額紫陽花。花期は長いがほぼ終った。東北の梅雨も終ることだろう。そして月遅れの盆がやってくる。紫陽花の終わりは梅雨の終わりでもある。
朝、屋根の上で鴉の親子の鳴き声がうるさい。唐もろこしが食べられていないか、飛び起きる。大丈夫だった。それから寝られず起きる。キウリを捥ぐ。茗荷も出始めた。毎日刻んで唐辛子と一緒に食べる。食欲が増す。ゲートの仲間に「あまり食べると物忘れするぞ」と脅かされた。俗信と思うがもともと忘れっぽいので驚かない。仲間に葱は好きだが茗荷は食えない人が居る。面白いものだ。馬鈴薯も大きくなってきた。品種は「男爵」。月初め札幌に行ったとき、料理屋で食べたのがうまかったので、その様にして食べた。一個のジャガイモのみなので、電子レンジに5分間掛け、取り出して皮をむき、暖かい薯の上にバターを載せる。それだけの単純な調理だ。美味しかった。戦争中の子供時代、塩をつけて貪り食ったものだ。
昨夜、「悪について」(岩波新書。2005年2月刊。中島義道著)を読む。
著者は言う。テレビで色々な出演者が、犯罪者に対して、まるで別種の人間のように悪に対して批判しているが、果たしてそうだろうか。との疑問を投げかけている。この本で著者はカントの「実践理性批判」その他の著書を引用して、人間の悪について考察を深めていく。善を成そうとすれば益々悪の本質に近づいていく。たとえばプロジェクトXに取り上げられる、発明改革チームはみな使命感に燃え、世の中の進歩に寄与したと、満足し幸福感に満ちている。しかしその為に幾多の人たちが職を奪われ悲しんでいる。また本人も善人と思うどんな利他的な行為も心底に自己愛が隠されている。悪は人間にとって本質的なものだ。と説いている。読後、納得理解しがたい点もあるが大いに反省させられた。そこで西田幾多郎の「善の研究」を取り出して読み始める。