聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




エレミヤ21:1 ゼデキヤ王に派遣されて、マルキヤの子パシュフルとマアセヤの子、祭司ゼファニヤが来たとき、主からエレミヤに臨んだ言葉。彼らは言った。
21:2 「どうか、わたしたちのために主に伺ってください。バビロンの王ネブカドレツァルがわたしたちを攻めようとしています。主はこれまでのように驚くべき御業を、わたしたちにもしてくださるかもしれません。そうすれば彼は引き上げるでしょう。」
21:3 エレミヤは彼らに答えた。「ゼデキヤにこう言いなさい。
21:4 イスラエルの神、主はこう言われる。見よ、お前たちを包囲しているバビロンの王やカルデア人と、お前たちは武器を手にして戦ってきたが、わたしはその矛先を城壁の外から転じさせ、この都の真ん中に集める。
21:5 わたしは手を伸ばし、力ある腕をもってお前たちに敵対し、怒り、憤り、激怒して戦う。
21:6 そして、この都に住む者を、人も獣も撃つ。彼らは激しい疫病によって死ぬ。
21:7 その後、と主は言われる。わたしはユダの王ゼデキヤとその家臣、その民のうち、疫病、戦争、飢饉を生き延びてこの都に残った者を、バビロンの王ネブカドレツァルの手、敵の手、命を奪おうとする者の手に渡す。バビロンの王は彼らを剣をもって撃つ。ためらわず、惜しまず、憐れまない。
21:8 あなたはこの民に向かって言うがよい。主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く。
21:9 この都にとどまる者は、戦いと飢饉と疫病によって死ぬ。この都を出て包囲しているカルデア人に、降伏する者は生き残り、命だけは助かる。
21:10 わたしは、顔をこの都に向けて災いをくだし、幸いを与えない、と主は言われる。この都はバビロンの王の手に渡され、火で焼き払われる。」
21:11 ユダの王家に対して。「主の言葉を聞け。
21:12 ダビデの家よ、主はこう言われる。朝ごとに正しい裁きを行え。搾取されている人を 虐げる者の手から救い出せ。わたしが火のような怒りを 発することのないように。お前たちの悪事のゆえにその火は燃え 消す者はいないであろう。
21:13 谷に臨んで座する者よ、平野の岩よ 見よ、わたしはお前に向かう、と主は言われる。『誰が我々に襲いかかるであろうか 誰が我々の住まいに攻め寄せるだろうか』と 言う者よ
21:14 わたしはお前たちの悪事の結果に従って報いると 主は言われる。わたしは火を周囲の森に放ち 火はすべてを焼き尽くす。」

ついにエレミヤはイスラエルに対する裁きの預言を語るのである。
イスラエルにとっては、もはや助かる見込みのない厳しい裁きの言葉である。
しかし、これから厳しい現実を迎えようとするイスラエルの民に向かって、あえて「イスラエルの神、主はこう言われる」と言って、エレミヤの預言を告げる方がイスラエルの民の神であるということを宣言する意味があるのだろうかと思う時、そこに、これから起こることが後々のイスラエルの子孫にとって、重要な教訓となるべきことを示しているということなのだろう。
つまり、これから滅ぼされる者たちに対する言葉ではなく、生き残り、これらの惨事を目撃した者たちが、今後は二度と同じ過ちを犯すことが無いようにするための教訓を含んでいるということなのだろう。
もちろん、旧約時代のイスラエルの民は、当事者であり、それらの裁きを免れることはできなかったであろうが、今の時代に聖書を読むことのできる全ての者にとっては、有益な教訓となるのだ。
そう考えていくと、エレミヤは、彼の生きた時代の人たちに裁きを告げたように見えて、実は、今、こうして聖書を読む私たちに語りかけているということが言えるのである。
神の言葉は生きていて、今も働いている。

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エレミヤ20:1 主の神殿の最高監督者である祭司、イメルの子パシュフルは、エレミヤが預言してこれらの言葉を語るのを聞いた。
20:2 パシュフルは預言者エレミヤを打たせ、主の家の上のベニヤミン門に拘留した。
20:3 翌日、パシュフルがエレミヤの拘留を解いたとき、エレミヤは彼に言った。「主はお前の名をパシュフルではなく、『恐怖が四方から迫る』と呼ばれる。
20:4 主はこう言われる。見よ、わたしはお前を『恐怖』に引き渡す。お前も、お前の親しい者も皆。彼らは敵の剣に倒れ、お前は自分の目でそれを見る。わたしはユダの人をことごとく、バビロンの王の手に渡す。彼は彼らを捕囚としてバビロンに連れ去り、また剣にかけて殺す。
20:5 わたしはこの都に蓄えられている物、労して得た物、高価な物、ユダの王たちの宝物をすべて敵の手に渡す。彼らはそれを奪い取り、バビロンへ運び去る。
20:6 パシュフルよ、お前は一族の者と共に、捕らえられて行き、バビロンに行って死に、そこに葬られる。お前も、お前の偽りの預言を聞いた親しい者らも共に。」
20:7 主よ、あなたがわたしを惑わし わたしは惑わされて あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ 人が皆、わたしを嘲ります。
20:8 わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり 「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中 恥とそしりを受けねばなりません。
20:9 主の名を口にすまい もうその名によって語るまい、と思っても 主の言葉は、わたしの心の中 骨の中に閉じ込められて 火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。
20:10 わたしには聞こえています 多くの人の非難が。「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。「共に彼を弾劾しよう」と。わたしの味方だった者も皆 わたしがつまずくのを待ち構えている。「彼は惑わされて 我々は勝つことができる。彼に復讐してやろう」と。
20:11 しかし主は、恐るべき勇士として わたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき 勝つことを得ず、成功することなく 甚だしく辱めを受ける。それは忘れられることのない とこしえの恥辱である。
20:12 万軍の主よ 正義をもって人のはらわたと心を究め 見抜かれる方よ。わたしに見させてください あなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明け お任せします。
20:13 主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を 悪事を謀る者の手から助け出される。
20:14 呪われよ、わたしの生まれた日は。母がわたしを産んだ日は祝福されてはならない。
20:15 呪われよ、父に良い知らせをもたらし あなたに男の子が生まれたと言って 大いに喜ばせた人は。
20:16 その人は、憐れみを受けることなく 主に滅ぼされる町のように 朝には助けを求める叫びを聞き 昼には鬨の声を聞くであろう。
20:17 その日は、わたしを母の胎内で殺さず 母をわたしの墓とせず はらんだその胎を そのままにしておかなかったから。
20:18 なぜ、わたしは母の胎から出て労苦と嘆きに遭い 生涯を恥の中に終わらねばならないのか。

主の御言葉を預言し続けたエレミヤは、ついに祭司パシュフルの手によって拘留されてしまう。
理由は、エレミヤがイスラエルの民に対する裁きの言葉ばかり語ったかたである。
祭司らはエレミヤとは反対に、偽りの平和の約束を説き、神に選ばれた民が裁かれることなどありはしないとたかをくくっていたのである。
しかしエレミヤは御言葉を語り続けた。
どんなに迫害されても、迫害されればされるほど、その偽りに対し、なおいっそう激しく主の御言葉を語らねばならなくなる。

主の名を口にすまい もうその名によって語るまい、と思っても 主の言葉は、わたしの心の中 骨の中に閉じ込められて 火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。

と語っているように、どんなに暴力で押さえつけようとしても、束縛しようとすればするほど、ますます「語らねばならなくなる」のだ。
暴力や戦争で人は支配できない。
争いで苦しめられた人の怒りや憎しみは増幅するばかりだし、何もかも破壊していくだけで、何も残らない。
いい加減、人も国も、人として生きるためにはどうすれば良いのか、何が大切なのか、学ばなければならない。
主の御言葉にその答えがあるのだろう。
エレミヤを馬鹿にしないで、エレミヤが苦難の中でも語り続けた主の御言葉に耳を傾けていこう。

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エレミヤ19:1 主はこう言われる。「行って、陶器師の壺を買い、民の長老と、長老格の祭司を幾人か連れて、
19:2 陶片の門を出たところにある、ベン・ヒノムの谷へ出て行き、そこでわたしがあなたに語る言葉を呼ばわって、
19:3 言うがいい。ユダの王たち、エルサレムの住民よ、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしは災いをこのところにもたらす。それを聞く者は耳鳴りがする。
19:4 それは彼らがわたしを捨て、このところを異教の地とし、そこで彼らも彼らの先祖もユダの王たちも知らなかった他の神々に香をたき、このところを無実の人の血で満たしたからである。
19:5 彼らはバアルのために聖なる高台を築き、息子たちを火で焼き、焼き尽くす献げ物としてバアルにささげた。わたしはこのようなことを命じもせず、語りもせず、心に思い浮かべもしなかった。
19:6 それゆえ、見よ、と主は言われる。このところがもはやトフェトとか、ベン・ヒノムの谷とか呼ばれることなく、殺戮の谷と呼ばれる日が来る。
19:7 わたしはユダとエルサレムの策略をこのところで砕く。わたしは彼らを剣によって、敵の前に倒し、その命を奪おうとする者の手に渡し、彼らの死体を空の鳥、野の獣の餌食とする。
19:8 わたしはこの都を恐怖の的とし、嘲られるものとする。通りかかる者は皆、恐怖を抱き、その打撃を見て嘲る。
19:9 彼らの敵と命を奪おうとする者が彼らを悩ますとき、その悩みと苦しみの中で、わたしは彼らに自分の息子や娘の肉を食らい、また互いに肉を食らうに至らせる。
19:10 あなたは、共に行く人々の見ているところで、その壺を砕き、
19:11 彼らに言うがよい。万軍の主はこう言われる。陶工の作った物は、一度砕いたなら元に戻すことができない。それほどに、わたしはこの民とこの都を砕く。人々は葬る場所がないのでトフェトに葬る。
19:12 わたしはこのようにこのところとその住民とに対して行う、と主は言われる。そしてこの都をトフェトのようにする。
19:13 エルサレムの家々、ユダの王たちの家々は、トフェトのように汚れたものとなる。これらの家はすべて、屋上で人々が天の万象に香をたき、他の神々にぶどう酒の献げ物をささげた家だ。」
19:14 エレミヤは、主が預言させるために遣わされたトフェトから帰って来て、主の神殿の庭に立ち、民のすべてに向かって言った。
19:15 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都と、それに属するすべての町々に、わたしが告げたすべての災いをもたらす。彼らはうなじを固くし、わたしの言葉に聞き従おうとしなかったからだ。」

エルサレムの町のあるシオンの丘の南側は、谷となっており、トフェトとかベンヒノムの谷などと呼ばれ、それこそ、ゴミ捨て場のようなところであったのだろう。
いつの時代も、きらびやかな都市生活のすぐ裏側には、こうした薄汚れたゴミ捨て場や汚水のたまり場のようなところがある。
人が多ければ多いほど、その量も多大なものとなる。
人が生きていれば、絶対にこうしたことは避けられない。
人は罪に汚れた存在なのだ。
考えることもよこしまことばかり、行動も汚れたことばかりに走るのだ。
いくらそれを無いモノのごとく振舞おうとも、必ずそれらの汚物と隣り合わせに生きている以上、見える形となって人々を悩ませる。
人が罪人であり、やることなすこと罪に汚れたものであるということを、まず認めることから始めなければなるまい。
認めようとしなければ、次第にあちこちで矛盾が生じ、汚れを覆い隠すために、ますます酷い悪行に走ってしまうからである。
主なる神様は、心を頑なにし、神を見捨て、偶像の神々に走ったイスラエルの民を、彼らの住むエルサレムの町を、まるで壺を打ち砕くかのように撃ち滅ぼすと仰せられる。
見栄や欲望で塗り固められ、よこしまな思いで積み上げられた人や町を、神様は好まれないし、容赦はしない。
ただ、真摯に悔い改め、神のもとに立ち帰るのなら話は別である。
罪のゆえに下されなければならない裁きは、御子キリストの十字架によって処罰され、赦しの約束だけを頂くのである。
だから、主の前に、己の罪を包み隠さず申し述べたい。
キリストの十字架によってしか償うことのできない私の罪を、完全なる償いによって赦される幸いを覚えたい。

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エレミヤ18:1 主からエレミヤに臨んだ言葉。
18:2 「立って、陶工の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」
18:3 わたしは陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた。
18:4 陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった。
18:5 そのとき主の言葉がわたしに臨んだ。
18:6 「イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。
18:7 あるとき、わたしは一つの民や王国を断罪して、抜き、壊し、滅ぼすが、
18:8 もし、断罪したその民が、悪を悔いるならば、わたしはその民に災いをくだそうとしたことを思いとどまる。
18:9 またあるときは、一つの民や王国を建て、また植えると約束するが、
18:10 わたしの目に悪とされることを行い、わたしの声に聞き従わないなら、彼らに幸いを与えようとしたことを思い直す。」
18:11 今、ユダの人々とエルサレムの住民に言うがよい。「主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちに災いを備え、災いを計画している。お前たちは皆、悪の道から立ち帰り、お前たちの道と行いを正せ。」
18:12 彼らは言った。「それは無駄です。我々は我々の思いどおりにし、おのおのかたくなな悪い心のままにふるまいたいのだから。」
18:13 それゆえ、主はこう言われる。「国々に尋ねて見よ。誰がこのようなことを聞いたであろうか。おとめイスラエルはおぞましいことをした。
18:14 シャダイの岩壁からレバノンの雪が消え去るだろうか。遠くから流れる冷たい水が涸れることがあろうか。
18:15 しかし、わたしの民はわたしを忘れ むなしいものに香をたいた。彼らは自分たちの道、昔からの道につまずき整えられていない、不確かな道を歩んだ。
18:16 わたしは彼らの地を恐怖の的とし いつまでも嘲られるものとする。通りかかる者は皆、おののき、頭を振る。
18:17 東風のように、わたしは彼らを敵の前に散らす。災いの日に わたしは彼らに背を向け、顔を向けない。」
18:18 彼らは言う。「我々はエレミヤに対して計略をめぐらそう。祭司から律法が、賢者から助言が、預言者から御言葉が失われることはない。舌をもって彼を打とう。彼の告げる言葉には全く耳を傾けまい。」
18:19 主よ、わたしに耳を傾け わたしと争う者の声を聞いてください。
18:20 悪をもって善に報いてもよいでしょうか。彼らはわたしの命を奪おうとして 落とし穴を掘りました。御前にわたしが立ち、彼らをかばい あなたの怒りをなだめようとしたことを 御心に留めてください。
18:21 彼らの子らを飢饉に遭わせ 彼らを剣に渡してください。妻は子を失い、やもめとなり 夫は殺戮され 若者は戦いで剣に打たれますように。
18:22 突然、彼らに一団の略奪者を 襲いかからせてください 彼らの家から叫ぶ声が聞こえるように。彼らはわたしを捕らえようと落とし穴を掘り 足もとに罠を仕掛けました。
18:23 主よ、あなたはご存じです わたしを殺そうとする彼らの策略を。どうか彼らの悪を赦さず 罪を御前から消し去らないでください。彼らが御前に倒されるよう 御怒りのときに彼らをあしらってください。

主なる神様は、預言者エレミヤを通して、背反の罪を犯し続けるイスラエルの民に悔い改めを迫る言葉を語らせている。
しかし、その内容は、悔い改めを迫るというより、もはや裁きの宣告に近いものであろう。
一方のイスラエルの民は、神から遣わされた真の預言者がそのような裁きの言葉を語るはずが無いと考え、エレミヤの預言の言葉を受け入れようとせず、エレミヤを打とうとまで考えている。
神と民との間にあって板挟みとなている預言者エレミヤの苦悩が伺えるのであるが、これは人間エレミヤの限界なのだろう。
イスラエルの民への裁きを神に訴え、自分の身を守ることを模索しているようである。
預言者エレミヤは、一人の人間である以上、これ以上は無理だったのだろう。
しかし、キリストは違う。神と民との板挟みになりつつも、神の御心を全うし、同時に民を救うことを成し遂げるため、自らの命を犠牲として十字架にささげ、その両者の間にある敵対関係を処罰されたのである。

エフェソ2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
2:15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
2:16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
2:17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。
2:18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

ちなみに、キリストは神である。
天使のような被造物ではない。
もしキリストが天使のような被造物なら、エレミヤを通して告げられたように「陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直す」ことのできるようなものとなってしまう。
何度でも作り出すことの出来るものならば、そこにたいした価値は存在しない。
けれど、キリストが神御自身であるから、それは尊いのである。
そして、神は、私どもの救いのために、その尊いかけがえのない命を捧げられたのである。


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エレミヤ17:1 ユダの罪は心の板に、祭壇の角に鉄のペンで書きつけられダイヤモンドのたがねで刻み込まれて
17:2 子孫に銘記させるものとなる。それらは彼らの祭壇であり、アシェラ像である。それらは、どの緑の木の下にも高い丘、野の山の上にもある。
17:3 野から山に登る者よ。わたしはお前の富と宝をお前の聖なる高台での罪のゆえにj至るところで、敵が奪うにまかせる。
17:4 わたしが継がせた嗣業をお前は失う。また、お前を敵の奴隷としお前の知らない国に行かせる。わたしの怒りによって火が点じられ とこしえに燃え続ける。
17:5 主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとしその心が主を離れ去っている人は。
17:6 彼は荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく人の住めない不毛の地 炎暑の荒れ野を住まいとする。
17:7 祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。
17:8 彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り暑さが襲うのを見ることなく その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく実を結ぶことをやめない。
17:9 人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。
17:10 心を探り、そのはらわたを究めるのは主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。
17:11 しゃこが自分の産まなかった卵を集めるように不正に富をなす者がいる。人生の半ばで、富は彼を見捨て ついには、神を失った者となる。
17:12 栄光の御座、いにしえよりの天 我らの聖所、
17:13 イスラエルの希望である主よ。あなたを捨てる者は皆、辱めを受ける。あなたを離れ去る者は地下に行く者として記される。生ける水の源である主を捨てたからだ。
17:14 主よ、あなたがいやしてくださるなら わたしはいやされます。あなたが救ってくださるなら わたしは救われます。あなたをこそ、わたしはたたえます。
17:15 御覧ください。彼らはわたしに言います。「主の言葉はどこへ行ってしまったのか。それを実現させるがよい」と。
17:16 わたしは、災いが速やかに来るよう あなたに求めたことはありません。痛手の日を望んだこともありません。あなたはよくご存じです。わたしの唇から出たことは あなたの御前にあります。
17:17 わたしを滅ぼす者とならないでください。災いの日に、あなたこそわが避け所です。
17:18 わたしを迫害する者が辱めを受け わたしは辱めを受けないようにしてください。彼らを恐れさせ わたしを恐れさせないでください。災いの日を彼らに臨ませ 彼らをどこまでも打ち砕いてください。
17:19 主はわたしにこう言われた。「行って、ユダの王たちが出入りする民の子らの門や、エルサレムのすべての門に立ち、
17:20 彼らに言うがよい。これらの門を入るユダの王たち、ユダのすべての者、エルサレムのすべての住民よ、主の言葉を聞け。
17:21 主はこう言われる。あなたたちは、慎んで、安息日に荷を運ばないようにしなさい。エルサレムのどの門からも持ち込んではならない。
17:22 また安息日に、荷をあなたたちの家から持ち出してはならない。どのような仕事もしてはならない。安息日を聖別しなさい。
17:23 それをわたしはあなたたちの先祖に命じたが、彼らは聞き従わず、耳を貸そうともしなかった。彼らはうなじを固くして、聞き従わず、諭しを受け入れようとしなかった。
17:24 主は言われる。もし、あなたたちがわたしに聞き従い、安息日にこの都の門から荷を持ち込まず、安息日を聖別し、その日には何の仕事もしないならば、
17:25 ダビデの王座に座る王たち、高官たち、すなわち車や馬に乗る王や高官、ユダの人々、エルサレムの住民が、常にこの都の門から入り、この都には、とこしえに人が住むであろう。
17:26 ユダの町々、エルサレムの周囲、ベニヤミンの地、シェフェラ、山地、ネゲブなどから、人々は焼き尽くす献げ物、いけにえ、穀物の献げ物、乳香をもたらし、主の神殿への感謝の献げ物とする。
17:27 もし、あなたたちがわたしに聞き従わず、安息日を聖別せず、安息日に荷を運んで、エルサレムの門を入るならば、わたしはエルサレムの門に火を放つ。その火はエルサレムの城郭を焼き尽くし、消えることはないであろう。」

イスラエルの民の犯した罪、それは、アシェラ像を代表する偶像を礼拝する行為である。
偶像を礼拝する行為の何が問題なのかと言えば、偶像とは神ではなく、人間の欲望を満たすために、また、正当化するために作り上げられた、いわば、でっちあげの神だからである。
つまり、偶像礼拝とは、欲望を礼拝するようなものである。
誰もが豊かで快適で富と快楽に満ちた生活を送りたいと願う。
そして、そのためならば、人はどんな罪をも平気で犯してしまう。
時には他人を殺しても、である。
全ての争いや戦争も同じ原理で生じる。

しかし、本当の神は、そのような世界を望んではおられない。
むしろ、欲望を追求した果てにある争いや破滅から人を救うために、主御自身がその怒りや憎しみ妬みなど、全ての敵意を引き受けて下さったことによって成し得たまことの平和、十字架の犠牲によって成し遂げられた救いの約束を与えようと願っておられる。
本当の神は、平和を確立し、平安を与えようと願っておられる。
だから、安息日もあくせく働くことばかり考えないで、本当の幸いとはどういうことなのか知り、真の平安と喜びを知るように勧めていらっしゃるということなのだろう。
単に仕事を休むというだけではなく、本当の平和、幸いがどこにあるのか、見出していくおとができるように、御言葉に聞いていきたいものである。

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マタイ20:20 そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。
20:21 イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」
20:22 イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、
20:23 イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」
20:24 ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。
20:25 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
20:26 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
20:27 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。
20:28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

権力とは魔物である。
人を惹きつけるし、人を傲慢にし、そして、人を滅ぼす。
ただし、それは人が罪人だからである。
実際、ゼベダイの子らの母親がイエス様に申し出をした時、他の弟子たちは腹を立てている。
罪の無い者が正しく権力を行使するのなら何も問題はない。
しかし残念ながら、人はみな罪人である。
イエス様はそんな罪人に「偉くなりたい者は、みなに仕える者になりなさい」と命じられる。
おそらく、人間にとって、もっとも難しいことであろう。

罪の無い者が権力の座につき、みなに仕える者となるという、人間にはできないことをイエス様はなさった。
罪深い者の身代金として命をささげるためである。

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エレミヤ16:1 主の言葉がわたしに臨んだ。
16:2 「あなたはこのところで妻をめとってはならない。息子や娘を得てはならない。」
16:3 このところで生まれる息子、娘、この地で彼らを産む母、彼らをもうけた父について、主はこう言われる。
16:4 「彼らは弱り果てて死ぬ。嘆く者も、葬る者もなく、土の肥やしとなる。彼らは剣と飢饉によって滅びる。その死体は空の鳥、野の獣の餌食となる。」
16:5 主はこう言われる。「あなたは弔いの家に入るな。嘆くために行くな。悲しみを表すな。わたしはこの民から、わたしの与えた平和も慈しみも憐れみも取り上げる」と主は言われる。
16:6 「身分の高い者も低い者もこの地で死に、彼らを葬る者はない。彼らのために嘆く者も、体を傷つける者も、髪をそり落とす者もない。
16:7 死者を悼む人を力づけるために、パンを裂く者もなく、死者の父や母を力づけるために、杯を与える者もない。
16:8 あなたは酒宴の家に入るな。彼らと共に座って、飲み食いしてはならない。」
16:9 万軍の主、イスラエルの神はこう言われる。「見よ、わたしはこのところから、お前たちの目の前から、お前たちが生きているかぎり、喜びの声、祝いの声、花婿の声、花嫁の声を絶えさせる。」
16:10 あなたが、この民にこれらの言葉をすべて告げるならば、彼らはあなたに、「なぜ主はこの大いなる災いをもたらす、と言って我々を脅かされるのか。我々は、どのような悪、どのような罪を我々の神、主に対して犯したのか」と言うであろう。
16:11 あなたは、彼らに答えるがよい。「お前たちの先祖がわたしを捨てたからだ」と主は言われる。「彼らは他の神々に従って歩み、それに仕え、ひれ伏し、わたしを捨て、わたしの律法を守らなかった。
16:12 お前たちは先祖よりも、更に重い悪を行った。おのおのそのかたくなで悪い心に従って歩み、わたしに聞き従わなかった。
16:13 わたしは、お前たちをこの地から、お前たちも先祖も知らなかった地へ追放する。お前たちは、そのところで昼も夜も他の神々に仕えるがよい。もはやわたしは、お前たちに恩恵をほどこさない。」
16:14 見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう、「イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる」と言わず、
16:15 「イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる」と言うようになる。わたしは彼らを、わたしがその先祖に与えた土地に帰らせる。
16:16 見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、わたしは多くの狩人を遣わして、すべての山、すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。
16:17 わたしの目は、彼らのすべての道に注がれている。彼らはわたしの前から身を隠すこともできず、その悪をわたしの目から隠すこともできない。
16:18 まず、わたしは彼らの罪と悪を二倍にして報いる。彼らがわたしの地を、憎むべきものの死体で汚し、わたしの嗣業を忌むべきもので満たしたからだ。
16:19 主よ、わたしの力、わたしの砦 苦難が襲うときの逃れ場よ。あなたのもとに国々は地の果てから来て言うでしょう。「我々の先祖が自分のものとしたのは偽りで、空しく、無益なものであった。
16:20 人間が神を造れようか。そのようなものが神であろうか」と。
16:21 それゆえ、わたしは彼らに知らせよう。今度こそ、わたしは知らせるわたしの手、わたしの力強い業を。彼らはわたしの名が主であることを知る。

今年もまた広島、長崎に原子爆弾が投下された日がやってくる。そして、終戦の日へと続く。
我々は戦争を知らない世代であるが、戦中や戦後の話を聞くたびに、このような過ちは二度と繰り返してはならないと思う。
それなのに、人は何度も同じ過ちを犯そうとする。
他国の民と争っても、自国の民の利益を優先する、どこまでも欲の深い生き物、それが人間なのだろう。
広島や長崎に原爆が投下されたあと、原爆で亡くなられた方々の遺体がうずたかく積み上げられ、火で焼かれたという。
なんともおぞましい光景だったことだろう。
でも、そうするより他、方法が無かったのだろう。
死者を葬ることさえ満足にできないような、まさに、この世の地獄のような光景、戦争とはそういうものである。
戦前の日本が何を目指し、何を求めていたのか。
真の神ではないものを追い求め、滅びへと向かっていったかつてのイスラエルに通じるものがあるように思う。
そこまで経験しなければ人は本当の幸せが何であるか分からないのかもしれないし、分かってもまた同じ過ちを繰り返してしまうのかもしれない。
人は自分の力では自分たちを救うことができないということなのかもしれない。

見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、わたしは多くの狩人を遣わして、すべての山、すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。

主なる神が遣わされる漁師たちに釣り上げてもらろう。
そして、主のもとで、真の幸いとは何か、本当は人はどう生きるべきなのかということを見出す人が増えていくようにと心から願うものである。

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エレミヤ15:1 主はわたしに言われた。「たとえモーセとサムエルが執り成そうとしても、わたしはこの民を顧みない。わたしの前から彼らを追い出しなさい。
15:2 彼らがあなたに向かって、『どこへ行けばよいのか』と問うならば、彼らに答えて言いなさい。『主はこう言われる。疫病に定められた者は、疫病に剣に定められた者は、剣に飢えに定められた者は、飢えに捕囚に定められた者は、捕囚に。』
15:3 わたしは彼らを四種のもので罰する、と主は言われる。剣が殺し、犬が引きずって行き、空の鳥と地の獣が餌食として滅ぼす。
15:4 わたしは地上のすべての国が、彼らを見て恐怖を抱くようにする。それはヒゼキヤの子ユダの王マナセがエルサレムでしたことのためである。」
15:5 エルサレムよ、誰がお前を憐れみ誰がお前のために嘆くであろうか。誰が安否を問おうとして、立ち寄るであろうか。
15:6 お前はわたしを捨て、背いて行ったと主は言われる。わたしは手を伸ばしてお前を滅ぼす。お前を憐れむことに疲れた。
15:7 わたしはこの地の町々の城門で彼らを箕であおり、まき散らしわが民の子らを奪い、滅ぼす。彼らがその道を改めないからだ。
15:8 やもめの数は海の砂よりも多くなった。わたしは白昼、荒らす者に若者の母を襲わせた。彼女はたちまち恐れとおののきに捕らえられ
15:9 七人の子の母はくずおれてあえぐ。太陽は日盛りに沈み彼女はうろたえ、絶望する。わたしは敵の前で民の残りの者を剣に渡すと主は言われる。
15:10 ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。国中でわたしは争いの絶えぬ男いさかいの絶えぬ男とされている。わたしはだれの債権者になったこともだれの債務者になったこともないのにだれもがわたしを呪う。
15:11 主よ、わたしは敵対する者のためにも幸いを願い彼らに災いや苦しみの襲うときあなたに執り成しをしたではありませんか。
15:12 鉄は砕かれるだろうか北からの鉄と青銅は。
15:13 わたしはお前の富と宝をお前のあらゆる罪の報いとして至るところで、敵の奪うにまかせる。
15:14 また、お前を敵の奴隷としお前の知らない国に行かせる。わたしの怒りによって火が点じられお前たちに対して燃え続ける。
15:15 あなたはご存じのはずです。主よ、わたしを思い起こし、わたしを顧みわたしを迫害する者に復讐してください。いつまでも怒りを抑えてわたしが取り去られるようなことがないようにしてください。わたしがあなたのゆえに辱めに耐えているのを知ってください。
15:16 あなたの御言葉が見いだされたときわたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなりわたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって呼ばれている者です。
15:17 わたしは笑い戯れる者と共に座って楽しむことなく御手に捕らえられ、独りで座っていました。あなたはわたしを憤りで満たされました。
15:18 なぜ、わたしの痛みはやむことなくわたしの傷は重くて、いえないのですか。あなたはわたしを裏切り当てにならない流れのようになられました。
15:19 それに対して、主はこう言われた。「あなたが帰ろうとするならわたしのもとに帰らせわたしの前に立たせよう。もし、あなたが軽率に言葉を吐かず熟慮して語るならわたしはあなたを、わたしの口とする。あなたが彼らの所に帰るのではない。彼らこそあなたのもとに帰るのだ。
15:20 この民に対してわたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。彼らはあなたに戦いを挑むが勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて助けあなたを救い出す、と主は言われる。
15:21 わたしはあなたを悪人の手から救い出し強暴な者の手から解き放つ。」

預言者エレミヤは、神に背き、裁きを宣告されたイスラエルの民の一員である。
このため、かたや神の御言葉を告げる神の代弁者としての言葉と、一方でイスラエルの民の一員として、神の裁きを民と共に受けなければ苦痛の中にいたため、その心境は両者の板ばさみとなる複雑なものであったのだろう。
そんなエレミヤ自身の言葉として「あなたの御言葉が見いだされたときわたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなりわたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって呼ばれている者です。」と記されている。
この言葉は、賛美にも用いられることのあるフレーズであるが、前後の文脈を見ると、これほどの苦難の中で神の裁きを告げる者と、裁きの言葉を宣告される者との両者の板ばさみの中、大きな葛藤の中にいたエレミヤの心境を物語っていると言える。
それは、エレミヤ自身自身にとって、もはや神の御言葉だけが頼り、彼を唯一支えることのできるもの、それが神の御言葉であったということであり、何一つ、心休まることのない中にあって、ただの一つでもいいから、魂を喜ばせるものがあるのならと、御言葉をむさぼるように見つけ出し、食べたというのである。
それは、非常に激しい魂の飢え乾き、葛藤の中にあって、極限の中で見出した唯一の救い、それが神の御言葉であったということであろう。
このことは預言者エレミヤに限らず、本来、私たちすべての人がそうであるべきなのだろう。
私も主の御言葉を見つけ出し食べ、主の御言葉が私にとって唯一心の楽しみであり、心の喜びとなるように、そう願うものである。


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エレミヤ14:1 干ばつに見舞われたとき、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
14:2 ユダは渇き、町々の城門は衰える。人々は地に伏して嘆きエルサレムは叫びをあげる。
14:3 貴族は水を求めて、召し使いを送る。彼らが貯水池に来ても、水がないので空の水がめを持ちうろたえ、失望し、頭を覆って帰る。
14:4 地には雨が降らず大地はひび割れる。農夫はうろたえ、頭を覆う。
14:5 青草がないので野の雌鹿は子を産んでも捨てる。
14:6 草が生えないので野ろばは裸の山の上に立ち山犬のようにあえぎ、目はかすむ。
14:7 我々の罪が我々自身を告発しています。主よ、御名にふさわしく行ってください。我々の背信は大きくあなたに対して罪を犯しました。
14:8 イスラエルの希望、苦難のときの救い主よ。なぜあなたは、この地に身を寄せている人 宿を求める旅人のようになっておられるのか。
14:9 なぜあなたは、とまどい人を救いえない勇士のようになっておられるのか。主よ、あなたは我々の中におられます。我々は御名によって呼ばれています。我々を見捨てないでください。
14:10 主はこの民についてこう言われる。「彼らはさまようことを好み、足を慎もうとしない。」主は彼らを喜ばれず、今や、その罪に御心を留め、咎を罰せられる。
14:11 主はわたしに言われた。「この民のために祈り、幸いを求めてはならない。
14:12 彼らが断食しても、わたしは彼らの叫びを聞かない。彼らが焼き尽くす献げ物や穀物の献げ物をささげても、わたしは喜ばない。わたしは剣と、飢饉と、疫病によって、彼らを滅ぼし尽くす。」
14:13 わたしは言った。「わが主なる神よ、預言者たちは彼らに向かって言っています。『お前たちは剣を見ることはなく、飢饉がお前たちに臨むこともない。わたしは確かな平和を、このところでお前たちに与える』と。」
14:14 主はわたしに言われた。「預言者たちは、わたしの名において偽りの預言をしている。わたしは彼らを遣わしてはいない。彼らを任命したことも、彼らに言葉を託したこともない。彼らは偽りの幻、むなしい呪術、欺く心によってお前たちに預言しているのだ。」
14:15 それゆえ、主は預言者についてこう言われる。「彼らはわたしの名によって預言しているが、わたしは彼らを遣わしてはいない。彼らは剣も飢饉もこの国に臨むことはないと言っているが、これらの預言者自身が剣と飢饉によって滅びる。
14:16 彼らが預言を聞かせている民は、飢饉と剣に遭い、葬る者もなくエルサレムの巷に投げ捨てられる、彼らも、その妻、息子、娘もすべて。こうして、わたしは彼らの悪を、彼ら自身の上に注ぐ。」
14:17 あなたは彼らにこの言葉を語りなさい。「わたしの目は夜も昼も涙を流しとどまることがない。娘なるわが民は破滅しその傷はあまりにも重い。
14:18 野に出て見れば、見よ、剣に刺された者。町に入って見れば、見よ、飢えに苦しむ者。預言者も祭司も見知らぬ地にさまよって行く。」
14:19 あなたはユダを退けられたのか。シオンをいとわれるのか。なぜ、我々を打ち、いやしてはくださらないのか。平和を望んでも、幸いはなくいやしのときを望んでも、見よ、恐怖のみ。
14:20 主よ、我々は自分たちの背きと先祖の罪を知っています。あなたに対して、我々は過ちを犯しました。
14:21 我々を見捨てないでください。あなたの栄光の座を軽んじないでください。御名にふさわしく、我々と結んだ契約を心に留めそれを破らないでください。
14:22 国々の空しい神々の中に雨を降らしうるものがあるでしょうか。天が雨を与えるでしょうか。我々の神、主よ。それをなしうるのはあなただけではありませんか。我々はあなたを待ち望みます。あなたこそ、すべてを成し遂げる方です。

イスラエルに下された裁きは、雨がやみ、地は渇き、草は枯れ、牧草を糧にしていた家畜らも息絶えていき、それによって、じわじわと人の生活も苦しいものになっていくものであった。
それは霊的な面でも同様であろう。
少しくらいなら良いかとたかをくくっているうちに、次第に神を必要としない生き方へと進んで行き、神の祝福を失った人間は、じわじわとその生きる苦しみを味わうことになる。
そのような中、イスラエルの預言者たちは、神が我々を見捨てるはずなど無いとたかをくくり、安易な言葉、偽りの預言の言葉を語るようになるのである。
「神は我らを見捨てるはずはない。必ず祝福で満たしてくださる」と。
しかし、そこに悔い改めは含まれていない。今まで通り、様々な偶像に溺れたままの生活を続けながら、今まで同様に祝福して下さるはずと言って、自らの欲望を神に押し付けようとするのである。
そもそも、その出発点が間違っている。
神は「人間の欲望を満たすために働かれるお方」ではない。それでは神は単なる人間の奴隷でしかない。
逆である。
もちろん、人間は神の奴隷として創られたのではない。
むしろ、最高の被造物として、最も愛される存在として創られた。
だから、神は人を祝福したい。
けれど、その祝福とは、人間の欲望を満たすこととは違っている。
神は人が生きて行くために必要なものを与えようと願っている。
そして、人が生きて行くために最も必要なものが神との交わりであり、命の源であることを知るように願っておられる。
神を見誤ってはならない。ましてや、自分の都合の良い神々を作り上げてはいけない。
聖書において明らかにされた「人を救うために自らの命をも犠牲にされるほど愛して下さる神」それこそが本当の神であることを覚えたい。

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エレミヤ13:1 主はわたしにこう言われる。「麻の帯を買い、それを腰に締めよ。水で洗ってはならない。」
13:2 わたしは主の言葉に従って、帯を買い、腰に締めた。
13:3 主の言葉が再びわたしに臨んだ。
13:4 「あなたが買って腰に締めたあの帯をはずし、立ってユーフラテスに行き、そこで帯を岩の裂け目に隠しなさい。」
13:5 そこで、わたしは主が命じられたように、ユーフラテスに行き、帯を隠した。
13:6 多くの月日がたった後、主はわたしに言われた。「立って、ユーフラテスに行き、かつて隠しておくように命じたあの帯を取り出しなさい。」
13:7 わたしはユーフラテスに行き、隠しておいた帯を探し出した。見よ、帯は腐り、全く役に立たなくなっていた。
13:8 主の言葉がわたしに臨んだ。
13:9 主はこう言われる。「このように、わたしはユダの傲慢とエルサレムの甚だしい傲慢を砕く。
13:10 この悪い民はわたしの言葉に聞き従うことを拒み、かたくなな心のままにふるまっている。また、彼らは他の神々に従って歩み、それに仕え、それにひれ伏している。彼らは全く役に立たないこの帯のようになった。
13:11 人が帯を腰にしっかり着けるように、わたしはイスラエルのすべての家とユダのすべての家をわたしの身にしっかりと着け、わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った。しかし、彼らは聞き従わなかった」と主は言われる。
13:12 あなたは彼らにこの言葉を語りなさい。「イスラエルの神、主はこう言われる。かめにぶどう酒を満たすべきだ」と。すると、彼らはあなたに言うだろう。「かめにぶどう酒を満たすべきだということを我々が知らないとでも言うのか」と。
13:13 あなたは彼らに言いなさい。「主はこう言われる。見よ、わたしは、この国のすべての住民、ダビデの王座につくすべての王、祭司、預言者、およびエルサレムのすべての住民を酔いで満たす。
13:14 わたしは、人をその兄弟に、父と子を互いに、打ちつけて砕く。わたしは惜しまず、ためらわず、憐れまず、彼らを全く滅ぼす」と主は言われる。
13:15 聞け、耳を傾けよ、高ぶってはならない。主が語られる。
13:16 あなたたちの神、主に栄光を帰せよ闇が襲わぬうちに足が夕闇の山でつまずかぬうちに。光を望んでも、主はそれを死の陰とし暗黒に変えられる。
13:17 あなたたちが聞かなければわたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く。涙が溢れ、わたしの目は涙を流す。主の群れが捕らえられて行くからだ。
13:18 王と太后に言え。「身を低くして座れ。輝かしい冠はあなたたちの頭から落ちた。」
13:19 ネゲブの町々は閉じられて開く者はなくユダはすべて捕囚となりことごとく連れ去られた。
13:20 目を上げて、北から襲う者を見よ。あなたにゆだねられた群れ輝かしい羊の群れはどこにいるのか。
13:21 指導者として育てた人々があなたから失われるならあなたは何と言うつもりか。女が子を産むときのような苦しみが必ずあなたをとらえるであろう。
13:22 あなたは心に問うであろう。「なぜ、このような事がわたしに起こるのか。」あなたの重い罪のゆえに着物の裾は剥ぎ取られ、辱めを受ける。
13:23 クシュ人は皮膚を豹はまだらの皮を変ええようか。それなら、悪に馴らされたお前たちも正しい者となりえよう。
13:24 わたしはお前たちを散らす荒れ野の風に吹き飛ばされるもみ殻のように。
13:25 これがお前の運命わたしが定めたお前の分である、と主は言われる。お前がわたしを忘れむなしいものに依り頼んだからだ。
13:26 わたし自身がお前の着物の裾を顔まで上げお前の恥はあらわになった。
13:27 お前が姦淫し、いななきの声をあげ淫行をたくらみ、忌むべき行いをするのを丘でも野でもわたしは見た。災いだ、エルサレムよ。お前は清いものとはされえない。いつまでそれが続くのか。

主なる神様は、エレミヤに帯をユーフラテス川の岩の裂け目に隠しておくよう命じられ、しばらくしてから、その帯を取り出すよう命じられている。
当然、帯びは腐り、全く役に立たないものとなっていた。
しかし、それまでに、どれだけの時間が経過したのか。
「多くの月日がたった後」とだけ記されているが、少なくとも数ヶ月と考えるべきであろう。
数ヶ月の時を経て、神様は一つのメッセージをエレミヤに託すのである。
なんとも気の長い話ではあるが、神のなさる裁きは、このように、ゆっくりと時間をかけて行われるものなのかもしれない。
ゆっくりと、じわじわと朽ちていくごとく、ゆっくり、じわじわ裁きが進められていくことは、ともすれば、非常に恐ろしい出来事のようにも見える。
けれども、主なる神様は、民が悔い改めて神のみもとに立ち返るならば、直ちに裁きをやめられ、祝福されるお方なのだろう。
いつでも裁きをとめられるように、なるべく被害がでないように、進み具合を遅くしておられるのかもしれない。

2ペテロ3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。

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