菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

欧米の契約観について(1)

2012-04-25 00:00:00 | 国際法務

国際法務入門 第20回
 国際取引と英文契約

 経済の国際化の進展に伴い、各企業が外国との取引に直面する機会も急増している。突然に英語で書かれた契約書の案文が送られてくることも、決して珍しいことではなくなった。国際取引でトラブルが発生すると、その処理の厄介さは国内取引の比ではない。したがって、企業の担当者としても、国際契約に関する基礎知識だけは身につけておきたいものである。

 ところで、現在の国際取引では、圧倒的に英文契約が多い。ともに英語を公用語としない国の当事者間(たとえば、日本とフランス間)の契約も、英語を用いるのがふつうである。したがって、国際契約は、イコール英文契約と考えておけば足りる。

 契約である以上、国内契約と共通する点はきわめて多い。しかしながら、英文契約には、いくつかの特徴的な差異がある。もちろん使用する言語が違うわけであるから、形式面が大きく異なることは当然であるが、それに加えて、そもそも契約書に対する意識に違いが存在しているのである。まずは、この契約観の違いといったものを理解しておく必要がある。

 このように国際取引にあたっては、国内契約との差異をつねに意識しなければならない。契約に対する考え方はもとより、相手方の信用調査、適用される法律、紛争が生じた場合の解決方法などにも十分に留意しておきたい。

(次回に続く)

『高砂や』 この浦船に帆を下げてぇ

2012-04-17 00:00:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第17講

 清元の稽古をしたのが理由で勘当されていた、伊勢屋の若旦那。
 魚屋の民さんが二階に預かって世話をしていたところ、向かいの大工吉五郎の娘お染を好きになる。
 こうして、若旦那は勘当も許され、お染と婚礼をあげることになった。
 民さんがその仲人を頼まれたが、どうやっていいのかわからないので、横町の隠居に相談する。

 隠居は、民さんに親切に式の手はずを指示し、祝儀の謡いもやらなくちゃいけないと謡曲「高砂」の一節も教えてくれる。
 もとより謡いの素養などない民さん、さっぱり謡いらしい声が出ないので、豆腐屋の売り声を真似して何とか「高砂や、この浦舟に、帆を上げて」というはじめの一節だけを覚えた。

 紋付きを借りて、伊勢屋へ出掛け、盃事もめでたく済み、親類への挨拶も終わったところで、「御祝儀を……」と言われた民さん。
 いきなり「とぉ~ふぅぃ~」と声を試したあと、「高砂」の一節をやり、「あとは、ご親類の方々で……」と言って下がろうとすると、「親類一同不調法で、仲人さんお先を……」と言われ、下がるに下がれない。

 一節しか覚えていないので困った民さん、何度も同じところを繰り返し、果ては「この浦舟に帆を下げて」などと謡いだす始末。
 とうとう泣きっ面になり、巡礼の御詠歌の節になってしまう。
 すると、親類一同が「婚礼に御容赦(=巡礼にご報謝)」。


     

「高砂や この浦舟に 帆をあげて~」
 謡曲「高砂(たかさご)」。
 婚礼の席上で謡われる祝言の一種であることから、結婚式や結婚そのものを「高砂や」と呼ぶ人もいる。
 謡曲とは、能の「セリフうた」のことで、能は謡曲にあわせて舞う舞である。
 これは、能を完成させた世阿弥の作で、松林が美しいことで知られていた高砂の浦(現在の兵庫県高砂市の海浜)を舞台にしている。

 江戸時代まで、わが国の婚姻制度は儀式婚であった。
 したがって、婚礼の席上で謡われる「高砂や」の祝言は、法的にも婚姻を招来するものと考えることができるだろう。
 その後、明治に入ってから、いわゆる法律婚主義が採用されるに至った。
 明治8年12月9日に出された太政官達によれば、婚姻は「縦令(たとい)相対熟談ノ上タリトモ双方ノ戸籍ニ登記セサル内ハ其効力ナキモノト看做ス」とされている(太政官達209号)。
 また、明治13年5月、大阪の山田吉兵衛という人物が、高砂社の広告ビラを配布した。高砂社とは、私営の結婚相談所のことである。

 法律的に結婚したというためには、結婚生活の約束とその実態があるとともに、婚姻の届出が必要である。
 婚姻についての合意があり、その他法律で定める要件がそなわっているだけでは足りず、所定の届出がなければ、婚姻は成立しない。

 この点、民法では、戸籍法で定めるところに従って届け出ることとなっている(同法739条1項)。
 したがって、婚姻の届出をしない限り、いかに夫婦の実態があったとしても、法律上は夫婦ではない。

 しかし、ただ届け出ればよいというものでもない。
 結婚という重大事項なのだから、当人の意思によって届出がなされることが絶対に必要である。
 民法も、本人に婚姻の意思が全然ないにもかかわらず、たまたま届出だけがされているような場合には、その婚姻ははじめから無効となるとしている(同法742条1項1号)。

 ところで、最近の『国民生活白書』や『子ども・子育て白書』によれば、わが国の未婚率は、特に最近急速に高まっている。特に女性の急上昇ぶりは明らかで、50歳時の未婚率は11.9%に及ぶらしい。結婚しない人たちの割合が増加すれば、当然に子どもの出生数にも影響を与えることとなるから、事態は深刻である。
 しかし、経済上・趣味趣向の多様化・価値観の変化など、結婚に対するさまざまな環境の変化が、特に女性における結婚への心理的姿勢を変化させている分析もある。現実には、男女ともに、結婚する必然性がないと思っている独身者が案外多いのではあるまいか。


     


【楽屋帖】
 かつては六代目春風亭柳橋師や五代目柳家小さん師がよく演じていたが、最近では寄席でもあまり聴けなくなった。
「高砂や この浦舟に帆を上げて 月もろともに出で潮の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて 早やすみのえに着きにけり 早やすみのえに着きにけり。」

運命がレモンをくれたら

2012-04-09 00:00:00 | 伝える言葉
◆伝える言葉(4)◆


 When fate hands us a lemon, let's try to make a lemonade.
- 運命がレモンをくれたら、それでレモン水を作るよう努力しよう。  (Dale Carnegle)




 以前ビジネスマンの間でよく読まれた本に、デール・カーネギーの著者がある。彼は、1888年にミズーリ州の片田舎の農家に生まれ、苦学の末、教員として立つべくウォーレンバーグ大学を卒業した。その後、YMCAが設ける夜間成人講座で話し方教室を受け持ったが、その講座の実際的効果をあげるため、古今東西の伝記や社会的成功者の体験談を蒐集し、これらを総合分析して生活技術の体系を打ち立て、多くの人々に人生のヒントを与えたのである。
 1948年に発表した"How to Stop Worrying and Start living"のなかで、彼はこう述べている。人がマイナスをプラスに変えようと試みるだけで、否定的考えが肯定的考えに代わり、創造的エネルギーを解放するのだと。
 今日から我々もマイナスをプラスに変える力を発揮しようではないか。

 

馬吉・駒与志二人会(五月霞が関寄席)のご案内

2012-04-08 07:00:00 | あいさつ
東日本大震災 義援プログラム
五月霞が関寄席「金原亭馬吉・駒与志二人会」

          

来る5月30日に霞が関寄席「金原亭馬吉・駒与志二人会」が開演されます。

ただいまWeb上で受付中です。 ← 申込受付け開始!

 と き:平成24年5月30日(水)
 開演時刻:18:45~
 出演者:金原亭馬吉、金原亭駒与志


     
   馬 吉

     
   駒与志

 木戸銭:2,000円
 ところ:霞が関ナレッジスクエア「スタジオ」
 (千代田区霞が関3-2-1霞が関コモンゲート ショップ&レストラン西館3階

        

 詳細は「金原亭駒与志の世界」へ

講義録: 株式会社の基本構造(5) ~債権者保護の必要性(前編)

2012-04-01 00:00:00 | 会社法学への誘い

 株式会社は、現代経済社会の最も重要な取引主体ですから、1年365日24時間、日々きわめて大量の取引を行っています。多数の債権を取得する一方で、膨大な債務もまた負担するのです。そこには必ず会社に対する債権者等の第三者が存在しています。

 しかし、株式会社においては、商売の元手を集めやすくするために、株式という資金調達手段を導入し、株主有限責任の原則を採用しました。このため、債権者は、会社所有者である株主から直接債権の回収を図ることができません。
 個人経営の商人の場合であれば、売掛代金などを支払わないでいると、取引先が「お前どうしてくれるんだ、早く売掛金を払え」と怒鳴りこみ、家の箪笥に隠していた金まで吐き出させるわけですが、株式会社のオーナーである株主には、有限責任の原則がありますので、「私どもは出資した限りでしか責任を負いませんよ。あなたの債権を保証するような立場ではありませんから」などと言われてしまいます。

 さらに、合理的な企業経営を実現するために、所有と経営を原則的に分離しています。会社経営者はその能力をかわれて企業経営を委ねられた者にすぎず(会社法330条)、会社そのものとはまったくの別人格なのです。
 したがって、経営者は原則として、第三者に直接の個人責任を負うことはありません。いくら「経営者なんだから責任とれよ。うちの売掛金をお前のところで払ってくれ」と迫っても、「いやいや、私は会社に頼まれて経営しているだけなので、あなたとは何の関係もありませんよ」と言われるのが落ちです。

(次回に続く)