菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

たァがやァーィ!

2012-07-17 00:00:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第19講

 両国の川開き当日、花火を見ようと大勢の人出。とくに両国橋の上はたいへんな混雑で身動きさえもできない。
 花火がドーンとあがると、「玉屋ァーィ」、「鍵屋ァーィ」と口々にほめている。

     

 橋の上を馬に乗った武士が、三人の供をつれて、「寄れ寄れ、寄れいッ」と強引に渡ってきた。そこに反対のほうから、道具箱をかついだたが屋が、人混みを「すみません」とかき分けて入ってくる。ちょうど橋の真ん中で、武士とたが屋が出くわした。

 押されて持っていた道具箱を落とす。そのはずみで巻いてあった箍(たが)の止めががはずれ、つッつッと伸びて、馬上の武士の陣笠をはじき飛ばしてしまった。

 武士の頭は笠の台だけ……人混みの中で恥をかかされた武士は、カンカンになって怒り、平謝りに謝るたが屋に、
「勘弁まかりならん。斬り捨てるぞっ」と言う。
 いくら謝っても許してもらえないと知ったかだ屋は、やけになって
「どッからでも斬ってくれ」と開き直った。

 供侍の一人が刀を抜いて斬り込んできたのを、喧嘩(けんか)慣れしたたが屋は体をかわし、逆に刀を奪って斬り殺す。「ご同役の仇」とかかってくるのを次々に斬って、とうとう三人の侍を殺してしまった。

 ついに馬上の武士が槍をしごいて突いてきたが、たが屋は飛び込んで一刀を横に払うと、武士の首が宙天へスポーン。

 そうすると、見物一同がよくやったとばかり、
「たァがやァーィ」

     

 両国の花火大会の当日は、例年テレビでも放映されている。たくさんの人でごったがえす両国橋の上の様子は、平成の今も江戸の昔も変わらない。そこへ馬で乗りこんでくるというのだから、現代の悪徳政治家や高級官僚の傲慢な態度を見るようで、さすがにムカッ腹が立ってこようというものだ。

 さて、六法をめくれば、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する」という条文がある(刑法199条)。
 たとえば、このたが屋が馬上の武士を一刀のもとに斬り捨てた行為。だれが見たって「人を殺した」行為だ。まちがいなく殺人罪の条文に書かれてある要件(これを「構成要件」という)には該当する。
 たが屋を罰するには忍びない……という感情論はさておき、この場合、本当に殺人罪が成立するのか、もう少し考えてみよう。

 もし、たが屋が武士を斬らなければ、おそらくはたが屋の首のほうが飛んでいたにちがいあるまい。つまり、やらなきゃ、逆にやられたのである。
 武士はたが屋を殺す気で槍を突き出したのだ。これに対して、たか屋は自分の身を守ったに過ぎない。命の危険にさらされているような場合、自分で自分の身を守ることを法も許している。これが「正当防衛」である。
 刑法には「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」と規定されている(刑法36条1項)。

 正当防衛が認められるためには、①侵害の急迫性、②侵害が不正であること、③防衛行為の必要性・相当性、④防衛の意思、の各要件が必要である。
 たが屋の場合、自分を殺そうと槍で突きかかってくる武士に(急迫不正の侵害)、自分の命を守るため、刀で防戦した(やむを得ずにした)のだから、たとえ刑法199条の要件に該当していても、違法性なしとして、処罰されない。このような、違法でなくなる特別な事情を「違法性阻却事由」という。
 このように、構成要件に該当するばかりでなく、違法かつ有責な行為でなければ、犯罪は成立せず、処罰されることはないのである。

 ところで、この『たがや』という噺は、「町人の武士階級に対するレジスタンスが見事に描き出されている」と評する人が多い。しかし、佐藤光房『東京落語地図』(朝日新聞社)には、次のような面白いエピソードが紹介されている。

「が、しょせんは江戸っ子のレジスタンスで、たいしたことはない。もとの噺では宙に飛ぶのはたがやの首で、涙声で『たがやー』とさげていたものだそうだ。安政のころに現在のような形になったが、高座に上がった噺家が『えー、相変わらず』と見回して、客席に侍がいると、昔の筋書き通りたがやの首を飛ばしたという。立川談志師は、いまでもたがやの首を飛ばしている。」

     


【楽屋帖】
 花火は江戸の夏の風物詩。安永年間、両国の川開きは旧暦の5月28日だった。
 舞台となる両国へ、江戸中100百万人からの群衆・野次馬が集まっている。その混雑したところに武士が供とエラそうに通りかかっものだから、「侍がなんだってんだ」という雰囲気になり混乱に拍車が。そしてそこへ「たが屋」が出くわしたものだから……。
 江戸時代、武士が町人らから耐え難い無礼を受けた時は、切り捨てても処罰されなかった。公事方御定書71条の追加条項に定められた、いわゆる「切捨御免」である。支配階級である武士の名誉と威厳を守ることにより、武士階級を頂点とした社会秩序が保たれると考えられていたものであり、これもまたある種の正当防衛的な行為とも理解できなくはない。ただし、個人の権利を防衛する正当防衛ではなく、あくまで社会防衛ではあるが。
 このほか、武士に歯向かう同様の噺として、『禁酒番屋』、『石返し』などがある。


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