はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国52密蔵院

2015-11-19 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                              H27-8-28(金)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:2時間20分   延時間:8時間45分
出発時刻:9時10分     到着時刻:17時55分
歩  数: 40、334歩(推定距離30.2km)    GPS距離29.0km
行程表
 内海駅 0:45> 48番 0:25> 49番 0:15> 56番 0:05> 52番 0:05> 53番 0:05> 51番 0:05> 50番 0:20>
  55番 0:30> 57番 1:35>  番外 0:05 58番 0:05> 59番 0:20> 60番 0:30> 61番 0:15> 62番 0:25>
  63番 0:10> 65番 0:10> 64番 0:15> 常滑駅

                                52番密蔵院(かじとり観音)

 
                 密蔵院                                     本 堂

 瑞境寺から52番密蔵院(みつぞういん)までは300m程しかないが、行程表のタイムは5分とした。これは5分掛かったという
より所要時間は5分以下だったと理解してください。
 今日は札所の数が多く、予定では16ヶ所もある。過去5回の遍路で一番多かったのは3回目の14寺なのでそれよりも多い。
あの時は最後に5寺が纏まっていたが、今回もここ野間に5寺纏まっているので距離自体は左程のことは無い。
だが問題は時間で、一つ一つの寺に時間が掛かると最後の寺に行きつくのが遅くなってしまう。仮にお詣りと見学を一寺20分と
すると20分×16寺=320分=5時間20分掛かってしまう事になる。
これではとても廻りきれないので、一寺に居る時間をなるべく短くするようにする。そのため見学が駆け足になり見忘れ、見残しが
発生して印象が薄くなってしまう。良くないと思っても距離を稼ぎたい気持ちがあるので止めることができない。

 白壁と赤い山門が映えている密蔵院は、11世紀末に白河天皇の勅願寺 「大御堂寺」 の一坊として建立された。
本尊の不動明王は鎌倉時代末期の作と伝えられ盗難よけに霊験ありとして知られているそうです。

 
                   弘法堂                                   弘法堂内部

 弘法堂の中を覗くと大師像に前に盗難除けのお札が供えられていた他、特に目を引くものは無かった。


        
            修行大師                           かじとり観音縁起     

 境内にカッター(短艇)が置かれていて、その舟の上に 「かじとり観音」 の縁起が紹介されていた。
 「第2次世界大戦末期、小笠原近海で御用船が米機の攻撃を受け沈没した。乗組員7名は救命艇で脱出したものの、陸地までは
千余キロもある。乗組員はそれでも諦めず “南無観世音菩薩” と唱えながら必死に漕いで、30数日掛かって伊勢湾に漂着した。
船や車の舵を取って安全に導いてくれる “かじとり観音” として特に漁師さんに篤く信仰されている。」


 海辺の町なので海難事故の慰霊が多いが、この小さな舟で30日も漂流して助かるとは正しく奇跡だ。漂流中に食料や水の
取合いもあったろう。舵はあっても航路だってままならない。それが故郷の海に全員帰ってこれたのは人事を越えた天命だった
としか考えられない。それを受けて早速 “かじとり観音” とは商機に機敏だ。
 案内文の中に 「船員の生命の安全をお護りしたのが、当山にお祀りしてある海上出現の如意輪観音様であった」 とあるが、
これは何を意味しているのか。
密蔵院で祀ってあった如意輪観音が海から出現(拾われた)したのか、それとも如意輪観音自身が海に縁のある観音なのか?

 密蔵院の裏山には、源義朝(源頼朝の父親)を討った長田忠致がはりつけの刑にされた松の木 「長田の礫松」 があるが、
先が気になるので止めた。

                               56番瑞境寺から52番密蔵院への道

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