楽しい老後を求めて

高齢者の生き方を模索した日記風です

5月のくらし(5)

2014-05-31 06:43:37 | Weblog

リラの花(ライラック)書斎前の庭。数年前に剪定したが、また伸びた。

5月も最終日となった。早いものだ。今年も後半に入る。ぼやぼやできない。昨日は午前中室内ゲートボールをした。7名だった。休憩時間の会話で
認知症のことになった。80台90台の高齢者なので関心が極めて高い。
私は脳梗塞で、左半身麻痺になったことがあるので、尚更だ。まず兆候がある場合は恥ずかしがらず衣服に名札を着けることの結論となった。先日も岩手の人が徘徊後京都で見つかったそうだ。日常心身を使うことが
大切と思う。読書も効果があるそうなので、色々負担だが実行している。なおそこで覚えたことを人に話すことをすれば効果があるそうだ。しかし平凡な無名人にとっては交際も狭くなっており、会話のチャンスがめっきり少ない。その代用の一つがブログを書いてアウトプットすることなそうだ。
4ゲームをこなした。結構運動になった。午後にも外でプレーがある日だが
30度の暑さなので健康に配慮して休んだ。

夕方書斎に涼しい風が吹き込み、気分爽快になった。暫くぶりに浪曲の
LPを聞いた。演者は先代 玉川勝太郎「笹川の花会」だ。やくざの世界の
物語だが、それなりに面白く感銘を受けた。合わせて昔ラジオで聞いたり
芝居小屋に行って聞いた当時を思い出して懐かしく思った。20枚の全集があるので、徐々に聞いていこうと思う。

 


5月のくらし(4)

2014-05-30 06:38:36 | Weblog

花海棠  奥の庭 今年は沢山咲いた。

ここ数日は暑い日が続く。着たり脱いだり忙しい。読書も奥の庭の木陰に
椅子と机を運んで、暑さを忍んだ。
数日間ワードで吟詠会の文書作成に取り組んだ。7月に花巻地区5教場合同
吟詠発表会が文化会館中ホールであるが、そのプログラム作成を担当しているからだ。今まで文書作成は慣れたワープロでしてきたので、ワードは全くの初心者なので操作が覚束ない。作成中に度々追加文面を苦労して作り、上書き保存すると、注意書きが表れて「別のユーザーがサーバー側のコピーを
更新したため、今の状態では、変更した内容をアップロードすることはできませんでした」と出て全く無駄になってしまう。暫くすると「すみませんでした。回復したので続きから入力して下さい」と出て再度入力して解決した。やりけれないのでジャパネット高田のパソコン相談室に電話をかけた。
原因は分らないが、私が偶々不慣れなため保存先をワンドライブにしたことを話したら「それが原因の一つかもしれません。パソコンのドキュメント
のほうに保存して様子をみて下さい」とのことであった。実験的にそのようにしてみているが、上書き保存しても、今のところ異常がない。いろいろ不可解なことが、起こるものだ。

認知症予防に色々なことを実行しているが、例えば読書とか俳句とか、しかし実行を忘れていたことがある。それは任天堂DSソフトの計算操作と
新聞のコラムの音読だ。これらを忘れるのも要注意なのかもしれない。
桑原桑原。


5月の暮らし(3)

2014-05-15 10:03:20 | Weblog

チューリプと水仙   奥の花壇

昨日14日午後はゲートボール。俳句会参加準備の為、半分の2ゲーム
のみで帰宅した。私が主将を務めたが幸い2勝できた。チームワークが良く
いったためと思う。皆、私の意中を理解し気分よく結束したためと思う。
私は選手がどんなミスをしても文句を言わなかった。

夜は俳句会に参加。4名。各自10句持参投句。私の選句より2句取り上げる。「長過ぎて蛇不自由と思ひけり」意表をつく句だ。蛇は勿論そんなことを思う筈がない。反語だ。作者が造化の不思議を問題化したのだ。蛇は自身の長さになんの疑問を持たず、与えられた姿体で悠々と暮らしている。人は
その点、自分の肢体に色々不満を抱く。与えられた運命に従い、悠然と生きていくを忘れる。「岩の上に茂る松あり憲法の日」近頃憲法論議が盛んだ。
確固たる国家の尊厳を守ることも大切だが戦争へ通じる方向への動きも考え
ざるを得ない。この句は頑丈な岩の上の常緑の松を持ってくることで、憲法の尊厳とその重さを表現した。警世の句と思う。


5月のくらし(2)

2014-05-08 08:33:37 | Weblog

白蓮  散歩の途中に撮影

昨日の午前中は葱を植えた。180本あった。多いとも思ったが、葱が好きだから全部植えた。日本蕎麦が好きで昼食によく食べるので葱を使う。
午後は相変わらずゲートボール三昧。キャプテンをしたが結構頭を使う。ぼけていられない。敵味方のボールの位置とそのナンバーを覚えていなければならない。そして各選手の技能程度の把握。30分の時間経過。普通は計算器を見ながら作戦を進める。昨日が一寸ミスをした。熱中して見ないで自己判断で選手に指示した。2点追加できたのに無駄にした。上がりのポールに
タッチさせて得点させるところを、まだまだ時間が余っていると判断ミスを
してしまった。

今日の俳句(天為5月号より)

有馬朗人主宰の句(15句より5句抜粋)

大寒やアダムと神の指の距離  冬深しエデンの園を去る二人

折鶴の目覚めの早し春の雪   墨は奈良紙は吉野の春の雪

風立ちぬ絵凧に眼入れしとき

私の句(主宰選5句)

竹林をゆらして昇天雪女    オリオンの星雲燃えて裸婦眠る

初雀煤けし顔で挨拶す    鬼門なる北窓ふさぐかまど神

手力男命も天鈿女命も福笑


5月のくらし(1)

2014-05-02 16:28:05 | Weblog
p>椿     散歩途中


2日 今日はゲートボール。4回とも第1関門の第1ゲートを1回で通過。この前は散々の成績だった。前回は是非通過と意気込み、今日は通過しなくても良いと覚悟を決めてプレーした。それが良かった。こちらが願うのと逆の現象を齎すとは神様はつくづく意地悪だと思う。人を試しているのだと思う。


「魔の山」残り少なくなった。院長が人の体の仕組みについて縷々述べるくだりがある。いよいよについてのテーマに入ったのかと思う。上巻が残り少ないページとなったので、今日書店に行って下巻を買ってきた。


フランクルの思想について考えてみる。彼は精神科医であり、強制収容所の実態を書いた「夜と霧」の作者として名高い。彼は自分の幸福を願うほど幸福は逃げていく言う。人の為とか、何かに熱中し自己を忘れて取り組んでいる中にこそ幸せがある。デカルトの「われ思う故に我あり」にも反対だ。他のことを考えている中にこそ我ありと言う。サルトルの自由の考えにも批判的だ。どこまでも他の為に尽くし考えて行動する中にこそ、人間の真の自由があるとする。逆説的だが、なるほどと思う。自己に拘りとらわれて、いるところに、人間の本当の生きる意味がなく、存在の意味が無いということだろう。宮沢賢治の思想とも共通点があると思う。今後生きていく指針としたい。東洋的な思想とも共通している点が多々あると思う