今日の日経新聞の文化欄に「江戸庶民の神仏十選」という欄に松涛美術館の矢島新さんが禅僧・仙の禅画を紹介してありました。
「過去の画題や様式を気にすることなく、自由気ままに書くことが出来るのは、画を売る必要のない素人画家の特権。その先駆者は禅画という分野を切り開いた白隠だが、博多の禅僧仙もまた、白隠以上にのびのびと描いている。・・・」そして「布袋画賛」というまことに愉快な絵を紹介しているが、その絵には仙がこう書いています。
世画有法/画無法/佛言/法本法無法(世の絵には画法があるが、私仙の画に法はない。佛が言われたように、法がないのが本当の法である)
矢島さんは「世の定型に従わぬ自由な自分の絵こそが本物である、と仙は言いたいのだろう」と書いています。そこには「素朴美を愛する、へたうまを愛する日本人の感性がある」と言っています。
自分は前から「絵はへたほど味があって面白い」と思っています。字に癖(個性)があるように、画にも癖や個性があって当たり前だと思っています。世の中はそういう個性を殺してしまって、技法的に上手な画がいい絵であるとしているが、はたしてそうなのだろうかといつも疑問に思っています。
特に素人は(世の中の既成概念で)うまく描こうとしないほうがいい絵が描けるように思います。「画には法はない」のだという仙はとても鋭いところを突いているような気がします。
自分のような素人絵描きは、仙の言葉には勇気をもらいました。