はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

駿河百地蔵5回目-8

2013-12-12 16:15:14 | 寺社遍路
  71番目 ~ 89番目 地蔵                              歩行月日2013/10/2

歩行時間:8時間52分 休憩時間:2時間50分 延時間:11時間42分
出発時間:6時13分   到着時間:17時55分
歩  数:  55、474歩   GPS距離:42.0km
行程表
 静岡駅 0:20> 71番 0:05> 72番 0:10> 73番 0:20> 74番 0:30> 番 外 0:23> 75番 0:33>
  76番 0:35> 77番 0:10> 78番 0:20> 79番 0:11> 80番 0:24> 81番 0:30> 82番 0:36>
  83番 0:11> 84番 0:25> 85番 0:29> 86番 0:17> 薩埵峠 1:03> 87番 0:36> 88番 0:32>
  89番 0:12> 新蒲原駅 

              84番目(83番) 龍興寺
 清見寺を出て東海道を東に1kmほど行った興津駅の手前に次の龍興寺があった。
本堂は閉まっているし境内にあるのは、どの寺でも見かける大量生産型の六地蔵しか見当たらない。外に
新しい建物が有ったので隙間から覗くと、中には沢山の位牌が祀られていた。どうやら位牌堂らしい。
だがその祭壇の中央には黒光りをした座像の地蔵尊が安置されている。ウンこれが百地蔵の延命地蔵尊
なのだろうと判断して寺を出る事にした。
 フト六地蔵の地蔵堂の後に目が行くと、そこには先代の六地蔵が隠すように置かれていた。この六地蔵
だって、今までは冥途に旅立つ人の心の支えになっていただろうに、新しい物が入ると打ち捨てられる。
何か寺には似つかない行いだと思えた。見れば個人的趣味もあるが、新しい六地蔵より風情も感じられる。
せめて新旧の六地蔵を並べて祀る事は出来ないのだろうか。

      
               龍興寺の延命地蔵                        古い六地蔵
      龍興寺の地図

              85番目(86番) 海岸寺
 海岸寺は興津川を渡り薩埵峠に向かう途中にある。この寺の前は何度となく歩いていたが興味は覚えなかった。
ただ寺の名前が四国遍路の時に泊まった寺と同じだったので、何となく真言宗の寺かと思い込んでいた。
その理由は、四国の海岸寺は弘法大師の母親の実家で、弘法大師がこの寺で生れた事により「誕生寺」とも
呼ばれている寺なので、この寺も、と思ったが曹洞宗だった。
四国遍路では30日以上も遍路宿や宿坊に泊まったが、この海岸寺の宿坊は唯一食事が無い所だった。
そうとも知らずに寺に着いてから困った思い出がある。何しろ辺りは四国の片田舎、当然コンビニも弁当屋も無い。

 寺の入口の案内板に
「大正4年の台風には、打ち寄せる大波にこのは全滅、それにも関わらず一人の犠牲者も出なかったことは
波除如来、百体観世音のご利益ではないかと、今でも言い伝えられている」

へー波除地蔵でなく波除如来なんだとチョットガッカリ。

 東海道の興津から由比を抜ける道は下道・中道・上道と3本あり、下道は現在国道の通っている海岸の道。
この道は昔は波の途絶えた時に渡る難所で、東海の親知らず子知らずと呼ばれていたらしい。
中道は興津川を渡り国道に向けて直進した先を左折して、踏切を渡り山に入る道で、入口には海岸寺がある。
上道は興津川を渡ったら、川沿いに上流に行き、民家のある所を通って薩埵峠に向かう道で、途中で中道と
合流する。この道は距離が長いので一度歩いた後は、中道を歩く人が多い。
ただ、この中道を興津から行こうとすると、初めて行く人は戸惑うかもしれない。興津川を渡り直進すると
「この先のバイパスには歩道が有りません。由比方面に行く人は引返して下さい」の看板を見て慌てて引返す
人もいる。確かに看板の通り国道には歩道は無いかもしれないが、薩埵峠に行くには国道と合流した所を左に
曲がり、踏切を渡るので国道は歩かないですむ。少し不親切な看板だと昔から思っている。

 
                 バイパスの立看板                          官道中道の看板

 まだ少ししか登っていないのに海が見えた。今はバイパスも通り堤防もしっかりしているが、大正時代では
確かに下の民家は高波に破壊されただろうが、今は巨大津波の恐れがあるので安心はできない。
海岸寺の標高は15m程度なので、もっと上に避難した方が良さそうだ。それにここでは海の津波だけでなく
山の津波(崖崩れ)の危険もある。矢張りもっと高台の平地まで非難した方が良さそうだ。

 海岸寺は民家風な造りで、中を覗こうと思ったが、中から話声が聞こえてきたので止めた。
百地蔵は入口にあった六地蔵で良しとする。

 
               海岸寺の六地蔵                         海岸寺境内からの眺め
      海岸寺の地図

              86番目(85番) 東勝院
 海岸寺から東勝院には薩埵峠の入口まで上り、そこから上道を興津川まで下る事にする。
峠の入口から直接薩埵峠に向かえば15分ほどで行けるのに、とんだ遠回りだ。少々うんざりしてきた。
だってその道は車道で、しかも景色も見えない面白味のない道なのだ。

 東勝院は薩埵峠に向かう車道より少し奥まった所にあった。
一見料理屋風の建物で境内に入ってもめぼしき物は見当たらず、当然地蔵も無いのでガッカリして
帰ろうと思い道路に出た。そこで上を見ると何やらお堂があり、石仏もゴロゴロ見える。
多分こちらが地蔵堂だろうと思い行ってみる事にした。
お堂の中を覗くと正面の祭壇には地蔵ならぬ弘法大師の絵が置かれていた。
うーんこれじゃ大師堂かもしれないな。

 
              地蔵堂?大師堂?                            堂内の様子
      東勝院の場所

 お堂は何と呼ぶか分からないが、お堂の前には古い地蔵像が一杯立っている。そしてその前には平らな石が
供えてある。平らな石なら焼津の疣取り地蔵では、地蔵に備えてある石で疣を取ったら、その石と別の石を
お返しする風習があったが、ここではどうだろうか。案内板がないので何も分からない。

 
                         地蔵群

 他にも地蔵は色々あり、写真の屋根の付いた地蔵の下には「静岡市萬年屋」文字。中央の写真の地蔵には
「天明三年」(1784)と刻まれている。外の地蔵にも名前を彫ったものが多いのを見ると、信者の願掛で奉納
した物のようだ。かってここは参詣者の多いお堂だったのだろう。

     
       静岡市萬年屋                 天明三年             光輪のある地蔵像


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