楽しい老後を求めて

高齢者の生き方を模索した日記風です

庭の花木(40)

2005-07-31 06:51:24 | Weblog

額紫陽花。花期は長いがほぼ終った。東北の梅雨も終ることだろう。そして月遅れの盆がやってくる。紫陽花の終わりは梅雨の終わりでもある。

朝、屋根の上で鴉の親子の鳴き声がうるさい。唐もろこしが食べられていないか、飛び起きる。大丈夫だった。それから寝られず起きる。キウリを捥ぐ。茗荷も出始めた。毎日刻んで唐辛子と一緒に食べる。食欲が増す。ゲートの仲間に「あまり食べると物忘れするぞ」と脅かされた。俗信と思うがもともと忘れっぽいので驚かない。仲間に葱は好きだが茗荷は食えない人が居る。面白いものだ。馬鈴薯も大きくなってきた。品種は「男爵」。月初め札幌に行ったとき、料理屋で食べたのがうまかったので、その様にして食べた。一個のジャガイモのみなので、電子レンジに5分間掛け、取り出して皮をむき、暖かい薯の上にバターを載せる。それだけの単純な調理だ。美味しかった。戦争中の子供時代、塩をつけて貪り食ったものだ。

昨夜、「悪について」(岩波新書。2005年2月刊。中島義道著)を読む。
著者は言う。テレビで色々な出演者が、犯罪者に対して、まるで別種の人間のように悪に対して批判しているが、果たしてそうだろうか。との疑問を投げかけている。この本で著者はカントの「実践理性批判」その他の著書を引用して、人間の悪について考察を深めていく。善を成そうとすれば益々悪の本質に近づいていく。たとえばプロジェクトXに取り上げられる、発明改革チームはみな使命感に燃え、世の中の進歩に寄与したと、満足し幸福感に満ちている。しかしその為に幾多の人たちが職を奪われ悲しんでいる。また本人も善人と思うどんな利他的な行為も心底に自己愛が隠されている。悪は人間にとって本質的なものだ。と説いている。読後、納得理解しがたい点もあるが大いに反省させられた。そこで西田幾多郎の「善の研究」を取り出して読み始める。

庭の花木(39)

2005-07-30 17:20:39 | Weblog

房スグリ。奥の林。梅の木下。食べると酸味が強い。鑑賞しているほうが楽しい。
これも逞しく株が殖えていく。幼児の頃はこの種は少なく、普通のスグリがどこの家にもあった。青い実で、これも酸っぱかった。しかし塩で揉んで食べると極めて美味だった。その頃はあまり食べるものがなかった。その味を思い出すと、ほろ苦い少年の日の感傷が昨日のように思い出される。今、その株はあまりなく高価だ。

今日は市老連のスポーツ大会。幸い昨夜の雨も上がって盛会だった。わがクラブの選手も大いに健闘し、上位の成績を地区老にもたらした。私は早く帰って懇親会の準備をした。懇親会は大いに盛り上がった。60代前半の男女選手諸君の話は、私のような70台後半の者には大いに元気づけられる。今後大いに会の運営に寄与し世代交代を推進してもらいたい。家に帰ったら5時近い。
きょうの大会で惜しまれるのは、昨日も危惧し書いたように、不安が的中し、女性1人が熱中症らしく倒れたことだ。開催時期、一考を要する。

町内散歩(4)

2005-07-29 07:43:32 | Weblog

同心屋敷左の家は私の筋向いの家だった。私の以前の家と間取りが同じで懐かしい。タイムトンネルを通うて数十年前生活していた 昔に戻ったようだ。右の家は、隣の家だった。今は市に寄贈移転され、市の指定史跡として現在地にある。賢治碑駐車場の向かい側。現在(7月、8月中とのこと)内部公開されていて、当時の南部藩の同心達の生活を偲ぶことが出来る。また右の家の旧今川家にはボランテアの女性たちがおり、茶を接待し、いろいろ説明してくれる。見学には今が最適のシーズンである。

いよいよわがクラブでも、グランドゴルフの愛好会を立ち上げることになり、クラブ会員ならびに町内の皆さんに呼びかけることになり、文案を作り、コピーし、町内会の単位で、回覧してもらうこととし、町内会長にお願いしてきた。ステック、ボールは個人購入とし、そのたの器具、施設は、当分公民館から借りることとした。将来は愛好会での購入を考えていく。クラブとしても予算の関係があり、単独での購入は無理である。多く参加者があれば良いとおもう。

明日は市老連のスポーツ大会だ。割り当ての9名の選手選考は体育部長に任せた。応援者の人選は私がなし、役員のみとした。私は弁当の準備、茶菓購入、慰労会の準備を受け持つこととし、これから支度だ。明日はあまり暑くなければよいが。
この時期の大会は、抵抗力の弱い高齢者の大会としてはふさわしくないと思うのだが、県予選、従って全国予選を兼ねる日程の関係上やむを得ないとの話であった。
木陰にいるとか工夫を要する。私は応援のみ。

庭の花木(38)

2005-07-28 08:11:05 | Weblog

アスチルベ。白は終ってこの2種類。此花も終わりを告げた。左の空き地に何か植えたい。今は雑草のみ。左上の黄色な花はビヨウヤナギ。

昨夜の俳句会。11名参加。私の選んだ仲間の句。

水馬なら雲海も渡れそう 国引きの岬を遥かに流れ星 家出など滅相もなし蝸牛

火蛾狂ひ弥陀の灯しを消しにけり    青虫の糞してわれも菜食派

蜻蛉の羽は弥生の藍の色        音もなく修羅となりたる蟻地獄  

ひもとける出雲風土記の銀の紙魚    台風来猫が畳に爪たてて

町内散歩(3)賢治詩碑

2005-07-27 08:50:34 | Weblog

「雨ニモマケズ」の詩碑   羅須地人協会跡。  誰も居らず静かだった。
木立に囲まれた丘の上にある。夏でも涼しい。丘の東方を望めば北上山地、早池峰が眺望できる。眼下には田畑が広がり、北上河畔が見える。蝉が鳴いていた。

高見順(1907~65)詩集「死の淵より」から。

「望まない」

たえず何かを   望んでばかりいた私だが   もう何も望まない

望むのが私の生きがいだった   このごろは若い時分とちがって

望めないものを望むのはやめて   望めそうもないものを望んでいた

だが今はその望みもすてた   もう何も望まない   すなわち死も望まない 

昨夜、吟詠会。皆、少し元気がなかった。声が低く迫力がなかった。天候不順で、暑かったり、寒かったりのせいか。詩吟の魅力は、メリハリのきいた力と気の籠った吟に魅力がある。雑談になると皆、結構大きな声で談笑しているので、精神的なものかも知れない。高慢は最もいけないが、自信を無くし、萎縮してしまうのもいけない。

町内散歩(2)

2005-07-26 07:01:49 | Weblog

賢治碑入り口付近。杉の木立と紫陽花。紫陽花好きの家の人が集めたそうである。この道路を左の方に坂を下っていくと、賢治自耕の北上河畔の「下ノ畑」跡に至る。

昨日静岡にいる娘から8月のお盆には帰るからとメールが入っていた。入学以来逢っていない長女(昨年美大卒業)も連れて来るということなので、楽しみだ。京都の大学に行っている長男も暫く逢っていないので逢いたいが忙しいらしい。静岡にもあまり帰らないとのことだ。学問で忙しいのならよいが?
札幌にいる息子も来るといっているし、仙台近郊にいる嫁や孫も来ると思うので、暫くぶりで賑やかなお盆になるだろう。私は楽しみにしているのだが、何時もの事ながら、妻は支度が大変だと、ぼやいている。

午前中、高齢者学級。北上市立「鬼の館」職員による「鬼の話」であった。古代中国の思想、仏教、民俗学等からみた話であった。人間の心の両面性による心の中の鬼の存在。そして家庭には雷爺、鬼婆がいてしつけをすることが、大切である。いまそれが居なくなったから、家庭が、そして世の中が乱れている・・・・等、含蓄のある講話であった。 今夜は吟詠会の日だ.

カミユ著「太陽の賛歌」より。カミユ(1913~60)フランスの小説家。対ナチス抵抗運動に専心。1957年ノーベル賞受賞。3年後自動車事故で急逝。

1937年8月の項より

「ぼくは、政治家の演説を聞いたり読むたびに、人間的声が聞かれぬことに驚かされる。彼らは相も変らぬ言葉で嘘をついている。」


伝説の五輪塔

2005-07-25 09:38:27 | Weblog

2日前、母親の実家に行ってその屋敷内にある伝説の五輪塔を写してきた。前にも記したことがあるが、15世紀の中ごろ、和賀氏の内乱に始まり、これに関係した稗貫氏を討つ為、南部軍が稗貫領に入って合戦が続いた。永亨の乱である。その戦場となったいまの花巻温泉地内の台城は、稗貫氏に属した高橋氏の居城であった。この子孫に16世紀の天正のころ高橋駿河なる者は、台城を去り民間に下り農民となった。その長男は湯本の狼沢に、次男は西宮野目に居館を構えた。盛時は西宮野目一帯に数十町歩の耕作地を持ち堀をめぐらした広大な邸宅に住んでいたと言われる。高橋家は先屋と呼ばれた。(今の屋号は先家)。ある年の田かきの折、どうしても人手が足りず困っていた。そこに何処からともなく、一人の乙女が現れ手伝いを始めた。そしたら作業がどんどん捗った。仕事がかたづいて、大勢の手伝い人を邸内に集めて酒食を出し労を労った。その折、主は乙女にその所と名前を聞いた。しかし答えなかった。主は酒の酔いも手伝い怒って、乙女を一刀のもとに斬り下げた。そしたら天地は暗くなり家鳴り、震動が起こった。明るさが戻ったとき、乙女の姿はなく、したたり落ちた血の跡が庭先に続いていた。血痕は先祖の高橋駿河を祀っていた五輪塔のところで消えていた。そして、その五輪塔が頭から真っ二つに割れていた。今に伝わる伝説である。私が先家を訪れるときは、いつも手を合わせて拝んでくる。小高い墓地の向こうには、青々とした田んぼの稲の葉が風にそよいでいた。私が子供の頃、先家を継いだ伯母は何か家でよくないことがあると、その祟りだと、よく言っていた。


サルトルの生誕100年とかで紙面を賑わしている。私もその有名な作品「嘔吐」(昭和45年再版 白井浩司 訳。人文書院刊)を本棚から取り出し、何十年ぶりに再読してみている。哲学的思想は、相変わらず分からないが、風景そして登場人物の心理描写の細やかさ、鋭さに驚嘆する。なかなか読み進めない。
庭に、おいらん草、桔梗が咲いている。そして裏庭の林の中に今朝、山百合が一輪咲き始めた。

町内散歩(猫と少女)

2005-07-24 09:54:33 | Weblog

暗く撮れた。シャッター押すのが早く自動フラッシュが効かなかったかもしれぬ。修正ソフトが無いので、そのまま載せた。夕方自転車で散歩。私の好きな猫が自動車の上で気分よく寝ていた。そばで可愛い少女が自転車で遊んでいたので、脇に立たせた。写した後で猫を撫でたら「ニャオー」と鳴いた。そこのおばあさんから聞いたら猫は8歳とか。ひ孫さんは大宮から母さんと帰郷中で旧盆までいるとの事だ。
近くの神社(鎮守様)では子供らが4.5人石碑に登ったりして遊んでいた。子供の頃私もここで同じく登って遊んで大人に叱られたことを思い出し、微苦笑がひとりでに浮かんできた。

日本尊厳死協会から機関紙が届いた。眼にとまった記事としてニ三あげてみる。13万8千人の署名した尊厳死法制化の請願書を中山太郎衆議院議員を通じて両院議長に提出した。私の場合年会費夫婦で4千円だが、(加入5年以降になればこれより安くなる)会費は今年はそのままとし、今後、老人の諸負担が増えている現況を考えて、減額の方向で検討するとのことで、良いことだ。医師に提示する宣言書「リビングウイル」の文面はそのままとし、運用面で改善をはかる。等である。なお会員の声として私も医療の場でそうなったら本当に困ると思う事例がいくつか記載されていた。その中の一つ。それは「80歳の元気な母が吐き気で緊急入院した。ところが、すさまじい検査続きで、二日間で意識を失い、現在、人工呼吸器装着している。もの言えなくなった唇を必死に動かし、眼で訴えているのに、何もしてやれず可愛そうだ。始めて見る救急医療現場がとても怖いものに思える。高齢だから安らかにと思っていたのに、母があの恐怖に満ちた眼で、意識が遠のきつつあることは、やりきれない」

庭の花木(37)

2005-07-23 12:25:18 | Weblog

紫陽花(2)。楓、サルスベリ、の下。貸店舗(学習塾)の南。後ろには、浜茄子、連翹、紅シタンが植えている。 紫陽花もそろそろおわりが、近づいてきた。錆色に変色し始めたのもある。

デジカメからテレビに繋がらない。電器店に行ってみてもらう。線が切れ掛かっているそうだ。曲げて指で線を押さえると、なんとかテレビに映像が映る。当分それで間に合わせることにする。大抵はテレビで見ないで、すぐパソコンに送ってしまう。
母の実家に行って、田んぼに囲まれた、伝説の割れた先祖の5輪之塔を写してくる。

カミユ著 「太陽の賛歌」(カミユの手帳ー1)より

1939年9月

死という唯一の宿命、つまり、それ以外には宿命などもはや存在しないようなひとつの宿命があ

る。生まれてから死ぬまでの時間がおりなす空間には、定められたものはなにもない。人はすべて

を変えることができるし、戦争を阻止し平和を維持することさえできる。ただしひとが本気でそれ

を望み、大いに、しかもそれをずっと、望みつづければの話だ。



庭の花・木(36)

2005-07-22 08:15:14 | Weblog

百合。スカシユリ系。1本は咲き疲れて横になって昼寝している。だから起こさない。同種の赤もあったが咲き終わった。未だ咲かないのは、山百合と鬼百合。

かりそめに早百合生けたり谷の房  蕪村   百合の花朝から暮るるけしきなり  一茶

うつぶけに白百合さきぬ岩の鼻   子規   満目の百合折る事も飽きにけり   虚子

百合の香や人待つ門の薄月夜   荷風    見おぼえの山百合けふは風雨かな   立子

偽りのなき香を放ち山の百合   龍太    捨てし百合泉に高く浮びけり    吉美

午前中は保健センターと当老人クラブ共催の「脳活性化の集い」の「いきいきクラブ」の開催。隣町は町内会から参加希望者が参加し計35名参加。保健センターから6名参加。市からの「昔話」講師1名参加。以上の内容で3時間開催された。保健師による脳活性化の話。講師による昔話。個室で個人の認知症についてのテスト。血圧測定。栄養士による、脳卒中予防と食事の話。最後は栄養士と食改善協の皆さんによる作成の昼食を食べて解散。有意義な時間を過ごした。地域の皆で助け合い、認知症予防に積極的に今後とも取り組んでいきたい。
午後4時までゲートボールを楽しむ。