聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ヨハネ1:35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
1:36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
1:37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
1:38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
1:39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
1:40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
1:41 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
1:42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

イエス様の弟子たちのうち、最も有名な人物とも言えるのがペトロである。
しかし、そのペトロにイエス様のことを伝えたのは、ペトロの兄弟アンデレであった。
彼はもともと、バプテスマのヨハネの弟子であったが、ヨハネがイエス様を指して「見よ、神の小羊だ」と宣言してから後は、すぐさまイエス様に従っていった人物である。
一番最初の弟子と言っても過言ではあるまい。
その最初の弟子が行ったことが、兄弟への伝道である。
つまり、イエス様を信じてイエス様の弟子となった者は、やるべきことはいつの時代にも変わらず、自分の家族や親しい人へイエス様を伝え、彼らを神のもとに導き、神に救っていただくことであるということだろう。
アンデレだけが特別なのではない。
ましてやペトロがもっと特別だというのでもない。
みな同じ。
イエス様のもとに導かれ、イエス様を救い主として信じるようになること。
それが、主なる神様の切なる願いでもある。
主は、そのような働きをする者を「美しい足」と言って下さる。

本当の美しさとは、そのような生き方を送る人にこそふさわしいのであろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1ペトロ2:1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
2:3 あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。
2:4 この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」
2:7 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」のであり、
2:8 また、「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。

人生の土台をどこに据えるか、これは私たちが生きていく上で、たいへん重要なことである。
私たちのために神ご自身が十字架で罪の償いの犠牲を支払い、一切の罪を赦してくださるという救いの約束を頂き、その救いの根拠でもあるお方を土台に据えて生きていく事は、何物にもまさる平安と希望を与えられる。
悪意や偽りなどを捨て去った人生を送りたいからというだけではない。
むしろ、そんなことも思えなくなるような永遠の喜びを頂く事で、心の底から変えられていくことを願うからである。
私はそんな生き方を続けていきたい。
そのために、常に私の救いの土台である、イエス・キリストの十字架と復活の御業を賛美し、この喜びの知らせを宣べ伝えていきたいと願う。
それが霊的な家に建て上げられていくということなのだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1ペトロ1:22 あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。
1:23 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
1:24 こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。
1:25 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。

主イエス・キリストを救い主と信じて救われた者は、やがて終わりを向かえ、消えてなくなってしうまうような命とは全く異なる新しい命、永遠の命を頂く。
その命が新しい人生の基礎となるとき、今までとは全く異なる人生の歩みとなるはずである。
欲する者から与える者へ、惜しむ者から惜しまぬ者へ変えられていくことであろう。
私たちの救いの基が、永遠の神の御言葉である聖書に約束されている限り、そこに基礎を据えていくことから来る幸いを覚えたいものである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1ペトロ1:17 また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。
1:18 知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、
1:19 きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。
1:20 キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。
1:21 あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。

イエス様を信じ、それまでの生き方とは全く異なる人生を歩み始めた。
なぜそうなのかと考えたとき、ここに記されている事柄がその大きな理由であると思える。
つまり、私たちは金や銀などの朽ちるものによらず、神の御子キリストの尊い贖いの血によって救われたものであり、どれほど素晴らしい代価を支払って神に買い取られたかを知ったからこそ、今までとは違う生き方へと変えられていくはずなのだ。
だから、何も変わっていないいではないかと思うときには、常にここに語られているような御言葉に立ち返ることが大切なのであろう。
そうすることによって、再び神のものとせられた人の歩みが始まるのだから。

キリストの故に神のものとせられ、信仰と希望を頂いたことを感謝し、今日も聖なる生活を送りたいものである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1ペトロ1:13 だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
1:14 無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、
1:15 召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。
1:16 「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。

最近時々嫌な夢を見る。
きっと心のどこかに不安があるのだろう。
しかしその不安は、外からくるものではない。
神様に対しての恐れ、罪を犯していることを裁かれることへの恐れなのだろうと思う。
「聖なる者となれ」との御言葉に従えていない自分がいることを知っているからなのだろう。
しかし、「聖なる者となる」ということは、必ずしも、潔癖で完全な人となることを意味しているわけではない。
それよりも、かつて罪人であった者が、今はイエス・キリストの贖いによって贖われ、神のものとせられた人のことを指し示すものである。
だから、何も恐れる必要はない。
すでにキリストの十字架により、神のものとせられたのだから。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1ペトロ1:10 この救いについては、あなたがたに与えられる恵みのことをあらかじめ語った預言者たちも、探求し、注意深く調べました。
1:11 預言者たちは、自分たちの内におられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光についてあらかじめ証しされた際、それがだれを、あるいは、どの時期を指すのか調べたのです。
1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのためであるとの啓示を受けました。それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、今、あなたがたに告げ知らせており、天使たちも見て確かめたいと願っているものなのです。

パウロらの働きを通して異邦人へも広がっていった宣教の働きは、既に聖霊を通して預言者たちに語られていたことであると告げられている。
しかもそれは天使たちも見て確かめたいと思うほどに、神様が望まれたことであり、全世界の人々が主イエス・キリストを信じ、救われる事が神様の切なる願いなのである。
私たちはそのことを忘れてはならない。
だから、宣教の業を進めていかなければならないのだ。

先の見えない時代。
希望が感じられない時代。
しかし、それは本当ではない。
豊かな暮らし、平和な暮らし、繁栄した暮らしを追い求める事を希望と考えているから、本当の希望が見えにくくなっているだけである。

私たちの希望は、主なる神様の御心のうちにある。
全ての民が神を信じ、救われる事を望む。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1ペトロ1:1 イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。
1:2 あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、
1:4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。
1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。
1:6 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、
1:7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。
1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。
1:9 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

1節の箇所には、この手紙がペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ向けて書かれたものであることが記されている。
それは、何の問題もなく、平和で安定した暮らしぶりとは程遠いものであったのかもしれない。
そもそも離散している人たちということは、故郷を追われ、たどり着いた地で、一生懸命に生活の基盤を整えながら生活していたであろうことは想像できる。
それゆえ、多くの困難や試練が常に彼らを付きまとっていたのであろう。
しかし、ペトロは、そんな彼らこそ、神によって特別に選ばれた民であり、キリストの血による贖いの恵みを受けるために選ばれた民であることを告げているのである。
おおよそ、世間的に見て、決して祝福されているとは思えないような人たちであったのかもしれない。
しかし、主なる神は、そのような困難の中にある民を選んでおられるのだ。

この恵みが、私たちにも備えられている。
天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者として。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




エレミヤ52:1 ゼデキヤは二十一歳で王となり、十一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をハムタルといい、リブナ出身のイルメヤの娘であった。
52:2 彼はヨヤキムが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った。
52:3 エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から投げ捨てられることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻した。
52:4 ゼデキヤの治世、第九年十月十日に、バビロンの王ネブカドレツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、陣を敷き、周りに堡塁を築いた。
52:5 都は包囲され、ゼデキヤ王の第十一年に至った。
52:6 四月九日に、都の中で飢えが厳しくなり、国の民の食糧が尽き、
52:7 都の一角が破られた。戦士たちは皆逃げ出した。彼らは夜中に、カルデア人が都を取り巻いていたが、王の園に近い二つの城壁の間にある門を通って都を出、アラバへ向かって行った。
52:8 カルデア軍は王の後を追い、エリコの荒れ地でゼデキヤに追いついた。王の軍隊はすべて王を離れ去ってちりぢりになった。
52:9 王は捕らえられ、ハマト地方のリブラにいるバビロンの王のもとに連れて行かれ、裁きを受けた。
52:10 バビロンの王は、ゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、また、ユダの将軍たちもすべてリブラで殺した。
52:11 その上で、バビロンの王はゼデキヤの両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行き、死ぬまで牢獄に閉じ込めておいた。
52:12 五月十日、バビロンの王ネブカドレツァルの第十九年のこと、バビロンの王の側近である親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、
52:13 主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、火を放って焼き払った。
52:14 また、親衛隊の長と共に来たカルデア人は、軍をあげてエルサレムの周囲の城壁をすべて取り壊した。
52:15 貧しい民の一部、民のうち都に残っていたほかの者、バビロンの王に投降した者、ほかの技師たちは親衛隊の長ネブザルアダンによって、捕囚とされ、連れ去られた。
52:16 この地の貧しい民の一部は、親衛隊の長ネブザルアダンによってぶどう畑と耕地にそのまま残された。
52:17 カルデア人は主の神殿の青銅の柱、台車、主の神殿にあった青銅の「海」を砕いて、その青銅をことごとくバビロンへ運び去り、
52:18 壺、十能、芯切り鋏、鉢、柄杓など、祭儀用の青銅の器をことごとく奪い取った。
52:19 また親衛隊の長は、小鉢、火皿、鉢、壺、燭台、柄杓、水差しなど、金製品も銀製品もすべて奪い取った。
52:20 ソロモンが主の神殿のために造らせた二本の柱、一つの「海」、それを支える青銅の牛十二頭および台車についていえば、これらすべてのものの青銅の重量は量りきれなかった。
52:21 柱についていえば、一本の柱の高さは十八アンマ、周囲は十二アンマ、空洞で厚みは指四本分であった。
52:22 その上に青銅の柱頭があり、一方の柱頭の高さは五アンマ、柱頭の周りには格子模様の浮き彫りとざくろがあって、このすべてが青銅であった。もう一本の柱も同様に出来ていて、ざくろもそうであった。
52:23 九十六個のざくろがぶら下がっており、格子模様の浮き彫りの周囲にあるざくろは全部で百個であった。
52:24 親衛隊の長は祭司長セラヤ、次席祭司ツェファンヤ、入り口を守る者三人を捕らえた。
52:25 また、彼は戦士の監督をする宦官一人、都にいた王の側近七人、国の民の徴兵を担当する将軍の書記官、および都にいた国の民六十人を都から連れ去った。
52:26 親衛隊の長ネブザルアダンは彼らを捕らえて、リブラにいるバビロンの王のもとに連れて行った。
52:27 バビロンの王はハマト地方のリブラで彼らを打ち殺した。こうしてユダは自分の土地を追われて捕囚となった。
52:28 ネブカドレツァルが捕囚として連れ去った民の数をここに記すと、第七年に連れ去ったユダの人々が三千二十三人、
52:29 ネブカドレツァルの第十八年にエルサレムから連れ去った者が八百三十二人であった。
52:30 ネブカドレツァルの第二十三年には、親衛隊の長ネブザルアダンがユダの人々七百四十五人を捕囚として連れ去った。総数は四千六百人である。
52:31 ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の十二月二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた。
52:32 バビロンの王は彼を手厚くもてなし、バビロンで共にいた王たちの中で彼に最も高い位を与えた。
52:33 ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。
52:34 彼は生きている間、死ぬ日まで毎日、日々の糧を常にバビロンの王から支給された。

エレミヤ書の最後の52章は、列王記下24章18節~25章30節の箇所とほぼ同じ内容であると言われている。
何故そのようになっているのか、この書を記したエレミヤの真意は不明だが、預言書の最後にこういった歴史の事実が記録されている事は興味深い。
しいて言うならば、預言したことが実現したという証拠の意味合いもあるのかもしれない。
いずれにしても、ここに記されていることは、確かに歴史の中に起こった事実である。
つまり、神様の語られた言葉、そして、この世界に対する働きかけ、それは全て、必ず実現するものであり、この世界と深く関係しているということである。
何か、遠い世界の、神話の中の出来事といったようなものではない。
全てがリアルな現実世界と関係しているということなのだ。
そして、当然その対象には、私たち一人ひとりも含まれている。
聖書の御言葉は、単なるイスラエルの民族に対するだけのものではない。
今朝こうして御言葉に耳を傾ける私たち一人一人に対して語りかけられる神の御言葉なのである。
だから、こうして御言葉を聞き、私のうちに生じる現実を書きとめていくことは意味のあることなのだろう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




エレミヤ51:34 バビロンの王ネブカドレツァルはわたしに食いつき、当惑させ竜のようにわたしを呑み込みわたしのうまい肉で腹を満たしわたしを空の皿のようにして洗い清めた。
51:35 「わたしと、わたしの肉親が受けた暴虐がバビロンの上にふりかかるように」とシオンの女たちは言い「わたしの血の恨みがカルデアの住民にふりかかるように」とエルサレムは言う。
51:36 それゆえ、主はこう言われる。見よ、わたしはお前の訴えを取り上げお前の仇を報いる。わたしはバビロンの海を干上がらせ泉を涸らす。
51:37 バビロンは、瓦礫の山ジャッカルの住みかとなり恐怖と嘲りの的となり住む者はひとりもいなくなる。
51:38 彼らは一斉に若獅子のようにうなり獅子の子のようにほえる。
51:39 わたしは、たけりたつ彼らに宴を設けて酔わせる。彼らは泥酔して、よろめきいつまでも眠り続けて目を覚まさないと主は言われる。
51:40 わたしは、彼らを小羊のようにまた雄羊や雄山羊のように屠り場に引いて行く。
51:41 シェシャク(バビロン)は占領された。全世界の賛美の的であったものが捕らえられた。バビロンは国々の間に恐怖の的となった。
51:42 混沌の海がバビロンに襲いかかりバビロンは高波のとどろきに覆われた。
51:43 町々は廃虚となり乾ききった地、荒れ地となる。そこは住む者のない土地となり人の子ひとり通らぬ所となる。
51:44 わたしはバビロンでベルを罰し彼が呑み込んだものを口から吐き出させる。国々が川の流れのようにそこに集まることはもはやない。バビロンの城壁は倒れた。
51:45 わが民よ、その中から出よ。おのおの自分の命を救え主の激しい怒りを逃れて。
51:46 お前たちは心挫けてはならない。この地で耳にするうわさを恐れるな。一つのうわさがこの年に来れば、別のうわさが次の年に来る。この地に不法が行われ、支配者と支配者が争うなど、と。
51:47 それゆえ、見よ、その日が来ればわたしはバビロンの偶像を罰する。全土はうろたえ殺された者は皆、国のただ中に倒れる。
51:48 天と地と、その中にあるすべてのものはバビロンの滅亡を喜び歌う。滅ぼす者が北から来るからだ、と主は言われる。
51:49 バビロンもまた、必ず倒れるイスラエルの殺された人々のゆえに。バビロンのゆえに、世界の至るところで人々が殺されたのだから。
51:50 剣を逃れた者らよ。行け、立ち止まるな。遠くから主を思い起こしエルサレムを心に留めよ。
51:51 我々はののしりを聞いて当惑している。恥辱が我々の顔を覆っている。外敵が主の家の聖域に押し入ったからだ。
51:52 それゆえ、見よ、その日が来ればと主は言われる。わたしはバビロンの偶像を罰する。国の至るところで殺された者が呻く。
51:53 たとえ、バビロンが天に上っても高いやぐらの守りを固めてもわたしのもとから滅ぼす者が来ると主は言われる。
51:54 バビロンから叫びの声が聞こえカルデア人の地から大いなる破壊の音がする。
51:55 主がバビロンを滅ぼし大音響を静められる。波のうねりが大水のようにとどろきどよめきの音が響きわたる。
51:56 滅ぼす者がバビロンに攻めて来た。勇士たちは捕らえられ、弓は折られた。まことに主は仇を返される神主は必ず報復される。
51:57 わたしはバビロンの高官、知者、総督、長官、勇士らを酔わせる。彼らはいつまでも眠り続けて目を覚ますことはない、とその御名を万軍の主という王が言われる。
51:58 万軍の主はこう言われる。バビロンの厚い城壁は無残に崩され高い城門は火で焼かれる。今や、多くの民の労苦はむなしく消え諸国民の辛苦は火中に帰し、人々は力尽きる。
51:59 ユダの王ゼデキヤの第四年に、マフセヤの孫でネリヤの子であるセラヤが、宿営の長として王と共にバビロンに行ったとき、預言者エレミヤはセラヤに次のように命じた。
51:60 エレミヤはバビロンに襲いかかるすべての災いを一巻の巻物に記した。そこに書かれた言葉はすべて、バビロンに関するものであった。
51:61 エレミヤはセラヤに言った。あなたがバビロンに到着したとき、注意してこの言葉を朗読し、
51:62 そして言いなさい。「主よ、あなた御自身がこの場所について、これを断ち滅ぼし、人も獣も住まない永久の廃虚にすると語られました」と。
51:63 この巻物の朗読を終えたとき、巻物に石を結び付け、ユーフラテス川に投げ込み、
51:64 そして言いなさい。「このように、バビロンは沈む。わたしがくだす災いのゆえに、再び立ち上がることはない。人々は力尽きる」と。ここまでがエレミヤの言葉である。

エレミヤを通して語られたバビロンへの裁きの言葉には、それがどんなに強大な国であろうと、堅固な守りを固めた軍隊を持とうと、主の御前にはいかに無力であり、主が裁きを下されるときには、絶対にこれを逃れる事はできない。
それゆえに慰められる者もいる。
それは、バビロンによって辱めを受けた民であり、バビロンによって殺された多くの民らであろう。
それが、たとえ既に殺されてしまった者であっても、復活の希望、永遠の命に与る希望を頂いている者なら、主がなさる正しい裁きによって慰めを頂く事ができるのだ。
エレミヤの告げた預言は、その通りに実現した。
だから、イスラエルの慰めもまた、実現したのである。

未だ見ぬ神の国の約束。
それは私たちにとっても既に実現した出来事である、ということを覚えたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




エレミヤ51:1 主はこう言われる。「わたしはバビロンに対しレブ・カマイ(カルデア)の住民に向かって滅びの風を巻き起こす。
51:2 わたしはバビロンに外敵を送る。彼らはバビロンをふるいにかけその国土を裸にする。災いの日に、彼らは四方からバビロンに迫る。」
51:3 弓を射る者に弓を張らせ鎧を着けて身構えさせよ。バビロンの若者たちを惜しんではならない。その軍をすべて滅ぼし尽くせ。
51:4 カルデア人の国には、殺された者が路上には、刺された者が倒れる。
51:5 イスラエルとユダはその神、万軍の主に見捨てられてはいない。カルデア人の国には罪が満ちているイスラエルの聖なる方に背いた罪が。
51:6 お前たちはバビロンの中から逃げおのおの自分の命を救え。バビロンの悪のゆえに滅びるな。今こそ、主が復讐される時主はバビロンに仇を返される。
51:7 バビロンは主の手にある金の杯これが全世界を酔わせた。国々はその酒を飲みそのゆえに、国々は狂った。
51:8 にわかに、バビロンは倒れ、砕かれた。バビロンのために嘆け。その傷に乳香を塗れ。いえるかもしれない。
51:9 我々はバビロンをいやそうとした。しかし、いやされはしなかった。バビロンを捨てて、おのおの自分の国へ帰ろう。バビロンの審判は天に達し、雲にまで届いた。
51:10 主は我々の正しさを明らかにされた。さあ、我々はシオンで我らの神、主の御業を語り告げよう。
51:11 矢を研ぎ澄まし、盾を用意せよ。主はメディアの王たちの霊を奮い起こさせる。バビロンに対する主の定めは滅ぼすこと。これこそ主の復讐主の神殿の復讐だ。
51:12 バビロンの城壁に向かって旗を立て見張りを強化せよ。見張りの者を立て、伏兵を置け。主は思い定め、それを実行されるバビロンの住民に告げられたことを。
51:13 豊かな水の傍らに住み、財宝に富む者よ。お前の終わりが来た。命の糸は断たれる。
51:14 万軍の主は、御自分にかけて誓われた。「わたしは必ず、いなごの大軍のような人々でお前を満たす。彼らはお前を攻め、叫び声をあげる。」
51:15 御力をもって大地を造り知恵をもって世界を固く据え英知をもって天を広げられた方。
51:16 主が御声を発せられると天の大水はどよめく。地の果てから雨雲を湧き上がらせ稲妻を放って雨を降らせ風を倉から送り出される。
51:17 人は皆、愚かで知識に達しえない。金細工人は皆、偶像のゆえに辱められる。鋳て造った像は欺きにすぎず霊を持っていない。
51:18 彼らは空しく、また嘲られるもの。裁きの時が来れば滅びてしまう。
51:19 ヤコブの分である神はこのような方ではない。万物の創造者でありヤコブはその方の嗣業の民である。その御名は万軍の主。
51:20 お前はわたしの鎚、わたしの武器であった。お前によって、わたしは国々を砕きお前によって、諸王国を滅ぼした。
51:21 お前によって、軍馬と騎兵を砕きお前によって、戦車とその操縦者を砕いた。
51:22 お前によって、男も女も砕きお前によって、老いも若きも砕きお前によって、若者もおとめも砕いた。
51:23 お前によって、羊飼いと群れを砕きお前によって、農夫と耕す牛を砕きお前によって、総督と長官を砕いた。
51:24 しかし、わたしはバビロンとカルデアの全住民に対しお前たちの目の前で報復する。彼らがシオンで行ったあらゆる悪に対してと主は言われる。
51:25 滅びの山よ、見よ、わたしはお前に立ち向かうと主は言われる。全世界を滅ぼす者よわたしは手を伸ばしてお前を捕らえ断崖から転がして落とし、燃え尽きた山にする。
51:26 お前の石を取って隅の石とする者はないし土台の石とする者もない。お前はとこしえに荒れ果てたままだと主は言われる。
51:27 大地に旗を立て、国々で角笛を吹き鳴らせ。バビロンを撃つために国々を聖別し諸王国を呼び集めよアララト、ミンニ、そしてアシュケナズを。指揮官を立て、バビロンを攻めよ。群がるいなごのように軍馬を上らせよ。
51:28 バビロンを撃つために、国々を聖別せよメディアの諸王国を、その総督とすべての長官また、その支配下の全土を。
51:29 大地は震え、ねじれる。主の定めがバビロンに成就しバビロンの国を人の住まない廃虚とされるから。
51:30 バビロンの勇士たちは戦いをやめ砦に座り込む。彼らの力はうせ、女のようになる。バビロンの家屋は焼かれ、かんぬきは砕かれる。
51:31 伝令は走って、次の伝令に伝え使者は次の使者へ取り次ぎ都が隅々まで占領されたことをバビロンの王に知らせる。
51:32 渡し場は次々と奪われ沼地の葦は火で焼き払われ兵士たちはおびえる。
51:33 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。娘バビロンは、麦の打ち場のようだ。今や、彼女は踏みつけられ間もなく、彼女を取り入れる時が来る。

昨日、テレビの番組で、ハリウッドの映画作成でVFX(ヴィジュアル・エフェクト)の部門でアカデミー賞を受賞したという日本人が紹介されていた。
その人は、どんなにCG(コンピューターグラフィックス)を駆使しても、水の動きや海のさざなみを表現するのは難しく、まさしく神にしかできない業だということを言っていた。そして、ボタンを押せば水の動きを表現できるような「神ボタン」があれば良いのに、とも言っていた。
素晴らしい技術、人々から賞賛されるような功績をもってしても、私たちの身近にある水の動きでさえ作り出すことはできないのだ。

バビロンの栄光(金の杯)も、当時の世界中の人々を酔わせるほどの、だれもがうらやむような成功を収めていたのかもしれない。
しかし、そんなバビロンも、神の御手により、一瞬にして滅びへと転落してしまうのだ。

51:15御力をもって大地を造り知恵をもって世界を固く据え英知をもって天を広げられた方。
51:16 主が御声を発せられると天の大水はどよめく。地の果てから雨雲を湧き上がらせ稲妻を放って雨を降らせ風を倉から送り出される。
51:17 人は皆、愚かで知識に達しえない。金細工人は皆、偶像のゆえに辱められる。鋳て造った像は欺きにすぎず霊を持っていない。
51:18 彼らは空しく、また嘲られるもの。裁きの時が来れば滅びてしまう。
51:19 ヤコブの分である神はこのような方ではない。万物の創造者でありヤコブはその方の嗣業の民である。その御名は万軍の主。

神が創られた世界、神によって選ばれた聖なる民。
そのような、神の御心によって行われた御業に目を向ける時にこそ、本当の幸いがあるということを思わされる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ