菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

『芝浜』 また夢になるといけねえ

2012-12-09 00:00:00 | 落語と法律

新・落語で読む法律講座 第23講

 棒手ふりの熊さんという魚屋。腕は確かだが、酒にだらしがない。仕事を怠けていたため、年の暮れには借金だらけで、どうにも仕方がなくなってしまう。

       

 ある朝、女房に起こされて、芝の浜へ買い出しに行くが、まだ魚河岸が開いていない。女房が刻を間違え、一刻早く起こしてしまったのだ。
 浜に出て顔を洗っていると、波打際に革の財布が落ちている。拾ってみると重いから、腹掛けにねじこみ、家へとんで帰ってきた。

 なかを勘定してみると五十両。
 思わぬ大金が入って、魚熊は「もう買い出しになんか行かないんだ」と大喜び。ひと眠りした後、友だちを呼びあつめて、酒や仕出しの料理を大盤振舞いし、自分も大酒を飲んで寝てしまった。

 あくる朝、女房は「そんな金なんか知らない」などと言う。金を拾ったのは夢で、友達を呼んで飲み食いしたのは本当らしい。
「酒屋や仕出屋の勘定をどうやって払うの」と迫る女房に、金輪際酒を止めると誓う。

       

 これから人間がガラッと変わった魚熊は、死ぬ気になって稼ぎはじめた。
一年、二年と家のなかは楽になって、夏冬のものもそろい、いくらかの金も貯まるようになる。

 ちょうど三年目の大晦日。
 女房は、魚熊が三年前に拾ってきた財布を出してきで、「拾ってきたお金を使ったんじゃ、ただでは済まないから、夢、だと言って、お前さんをだましていたんだよ」と言う。心から札を言った魚熊、女房が一本つけてくれた澗酒に手をのばすが、
「よそう。また夢になるといけねえ」

          

 師走の演題としておなじみの『芝浜」は、三遊亭圓朝が「酔っぱらい、芝浜、革財布」で即席につくった三題話といわれているが、他説も有力である。
 三代目桂三木助が昭和29年の芸術祭奨励賞を獲得した得意噺として知られているが、同じ噺でも、演者によってずいぶん違った味で楽しむことができる。三木助の魚屋の名は勝五郎、拾った金額も42両で、だんだん明けていく芝の浜の情景描写がドキュメンタリー・タッチの映画の趣ならば、一方、魚熊が50両を拾う五代目志ん生のほうは、おとぎ話風のミュージカルといったところか(本稿は志ん生の『芝浜』をベースに要約した)。
 だから、落語はおもしろいのである。

 さて、早起きは三文の得というが、芝浜で財布を拾った熊さんの場合は、女房から夢だと言われたばかりか、酒屋や仕出屋の勘定まで負ってしまい、まさに踏んだり蹴ったりである。
 これら酒屋などに対する支払いは、熊さんが勝手に友だちを呼んで振る舞ったものだ。女房にしてみれば、自分の関知するところではないから、熊さんに請求してくれと拒むことができるだろうか。

 夫婦は、日常的な家事について、一方のした行為につき、他方もその責任を負担する義務がある(民法761条)。日常家事の範囲の取引では、夫婦の一方と取引した第三者からみれば、夫婦双方を相手にしたと考えるのが通常であり、夫婦共同の債務とすべきだからである。
「日常の家事」というくらいだから、食費や光熱費、衣服類や家財道具の購入代金、家賃の支払い、家族の医療費、子女の養育費が含まれる。これらに対して、夫が賭け事のために消費者金融から借金したような場合は、「日常の家事」に入らないから、妻が連帯責任を負うことはない。

 酒屋や仕出屋の勘定は、その金額の多寡や、魚熊のふだんの生活や家計の状態などからすれば、「日常の家事」の範囲外と考える余地がないではないが、夫婦がそろって友だちを接待したものと認定される可能性もある。
 女房としては、酒屋と仕出屋に対し、責任を負わないことを予告しておけば、その請求を拒否できることとなる。

 ところで、この女房は、魚熊が50両の金をネコパパしてしまえば、「ただでは済まない」と心配した。「人の金を10両盗めば、首が飛ぶ」といわれた時代のことである。
 ただし、厳密には、浜に落ちていた財布を拾ったのであり、他人の財物を窃取したものではないから、窃盗罪(10年以下の懲役。刑法235条)は成立しない。遺失物か漂流物にすぎない財布をネコパパしただけなので、占有離脱物横領罪に当たり、その罪も1年以下の懲役または10万円以下の罰金もしくは科料と軽くなる(刑法254条)。

 いずれにせよ、しがない棒手ふりの熊さんが、結果的に表通りの魚熊の旦那になったのだから、早起きは三文の得という諺、まさに「古人われを欺かず」である。


       


【楽屋帖】
 前記のとおり、噺家によって、主人公の名前も拾った金額もまちまちだが、綴密な構成と人情味、そして賢い女一房に除らせられる一席。芝浜とは、北は新橋、南は口問川に援し、江戸前(東京湾)のアナゴやキス、エビ、ハマグリ、アサリ等多くの魚介類が水揚げされた河岸である。江戸っ子は新鮮な江戸前ものを「芝肴」として珍重し、喜んだ。
 ちなみに、江戸時代は、死刑にも、重い順に磔・引回獄門・獄門・引回死罪・死罪と5段階あり、10両以上の窃盗も不義密通もこの最下位ランクだが、「死罪」という名の死刑とされていた。したがって、人を1人殺しても懲役にしかならない現代と比較すれば、かなり刑罰の重い時代だったと言えるだろう。



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