歩行記録 H27-8-24(月)
歩行時間:4時間55分 休憩時間:1時間45分 延時間:6時間40分
出発時刻:9時25分 到着時刻:16時05分
歩 数: 31、745歩(推定距離23.8km) GPS距離24.5km
行程表
師崎港バス停 0:35> 番外 0:50> 40番 0:50> 43番 0:10> 番外 0:20> 42番 0:15> 41番 0:40> 44番
0:30> 45番 0:20> 46番 0:15> 47番 0:10> 内海駅
46番如意輪寺(本尊)
尾州廻船内海船船主内田佐七家 黒壁の横桟
44番泉蔵院と隣接している慈光寺に寄ってから高台を下ると 「尾州廻船内海船船主内田佐七家」 の看板の立つ黒壁の古い
大きな家の前に出た。案内によると 「内田家は江戸時代から明治にかけて活躍した内海船船主でした。この建物は明治時代に
内田佐七が建てた住居で、伝統的な日本家屋の形式で建築されている数少ない貴重な建物です。」
私は建物外観を見るのは好きだが内部には余り興味がないが、今日はあとこの近くの2寺だけなので入って見る事にした。
だがそんな軽い気持ちをあざ笑うように入口には 「休館日」 の立札が。そーだ今日は月曜日で公共機関は休みの日だった。
黒壁の縦桟の所々に付いている横桟は、今まで見てきた黒壁にも付いていたが何の役目をするのだろう。補強とは思うが、
ならこんな短くしないで長い方のが効き目がありそうだ。それにこの横桟を取り付けてある金具が釘ではなく、まるでかすがいの
ような形の金物が内部から突きだしている。しかもL字の部分が下向きなのだから見当もつかない。
誰か知っていたら教えてください。
弘法大師 青面金剛 子安地蔵
少しの間、来た道を歩かないといけないので裏道の内海川に沿って歩く事にした。途中で国道247を横断すると直に46番
如意輪寺(にょいりんじ)が見えてきた。
如意輪寺の境内の中なのか、それとも外なのか微妙な所に弘法大師、青面金剛、子安地蔵の祠が建っていた。
弘法大師像は坊主頭で手には数珠を持ち地蔵像ではなく僧侶の雰囲気が出ている。
青面金剛は台座に三猿が彫られ、六臂で足元には2羽の鳥もいるが頭上の日と月は無かった。
子安地蔵は両手を合わせ子供を抱いているようにも見えるが、前掛けがそれを隠してしまっている。それとも下に並んだ三体の
小さな像が子供を表しているのだろうか。
如意輪寺山門 庫裏・本堂・弘法堂
祠の横が既に境内で境も無かったので、そのまま入ってしまったが 実は山門は反対側にあり寺を出るとき気が付いた。
山門前にはまるでレストランのメニューを置いてあるように寺を紹介する台が置かれ洒落た感じもする。その後ろには 「なんじゃ
もんじゃ」 の名札を付けた木も見えるが、春先にここを訪れれば白い雪のような花を見る事が出来るだろう。
ただ中に入るとまだ整備中のように見えるのは、祠のある方が開けているせいか。言い換えればこの方が開放的にも感じる。
如意輪寺は先ほど寄った泉蔵院と同じく、旧観福寺の塔頭を再興した寺のようだが異説もありよく分からなかった。
本尊も伝弘法大師作の如意輪観音像とするものと、円空作の秘仏薬師如来像とするものがあったが、これは寺号から言っても
如意輪観音が本尊だと思う。これが円空仏とすると寺の再興が室町時代なのに円空は江戸時代の人なので時期も合わない。
しかも円空仏は富山の薬売りが、背に背負ってきた物だと南知多町のHPでは紹介している。
弘法堂 護摩壇(?) 弘法大師像
護摩堂は本堂や弘法堂と向き合った場所に建っていて、初めは何の建物か考えてしまった。だが火を焚く護摩壇のような物も
あるし、その正面には弘法大師像らしき像も祀られている。よってこの建物は護摩堂として、設備は護摩壇としよう。
何とも取り留めのない印象になってしまったが、それはそれなりに興味深い札所ではあった。
45番泉蔵院から46番如意輪寺への道
歩行時間:4時間55分 休憩時間:1時間45分 延時間:6時間40分
出発時刻:9時25分 到着時刻:16時05分
歩 数: 31、745歩(推定距離23.8km) GPS距離24.5km
行程表
師崎港バス停 0:35> 番外 0:50> 40番 0:50> 43番 0:10> 番外 0:20> 42番 0:15> 41番 0:40> 44番
0:30> 45番 0:20> 46番 0:15> 47番 0:10> 内海駅
46番如意輪寺(本尊)
尾州廻船内海船船主内田佐七家 黒壁の横桟
44番泉蔵院と隣接している慈光寺に寄ってから高台を下ると 「尾州廻船内海船船主内田佐七家」 の看板の立つ黒壁の古い
大きな家の前に出た。案内によると 「内田家は江戸時代から明治にかけて活躍した内海船船主でした。この建物は明治時代に
内田佐七が建てた住居で、伝統的な日本家屋の形式で建築されている数少ない貴重な建物です。」
私は建物外観を見るのは好きだが内部には余り興味がないが、今日はあとこの近くの2寺だけなので入って見る事にした。
だがそんな軽い気持ちをあざ笑うように入口には 「休館日」 の立札が。そーだ今日は月曜日で公共機関は休みの日だった。
黒壁の縦桟の所々に付いている横桟は、今まで見てきた黒壁にも付いていたが何の役目をするのだろう。補強とは思うが、
ならこんな短くしないで長い方のが効き目がありそうだ。それにこの横桟を取り付けてある金具が釘ではなく、まるでかすがいの
ような形の金物が内部から突きだしている。しかもL字の部分が下向きなのだから見当もつかない。
誰か知っていたら教えてください。
弘法大師 青面金剛 子安地蔵
少しの間、来た道を歩かないといけないので裏道の内海川に沿って歩く事にした。途中で国道247を横断すると直に46番
如意輪寺(にょいりんじ)が見えてきた。
如意輪寺の境内の中なのか、それとも外なのか微妙な所に弘法大師、青面金剛、子安地蔵の祠が建っていた。
弘法大師像は坊主頭で手には数珠を持ち地蔵像ではなく僧侶の雰囲気が出ている。
青面金剛は台座に三猿が彫られ、六臂で足元には2羽の鳥もいるが頭上の日と月は無かった。
子安地蔵は両手を合わせ子供を抱いているようにも見えるが、前掛けがそれを隠してしまっている。それとも下に並んだ三体の
小さな像が子供を表しているのだろうか。
如意輪寺山門 庫裏・本堂・弘法堂
祠の横が既に境内で境も無かったので、そのまま入ってしまったが 実は山門は反対側にあり寺を出るとき気が付いた。
山門前にはまるでレストランのメニューを置いてあるように寺を紹介する台が置かれ洒落た感じもする。その後ろには 「なんじゃ
もんじゃ」 の名札を付けた木も見えるが、春先にここを訪れれば白い雪のような花を見る事が出来るだろう。
ただ中に入るとまだ整備中のように見えるのは、祠のある方が開けているせいか。言い換えればこの方が開放的にも感じる。
如意輪寺は先ほど寄った泉蔵院と同じく、旧観福寺の塔頭を再興した寺のようだが異説もありよく分からなかった。
本尊も伝弘法大師作の如意輪観音像とするものと、円空作の秘仏薬師如来像とするものがあったが、これは寺号から言っても
如意輪観音が本尊だと思う。これが円空仏とすると寺の再興が室町時代なのに円空は江戸時代の人なので時期も合わない。
しかも円空仏は富山の薬売りが、背に背負ってきた物だと南知多町のHPでは紹介している。
弘法堂 護摩壇(?) 弘法大師像
護摩堂は本堂や弘法堂と向き合った場所に建っていて、初めは何の建物か考えてしまった。だが火を焚く護摩壇のような物も
あるし、その正面には弘法大師像らしき像も祀られている。よってこの建物は護摩堂として、設備は護摩壇としよう。
何とも取り留めのない印象になってしまったが、それはそれなりに興味深い札所ではあった。
45番泉蔵院から46番如意輪寺への道
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