朝食に生のピーマンを食べながらなかば腹立たしげに思った。なんでこんな薬品のようなニオイがするんだっ、と。
そこで湯斗のご主人に教えを乞うた。このピーマンをもっと受け容れやすくする方法はないもんですかね?と。
ご主人は取り敢えず味噌と胡麻と梅の組み合わせのドレッシングを教えてくれた。ニオイも緩和して食べやすくなりますよ、と。そのうえで次のようにおっしゃった、「ピーマンを生で朝食べるのは血液をサラサラにして身体にいいから嫌な気持ちで食べたりしたらダメです、ピーマンの貢献を有難いと思わなきゃ」と。
湯斗のご主人の哲学は、乞い求める同士の出会いの妙にある。求めるものの間には理屈ではない特別なものが確かに生まれる。それを食材と人間との間で行う、それを取り計らうのが「料理」であり「料理人」ということなんだろう。
そういう意味で上記アドバイスは、僕とピーマンとの間を上手に取り持ってくれた「料理」だった。ピーマンのニオイをピーマンから抜くことはできる。しかしそれはピーマンと僕が正面きって仕え合っているのではない。ピーマンでなくなったピーマンにはもはや効力はない(栄養分もぬけてる)。
昔、「しあわせ」は「仕合せ」と書いたが、僕はこちらの漢字の方がわかりやすくて好きだ。とにかく僕に一番必要だったことは、ピーマンの良さを認識することだったというわけである。
そこでもうひとつ質問がわいた。
イギリスの料理はまずいと有名だが、生野菜なら大して変わらないだろうと、ロンドンで野菜サラダを頼んだことがあった。
食べてあまりのまずさに驚いた。これは生野菜ではなく生ゴミだ、と思わず吐き出した。
ただ吐き出してから思った、イギリスは料理が下手だといっていたが野菜サラダもかよっという演繹の仕方はおかしい、と。ただ生野菜を切って並べているだけなのだからである(バイト君らしきひとが切って出していた)。
そこで湯斗のご主人に訊いてみた、日本の野菜サラダとの差はなんでしょう?と。
ご主人は笑いながらお答えになった、「日本の野菜サラダは水分が多すぎるんです」。
「多すぎる」とははじめから日本の野菜がたくさん水分を含んでいるという意味ではない。
日本の場合、生野菜を切ってからある時間消毒してそのあとその消毒液を洗って冷水につけ、それからでてくる。
世の中にあるものを十全に活かす。これが料理人の理想だとすると、当然その行程によって野菜の力は減退させられる。
生野菜は切り口からその消毒薬にどんどん自らの栄養分を垂れ流す。僕ら人間が血を失えば死ぬようにそのナキガラみたいな野菜にかわり水や消毒薬がはいってふくらんだものが日本の大部分の野菜サラダだということになる。
そういえばイギリスの野菜サラダは、ピーマンのように強い風味の野菜がいくつも入っていてそれぞれが強烈だった。
ご主人がいう、「本来レタスなんてのはペキっと折れるものなんですよ、あんなにやわらかくない。そのかたさのなかにレタス本来の力が宿っているんです」と。
となるとO-157が出てからの衛生法(?)なんかは食材を損なうことに思いっきり貢献している。
その消毒薬は、次亜塩素酸ナトリウムという塩素系の薬品でいわゆるハイターなんかの原料である。
現在では生野菜だけでなく魚もほとんどこれにつけてから出てくる。
消毒液なんだから別に身体に問題ないといわれるかもしれないが、僕のようにオーガニック一筋の食生活をしてると何か異物が入ると、特に強烈な場合には食べたその瞬間に吐き出すのだが、そうした魚を食べると大体30分後ぐらいから胃が悲鳴をあげ吐き出すことがあるとだけは報告させていただく(知り合いの魚屋さんにこういう話をしたら次からその薬につけていない魚を持ってきてくれるようになり(市場でGet)、今は僕んちでも喰える)。
もちろん肉も同じ。こちらは硝酸カリウムにつける。硝酸は爆弾の原料だが、これをぬると血小板が固まらずに肉がずっと鮮血の赤色を保ち続ける。よく肉を包んでいるガーゼにはこれが含まされている。
さてこれから湯斗で昼食。
本物のタラコとスペアリブを作っていただくことになっている
そこで湯斗のご主人に教えを乞うた。このピーマンをもっと受け容れやすくする方法はないもんですかね?と。
ご主人は取り敢えず味噌と胡麻と梅の組み合わせのドレッシングを教えてくれた。ニオイも緩和して食べやすくなりますよ、と。そのうえで次のようにおっしゃった、「ピーマンを生で朝食べるのは血液をサラサラにして身体にいいから嫌な気持ちで食べたりしたらダメです、ピーマンの貢献を有難いと思わなきゃ」と。
湯斗のご主人の哲学は、乞い求める同士の出会いの妙にある。求めるものの間には理屈ではない特別なものが確かに生まれる。それを食材と人間との間で行う、それを取り計らうのが「料理」であり「料理人」ということなんだろう。
そういう意味で上記アドバイスは、僕とピーマンとの間を上手に取り持ってくれた「料理」だった。ピーマンのニオイをピーマンから抜くことはできる。しかしそれはピーマンと僕が正面きって仕え合っているのではない。ピーマンでなくなったピーマンにはもはや効力はない(栄養分もぬけてる)。
昔、「しあわせ」は「仕合せ」と書いたが、僕はこちらの漢字の方がわかりやすくて好きだ。とにかく僕に一番必要だったことは、ピーマンの良さを認識することだったというわけである。
そこでもうひとつ質問がわいた。
イギリスの料理はまずいと有名だが、生野菜なら大して変わらないだろうと、ロンドンで野菜サラダを頼んだことがあった。
食べてあまりのまずさに驚いた。これは生野菜ではなく生ゴミだ、と思わず吐き出した。
ただ吐き出してから思った、イギリスは料理が下手だといっていたが野菜サラダもかよっという演繹の仕方はおかしい、と。ただ生野菜を切って並べているだけなのだからである(バイト君らしきひとが切って出していた)。
そこで湯斗のご主人に訊いてみた、日本の野菜サラダとの差はなんでしょう?と。
ご主人は笑いながらお答えになった、「日本の野菜サラダは水分が多すぎるんです」。
「多すぎる」とははじめから日本の野菜がたくさん水分を含んでいるという意味ではない。
日本の場合、生野菜を切ってからある時間消毒してそのあとその消毒液を洗って冷水につけ、それからでてくる。
世の中にあるものを十全に活かす。これが料理人の理想だとすると、当然その行程によって野菜の力は減退させられる。
生野菜は切り口からその消毒薬にどんどん自らの栄養分を垂れ流す。僕ら人間が血を失えば死ぬようにそのナキガラみたいな野菜にかわり水や消毒薬がはいってふくらんだものが日本の大部分の野菜サラダだということになる。
そういえばイギリスの野菜サラダは、ピーマンのように強い風味の野菜がいくつも入っていてそれぞれが強烈だった。
ご主人がいう、「本来レタスなんてのはペキっと折れるものなんですよ、あんなにやわらかくない。そのかたさのなかにレタス本来の力が宿っているんです」と。
となるとO-157が出てからの衛生法(?)なんかは食材を損なうことに思いっきり貢献している。
その消毒薬は、次亜塩素酸ナトリウムという塩素系の薬品でいわゆるハイターなんかの原料である。
現在では生野菜だけでなく魚もほとんどこれにつけてから出てくる。
消毒液なんだから別に身体に問題ないといわれるかもしれないが、僕のようにオーガニック一筋の食生活をしてると何か異物が入ると、特に強烈な場合には食べたその瞬間に吐き出すのだが、そうした魚を食べると大体30分後ぐらいから胃が悲鳴をあげ吐き出すことがあるとだけは報告させていただく(知り合いの魚屋さんにこういう話をしたら次からその薬につけていない魚を持ってきてくれるようになり(市場でGet)、今は僕んちでも喰える)。
もちろん肉も同じ。こちらは硝酸カリウムにつける。硝酸は爆弾の原料だが、これをぬると血小板が固まらずに肉がずっと鮮血の赤色を保ち続ける。よく肉を包んでいるガーゼにはこれが含まされている。
さてこれから湯斗で昼食。
本物のタラコとスペアリブを作っていただくことになっている
日本の夫婦がドイツのイタリア飯屋でサラダを取って中から幼虫が這い出してきたと怒っておりました。苦情を言ってもそれを取り替えることも無かったので二度と行かなかったらしいですが、違う調理人にそれを話すと幼虫は十分にありえると言うのです。自分ならそれを除けるだけだと言い、食べても栄養になるかもしれないと冗談にしていました。
1986年のチェルノブイリ事故以後は水洗いをするようになったようですが、野菜類はドロを落とす以外は生で食せるのが本当なのでしょう。今中国で問題になっているような農薬過剰塗布の時代を過ぎて、再び何処までこうした牧歌的な食環境を戻せるかは流通などを考えると甚だ疑問です。
この記事は大変心強かった。食に対して気にしていられる方が少しでもいられてよかった。このような事はここ数年もっと大きな問題になる。問題になってから上は動く。その前に自分で身を守りたい。
結局「生とは?」まで行き着く問題だと思います。「どんな生を全うしたら満足するのか?」といったような。