私は「透明を観る」という健康法を実践しています。「透明」とは何もないことではなく、「透明」があるのです。その「透明」を観ようとします。「ない」ものを観ようとするのと、「ある」ものを観ようとするのとでは意識が変わります。もちろん、「ある」ものを観ようとしたときの方が、身心がより良く変わります。
人は往々にして「透明」のように見えないものを「ない」ものだと思いがちです。常識的にはそう考えるのが普通です。では、私はなぜそれを「ある」と考えるのかと言うと、いくつか答えがありますが、一番はそれを想像すると身心が変わるからです。仮に科学でそれが「ない」と証明されたとしても、一向に構いません。大事なことは「透明」が物として存在しているのかどうかではなく、身心が変わるかどうかなのですから。