はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国番外西方寺

2015-11-01 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                              H27-8-19(水)
歩行時間:1時間50分   休憩時間:1時間50分   延時間:3時間40分
出発時刻:10時05分     到着時刻:13時45分
歩  数: 11、909歩(推定距離8.9km)    GPS距離8.5km
行程表
 大井バス停 0:10> 上陸大師 0:25> 35番 0:15> 36番 0:10> 師崎港 0:10> 篠島港 0:15> 38番 0:05> 番外
 0:05> 39番 0:15> 篠島港 0:06> 日間賀島港 0:05> 37番 0:05> 日間賀島 0:05> 師崎港 

                                番外西方寺(古仏)

 
                 西方寺の幟                                西方寺本堂

 篠島の細い露地に入ってからYAHOO!の地図では皆目見当がつかなくなっていしまい、番外西方寺(さいほうじ)への道も
38番で聞いた道を歩いた。しかし所詮は小さな島の事なので5分も歩かないうちに知多四国霊場の幟が立っていた。
その幟の下には漁船が見えていたが、どうやら篠島漁港には2ヶ所の舟溜りがあるようだ。

 西方寺は地味な札所だったが歴史は古く、こんな話が紹介されていた。
 「永正13(1516)年、伊勢神宮の火災を受け、天皇が皇太神宮(伊勢神宮内宮)の鬼門に当たる篠島に、阿弥陀如来の
分身を安置するよう命じ、神宮の古材を使って西方寺を建立させたという。
また西方寺には、土佐国と伊予国の二体の菩薩を奉安していることから 「月山・篠山霊場」 ともいわれている。」


 そうか永正年間は室町時代だから、このころ篠島は志摩の国から伊勢の国に属するようになったかもしれないな。
それから毎年篠島から伊勢神宮に鯛干が献上されるなど両社は密接な関係を持ち続けたのだろう。
しかしそれほど伊勢神宮と縁があるなら、寺号は伊勢神宮の北にあるので北方寺の方が良さそうだが。

 現在の西方寺の本堂はそんな歴史の面影はなく、こじんまりとした地味な札所だった。

 
                  弘法堂                                   石仏群

 建物は地味でも歴史のある寺の境内には、古仏が所狭しと置かれている。

 
                  島地蔵                                  六地蔵

 篠島はやけにお地蔵さんが多く、それも祠の中に安置しているお地蔵さんが多い。
38番の正法寺には 「篠島六地蔵」 とあったが、西方寺には 「くるま六地蔵」 の文字も見えた。
船に乗ってで働く人が多いので、海上の無事を祈ってお地蔵さんを設置するのだろうか。

 
          境内の漁港が見えるベンチで昼飯                           無縁仏

 西方寺のお詣りを済ませ、境内の眺めの良いベンチに座り昼飯を食べる。幸い雨も島に来てからは止んでいるので、のんびり
食べることができた。

 次の札所39番への立札が無縁仏の所に立っていたので聞く事もなく出発できる。

                             38番から番外西方寺への道 (参考)

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