デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ヨシュア 24:1 ヨシュアは、イスラエルの全部族をシケムに集め、イスラエルの長老、長、裁判人、役人を呼び寄せた。彼らが神の御前に進み出ると、
24:2 ヨシュアは民全員に告げた。「イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。
24:3 しかし、わたしはあなたたちの先祖アブラハムを川向こうから連れ出してカナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えた。彼にイサクを与え、
24:4 イサクにはヤコブとエサウを与えた。エサウにはセイルの山地を与えたので、彼はそれを得たが、ヤコブとその子たちはエジプトに下って行った。
24:5 わたしはモーセとアロンを遣わし、エジプトに災いをくだしたが、それはわたしが彼らの中にくだしたことである。その後、わたしはあなたたちを導き出した。
24:6 わたしがあなたたちの先祖をエジプトから導き出し、彼らが葦の海に着くころ、エジプト軍は戦車と騎兵を差し向け、後を追って来た。
24:7 彼らが主に助けを求めて叫ぶと、主はエジプト軍との間を暗闇で隔て、海を彼らに襲いかからせて彼らを覆われた。わたしがエジプトに対して行ったことは、あなたたちがその目で見たとおりである。その後、長い間荒れ野に住んでいた
24:8 あなたたちを、わたしは、ヨルダン川の向こう側の住民アモリ人の国に導き入れた。彼らは戦ったが、わたしが彼らをあなたたちの手に渡し、あなたたちのために彼らを滅ぼしたので、あなたたちは彼らの国を得た。
24:9 その後、モアブの王、ツィポルの子バラクが立ち上がりイスラエルに戦いを挑んだ。彼は使いを送って、ベオルの子バラムを呼び寄せ、あなたたちに呪いをかけようとしたが、
24:10 わたしがバラムに聞こうとしなかったので、彼はあなたたちを祝福することとなった。わたしはこうして、あなたたちを彼の手から救い出した。
24:11 あなたたちがヨルダン川を渡り、エリコに達したとき、エリコの人々をはじめ、アモリ人、ペリジ人、カナン人、ヘト人、ギルガシ人、ヒビ人、エブス人があなたたちに戦いを挑んだが、わたしは彼らをあなたたちの手に渡した。
24:12 わたしは、恐怖をあなたたちに先立たせ、剣にもよらず、弓にもよらず、彼らと二人のアモリ人の王をあなたたちのために追い払った。
24:13 わたしは更に、あなたたちが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。あなたたちはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている。』
24:14 あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。
24:15 もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」
24:16 民は答えた。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。
24:17 わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。
24:18 主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」
24:19 ヨシュアはしかし、民に言った。「あなたたちは主に仕えることができないであろう。この方は聖なる神であり、熱情の神であって、あなたたちの背きと罪をお赦しにならないからである。
24:20 もし、あなたたちが主を捨てて外国の神々に仕えるなら、あなたたちを幸せにした後でも、一転して災いをくだし、あなたたちを滅ぼし尽くされる。」
24:21 民がヨシュアに、「いいえ、わたしたちは主を礼拝します」と言うと、
24:22 ヨシュアは民に言った。「あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。」彼らが、「そのとおり、わたしたちが証人です」と答えると、
24:23 「それではあなたたちのもとにある外国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい」と勧めた。
24:24 民はヨシュアに答えた。「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」
24:25 その日、ヨシュアはシケムで民と契約を結び、彼らのために掟と法とを定めた。
24:26 ヨシュアは、これらの言葉を神の教えの書に記し、次いで、大きな石を取り、主の聖所にあるテレビンの木のもとに立て、
24:27 民全員に告げた。「見よ、この石がわたしたちに対して証拠となる。この石は、わたしたちに語られた主の仰せをことごとく聞いているからである。この石は、あなたたちが神を欺くことのないように、あなたたちに対して証拠となる。」
24:28 ヨシュアはこうして、民をそれぞれの嗣業の土地に送り出した。
24:29 これらのことの後、主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、
24:30 エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティムナト・セラに葬られた。それはガアシュ山の北にある。
24:31 ヨシュアの在世中はもとより、ヨシュアの死後も生き永らえて、主がイスラエルに行われた御業をことごとく体験した長老たちの存命中、イスラエルは主に仕えた。
24:32 イスラエルの人々がエジプトから携えてきたヨセフの骨は、その昔、ヤコブが百ケシタで、シケムの父ハモルの息子たちから買い取ったシケムの野の一画に埋葬された。それは、ヨセフの子孫の嗣業の土地となった。
24:33 アロンの子エルアザルも死に、その息子ピネハスに与えられたエフライム山地のギブアに葬られた。

ヨシュアは、彼の生涯が残り少なくなったことを知り、これまでのイスラエエルのたどった歴史を振り返り、神がしてくださった数々の恵みを、最後の説教としてイスラエルの民に語りかけている。
そして、それに続き、彼自身の信仰の表明と民への問いかけが行われるのである。

あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。
もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。

わたしとわたしの家とは主に仕えます、との有名なヨシュアの言葉である。
興味深いのは、「わたしとわたしの家とは」主に仕えると語られているところであり、信仰の表明は、あくまで個人個人が行うものであり、個々の聖域に委ねられるものであるという点に加え、それが、家族にも及んでいるということである。
家族は個人ではない。
しかし、彼にとっては、家族という単位が、最小の共同体であり、社会を構成する基礎であるということを示しているように見える。
個人と家族、そして民族や地域における共同体との線引きは、なかなか難しいものがあるが、個人だけで完結していてはいけないということなのかもしれない。
個人としての信仰をしっかりと確立することば、すなわち、家族の間でもそれが尊重されることであり、周囲の人たちにも表明し、認知され、尊重されるようになってはじめて、個人の信仰と言えるのかもしれない。
日本の社会では難しいことかもしれないが、個人ではクリスチャンを名乗るも、一歩社会にでてしまえば、誰にも知られず、まるで隠れキリシタンのようにひっそりと生きて行くのでは、ヨシュアの求めた信仰の表明とはかけ離れたものとなっているのかもしれない。
かといって「自分はクリスチャンです」とそこかしこで言いふらす必要はないだろうが、ここぞという所では、きちんとした信仰の表明と、取るべき態度を明確にできるような、芯のある信仰者でいたいものである。

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ヨシュア 23:1 主が周囲のすべての敵を退け、イスラエルに安住の地を与えてから長い年月が流れ、ヨシュアは多くの日を重ね、老人となった。
23:2 ヨシュアは、長老、長、裁判人、役人を含む全イスラエルを呼び寄せて、言った。「わたしは年を重ね、老人となった。
23:3 あなたたちの神、主があなたたちのために、これらすべての国々に行われたことを、ことごとく、あなたたちは見てきた。あなたたちの神、主は御自らあなたたちのために戦ってくださった。
23:4 見よ、わたしはヨルダン川から、太陽の沈む大海に至る全域、すなわち未征服の国々も、既に征服した国々もことごとく、くじによってあなたたち各部族の嗣業の土地として分け与えた。
23:5 あなたたちの神、主は、御自ら彼らをあなたたちのために押しのけ、あなたたちのために追い出される。あなたたちの神、主の約束されたとおり、あなたたちは彼らの土地を占領するであろう。
23:6 だから、右にも左にもそれることなく、モーセの教えの書に書かれていることをことごとく忠実に守りなさい。
23:7 あなたたちのうちに今なお残っているこれらの国民と交わり、その神々の名を唱えたり、誓ったりしてはならない。それらにひれ伏し拝んではならない。
23:8 今日までしてきたように、ただあなたたちの神、主を固く信頼せよ。
23:9 主が強大な国々をあなたたちのために追い払ってくださったから、あなたたちの行く手に立ちはだかる者は、今日まで一人もなかった。
23:10 あなたたちは一人で千人を追い払える。あなたたちの神、主が約束されたとおり御自らあなたたちのために戦ってくださるからである。
23:11 だから、あなたたちも心を込めて、あなたたちの神、主を愛しなさい。
23:12 しかし、もしあなたたちが背いて離れ去り、あなたたちのうちに残っているこれらの国民となれ親しんで、婚姻関係を結び、向こうに行ったり、こちらに迎えたりするなら、
23:13 あなたたちの神、主がもはや、これらの国民を追い払われないことを覚悟しなさい。彼らはあなたたちの罠となり、落とし穴となり、脇腹を打つ鞭、目に突き刺さるとげとなり、あなたたちは、あなたたちの神、主が与えられたこの良い土地から滅びうせる。
23:14 わたしは今、この世のすべての者がたどるべき道を行こうとしている。あなたたちは心を尽くし、魂を尽くしてわきまえ知らねばならない。あなたたちの神、主があなたたちに約束されたすべての良いことは、何一つたがうことはなかった。何一つたがうことなく、すべてあなたたちに実現した。
23:15 あなたたちの神、主が約束された良いことがすべて、あなたたちに実現したように、主はまた、あらゆる災いをあなたたちにくだして、主があなたたちに与えられたこの良い土地からあなたたちを滅ぼされる。
23:16 もし、あなたたちの神、主が命じられた契約を破り、他の神々に従い、仕え、これにひれ伏すなら、主の怒りが燃え上がり、あなたたちは与えられた良い土地から、速やかに滅び去る。」

主にあって強く雄々しく生きたヨシュアも寄る年波に逆らうことはできず、もうまもなくこの世での人生の終わりの時をむかえようとしていた。
そんな彼が遺言のごとく、イスラエルのために語ったメッセージが、右にも左にもそれず、まっすぐ主に向かって進め、というものである。
右にも左にもとは、行く先々で、様々な国や民の習慣などに惑わされず、これまで歩んできた通りに、ひたうら主に従い通すことをも勧めているものである。
これまでやってきたことを守り通すのは、時代が変わり、環境が変わっていくことで、時代暮れの古びたものと思われることがあるかもしれないが、歴史を積み重ねてきたことにはそれなりの意味がある。
歴史も学び、たとえ今の時代に合わないように思えることがあったとしても、大切なことは変えることなく、これまで通り、ただひたすらに主に頼って歩んでいく、そういうものでありたいものである。

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ヨシュア 22:1 ヨシュアは、ルベン人、ガド人、マナセの半部族を呼び寄せて、
22:2 言った。「あなたたちは、主の僕モーセが命じたことをことごとく守っただけではなく、わたしが命じたすべてのことにも聞き従った。
22:3 あなたたちは、今日に至るまで長い間、同胞を見捨てず、あなたたちの神、主の命じられた言いつけを守ってきた。
22:4 しかし今や、あなたたちの神、主は約束されたとおり、同胞に安住の地をお与えになったのだから、あなたたちは主の僕モーセから受けたヨルダン川の東側にある自分の所有地の天幕に帰るがよい。
22:5 ただ主の僕モーセが命じた戒めと教えを忠実に守り、あなたたちの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めを守って主を固く信頼し、心を尽くし、魂を尽くして、主に仕えなさい。」
22:6 ヨシュアが彼らを祝福して送り出すと、彼らは自分の天幕に帰って行った。
22:7 マナセの半部族には既にモーセがバシャンの地にその所有地を定めていたが、マナセの残る半部族には、ヨシュアが他の同胞諸部族と共にヨルダン川の西側に所有地を与えた。彼らをその天幕に送り出したとき、ヨシュアは祝福して、
22:8 彼らに言った。「多くの財宝、多数の家畜、金、銀、銅、鉄および数多くの衣服を天幕に持ち帰りなさい。敵から分捕った物は、兄弟たちと分け合いなさい。」
22:9 ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、カナンの土地のシロでイスラエルの他の部族と別れ、モーセを通して受けた主の命令によって既に取得していた自分たちの所有地、ギレアド地方に帰って行った。
22:10 ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、カナンの土地にあるヨルダン川のゲリロトに着いたとき、そこに一つの祭壇を築いた。それは目立って大きい祭壇であった。
22:11 イスラエルの人々は、ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族がカナンの地境、ヨルダン川のイスラエル側のゲリロトに祭壇を築いたとの知らせを聞いた。
22:12 これを聞いたイスラエルの人々は、シロで、イスラエルの人々の共同体全体の集まりを開き、彼らに対して軍を差し向けることにした。
22:13 イスラエルの人々はまず、ギレアド地方にいるルベンとガドの人々、およびマナセの半部族のもとに祭司エルアザルの子ピネハスを遣わした。
22:14 彼に同行したのは、イスラエルの各部族から、それぞれ家系の指導者一名、計十名の指導者であり、いずれもイスラエルの部隊の家系の長であった。
22:15 彼らは、ギレアド地方にいるルベンとガドの人々、およびマナセの半部族のもとに着くと、こう告げた。
22:16 「主の共同体全体はこう言う。お前たちが今日、イスラエルの神、主に背いたこの背信の行為は何事か。お前たちは、今日、自分たちのために祭壇を築いて、主に逆らっている。
22:17 かつてペオルで犯したあの罪は、我々にとってささいなことであっただろうか。あのとき、主の共同体に災害がくだり、今日に至ってもまだ清められていないではないか。
22:18 それなのに、お前たちは今日、主に背こうとしている。今日、主に逆らうなら、明日、イスラエルの共同体全体に御怒りが下るであろう。
22:19 もしもお前たちの所有地が汚れているなら、主の幕屋がある主の所有地に渡って来て、わたしたちの間に所有地を持つがよい。わたしたちの神、主の祭壇のほかに、自分たちの祭壇を築いて、主に逆らい、わたしたちに逆らってはならない。
22:20 ゼラの子アカンが滅ぼし尽くしてささげるべきもののことで背いたとき、イスラエルの共同体全体に御怒りが下り、その罪のために息絶えたのは、彼一人だけではなかった。」
22:21 ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、イスラエルの部隊の長たちに答えて、言った。
22:22 「神よ、主なる神よ。神よ、主なる神よ。神はご存じです。イスラエルも分かってください。もし、これが主に対する裏切りであり、背信であったなら、今日、わたしたちを生かしておかないでください。
22:23 もし、わたしたちが主に背いて祭壇を築き、その上で、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物をささげたとすれば、主御自身が罰してくださるでしょう。
22:24 わたしたちがこのことをしたのは、一つの心配があったからです。すなわち、後日、あなたたちの子供がわたしたちの子供に向かい、『あなたたちはイスラエルの神、主と何の関係もない。
22:25 ルベンとガドの人々よ。主はヨルダン川をわたしたちとあなたたちとの境とされた。あなたたちには、主の割り当てはない』と言って、あなたたちの子供がわたしたちの子供に主を畏れることをやめさせるかもしれません。
22:26 それで、自分たちの手で祭壇を築こうと申し合わせたのです。焼き尽くす献げ物やその他の献げ物をするためではなく、
22:27 あなたたちとわたしたち、更にわたしたちの子孫との間柄を示す証拠とするためです。わたしたちが焼き尽くす献げ物や、和解の献げ物をささげて主を礼拝するのは、後日、あなたたちの子供がわたしたちの子供に向かい、『あなたたちには、主の割り当てはない』と言わないためです。
22:28 わたしたちはこうも申し合わせました。もし後日、わたしたち、またわたしたちの子孫に、このようなことが言われたなら、こう答えよう。『わたしたちの先祖が作った主の祭壇の模型を見なさい。焼き尽くす献げ物や和解の献げ物をささげるためではなく、あなたたちとわたしたちとの間柄を示す証拠なのです。』
22:29 今日、主に逆らい、主に背いて、主の幕屋の前にあるわたしたちの神、主の祭壇とは別に祭壇を築き、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物をささげるつもりなど、全くありません。」
22:30 祭司ピネハス、共同体の指導者および同伴したイスラエルの部隊の長たちは、ルベン、ガド、マナセの人々の語る言葉を聞いて、良しとした。
22:31 エルアザルの子である祭司ピネハスは、ルベン、ガド、マナセの人々に告げた。「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った。あなたたちは主に対してこの背信の行為をすることなく、イスラエルの民が、主の手にかけられるのを免れさせた。」
22:32 エルアザルの子、祭司ピネハスと指導者たちは、ルベン、ガドの人々と別れ、ギレアド地方からカナンの土地のイスラエルの人々のもとに帰って、このことを報告した。
22:33 イスラエルの人々は、このことを良しとし、神をたたえ、もはやルベンとガドの人々の住む地方に攻め上り、これを滅ぼそうと言う者はなかった。
22:34 ルベンとガドの人々はこの祭壇を、「わたしたちの間では主が神であることの証人」と名付けた。

ルベン、ガド そしてマナセの半部族は、ヨルダン川の東側に定住する約束を取り付けていたが、他の部族がカナンの地で領地を得るまでは、同行して協力することとなっていたが、イスラエルの全ての部族の領地が定まったこともあり、はれて、彼らが定住することになっていたヨルダン川の東岸地域へ帰っていくことになる。
しかし、彼らがヨルダン川東岸に新たな祭壇を築いたことで、ヨルダン川よるい西岸に侵攻した他のイスラエルの部族らは、偶像の神々を礼拝する行為であり、イスラエルの一致を乱す行為であるといってこれをやめさせようとするのであったが、ルベン、ガド、マナセの半部族らは、後々の世代の人たちが、どうして自分たちだけがこの地域に住むようになったのかということを知るためにも必要であり、そもそも、エジプトから救い出して下さった神の御業を決して忘れるようなことはなく、そのためにも礼拝の場所が必要であることを訴え、最終的に、他の部族からの承諾を得ることになるのである。

こうした事態は、あるものにとっては「分裂」と受け止められるかもしれないが、見方を変えれば、「株分け」あるいは「拡大」ともとることができる。
教会が成長していくにあたって、株分けの形で新たなきゅお会が立ち上がっていくことがある。
決してそれは分裂ではないし、地域が離れていても、主の御言葉を中心にした礼拝共同体が形成されるならば、何も無理に同じ地域に集まる必要もない。
大切なことは、そこに集う人たちが純粋に神を礼拝し、神の恵みを受ける事ができる、ということであろう。
地理的な制約や、共同体の数、群れの数が多くなることは、そこから新たに恵みが広がっていくためにも有益であり、そういう面で、祝福と受け止めたい。
イエス様の時代にも、それぞれの町々や村々に会堂が立てられ、地域のコミュニティーが確立されていたようであるし、小さな教会ばかりがあちこちに存立するのも、そこにしか集うことができない人たちのためにあることを思うとき、それもまた恵みなのだということを覚えたいものである。

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ヨシュア 21:1 -2レビ人の家長たちは、カナンの土地のシロにいる祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュアと、イスラエルの人々の部族の家長たちのもとに来て、「主は、わたしたちに住む町と家畜の放牧地を与えるよう、モーセを通してお命じになりました」と申し出た。
21:3 イスラエルの人々は、主の命令に従って、自分たちの嗣業の土地の中から次の町々とその放牧地をレビ人に与えた。
21:4 まず、くじで割り当てを受けたのは、ケハトの諸氏族である。祭司アロンの子孫であるレビ人は、ユダ族、シメオン族、ベニヤミン族から十三の町をくじで得た。
21:5 その他のケハトの人々は、エフライム族、ダン族、マナセの半部族の諸氏族から十の町をくじで得た。
21:6 ゲルションの人々は、イサカル族、アシェル族、ナフタリ族、バシャン地方に住むマナセの半部族の諸氏族から十三の町をくじで得た。
21:7 メラリの人々は、氏族ごとに、ルベン族、ガド族、ゼブルン族の十二の町をくじで得た。
21:8 イスラエルの人々はこのように、主がモーセを通して命じられたとおり、レビ人にこれらの町と放牧地をくじで分け与えた。
21:9 ユダの人々の部族とシメオンの人々の部族からは、次に挙げる町が指定され、
21:10 レビの子らのうちのケハトの諸氏族に属するアロンの子孫のものとなった。最初のくじが彼らに当たったからである。
21:11 彼らに与えられたのは、ユダの山地のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンおよびその周辺の放牧地であった。アルバはアナク人の先祖である。
21:12 ただし、この町の畑と町に属する村は、既にエフネの子カレブに与えられ、彼の所有地となっていた。
21:13 祭司アロンの子孫に与えられたのは、殺害者の逃れの町であるヘブロンとその放牧地のほか、リブナ、
21:14 ヤティル、エシュテモア、
21:15 ホロン、デビル、
21:16 アシャン、ユタ、ベト・シェメシュとそれぞれの放牧地など、二部族から分けられた九つの町、
21:17 およびベニヤミン族から与えられたギブオン、ゲバ、
21:18 アナトト、アルモンとそれぞれの放牧地など四つの町である。
21:19 アロンの子孫である祭司たちの町は、合計十三であり、それに属する放牧地があった。
21:20 その他のケハトの子らの諸氏族、すなわちケハトの子孫である残りのレビ人には、くじによって次の町々が割り当てられた。エフライム部族から
21:21 与えられたのは、エフライムの山地にある殺害者の逃れの町シケムのほか、ゲゼル、
21:22 キブツァイム、ベト・ホロンとそれぞれの放牧地など四つの町、
21:23 ダン族から与えられたのは、エルテケ、ギベトン、
21:24 アヤロン、ガト・リモンとそれぞれの放牧地など四つの町、
21:25 マナセの半部族から与えられたのは、タナク、イブレアムとそれぞれの放牧地など二つの町である。
21:26 ケハトの子らの残りの諸氏族のものとなったのは合計十の町とその放牧地である。
21:27 レビ人の一氏族であるゲルションの子孫に与えられたのは、マナセの半部族からは、殺害者の逃れの町であるバシャンのゴラン、ベエシュテラとそれぞれの放牧地など二つの町、
21:28 イサカル族からは、キシュヨン、ダベラト、
21:29 ヤルムト、エン・ガニムとそれぞれの放牧地など四つの町、
21:30 アシェル族からは、ミシュアル、アブドン、
21:31 ヘルカト、レホブとそれぞれの放牧地など四つの町、
21:32 ナフタリ族からは、殺害者の逃れの町であるガリラヤのケデシュ、ハモト・ドル、カルタンとそれぞれの放牧地など三つの町である。
21:33 ゲルションの人々の氏族ごとの町は、合計十三で、それに属する放牧地があった。
21:34 その他のレビ人、メラリの人々に氏族ごとに与えられたのは、ゼブルン族から、ヨクネアム、カルタ、
21:35 リモナ、ナハラルとそれぞれの放牧地など四つの町、
21:36 ルベン族からは、殺害者の逃れの町ベツェルのほかヤハツ、
21:37 ケデモト、メファアトとそれぞれの放牧地など四つの町、
21:38 ガド族からは、殺害者の逃れの町ギレアドのラモト、マハナイム、
21:39 ヘシュボン、ヤゼルとそれぞれの放牧地など四つの町である。
21:40 レビ人の諸氏族で、最後に残されていたメラリの人々に氏族ごとにくじで割り当てられた町は合計十二である。
21:41 イスラエルの人々の所有地の中で、レビ人の町は総計四十八で、それに属する放牧地があった。
21:42 どの町も例外なく周囲に放牧地を持っていた。これらの町はみなそうなっていた。
21:43 主が先祖に誓われた土地をことごとくイスラエルに与えられたので、彼らはそこを手に入れ、そこに住んだ。
21:44 主はまた、先祖に誓われたとおり、彼らの周囲を安らかに住めるようにされたので、彼らに立ちはだかる敵は一人もなくなった。主は敵を一人残らず彼らの手に渡された。
21:45 主がイスラエルの家に告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した。

イスラエルの12の部族のうち、レビの部族だけは領地を持たず、個別に町や村などが与えられていたようである。
それは、彼らが祭司の務めを担う部族として選ばれ、他の部族の民のためにもとりなす仕事を担っていたからである。
このためレビの部族だけは、他の11部族の割り当て地に散り、特定の町や村に住んでいたというわけである。
今風に考えれば、個々の教会に遣わされる教職が似たようなものかもしれない。
あるいは、地方のお役人さんのための官舎であるとか、会社の用意した社宅のような位置づけだったのかもしれない。
いずれにしても、働く場所で、生活するためだけの場所が供えられ、彼らはそこで生きていくしかなかった。
自分の都合で、好き勝手に領地を広げたり、自由に転居したりすることはできなかったものと思われる。
全ては民のとりなしのためであり、民全体に仕える忠実な僕の生き方を続けていたことであろう。
忠実な僕と言えば、イエス様を思い起こす。
自分の都合など一切考えず、ただただ民の救いのために全てを捧げ、十字架の生涯を歩んでいかれた。
祭司や教職には、そのような生き方はできないにしても、見習うべきところは多いにあるだろう。
民の幸いのために、「そこにいなさい」と言われれば居るし、「他の町へ行け」と言えば「わかりました」と言って、従っていく。

マタイ8:5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、
8:6 「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。
8:7 そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。
8:8 すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。
8:9 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

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ヨシュア 20:1 主はヨシュアに仰せになった。
20:2 イスラエルの人々に告げなさい。モーセを通して告げておいた逃れの町を定め、
20:3 意図してでなく、過って人を殺した者がそこに逃げ込めるようにしなさい。そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる。
20:4 これらの町のいずれかに逃げ込む場合、その人は町の門の入り口に立ち、その町の長老たちの聞いている前でその訳を申し立てねばならない。彼らが彼を町に受け入れるなら、彼は場所を与えられ、共に住むことが許される。
20:5 たとえ血の復讐をする者が追って来ても、殺害者を引き渡してはならない。彼がその隣人を殺したのは意図的なものではなく、以前からの恨みによるものでもなかったからである。
20:6 彼は、共同体の前に出て裁きを受けるまでの期間、あるいはその時の大祭司が死ぬまで、町にとどまらねばならない。殺害者はその後、自分の家、自分が逃げ出して来た町に帰ることができる。
20:7 彼らは、ナフタリの山地ではガリラヤのケデシュ、エフライム山地のシケム、ユダの山地ではキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンを聖別した。
20:8 エリコの東、ヨルダン川の向こう側では、ルベン族に属する台地の荒れ野にあるベツェル、ガド族に属するギレアドのラモト、マナセ族に属するバシャンのゴランをそれに当てた。
20:9 以上は、すべてのイスラエルの人々および彼らのもとに寄留する者のために設けられた町であり、過って人を殺した者がだれでも逃げ込み、共同体の前に立つ前に血の復讐をする者の手にかかって死ぬことがないようにしたのである。

「逃れの町」は、旧約聖書における独特な制度の一つであると言えるだろう。
ヨシュアの時代、こうした逃れの町を設定したことは、たいへん興味深い。
今風に言えば、セーフティーネットでもあるし、社会から取り残されてしまったような人にも生きる場所とチャンスを整えていたということである。

現代において、教会がそういう場になれば言うことは無いのだろうが、なかなか現実的には難しい。
けれど、そもそも我々人間は、みな神の御前に罪を犯して失敗した者であり、キリストの十字架によって罪赦されたものである故に、教会こそ逃れの町そのものと言えるのかもしれない。
社会で成功することや、立派に生きて行くことだけが全てではなく、神の御前に、どんな形でも生きていられること、存在そのものを認めて下さっていること、愛されていることを覚えたいものである。

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ヨハネ 12:44 イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。
12:45 わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。
12:46 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。
12:47 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。
12:48 わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。
12:49 なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。
12:50 父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」

イエス様の時代に生きた人たちにとって、イエス様の存在は、普通の人間と何ら変わりないただの人であっただろう。
しかし、そのイエス様が、数々の業を行い、神の言葉を宣べ伝えたのである。
イエス様の時代から2千年を経た今、イエス様のお姿を直接見ることはできないが、イエス様がなさったこと、語られた事は、聖書のみ言葉を通して今なお語り継がれている。
言葉に力があり、真実な約束が伴っているからである。
それゆえ、私たちは聖書のみ言葉を重んじるし、み言葉に信頼して歩むのである。

わたしを信じる者が暗闇の中に留まることなく、光を見、裁かれるためではなく、救われるために人として世に来られた、とのイエス様のみ言葉に、ただただ信頼して歩む幸いを覚えたいものである。

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ヨシュア 19:1 二番目のくじで割り当てを受けたのはシメオンで、シメオンの人々の部族が氏族ごとに割り当てを受けた。その嗣業の土地はユダの人々の嗣業の土地の間にあった。
19:2 彼らの嗣業の土地は、ベエル・シェバ、シェマ、モラダ、
19:3 ハツァル・シュアル、バラ、エツェム、
19:4 エルトラド、ベトル、ホルマ、
19:5 ツィクラグ、ベト・マルカボト、ハツァル・スサ、
19:6 ベト・レバオト、シャルヘン、以上十三の町とそれに属する村、
19:7 エン・リモン、タカン、エテル、アシャン、以上四つの町とそれに属する村、
19:8 および、これらの町の周囲にあって、バアラト・ベエル、ラマト・ネゲブに至るまでのすべての村々。以上がシメオンの人々が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地である。
19:9 シメオンの人々の嗣業の土地はユダの人々の領土の一部であった。ユダの人々への割り当て地が多すぎたため、ユダの嗣業の土地の中にシメオンの人々は嗣業の土地を受け継いだのである。
19:10 三番目のくじではゼブルンが氏族ごとに割り当てを受けた。その嗣業の土地の領域はサリドを中心とし、
19:11 西に向かってはマルアラ、ダベシェト、ヨクネアムの東にある川に達した。
19:12 日の昇る東の方は、サリドを出てキスロト・タボルの地域を通り、ダベラトからヤフィアに上り、
19:13 更に東のガト・ヘフェル、エト・カツィン、リモナに達し、そこからネアへ曲がる。
19:14 北境はそこをハナトンに回り、イフタ・エルの谷に至る。
19:15 カタト、ナハラル、シムオン、イルアラ、ベツレヘムなど十二の町とそれに属する村。
19:16 以上がゼブルンの人々がその氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地であり、町村である。
19:17 イサカルは四番目のくじで割り当てを受けた。イサカルの人々は氏族ごとに割り当てを受けた。
19:18 その領域は、イズレエル、ケスロト、シュネム、
19:19 ハファライム、シオン、アナハラト、
19:20 デビラト、キシュヨン、エベツ、
19:21 レメト、エン・ガニム、エン・ハダ、ベト・パツェツ、
19:22 境界線はタボルに達し、そこからシャハツィマ、ベト・シェメシュを経てヨルダン川に至る。以上十六の町とそれに属する村。
19:23 以上がイサカルの人々の部族が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地であり、町村である。
19:24 五番目のくじではアシェルの人々の部族が氏族ごとに割り当てを受けた。
19:25 その領域は、ヘルカト、ハリ、ベテン、アクシャフ、
19:26 アラメレク、アムアド、ミシュアルで、西の端は、カルメル、シホル・リブナトに達する。
19:27 東に戻るとベト・ダゴンがあり、北へ向かうと、ゼブルン領に達し、イフタ・エルの谷、ベト・エメク、ネイエルがあり、カブル、ミシュアル、
19:28 アブドン、レホブ、ハモン、カナを経て、大シドンに接する。
19:29 境界線は、ラマを巡り、城壁のある町ティルスを経て、ホサを巡り、海に至る。そこにマフラブ、アクジブ、
19:30 アコ、アフェク、レホブなど二十二の町とそれに属する村があった。
19:31 以上がアシェルの人々の部族が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地であり、町村である。
19:32 ナフタリの人々は六番目のくじで割り当てを受けた。ナフタリの人々はその氏族ごとに割り当てを受けた。
19:33 その領域は、ヘレフおよびエロン・ベツァアナニムを中心として、アダミ・ネケブ、ヤブネエル、ラクムを経てヨルダン川に至り、
19:34 西に向かうと、アズノト・タボル、そこからフコクに至る。このように、南はゼブルン領、西はアシェル領、東はヨルダン川のエフダに接する。
19:35 砦の町は、ツィデム、ツェル、ハマト、ラカト、キネレト、
19:36 アダマ、ラマ、ハツォル、
19:37 ケデシュ、エドレイ、エン・ハツォル、
19:38 イルオン、ミグダル・エル、ホレム、ベト・アナト、ベト・シェメシュなど十九の町とそれに属する村。
19:39 以上がナフタリの人々の部族が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地であり、町村である。
19:40 ダンの人々の部族は氏族ごとに七番目のくじで割り当てを受けた。
19:41 その嗣業の土地の領域は、ツォルア、エシュタオル、イル・シェメシュ、
19:42 シャアラビン、アヤロン、イトラ、
19:43 エロン、ティムナ、エクロン、
19:44 エルテケ、ギベトン、バアラト、
19:45 エフド、アゾル、ベネ・ベラク、ガト・リモン、
19:46 メ・ヤルコン、ラコン、およびヤッファ周辺の地域であった。
19:47 しかし、ダンの人々は領地を奪われた後、北上し、レシェムを攻めてこれを占領し、剣をもって住民を撃ち、そこを手に入れて、そこに住んだ。彼らは、先祖ダンの名に従って、レシェムをダンと呼んだ。
19:48 以上がダンの人々の部族が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地であり、町村である。
19:49 境界線を定めて、土地の嗣業の配分が終わると、イスラエルの人々は自分たちの土地の中からヌンの子ヨシュアに嗣業の土地を贈った。
19:50 主の命令に従って、ヨシュアの求めたエフライム山地の町ティムナト・セラを彼に贈った。ヨシュアは町を建てて、そこに住んだ。
19:51 以上は、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュアおよびイスラエル諸部族の家長たちが、シロの臨在の幕屋の入り口で、主の前においてくじを引き、受け継いだ嗣業の土地である。土地の割り当ては、こうして終わった。

残り七部族のうち、既に割り当てが決まったベニヤミン以外の、シメオン、ゼブルン、イサカル、アシェル、ナフタリ、ダンの部族の割り当てが定められ、ようやく、イスラエル12部族全ての割り当てが決まった。
シメオン部族は、ユダの割り当て地が多すぎる事に不平を述べたのであろうか、既にユダの割り当て地となっていた南の一部を譲り受けることになる。
しかし、それ以降にくじがあたった(はずれたと言うべきか)部族らは、北のガリラヤ地方一帯を選ぶしかなくなっていく。
当然、中心からは遠く離れた辺境の地であり、イスラエルの部族の中にあっても、発言力の乏しい者や、くじ引きで負けた者たちの悲哀を見ることができる。
もっとも、住めば都、どこの土地が良いかどうかというのは、住む人の心によってもまた違ってくるのだろうが、ダン部族やナフタリ部族の者たちにとっては、遠く離れた辺境の地のように思えたことだろう。
ダン部族に至っては、一旦割り当てが決まったものの、領地を奪われてしまい、さらに北方の地へと攻めなおしたことも記されており、さらにさらに遠くへ移住させられることになったようである。
ちなみに、このダンの地は、後にイスラエルが南北に分裂した際、北側の最も遠い地であるところに聖所を築き、南と敵対した時の象徴となっていく土地である。
敗者、見下された者、見捨てられた者、の象徴的な地であったのかもしれない。

かつて、人事異動で最西の教会へ赴任することになった際、当時の議長から「西の果てに行ってもらいます」と言われたことがある。
議長ともあろうお人が、なんと失礼なものの言い方をするのかと驚き、単なる嫌味としか聞けなかったことがある。
けれど、イエス様の十字架は、きっと、そのような敗者、見下された者、見捨てられた者、こそ救われるべきとして、そのようなところにこそ目を留められ、心を止められたからこそ、自ら神に見捨てられた者となって、小さな者を救おうとされた証なのだ、と言えるのではないだろうか。

人の目には寂しい地に移住させられた思えるような者にも、いやそういう所にこそ、主の心が届いていることを覚えたいものである。

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ヨシュア 18:1 イスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた。この地方は彼らに征服されていたが、
18:2 イスラエルの人々の中には、まだ嗣業の土地の割り当てを受けていない部族が七つ残っていた。
18:3 ヨシュアはイスラエルの人々に言った。「あなたたちは、いつまでためらっているのだ。あなたたちの先祖の神、主が既に与えられた土地を取りに行くだけなのだ。
18:4 各部族から三人ずつ出しなさい。わたしは彼らを派遣し、この地方を巡回させ、嗣業の土地の記録を作り、戻って来てもらおう。
18:5 そして、彼らにそれを七つに分割させよう。ただユダは南部の領土に、ヨセフの家は北部の領土にとどまらせよう。
18:6 土地を七つに分割したら、その記録をわたしのところに持って来なさい。わたしたちの神、主の前で、わたしはあなたたちのためにくじを引く。
18:7 しかしレビ人にとっては、主の祭司であることがその嗣業なのだから、あなたたちのうちに割り当て地はない。また、ガド、ルベン、マナセの半部族は既にヨルダン川の向こう、東側に嗣業の土地を受けている。それは主の僕モーセが彼らに与えたものである。」
18:8 その人たちは立って行った。土地の記録を作るため出発する者たちにヨシュアが、「土地を巡回し、記録を作り、戻って来なさい。このシロで、主の前にわたしはあなたたちのためにくじを引こう」と命じ終わると、
18:9 その人たちは出発し、その地方を巡回し、町々を七つの割り当て地に分けて、記録に書き留め、シロの宿営にいるヨシュアのもとに帰った。
18:10 ヨシュアは、主の前で彼らのためにくじを引き、イスラエルの人々に決められた割り当てに従って土地を分配した。
18:11 ベニヤミンの人々の部族が氏族ごとにくじを引いた。彼らがくじで割り当てられた領域は、ユダとヨセフの人々の間にあった。
18:12 北境は、ヨルダン川下流からエリコの北斜面に向かい、西方の山地を経て、ベト・アベンの荒れ野に達する。
18:13 そこから、更にルズに進み、ルズの南斜面、すなわちベテルを経て、下ベト・ホロンの南の山のアトロト・オレクに至る。
18:14 そこが西の端となり、境界線は、ベト・ホロンの手前の山から南に下り、ユダの人々の町キルヤト・バアル、すなわちキルヤト・エアリムに至る。
18:15 南境は、キルヤト・エアリムを起点とし、廃虚を経て、ネフトアの泉、
18:16 更にレファイム平野の北、ベン・ヒノムの谷の手前の山すそを下る。ヒノムの谷からエブス人の丘の南側をエン・ロゲルに下る。
18:17 そこから北に向かい、エン・シェメシュ、アドミムの坂の向かいにあるゲリロトを経て、「ルベンの子ボハンの石」に至り、
18:18 更に、アラバに対する北斜面を過ぎてアラバに下り、
18:19 ベト・ホグラの北斜面を経て、塩の海の北の入り江、すなわちヨルダン川の南端に至る。これが南境である。
18:20 そしてヨルダン川が東境になっていた。以上がベニヤミンの人々がその氏族に従って囲まれた境界線に従う嗣業の土地である。
18:21 ベニヤミンの人々の部族の町は、その氏族に従うと次のとおりである。エリコ、ベト・ホグラ、エメク・ケツィツ、
18:22 ベト・アラバ、ツェマライム、ベテル、
18:23 アビム、パラ、オフラ、
18:24 ケファル・アモニ、オフニ、ゲバ、以上十二の町とそれに属する村。
18:25 ギブオン、ラマ、ベエロト、
18:26 ミツパ、ケフィラ、モツァ、
18:27 レケム、イルペエル、タルアラ、
18:28 ツェラ、エレフ、エブス、すなわちエルサレム、ギブア、キルヤト・エアリム、以上十四の町とそれに属する村。以上がベニヤミンの人々が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地である。

イスラエルの民は、カナンの地へと侵攻していった時、現地の住民たちとの戦いに次々に勝利し、まさに破竹の勢いでその領地を獲得していったように語られているが、実際には、日々、いつ破れるかもしれないといった恐れや、もうこれ以上、戦いを繰り返したくないといった弱音を抱いていた人たちがいたことも事実なのだろうと想像できる。
特に、まだ割り当ての土地が定まっていなかった7つの部族にとっては、不安や恐れが継続するなか、過ごしていたのかもしれない。
そんな弱気になっている民に対し、ヨシュアは、恐れず進むよう進言し、地方を巡回し、割り当てを決めて帰ってきたのである。

「地方」という言葉の持つ響きは、どこか、物寂しい、荒れ果てた土地、のような印象がある。
しかし、地方というのは、単に人が少ないところ、と考えたほうが良いのではないだろうか。
現在、日本の中心は東京で、それ以外の土地は地方と考える。
しかし、江戸時代より前、東京は地方の一つに過ぎなかった。
人が大勢集まれば、そこが中心となり、それ以外は地方と呼ばれる。

東京は今朝は大雪で大騒ぎとなっているが、普段、雪など当然の地方の人間から見れば「あの程度の雪で…」と思うのかもしれない。
人がたくさんいても、混乱し、人々の心も荒れ果てているのなら、たとえどんなに人が多くても、そこは荒地である。
人がどんなに少なくても、平穏で過ごせているなら、そこは祝福された御国に近い。
人が多いか少ないか、モノ事が多いか少ないか、目に見えることだけに価値を見出すことなく、何が本当に幸いなことなのかを見定めながら、平穏のうちを歩んでいきたいものである。

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ヨシュア 11:1 ハツォルの王ヤビンはこの事を聞くと、マドンの王ヨバブ、シムオンの王、アクシャフの王、
11:2 更には北部山地、キネレトの南のアラバ、シェフェラ、西方のドル台地の王たちに使いを送った。
11:3 彼らは、東西両カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、山地のエブス人、ヘルモン山のふもと、ミツパの地に住むヒビ人であった。
11:4 彼らは全軍勢を率いて出動したが、それは浜辺の砂の数ほどの大軍となり、軍馬、戦車も非常に多かった。
11:5 王たちは皆連合し、イスラエルと戦おうと軍を進め、メロムの水場に共に陣を敷いた。
11:6 主はヨシュアに言われた。「彼らを恐れてはならない。わたしは明日の今ごろ、彼らすべてをイスラエルに渡して殺させる。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払え。」
11:7 ヨシュアは全軍を率いてメロムの水場にいる敵を急襲した。
11:8 主が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルはこれを撃ち、大シドンおよびミスレフォト・マイムまで、また東に向かってはミツパ平原まで追撃し、彼らを撃って一人も残さなかった。
11:9 ヨシュアは、彼らに対して主の告げたとおりにし、馬の足の筋を切り、戦車を焼き払った。
11:10 このとき、ヨシュアは引き返して、ハツォルを占領し、その王を剣で打ち殺した。ハツォルは昔、これらの王国の盟主であったからである。
11:11 彼らは、剣をもってハツォルの全住民を撃ち、滅ぼし尽くして息ある者を一人も残さず、ハツォルを火で焼いた。
11:12 ヨシュアは他の王の町々をすべて占領し、王たちを捕らえ、主の僕モーセが命じたように剣をもって彼らを撃ち、これを滅ぼし尽くしたが、
11:13 ヨシュアが焼き払ったのはハツォルだけで、その他の丘の上に建てられた町々をイスラエルは焼き払わなかった。
11:14 これらの町々の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエルの人々が自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった。
11:15 主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりにした。主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった。
11:16 ヨシュアの占領地は、この地方全域である。すなわち、山地、ネゲブ全域、ゴシェンの全地域、シェフェラ、アラバ、イスラエルの山地とそれに続くシェフェラ、
11:17 すなわちセイル途上にあるハラク山から北はヘルモン山のふもとにあるレバノンの谷にあるバアル・ガドまでである。ヨシュアはこの地域の王たちを皆捕らえて打ち、処刑した。
11:18 ヨシュアとこれらすべての王たちとの戦いは長い年月にわたり、
11:19 ギブオンに住むヒビ人以外にイスラエルの人々と和を結んだ町は一つもなかった。その他はすべて戦って獲得したのである。
11:20 彼らの心をかたくなにしてイスラエルと戦わせたのは主であるから、彼らは一片の憐れみを得ることもなく滅ぼし尽くされた。主は、モーセに命じたとおりに、彼らを滅ぼし去られた。
11:21 このとき、ヨシュアは攻め込んでアナク人を山地、ヘブロン、デビル、アナブから、ユダの山地およびイスラエルの山地から一掃した。ヨシュアは彼らをその町もろとも滅ぼし尽くしたのである。
11:22 アナク人はそのため、イスラエルの人々の領土から姿を消し、ガザ、ガト、アシュドドだけにわずかに残った。
11:23 ヨシュアはこうして、この地方全域を獲得し、すべて主がモーセに仰せになったとおりになった。ヨシュアは、それをイスラエルに各部族の配分に従って嗣業の土地として与えた。この地方の戦いは、こうして終わった。

ここでもヨシュア率いるイスラエルの民がカナンに古くから住んでいた民を撃ち、領土を広げていったことが記されているが、ここでの記述もまた、カナンの人たちがイスラエルに対して勝手に恐れを抱き、敵意を現わし、攻めてきたために、イスラエルはこれと戦って勝利したことが記されているのである。

彼らの心をかたくなにしてイスラエルと戦わせたのは主であるから、彼らは一片の憐れみを得ることもなく滅ぼし尽くされた。主は、モーセに命じたとおりに、彼らを滅ぼし去られた。

彼らの心をかたくなにされたのは主である、と語られてはいるが、結局は人間のエゴであったり、自己中心的な罪のなせる業である。
歴史に「もし」は無いが、もし彼らがイスラエルの民と和解の道をさぐっていたなら、結果は違っていたかもしれないが、所詮、罪人でしかない人間には「和解」ということが最も苦手なことであり、あるいは、不可能なことなのかもしれない。
だからこそ、キリストが神と人との和解を成し遂げるために十字架にかかられたのであろう。
心をかたくなにしないで、キリストの成し遂げられた和解の業を感謝して受け入れる者でありたいものである。

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ヨシュア 16:1 ヨセフの子孫がくじで割り当てられた領土は、エリコに近いヨルダン川、エリコの水の東から荒れ野を経て、山地を越えてベテルに至る。
16:2 そこからルズ、アルキ人の領地アタロトを経て、
16:3 西に下り、ヤフレト人の領地から下ベト・ホロンの地境、更にゲゼルを過ぎ、海に達する。
16:4 ヨセフの子ら、マナセとエフライムは嗣業の土地を受け継いだ。
16:5 エフライムの子孫が氏族ごとに得た領域は次のとおりである。その嗣業の土地の境は、東のアトロト・アダルから上ベト・ホロンを経て、
16:6 西へ向かう。北境は、ミクメタトから東へ曲がり、タアナト・シロを経てヤノハの東に出、
16:7 そこからアタロト、ナアラ、エリコを経てヨルダン川に達する。
16:8 西境はタプアからカナ川に沿い、海に達する。以上がエフライムの人々の部族が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地である。
16:9 このほか、マナセの人々の嗣業の土地の中にもエフライムの人々に配分された町々とそれに属する村があった。
16:10 彼らがゲゼルに住むカナン人を追い出さなかったので、カナン人はエフライムと共にそこに住んで今日に至っている。ただし、彼らは強制労働に服している。

今朝のNHKのニュースで、エリコの町に住む人たちの様子が紹介されていた。
この地域では、2000年以上まえからオリーブが栽培されていて、良質なオリーブ油の産地として知られ、この日のニュースでは、オリーブ油を用いた石鹸を製造している人が紹介されていた。

ある方々は、この地はイスラエルのものだと主張する人もいるかもしれない。
しかし、そこに住み、そこで生計を立てている人たちのことをどれだけ考えているのだろうか。
その地に住み、強制的に働かされているのではなく、自発的に働こうとしている人たちのことを、我々はもっと考えていく必要があるのではないだろうか。

聖書は確かに神の言葉であり、そこに書かれていることは真実である。
しかし、神を愛し、隣人を愛せよとの聖書の戒めを、もう少し現実的に実践していくことができれば、きっと幸いな世の中になるのだろうと思う。




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