はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

志太の微笑仏を訪ねて5

2012-10-04 11:39:21 | 寺社遍路
志太の微笑仏を訪ねて5(光泰寺)

                  常昌院~光泰寺


 
    整備された山辺の道                 ふるさとみかん山

 兵隊寺の常昌院から山辺の道は来た道を少し戻り、また上に向かって登る道に入る。
綺麗な乱張りの石を敷きつめた道を登り詰めた先には「ふるさとみかん山」と名付けたミカン畑があった。
ふるさとみかん山とは実際ののミカン畑を利用して、ミカンの栽培方法を紹介しているらしいが、
中々の急斜面で小さな子には大変そうだ。それでもあと少ししたらミカンの収穫で賑わう事だろう。

 みかん山の下の老人ホームの横を通り、山辺の道の案内に従い南陽寺に向かう。ただこの寺の記憶が無い。
本堂の写真はあるが、それを見ても何も思い出せない。きっと私の好奇心を引く物が無かったのだろう。
だがこれは覚えている。それは寺を出ると山の辺の道は南の山に向かっていた事だ。
これではまたダラダラと山の農道を歩かされそうだと恐れをなしてしまった。そこで恥ずかしながらも
山辺の道の完歩は諦めて、少し戻った所から北側にある東名高速を目指すショートカットの道にしてしまった。

 
 蕾の状態の彼岸花                    光泰寺の旗と吹流し

 東名のガードを潜るとまた山への上りになる。これでは「山辺」の道ではなく「山」の道だと愚痴も出てくる。
何しろ今日も暑い。彼岸の中日とは言え気温は30℃を越えているだろう。全く今年は暑かった。
それも9月に入ってからの残暑が厳しく、何度9月に猛暑日があった事やら。
その証拠には例年なら彼岸には咲き揃うはずの彼岸花が、まだ蕾の状態だ。きっとこの猛暑が影響しているのだろう。
マーそんな訳で、決して山辺の道が厳しいから完歩出来なかったのではなく、そして私がだらしがないのでもなく
全て猛暑の所為です。猛暑がすべて悪いのです。

 光泰寺に着いた。寺の境内に何色かに染め抜かれた旗と、五色の吹流しが建っている。あれは何だ?
以前吉野山の金峯山寺で、色の付いた布の幔幕で本堂を囲ってあるのを見た事があるが旗や吹流しは初めて見た気がする。
曹洞宗の彼岸の行寺か? いやいや静岡県は曹洞宗の寺は多いがこんな物は見た事は無い。では光泰寺独自の風習か?

 本堂の扉が開いていて中では僧が片づけをしていた。これ幸いとばかりに「木喰仏を拝観できるでしょうか」
尋ねると僧は気楽に「どうぞ、どうぞ、木喰仏は左手にありますから」と左に手をかざして庫裏に行ってしまった。
そうなんですよね、誰かが近くにいると写真が撮りにくいので助かりました。

       
    准胝観音像                    聖徳太子像

「准胝観音菩薩立像 2mを超す大きな身体一面に虫食いの跡がありかなり傷んでいるが堂々とした姿を
しており、ぼってりした肉体をくねくねした曲線で表現された衣が包んでいる。像高214.5cm 町指定彫刻」

「聖徳太子立像 この像は木喰仏の発見者、民芸運動の故柳宗悦が「中期の作として蓋し最も傑出せるものの
一躰であろう。そうして日本の数ある太子像の中で、慥かに忘れ難いものの一つである」
と絶賛したものである。
静かに合掌し、瞑想するその顔は私たちに安らぎと親しみを感じさせてくれる。像高111cm 町指定彫刻」


 准胝観音は体をクネクネしているかどうかは分からなかったが、確かに虫食いの跡が一面にある。顔も変色していて
見るからに痛々しい姿だった。
 一方柳宋悦が絶賛したという聖徳太子像は、准胝観音に比べ単純化されているがその顔は穏やかな表情をしていて、
微笑も控えめで好ましい感じがした。ただ聖徳太子の子供像いうと、坊主姿か髪を束ねた姿を思い浮かべてしまうので
ここの像のように髪を肩になびかせている格好は少々馴染めなかった。

 それにしても木喰上人の彫像期間は短い。ここにネットで見つけた木喰上人の日記や仏像に記された文章から、
その日程を算出したものがあったのでコピーしておきます。。
 6月28日 /光泰寺・准胝観音菩薩像作仏→
 7月2日 /常楽院観音堂・毘沙門天像・作仏→
 7月5日 /光泰寺・聖徳太子像作仏→
 7月11日 /十輪寺・虚空蔵菩薩像作仏→
 7月12日 /十輪寺・子安地蔵菩薩作仏→

 7月18日 /常楽寺・薬師如来像作仏→
 7月21日 /大日堂・吉祥天像作仏→
 7月23日 /大日堂・不動明王像作仏→
 8月下旬 /勢岩寺・弘法大師像作仏→
 8月4日 /宝積寺・地蔵菩薩像作仏→
 8月8日 /神入寺・薬師如来像・子安観音菩薩像作仏→
 8月13日 /岡部桂島の神入寺を出立
彫るのも早いが、これだけの種類となると、色々な仏像を描いたデザイン帳のような物を持っていたのだろうか、
それとも頭に浮かぶ像を彫っていたのだろうか?

  
    西国33観音菩薩                  庚申塔

 この光泰寺は大きな寺で、境内には西国33観音の石仏を祀った場所などもあった。
そして庚申塔もあったが文字だけで三猿は居なかった。ザンネン!

 
     正応院                      大旅籠柏屋

 光泰寺を出ると山辺の道は旧東海道に出る。そしてこの道最後の正応院に向かう。

正応院を出て旧国道1号線に入ると信号岡部北にすぐ出る。その先には岡部宿大旅籠柏屋があるが、
ここは何度も寄っているので写真を1枚写しただけで信号まで戻る。次の梅林院には信号を北に向かって行く。


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