気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

師は弾いても語らず

2012-01-27 11:01:55 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)

 最近ギターを良く弾いている。年末にギターの師匠(?私が勝手にそう思っているだけかもしれないが)の演奏を聴く機会があり、それに影響されたようだ。

 ギターの師匠Gちゃんとの付き合いは長い。18歳で中国・福建省・厦門大学に留学した時に出合ってから、26年位になる。

 厦門の街の楽器屋でギターを選んでもらい、その日からコードの押さえ方を教わり、早速弾いた。それまでギターを弾くということを考えたこともなく、弾けるとも思っていなかった。Gちゃんはギターを弾くことが難しいとも簡単だとも言わず、ただいつも隣で弾き方を見せてくれた。彼のその自然体の中で、私は不安を感じることも無く、下手なりに、少しづつできるようになっていった。ギターを数時間弾くことは練習ではなく、喜びだった。

 その後いろいろなことがあった。大勢の人の前で歌って喜ばれたり、大失敗して落ち込んだり(詳細はまたいつか)。現在は家で弾き語っているだけだが、何時かは人の前で歌いたいと思っている。

 Gちゃんは素晴らしい師匠だ。何も言わず、ただ歌うだけで弟子の意欲に火を灯すのだから。


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酔ってくれるほど嬉しきことなく

2012-01-19 16:17:11 | 

 正月明けの昼に、中学時代の友人と飯を喰うことになった。彼が「タバコが吸えないとやだ」ということで居酒屋へ。ビールを飲んだ後、焼酎のボトルを空け、二人とも良い気分に。

 勘定はスムースに私がした(いつもなら「俺が払う」などと言い争うこともあるのだが・・・)。

 精算も出来ないほど酔ってくれるなんて、一緒に飲んだ者として、こんなに嬉しいことはないのではなかろうか。


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太極拳とニュートラル

2012-01-13 10:50:47 | 太極拳

 太極拳では各動作の終了時に、「ニュートラル」な状態に戻らなければならない。「ニュートラル」とは、落ち着いて(力が入り過ぎず、抜けすぎず)静止できると共に、次の動きに入る準備の整った状態である。丹田の場所で言えば、上がり過ぎず、下がり過ぎずの場所である。

 表演会を観ていると、この(動作の終了)時に、肩や腕を意識的に落として(下げて)いる人が多く、不自然な感じがする。

 私のやり方は、例えば陳式太極拳の「単鞭」であれば、両腕を左右に開いた (丹田は下がり、胸は上がっている)後、丹田を少し上げるようにする。丹田を上げると、胸が下がり、その力は肩・腕を自然に下げさせる。「単鞭」の後半、左へ捻じっている場合には、丹田を上げるだけでなく、右の股関節を緩めながら右へ引けば、身体は自然に正面に戻り、「ニュートラル」が完成する。


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道をつくる人

2012-01-04 17:53:09 | 風景・自然

 年が明けて、いつもの山道を歩いてみると、去年と違っていた。急な斜面になっている所が、階段状に整地され、歩きやすくなっている。いつもならロープを手でつかみながら登ったり下りたりしている道が、階段のようになっているものだから、楽に歩くことができる。

Photo(ピンボケ恐縮)

 以前、近くで山道を整備している人を見かけたことがあるが、きっとその人に違いない。横を通るときに挨拶をしたが、返って来た声と作業をしている背中は、山の温かさそのものだった。

 その階段を登りきると、黄昏の空に、枝が墨絵を画いていた。

Photo_2


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