新・落語で読む法律講座 第21講
家主が、長屋に住む独身の吉兵衛のところに、結婚話を持ちかけた。相手は、不動坊火焔という講釈師の未亡人のお滝さん。
独り者ばかりが住まう長屋では、いわばマドンナ的存在の美人だ。かねてからお滝さんに想いを寄せていた吉公は大喜び。不動坊の残した借金を肩代わりするという条件を承知して一緒になることを決めた。
嫉妬した長屋の男たちは腹いせに、吉公の新婚生活をぶち壊してやろうと、死んだ亭主の不動坊火焔の幽霊を出すことに。
むかし寄席芸人だったという男を幽霊役に雇い、こいつを夜中に吉公の天窓からヒモでぶら下げ、
「不動坊火焔の幽霊だァ。四十九日も済まぬのに嫁入りするとはうらやましい」
(ちがうよ! うらめしいッ)
「恨まれる覚えはねえッ! こちとら借金の肩代わりまでしてんだ」
「ははぁ、そういう事情があろうとは……ありがとうございます」
(ダメだよ、礼なんぞ言ってちゃ)
「何を言いやがる。さてはてめえ、宙に迷ってるんだな」
「いえ、宙にぶら下がっております」
今月の題材は『不動坊』である。
本来は上方ネタで、上方では、吉公ではなく、金貸しの利吉。未亡人のほうは、東西ともお滝さんが多い。
「不動」には「滝」が付き物だからか。
さて、吉公は、結納の代わりに、不動坊の残した借金を肩代わりしている。
民法上、遺産相続の開始と同時に、被相続人(不動坊)の財産に属した一切の権利義務が、当然に相続人に承継される。
子供はいないようだから、この場合の相続人は、未亡人のお滝さんと、存命ならば不動坊の親である。
しかし、借金のようなマイナスの財産も相続の対象となるから厄介だ。このために「相続放棄」の制度がある(ほかにも「限定承認」があるが、プラス財産がありそうもない不動坊のケースには関係がなかろう)。
お滝さんとしても、必ず借金を抱えなければならない理由はないので、これを放棄する自由が認められているのだ。
ただし、相続放棄は、相続開始を知った時から、3カ月以内に家庭裁判所に対して申述しなければならない(民915条)。
この借金の肩代わりは、結納の代わりだ。一般に結納とは、婚約成立の証しとしての、あるいは結婚の支度金としての贈与の意味がある。
したがって、そもそも婚姻が成立しなければ、返さなければならない。
ただし、必ずしも正式に婚姻届が出されなくとも、一定期間の同棲など、事実上の結婚生活が認められれば、結納の返還は必要ない。
この噺では、新婚初夜までしか描かれていないので、その後に破談となったとしても、結納としての借金肩代わりがチャラになるかどうかはケース・バイ・ケースということになろう。
この噺、ひとつだけ法律的におかしなところがある。それは、お滝さんが、不動坊の「四十九日も済まぬのに嫁入り」している点だ。
妻であった者は、前婚の解消(離婚だけではなく、夫婦の一方の死亡も含む)後、6カ月を経過しなければ、再婚できない(民法733条)。
ただし、懐妊したまま婚姻が解消された場合は、その出産の日から再婚できる。これを待婚期間という。これは、子供ができた場合に、前夫の子か現在の夫の子か判断がつかなくならないようにするためであり(父性確定の困難回避)、寡婦に対して一定期間喪に服することを強制した趣旨ではない。
したがって、お滝さんとしては、不動坊の四十九日も済まないうちに、吉公と再婚することなどできないはずなのである。
ところで、あえて相続放棄を選択せず、吉公に借金を肩代わりさせたのは、お滝さんのいかなる存念によるものか……そう考えれば、独身男の集団ジェラシーもハナから無益だったのかもしれない。
【楽屋帖】
不動坊火焔とは、「不動明王」と、後背にある「火焔」から。不動坊火焔の幽霊が「天窓」から降りるが、この天窓はへっついから出る煙の排気、換気用の窓。屋根からの明かり取りにもなった。
民法733条では、女性だけに再婚禁止(待婚)期間があり、男性にはない。このため女性差別、平等権を定めた憲法14条に違反しているという指摘もある。しかし、最高裁は「女性のみが懐胎するという生理的な理由に基づき立法されたものであり、父子関係の確定の困難を避けることを趣旨とするものと解され、医学の進歩によって、妊娠の事実や父子関係の確定に関する科学的な技術等が進歩していることを前提としても、この6ヶ月間という再婚禁止期間に、明白な合理性がないとまで判断することはできない」とし、女性の待婚期間を合憲としている(最判平成7年12月5日)。
これを形式的にあてはめれば、70歳を超えたお滝婆さんが夫に先立たれ、同じ長屋の独身である吉爺さんと再婚したいと思っても、およそ父性確定の困難などないはずだが、6か月の制約を受けることになってしまう。
ちなみに、諸外国において、現在では女性の待婚期間を廃止している例が多いらしい。
家主が、長屋に住む独身の吉兵衛のところに、結婚話を持ちかけた。相手は、不動坊火焔という講釈師の未亡人のお滝さん。
独り者ばかりが住まう長屋では、いわばマドンナ的存在の美人だ。かねてからお滝さんに想いを寄せていた吉公は大喜び。不動坊の残した借金を肩代わりするという条件を承知して一緒になることを決めた。
嫉妬した長屋の男たちは腹いせに、吉公の新婚生活をぶち壊してやろうと、死んだ亭主の不動坊火焔の幽霊を出すことに。
むかし寄席芸人だったという男を幽霊役に雇い、こいつを夜中に吉公の天窓からヒモでぶら下げ、
「不動坊火焔の幽霊だァ。四十九日も済まぬのに嫁入りするとはうらやましい」
(ちがうよ! うらめしいッ)
「恨まれる覚えはねえッ! こちとら借金の肩代わりまでしてんだ」
「ははぁ、そういう事情があろうとは……ありがとうございます」
(ダメだよ、礼なんぞ言ってちゃ)
「何を言いやがる。さてはてめえ、宙に迷ってるんだな」
「いえ、宙にぶら下がっております」
今月の題材は『不動坊』である。
本来は上方ネタで、上方では、吉公ではなく、金貸しの利吉。未亡人のほうは、東西ともお滝さんが多い。
「不動」には「滝」が付き物だからか。
さて、吉公は、結納の代わりに、不動坊の残した借金を肩代わりしている。
民法上、遺産相続の開始と同時に、被相続人(不動坊)の財産に属した一切の権利義務が、当然に相続人に承継される。
子供はいないようだから、この場合の相続人は、未亡人のお滝さんと、存命ならば不動坊の親である。
しかし、借金のようなマイナスの財産も相続の対象となるから厄介だ。このために「相続放棄」の制度がある(ほかにも「限定承認」があるが、プラス財産がありそうもない不動坊のケースには関係がなかろう)。
お滝さんとしても、必ず借金を抱えなければならない理由はないので、これを放棄する自由が認められているのだ。
ただし、相続放棄は、相続開始を知った時から、3カ月以内に家庭裁判所に対して申述しなければならない(民915条)。
この借金の肩代わりは、結納の代わりだ。一般に結納とは、婚約成立の証しとしての、あるいは結婚の支度金としての贈与の意味がある。
したがって、そもそも婚姻が成立しなければ、返さなければならない。
ただし、必ずしも正式に婚姻届が出されなくとも、一定期間の同棲など、事実上の結婚生活が認められれば、結納の返還は必要ない。
この噺では、新婚初夜までしか描かれていないので、その後に破談となったとしても、結納としての借金肩代わりがチャラになるかどうかはケース・バイ・ケースということになろう。
この噺、ひとつだけ法律的におかしなところがある。それは、お滝さんが、不動坊の「四十九日も済まぬのに嫁入り」している点だ。
妻であった者は、前婚の解消(離婚だけではなく、夫婦の一方の死亡も含む)後、6カ月を経過しなければ、再婚できない(民法733条)。
ただし、懐妊したまま婚姻が解消された場合は、その出産の日から再婚できる。これを待婚期間という。これは、子供ができた場合に、前夫の子か現在の夫の子か判断がつかなくならないようにするためであり(父性確定の困難回避)、寡婦に対して一定期間喪に服することを強制した趣旨ではない。
したがって、お滝さんとしては、不動坊の四十九日も済まないうちに、吉公と再婚することなどできないはずなのである。
ところで、あえて相続放棄を選択せず、吉公に借金を肩代わりさせたのは、お滝さんのいかなる存念によるものか……そう考えれば、独身男の集団ジェラシーもハナから無益だったのかもしれない。
【楽屋帖】
不動坊火焔とは、「不動明王」と、後背にある「火焔」から。不動坊火焔の幽霊が「天窓」から降りるが、この天窓はへっついから出る煙の排気、換気用の窓。屋根からの明かり取りにもなった。
民法733条では、女性だけに再婚禁止(待婚)期間があり、男性にはない。このため女性差別、平等権を定めた憲法14条に違反しているという指摘もある。しかし、最高裁は「女性のみが懐胎するという生理的な理由に基づき立法されたものであり、父子関係の確定の困難を避けることを趣旨とするものと解され、医学の進歩によって、妊娠の事実や父子関係の確定に関する科学的な技術等が進歩していることを前提としても、この6ヶ月間という再婚禁止期間に、明白な合理性がないとまで判断することはできない」とし、女性の待婚期間を合憲としている(最判平成7年12月5日)。
これを形式的にあてはめれば、70歳を超えたお滝婆さんが夫に先立たれ、同じ長屋の独身である吉爺さんと再婚したいと思っても、およそ父性確定の困難などないはずだが、6か月の制約を受けることになってしまう。
ちなみに、諸外国において、現在では女性の待婚期間を廃止している例が多いらしい。