしようか思案していると、、、
伊右衛門サロンは今年で5年目だそうで、その記念メニューが期間限定あったので、それにしました!

会席料理(コース)のように、料理は順番に。
まず出てきたのは食前茶で、水出しでじっくりと淹れたお茶。
苦みの中に柔らかい甘味があって、とっっっても美味しかったです!

続いて、5種を盛り合わせた前菜。

メインはローストビーフ。
ご飯とお味噌汁と共に頂きましたが、もう、実に美味しかったです!

食後のデザートは焙じ茶のぜんざいと温かいお茶。

ちょっと歩き廻った身に、この優しい甘さは十分な癒やしになります。
また、温かいお茶が、心身をホッとさせてくれました。

ここで十分な英気を養って、いざ!仕事に臨みました!!

仕事は、ホテルに3日間缶詰にされての勉強会。
けど、いろいろな情報交換が出来たので、有意義でした。
また、泊まりがけなので宴会もまた盛大に(^^ゞ
連日夜中まで遊んで・・・もとい、親交を深めていました。
京都の人には笑われましたけど(笑)
1次会が終わってから、誰かの発案で夜の10時過ぎに伏見稲荷へ行ったりもしました。

↑伏見稲荷本殿

伏見稲荷が鎮座します稲荷山の参道全体に並ぶ鳥居。
不思議とノスタルジックな雰囲気を感じます。
昼よりも、やっぱりここは朝夕か夜に参るのがいいですね。


そして3日目。
仕事は15時前に終了しましたが、18時半頃の新幹線の指定を取っていたので、それまで、ええ、勿論!廻りましたよ、洛中を。

まず最初に行ったのは、建仁寺近くに在る祇園の甘味処「祇園きなな」です。

職場の上司に勧めらたそこは、小路を入った先、静かで風情有る街の中に、ひっそりと在りました。
知ってる人のみが来る、といった感じです。

着いたのは16時頃。
少し待ってから、2階に有る席に通されました。
路地に面したテーブル席に掛けて待つこと暫し。
注文の品がやってきました!
きななハポン”です。

・・・ええ、それはもう、柔らかく優しい甘さで、とても美味しかったです(*´∀`)
ゆっくりと、一息つけました。。。

この後、糺の森下鴨神社へ。

暫しここで佇み、身も心も落ち着かせ、パワーを頂いて、、、

ホテルに預けた荷物を受け取って、京都駅に向かいました。

東京までの約2時間、ビールと弁当で過ごそう・・・と思ったんですが、これといった弁当が無いorz
どうしようか・・・と思案していると時に見つけたのが、蓬莱豚まん
結構並んでて、新幹線に間に合うか?!ドキドキしながら2個入りをゲット!
ギリギリセーフ!で乗り込んだ新幹線の中で、冷めない内にビールと一緒に頂きました。

余りにも有名な蓬莱(551)の豚まん、今回初めて食べましたが、うん、旨いですね。
並びたくなる気持ち、解ります。
2個だったのであっという間に無くなったのが痛恨時でした(^^ゞ

これで連洛の出張は終了。
出張明けの金曜日職場に出勤し、ヘビーな仕事を取りあえずして、翌土曜日は奥州白石へ!
その記録は、別に改めてm(_ _)m

(八月の連洛/終段)

▼▼▼第一段│▼▼▼第六段│八月の連洛◇疾走の参ヶ月◇追嵐の九月│第一段▲▲▲
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疾走の参ヶ月│八月の連洛/第六段

2013年11月23日 | 旅日記
8月下旬。
中1日明けて京滋方面に出張。
前半のは滋賀に居ましたが、後半は京都市街洛中の五条を拠点としていました。
後半の出張では前乗りして洛中洛外を巡り、出張仕事始めの日も、午後一までに行けばよかったので(^^ゞ
それまで、いま少し廻りました。

初めての町屋宿。
朝食は8時から、宿の斜向かいに建つ家の居間で取りました。

何だか、ここも含めて人ん家に来たかのような錯覚に陥る空間(雰囲気)でした。
ただ、同宿の人達ともうちょっと交流出来るかな?!と、思ったんですが、それが全く無かったのが残念です。

さて、朝食を取ってすぐさま荷物を持って宿を後にし、路地を歩いて西洞院通へ。
ここからバスに乗ってすぐ、五条通と交差するところで降り、この日から3日間仕事場となるホテルに大きな荷物を預け、最寄りの地下鉄五条駅から烏丸御池で東西線に乗り換え、西行き終点の太秦天神川駅に出ました。
ここ(ロータリー)から、バスで移動し、揺られること30分ほど。
バスの終点・洛西松室の鈴虫寺が、この日最初の目的地です。
正しくは妙徳山華厳寺という臨済宗のお寺さんなんですが、鈴虫の音が一年中聞こえることでまず有名。
そして、願いが必ず叶う、草鞋を履いた幸福地蔵様でも有名で、連日、茶菓子付き法話と御守りなどを求めて参拝者が後を絶たず、この日も、着いたのは開門から30分ほど経って頃なんですが、すでに順番待ちの列(^^ゞ
ただ、私はここの茶菓子付き法話を何度も聞いてますし、このあとの時間も無かったので、御守りと願掛けのみをして、ここを発ちました。

次の目的地へ移動するのにバスが・・・発車まで暫く有ったので、前々から気になっていた“竹の寺”案内板に誘われて、路線バス駐車場脇の階段を上って行きました。

誘われた先は、竹の寺とも呼ばれている臨済宗の衣笠山地蔵院です。

鎌倉初期に公卿の山荘として建ったのが遠祖で、室町初期、細川頼之がここに地蔵院を建立して、今日に至っています。
鈴虫寺には何度も、この近くの苔寺(西芳寺)も、外からだけですが、何度も見ています。
けど、ここには今回初めて寄りましたが、いや、今まで何て損をしていたんだろう・・・と後悔するほど、いい雰囲気でした。

行った時(10時前)、境内の手入れをしている最中でした。
バスが出るまでの間に立ち寄るつもりだったので、中には入らず表だけでしたが、今度、機会があれば是非ともゆっくりと観たいと思いました。

今度は始発の苔寺・鈴虫寺バス停からバスに乗り、渡月橋や嵐山を横目に太秦天神川駅まで乗車。
ここから地下鉄に乗り、向かった先は二条城です。

清水寺と同じく滅多に来ませんが、不思議と今回登城したくなって、多分、12年ぶりくらいに行きましたが・・・まさかの登城差し止め(お休み)でしたorz
しかし!せっかく来たので攻め入る・・・には余りにも多勢に無勢。

固く閉ざされた門の前では成す術も無く、無念ながら退いて、二条城の南側に在る二条陣屋へ行きました。
今現在も住居として使用されている国の重文で、見学は事前申込みが必要ですが、(前々から興味は大変ありましたが)ふと思い出して立ち寄ったので外観のみで。

家主の家祖は、関ヶ原で小早川勢に呼応して東軍に寝返った小川祐忠とか(別に大和吉野郡小川郷出)で、その没落後、その子(左馬助祐滋か)がここ京都で商人として再興。
合わせて京都に屋敷を持たぬ諸侯の陣屋(主)として、また、公儀(奉行所)への訴訟窓口と斡旋(世話)をした公事師の役を担い、その宿としてあった為、防犯・防火等の面で貴重な建物とのことです。
是非見てみたいです・・・。
ちなみに、屋号や萬屋で、(身は町人の為、後年特別に)小川の苗字と帯刀が許されていたそうです。

この後、二条城の北側、京都所司代上屋敷址に行きました。
かつて、この北側に聚楽第が在り、一帯は、それを受けて大名諸侯の屋敷が建ち並んでいたそうです。
その一画に所司代上屋敷が在ったようなんですが、、、

今は福祉支援施設となった市立旧待賢小学校(市立待賢幼稚園は現在も在り)となり、往時の面影は一切無し。

ただ、石柱と案内板が、今にその存在を教えてくれています。

ちなみに、下屋敷は二条陣屋が在る二条城南側在り、他にも、京都町奉行所などが在ったそうです。
(二条陣屋や京都町奉行所などが在ったところは、かつて代官町だったそうです。)

とりあえず、暑さもあってこれで満足し、地下鉄二条駅から烏丸御池まで移動しました。


▼▼▼第五段│疾走の参ヶ月◇八月の連洛│第七段▲▲▲
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疾走の参ヶ月│八月の連洛/第五段

2013年11月22日 | 旅日記
8月下旬の京滋方面への出張。
中1日明けて後半のは、仕事本番前日に上洛。
午前中から入り、時は夕方。
今回是非とも行きたかったところへ、清水寺へ立ち寄った後、京阪線の最寄り駅・祇園四条から向かいました。

京阪線祇園四条から特急と(中書島で)各停を乗り継いで凡そ30分、八幡市で下車。

次に、改札を出て右へ100m程行ったところに在るケーブルカーに乗って、目当ての地へ行きます。

ケーブルカーが登るそこは男山。
この山の頂に鎮座します岩清水八幡宮が、その目当ての場所です。

北の京都市街が一望出来るここは、京都を、または天下を巡る戦乱の渦中に立った地。

最近では、禁門の変に於いて、入洛を目論む毛利方の本陣が置かれてました。
そんな歴史の節目節目で登場するここへ、予てより是非参りたい!と思っていたのですが、今回、ここで夜間のライトアップと社殿内の特別拝観を行っていたのでよい機会!と思い、参りました。

ケーブルカーの男山山頂駅に着いたのは19時前。
基本は15分に1本ですが、特別拝観中なので臨時便が出てていて、折りよくそれに乗れました。

山頂駅で電球式の手提げ提灯が無料で貸し出されていたので、それを持ち、その淡い光と行灯の明かりを頼りに社殿へと進みました。

最初の内は暗く寂しいイルミネーションも、社殿近くでは一気に華やかで賑やかになりました。

白や黄、青や紫に赤など、幻想的な光に照らされ、包まれていました。
特に、山門や社殿の朱は際立って眩く、鮮やかでした。

社殿内は有料(500円)で、神職の説明付きで見学(参拝)の受付をしていたので、勿論!払って参りました。

社殿内は神域で撮影はご法度なので、覚えている限りで(^^ゞ

社殿東側より入って、まず最初に誘われたのは、神様に舞を披露する場である舞殿と幣帛を奉げるための幣殿です。
石畳のそこは御祭神がおわします社殿と拝殿の間。
賽銭箱が拝殿の前(外)にあるので、参拝している人が、御簾越しに見えて、なんだか我々が拝まれているようで、ちょっと申し訳ない気持ちがしました(^^ゞ
ちなみに、ここの柱には御神紋の流れ左三つ巴が3つ付されているのですが、もうひとつ、逆回りの三つ巴紋があります。
これは、完成してしまうと、あとは朽ち衰えるだけだが、一つ逆回りのを付すことによって“未完成”の箇所を造って朽ち衰えるのを防ぎ、まだまだ発展繁栄を!との願掛けがされているそうです。

一般参拝者より一歩近いところでお参りをして、続いて、社殿をぐるりと囲む廻廊に。

大改修を終えたばかりということもあるでしょうが、社殿の朱や、欄間などの彫刻が鮮やかでした。
今日に至る彫刻群の多くは江戸時代初期、3代将軍家光公の命による改修普請の時に造られたモノとのこと。
そこには、日光東照宮の三猿や秩父神社のつなぎの龍などで有名な名工・左甚五郎も携わっていたとのことで、とても精巧で、意匠を凝らした彫り物が多く設えられてありました。
その、あまりの出来に、一つの猿に魂が宿り、近隣の田畑を夜な夜な荒らすので、右目に釘を刺して止めた・・・というのもありました。
猿が云々はちょっと置いといて、、、
確かに、高いところにあって解りづらいですが、右目に釘が
刺さってました、、、。
木彫りの彫刻が夜な夜な動く伝承は、左甚五郎が携わったところで多く聞かれますが、それは、実物と見紛う程に精巧である証ということを、八幡様で見て思いました。

八幡様の本殿は内殿と外殿の2棟から成っており、その間には、織田信長が寄進されたという黄金の雨樋がありました。
黄金というところに信長らしさがありますが、雨樋の大きさも、世間一般的なそれとは比べられないほど大きかったです。
また、社殿を取り囲んでいる築地も信長が寄進したそうです。

江戸期、大名が所替え(転封)となった先でまずするのは、寺社への領地半物(所領安堵)の発給や寄進、祭礼の許可などだそうです。
それにより、(影響力のある寺社を通じて)新領主を迎えて動揺する領民を安んじるそうです。
旧弊打破が目立つ信長ですが、詳らかにすれば、この他にもありそうですね。

社殿の後ろには、摂社が並んでいました。


ちなみに、1つ豆知識として。
大概の神社は、参道から社殿が見えません。
参道から社殿までの道のりは、曲がっていたり斜めになっていたりしているそうです。
現に、岩清水八幡宮も参道から社殿までの道が斜めに繋がっています。

これは、神様を直接見せない工夫らしいです。
日本は、古来より権威あるモノを隠してきたので、その起源が、こうしたところから発生しているのかもしれません。。。
(時の主上から将軍、公卿に大名なども、下の者に面謁するときは御簾越しです。)

時間の都合上全て廻ること、また、麓と山頂を徒歩で行くことはできなかったですが、可能な限り、岩清水八幡宮を見聞して、鉄路で京都市街に戻りました。

京阪線中書島で接続した特急に乗って行ったんですが、有料でもおかしくない設備の車両(8000系)には驚き、テンション上がりました(笑)

京都市街(洛中)に戻ってきたのは21時頃。
京阪線祇園四条で降りて、三条大橋を歩いて渡り、鴨川縁の浮き世を羨みながら河原町(四条)へ。

路地裏がいい雰囲気でした♪

四条木屋町の路地を入ったところに在る「鳥せゑ」に行きました。
以前、伏見のお店に行ってからハマってまして、焼き鳥を肴に軽く一杯(以上)飲み(^^ゞ
〆に、どうしても食べたかった鳥雑炊を食べて、気持ちよく宿に戻りました。


宿の風呂は別料金なので(無料の)シャワーで汗を流してから床につき、1日を終えました。


▼▼▼第四段│疾走の参ヶ月◇八月の連洛│第六段▲▲▲
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疾走の参ヶ月│八月の連洛/第四段

2013年11月21日 | 旅日記
8月の下旬。
中1日置いて京滋方面に出張。
その後半では、仕事本番の前日に上洛し、洛中洛外を観光(^^ゞ
午後、陽が俄かに傾き始めた頃、初めて醍醐に入りました。
主は、ここに広大な寺域を構える真言宗醍醐寺派の総本山・醍醐寺です。

その中心堂宇が、総門を潜ってすぐ左手に在る三宝院

醍醐寺のトップ・座主が居住する坊なので、玄関からして立派です。

本堂内には勅使の間など、格式高い方をお招きする表書院や、見事なお庭が設えてありました。
平日ということもあってか人出は少なく、ゆったりと観ることできました。
ただし、どこもかしこも撮影禁止だったのが痛恨事。
何ぞワケがあるかとは思いますが、、、ただただ残念です。

ちなみに、三宝院が成ったのは平安末期。
それが隆盛を迎えたのは室町初期、3代将軍義満公の猶子となり、准三后に叙された法身満済の頃。
4代義持、6代義教の知遇も得て幕政に参与して黒衣の宰相とも称された。
特に、6代将軍義教の誕生させたのは前代未聞の“籤引き”を差配したのは満済であり、この存命中は、その言に従うことが多かったそうです。
その後、応仁の大乱等で戦塵に消えてしまい、廃寺同然だったのを復興させたのが戦国末期。
二条晴良の子で醍醐寺座主となった義演。
羽柴秀吉の知遇を得て三宝院を復興、秀吉の有名な醍醐の花見もここで挙行され、三宝院の庭は秀吉好みに造られているそうです。
義演は准后に叙され、天下人が家康公に代わっても知遇を得て、三宝院を今に続く寺院にする基礎を固めました。
そんな経緯もあってか、敷地は広大で、唐門まで設えてある荘厳立派な寺院でした。

ここから先、いくつかの堂宇が点在しています。

境内も散策しましたが、実は醍醐寺には上醍醐下醍醐が?!
山の麓、本堂が在るのが下で、(一旦境内より出て)登って行くと上醍醐に至り、ここにも醍醐寺の堂などが在る・・・ようなんてすが、体力と時間とを考慮して下醍醐のみ、見て周りました。

その果てまで広がる庭?!を散策して廻り、、、

最寄りの地下鉄醍醐駅に向かいました。


しかし、そこで(私にとって)衝撃的な事実が!

ここ、醍醐駅の西側が、かの、明智光秀最期の地とされている小栗栖だったのです!!
駅の地図で“明智光秀最期の地”って文字を見るまで、全く知りませんでした!
いまの京都市内だったということも、意外も意外、想定外でした。

小栗栖の方を見ながら往時を想像しつつ、地下鉄で東山まで移動しました。

想像なんかしちゃったからか、乗った東西線(の車両)が萌えてました(笑)

これ、この後に開催されたアニメフェアの為のだったようですが、ちょい、ビックリしました(^^ゞ

私は、上洛した折、余程の事が無い限り、有名過ぎる、所謂定番には行きません。
魅力も動機も起きないんですが、今回は、ふと清水寺に行きたくなって、次なる目的地の前に立ち寄りました。

中学の修学旅行以来ですから・・・ざっと22年ぶりです(笑)
なぜか浴衣姿の女性が沢山いらして、とてもよかった!ってのはちょっと置いといて。


時刻は17時過ぎ。
参道の土産物屋さんは次々の暖簾を終い、良縁祈願をすべく参りたかった地主神社も閉まっていました。

ただ、夕方だったからか、人は少なかったです。

“清水の舞台”として名高い本堂から、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院と順番に巡り、音羽の滝へ。

山号である「音羽山」から流れ来る、寺名の由来となった清水の滝の前には、ご利益に預かろうと大勢の人が列を成していました。
ちょっと惹かれる思いはありましたが、、、この後もあるので、先に進みました(^^ゞ

境内を凡そ1時間ほど掛けて巡りましたが、清水の舞台、上から見ても下から見ても、すごかったです。

清水寺を出て、帰路は産寧坂、二年坂を通って最寄りの京阪線祇園四条駅へ。

黄昏時、風情ある街並みを楽しみながら、、、

今回是非とも行きたかった!次の目的地へ向かいました。


▼▼▼第三段│疾走の参ヶ月◇八月の連洛│第五段▲▲▲

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疾走の参ヶ月│八月の連洛/第三段

2013年11月13日 | 旅日記
何かと忙しかった10月までの3か月。
その最初の8月下旬は、中1日置いて京滋方面居ました。
中1日後の京都へは、仕事本番の前日に入って観光(^^ゞ
旅装を宿で軽くして上御霊社に参り、小川通で裏千家の所縁を巡ってから(西側の)堀川通からバスに乗って北へ。
鹿苑寺金閣の在る北山へ向かいました。

目当ては昼ご飯。
折角の京都、真っ先に思い浮かんだのは湯豆腐でしたが、はっきり言って高い!
ならば、久しく食べていない美味いモノのを・・・と思いつき、北山に。
ここに在る、あまりにも有名な鹿苑寺金閣の入口近くに在る洋食屋「ITADAKI」に行きました。が!?何と言うことでしょう!定休日でしたorz、、、
けど、北野白梅町にも店が在り、そっちは開いてる!という看板があったので、急いで向かいました。

鹿苑寺金閣から北野白梅町まてはバスで10分ほど。
交差点すぐそばのビルの2階に、それは在りました。

時刻は12時半頃で待ち人が数人いましたが、それ程待たずに案内されました。
注文したのはこの日のランチメニュー。

美味かったです(*´▽`*)

ちょっとだけ感傷に触れながらお昼をいただき、、、
次に向かったのは、洛北紫野に在る臨済宗(大徳寺派)の大本山大徳寺の塔頭・高桐院です。

ここには、上洛したらほぼ必ず参ります。
細川幽斎の菩提を弔う為に、与一郎忠興が建立。

肥後国主細川家の菩提寺として今日まで在るここは、竹と苔の素晴らしいお寺。

JR東海の京都キャンペーンのポスターにも登場したことがありますが、訪れる人は少なく、心静かに居ることの出来るお寺なので、ほぼ必ず訪れます。。。
日中でも奥まで陽の光が届かない堂内から見るお庭は、より鮮明に、映えて見えます。



流石は利休七哲のお一人。茶の湯が点てられるよう、茶室と、書院にもその備えが施されています。


いつまでも、ボーッとしていたいのですが...

性急な性分なので(^^ゞ
暫し休み、体の内にまで籠もっていた暑熱が収まってから、ここを後にして洛中に向かいました。

北大路バスセンターで乗り継ぎ向かった先は、御所の南、寺町通丸太町に鎮座する下御霊神社です。
北の上御霊神社に参ったので、下御霊神社にと思い、参りました。

住宅街に中に在る埋もれるように鎮座する御社は、周囲の喧騒とは隔絶した静けさ。
凡そ平安期から続く御社とは思えない規模ではありますが、神域に入った・・・という、何とも言えない雰囲気がありました。

ここは、予てより水の良いところらしく、境内の一画、御手水場の隣に蛇口があって、自由に汲めるようになっています。

私が参詣している時、近所の女性が自転車に何個かポリタンクを積んで汲みに来てました。
その後で、私もちょっといただきましたが、冷たくて、癖もなくおいしかったです。
さほどの距離では無いですが、酷暑の中、バス停からここまで歩いた疲れを癒すには丁度よかったです。

ここで力を得て、次なる目的地へ向かうべく、御苑南縁の丸太町通を西に。

禁門の変で越前(福井)松平家が守備した堺町御門の前を通って地下鉄丸太町駅まで行き、そこから地下鉄を乗り継いで向かいました。


▼▼▼第二段│疾走の参ヶ月◇八月の連洛│第四段▲▲▲

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疾走の参ヶ月│八月の連洛/第二段

2013年11月12日 | 旅日記
8月から10月の鬼小十郎まつり関ケ原合戦祭りまで。
実に濃く、あっという間の3か月の始まり、8月の下旬。
4泊5日の京滋方面の出張を終え、中1日置いて再び上洛
目的の仕事は火曜日からだったんですが、せっかくの京都、巡らにゃ損損!と、その前日の月曜日に入洛しました。

私的な時は、旅行会社が用意している新幹線と宿のセットを使って上洛するんですが、今回の旅費交通費は職場持ち。
なので、今回はホテルではなく、“町屋の宿”に泊まりました。

東本願寺北側の住宅街の一画に在るそこは、趣ある造り。
着物姿の女性に迎えられ、通されたのは2階の部屋。

4畳程度で、独りには十分な広さです。

この他にも、2階には3、4部屋あり、どこで知ったのか、外人さんが休んでました。
ついでに、ここのお風呂は別料金なので、1日の疲れはシャワーで流します。
また、今回朝食付にして、指定の時間にフロントへ行ったら、斜向かいの家に連れて行かれました。
人ん家の居間で食事している感じでした(^^ゞ
それはまた後ほど、、、

宿に荷物を置き、チェックインを済ませてまず向かったのは、御所の北、地下鉄鞍馬口駅が最寄りの(上)御霊神社です。

規模などは、京都ではさほど珍しくはないでしょうが、一世紀以上続いた戦国乱世はここから。
応仁文明の大乱の端緒となった場所なんです。

文正2年1月18日(3月に改元をして応仁に)。
ここに陣を構えていた畠山政長方に対し、家督争いなどで対立していた畠山義就方が攻撃。
合戦は2日間、義就方の勝利で終結し、室町殿義政の調停で一旦収束するも、不穏な情勢は変わらず。
4ヶ月後の5月、膨れ上がった両方に、予てから組みしていた山名宗全と細川勝元の与党が加わって洛中で激突。
応仁文明の大乱、果ては戦国乱世の幕を開けてしまった、その切欠の御社なのです。

いまから凡そ540年も前のことですが、ちょっと当時のことを想像してみました。

ちなみに、この近くに「緒方光琳宅蹟」なる、昭和4年1月に建てられた石柱がありました。

けど、、、
これって、江戸初期に「琳派」の画派を成した“尾形光琳”のことですか・・・ね。
一瞬、江戸末期の蘭学者・緒方洪庵か?!と思ったんですが、多分違うと思います。

参詣後、進路を北に。
御社の近くを通る烏丸通西側、日蓮宗の大本山妙顕寺の西隣,小川通に点在する裏千家今日庵など、裏千家の施設を見て廻って、その先の堀川通へ。

裏千家今日庵(↑)と不審庵(↓)

ここからバスに乗って、鹿苑寺金閣の在る北山へ向かいました。


▼▼▼第一段│疾走の参ヶ月◇八月の連洛│第三段▲▲▲
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