市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

第19回宮崎映画祭上演映画「オープニング・ナイト」オリッピック開催都市決定前夜に

2013-09-07 | 映画
この映画は、いきない舞台劇で始まる。その主演をやらねばならぬヒロインのやる気なさ、が監督、原作者、製作者を困惑させている。この後、場面は主演女優の日常に移りタイトルが流れ、ここから映画が始まるということになる。この構成は意表をつく新しさ、型破り、ハリウッド商業映画への反抗というわけであろうが、この演劇とヒロインの関係を冒頭に提示していることこそ、この映画の主題そのものを、一気に提示する構成になっている。この提示は、映画のどの辺にするよりも、見事に決定的である。

 ここで、とつぜん話を移したい。明日の早朝、午前4時半ごろ、2020年オリッピック開催地の決定が決まりそうだというのだ。新聞もテレビも、福島原発の汚染水の不安をなんとかドーンと、吹き飛ばせと、ブエノスアイレス大動員が報道されている。その大砲の標的が、別だったらどうなるのかと、なぜ想像できないのだろうか。別の標的とは、安倍内閣そのものじゃないか、そうだとしら、今ブエノスアイレスで、撃つ大砲は、自分に跳ね返ってくる。自由主義国家のほとんどの委員たちは、オリンピック東京招致が国家主義の安倍内閣を強化すると思うのではないか。それは、個人と国家の自由の問題で、なによりも個人の自由があってこそ国家があり、憲法は国家権力を制御するものでるという思想・行動の規範をもつ委員の大半は、今回の東京招致に投票をしない。2020年東京オリンピックは、票を失う。今夜が明け染める早朝、結果が現れる。

 さてオプニングの舞台稽古で主演する役者(ジーナローランズ1930年米マジソン生)のやる気の喪失は、たんなるスランプではないことが、あきらかになる。設えられた舞台のしらじらさ、誇張とうそ八百を演出にぶちまけるが、それを超えて演じきるのがプロの役者であると彼女を責める。稽古をみていた脚本家の老女も腹を立てる。それは、たんに脚本の問題ばかりではなく、この舞台のすべてが間違っているという一役者としての激情が、恋人である演出家、共演の役者たち、なかんずく夫役、それを生み出した脚本家を巻き込みながら進展していくのだ。

 彼女は、この芝居で、一人の中年になった妻の役を作り上げることが出来なくなったのをまわりに訴えるが、だれも理解できない。役作りは進展せず、彼女は若い女につきまとわれているという幻想をあらわしだす。実はこのスランプの原因は、自分自身が老いていき、女優として名声ばかりか、自分の女性としての、つまり自分の生きる根源が崩れていく恐怖感に起因していた。この現実は、ボーヴォワールの「老い」の著作に述べられたとおりでもある。

 芝居とは、いったいなんなのであろうか。この問いに答えてみせることに、オプニングナイトの前衛性があるのだが、この適切なことばを、ここで紹介してみたい。それは思想家・評論家の吉本隆明「言語にとって美とはなにか」(1965年発行)のなかの演劇の章にある。かれはここで、演劇を実に明快に言語論から解き明かしている。物語で人物が、語られる人としてあらわれるが、舞台では人物はもはや語られるのでなく、自ら語るのであると言っている。それまでの役者は、人物のものまねをいかにうまく演じるのではなく、舞台では人としていきるのだというわけである。いわれてみると、まさにその通りである。わが国の戦後60年代以降の演劇が、もはや作家の語った人物のまねをするのでなく、人物になる、つまり原作も演出も役者も上下はなく、舞台という表現を構成する要素にすぎないことを実証していった。

 「ステージ」の上で、生きている人になること、これが現実に起きること、それを可能にする脚本、俳優、演劇とはなにかを、みごとに解き明かしてみせたのだ。それはどのような結果を生んだのかは、この映画の終幕になるのだが、ネタばれになるので、ここで明かす必要はない。
 
 そこまでに至る、一人の中年を迎えたヒロインの運命が、見飽きない。それは病的なまでの内面の苦悩から、あまりにも非現実な彼女自身の老いへの不安感が、ローズマリーの赤ちゃんふうにホラー映画じみてもいる。だが、ときおり、反転して喜劇になってしまうほどの、いわれなき孤独の女優と、その複雑きわまる内面のうごきは、胸を打つってくる。最後は、足腰たたぬほど泥酔し、それでも職業意識でステージに立つ。そして演じきる。ここで、すべてが肯定され、理解されるとぼくは見たのだが。
 
 後で知ったのが、女優を演じたジーナ・ローランスは、当年48歳、監督ジョン・カサヴェテスの妻であった。まさに女優50歳を目前にしてオープニング・ナイトであったと思うのであった。世のわが国の、この映画祭に着た、関わった女性たちは、48歳という年をどう思うのであろうか、興味が沸いてくる。

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