はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国-7番極楽寺

2015-09-11 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                         H27-7-21(土)
歩行時間:6時間10分   休憩時間:2時間40分   延時間:8時間50分
出発時刻:7時50分     到着時刻:16時40分
歩  数: 37、546歩(推定距離28.2km)    GPS距離28.4km
行程表
 名鉄前後駅 0:20> 1番 1:00> 2番 0:05> 3番 0:25> 4番 0:50> 6番 0:45> 7番 0:10> 8番 0:30> 9番  0:25>
 10番 0:25> 11番 0:50> 54番 0:15> 番外2番 0:10> 亀崎駅

                                  7番極楽寺(お達者地蔵)
 6番から7番極楽寺へは 「愛知県の森公園」 の中の道とと言うか、横の道と言うか、兎も角公園のために造った広い直線の道を
歩いた。日影のない道だが下り坂なのが救いだった。夏休みなのに車は余り走っていず、遠くに見える公園にも余り人は見えない。
尤もここを歩いたのは12時頃で、背中の温度計は35度を指していた。これでは熱中症の危険があるので、外で遊ぶ人も少なくて
当り前か。私? 私は大丈夫です。今までも40度の中を歩いても熱中症にはなった事がないのだから。

 ブドウ畑が見えて来たら、直売所やぶどう狩り園も出てきた。愛知県でぶどう? 聞いた事はないがブドウ園の幟に「東浦ぶどう」
なっていた。時折袋を被せて無いぶどうがあったが形は巨砲だった。
確か巨砲は伊豆で作られたぶどうだった筈で、ここも伊豆と同じような半島で潮風に当たるので巨砲の栽培に適しているのだろうか。
東浦ぶどう組合のHPには 「巨峰の産地としては、気温が高めのここ東浦では、他県よりも早く収穫が楽しめます」 とあった。
フーン収穫が早いだけで味の事には触れてない。矢張り果物の甘味を出すには寒暖の差の大きい所のが適しているのだろう。

 
               極楽寺山門                                極楽寺弘法堂

 弘法堂の前に 「抱き地蔵」 「お達者地蔵」 の二体の地蔵が祀られていて、抱き地蔵には 「願いごとを心に念じつつ、静かに
目を閉じて お地蔵様を抱き上げてください。軽く抱き上げられたと思う時は 願い毎が叶うと言われています。」

持ち上げた結果ですか、イエイエとてもそんな余力はありませんでした。境内では只々暑く日陰に避難するだけでした。

 お堂の右にあるお達者地蔵には説明がないので地蔵の謂れは分からないが、お詣りすれば達者で暮らせると云うのだろう。
お達者と云えば先日静岡県が市町村別お達者度を発表した。お達者度とは65歳から、元気で自立して暮らせる期間を算出した
ものだそうで、因みに静岡県のお達者度が一番高いのは、女性も男性も遠州森町で女性が22.05、男性が19.49となっていた。
この数値は多分65歳から健康で過ごせる年数だろうから、女性は87歳、、男性は84歳まだ達者でいられるという事か。
似たような物に厚労省が発表する健康寿命があるが、こちらは 「日常生活に制限のない期間」 となっている。
違いは明確ではないがどちらも似たような物だろう。
で、健康寿命が日本で一番長い県と云うと、女性は静岡県で75.32歳、静岡の男性も堂々の全国2位で71.68歳でした。
アレー何か変ですよね、お達者度と健康寿命の数値が違い過ぎる。お達者度には県平均が表示されていないので、森町の
数値が高すぎるかもしれない。ならお達者度最下位を見てみると女性が18.96で、男性が16.16でした。これでも女性は83歳、
男性が81歳となり、こちらも健康寿命を大幅に越えていました。
私の理解が間違っているのだろうが、どちらにしても静岡県は健康で暮らせる期間が長い事は確かだろう。その理由としては
私流に考えるなら、先ず食べ物では緑茶とミカンが考えられる。次に思い当たるのは暑くなく寒くない気候が考えられる。
東海の天気予報を見ていると春の彼岸の頃までは静岡の最低気温は一番高いのに、夏が近づいて来ると一番低くなる。
更に日照時間も長く過ごしやすい土地柄とも云えそうです。
また巷で云われる県民気質も影響しているのかもしれない。東・中・西の地域で違いがあるものノンビリした気質となっている。
それらの事が影響しあって静岡県の健康寿命は長いのではないでしょうか。

 因みにその健康な静岡県の中でも一番を誇る森町には、更にこんな特産物もある。
「柿が赤くなれば医者は青くなる」 と云う諺を知っていますか。これを言葉通りうけとれば、栄養豊かな柿を沢山食べれば
病気にかかる人がいなくなり、患者が減った医者は青くなる。ですよね。
実はその諺通り森町は次郎柿発祥の地であり、一大産地でもあります。住民はその柿をたらふく食べ、更に特産の森茶を
飲んでいるので健康寿命が長く、お達者度が高くなったのでしょう。

 また余計事を言わせてもらうなら、森町と合併する予定だった袋井市のお達者度は男性が15位で、女性が20位でした。
人口の少ない森が袋井市と合併すれば袋井のお達者度は若干向上しても、森町の男女共1位の栄冠は無くなってしまいます。
森町は合併しなくて本当に良かったですね。 こうなったら森町は町おこしも兼ねて、健康寿命を更に高め、特産品の次郎柿と
森茶を大いに宣伝してください。
更にもう一言。静岡県はお達者度と健康寿命の違いを明確にすると同時に、健康寿命の市町村別も発表してください。

                    
                 弘法大師像                               札所石碑

 境内に弘法大師の立像が建っていた。でもこの姿も私には今一なのですよね。私の好きな弘法大師像は、菅笠を被り、背中には
荷を背負い、手には金剛杖を持って、片足を半歩前にして、如何にも歩いているといった姿です。
知多四国霊場のそんな弘法大師像があると良いのだが。

 弘法大師像の台座の下や幟に 「南無大師遍照金剛」 と見えるので、ここで得意の受売りを少しします。
弘法大師が生前一般的に使われていた名前(法名)は 「空海」 だったが、空海が遣唐使として唐で修業を積んでいる時に
師から法号の 「遍照金剛」 を与えられた。この意味は 「この世の一切を遍く照らす最上の者」 を意味するのだそうです。
しかしその後も一般的には空海を名乗っていたようだ。
更に空海の死後、後醍醐天皇から与えられた諡号が 「弘法大師」 でした。

 では遍照金剛の法号の前に付いている 「南無」 とは何か。
南無とは 「私はあなたに帰依します。(信じます)」 と云う事らしい。よって南無大師遍照金剛とは 「わたしは弘法大師を信じます」
と宣言したことになるようだ。
よく使うお経に 「南無阿弥陀仏」 があるが、これは阿弥陀様を信じますと云う事になるのだろう。
高野山真言宗のHPには 「南無大師遍照金剛は御宝号(ごほうごう)で、真言宗で唱える一番短い『お経』です。」とある。
よって私は時間がなかったり疲れている時は般若心経を唱えるのを省略して 「南無大師遍照金剛」 を三度唱えています。


                         6番から7番極楽寺への道



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