デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




申命記 32:44 モーセは、ヌンの子ホシェアと共に来て、この歌の言葉をすべて民に語り聞かせた。
32:45 モーセは全イスラエルにこれらの言葉をすべて語り終えてから、
32:46 こう言った。「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。
32:47 それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる。」

詩篇 98:1  賛歌。 新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって 主は救いの御業を果たされた。
98:2 主は救いを示し 恵みの御業を諸国の民の目に現し
98:3 イスラエルの家に対する 慈しみとまことを御心に留められた。地の果てまですべての人は わたしたちの神の救いの御業を見た。
98:4 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
98:5 琴に合わせてほめ歌え 琴に合わせ、楽の音に合わせて。
98:6 ラッパを吹き、角笛を響かせて 王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。
98:7 とどろけ、海とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものよ。
98:8 潮よ、手を打ち鳴らし 山々よ、共に喜び歌え
98:9 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き 諸国の民を公平に裁かれる。

マルコ 10:42 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」


モーセがイスラエルの民に語った言葉は、単なる戒めとしての律法というだけではなく、それは「証言」であり、神がイスラエルの民を救い、今の生きて働いておられ、御言葉に聞き従って生きようとする者と共に働いて、命を与えるものであるといったことを証ししている。
十戒として知られている戒めなども、ただそれを「守れ」と命じられているだけではなく、それを守ろうとすれば、いかに自分が愛のない者であるかということを思い知らされるし、神が共にいて下さり、神の助けがなければそれらの愛の業をおこなうことができないことを思い知らされる。
しかし、戒めに従って神と隣人を愛そうと願っているところに神が共にいて下さり、私たちの生き方も変えてくれるのだ。
そして私たちと共に神がおられ、神が私たちを用いて下さることを知るのである。
だから、神と共にいたいと思うならば、神の言葉に聞き、それに従って生きようとしてみることをお勧めする。
不思議なことに、そこには喜びや慰めが伴う。
神が働いておられることを実感できるからである。
それが本当の意味で「人が生きる」ということなのだろう。


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