市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

イオン宮崎 その夜と若者

2005-07-29 | Weblog
  連休二日目の午後10時、夜のイオン宮崎を出て市街地へ走りながら、自転車のサドルから振り返ると、イオンの建物は、ラスベガスの大ホテルに見えた。市街への夜道は闇が深く、車も人気もない。イオンの回りだけが、砂漠の中の都市のように明るかった。おまけに、イオンの中は、ティーンエージャや、二十歳そこそこの男女が埋まっていた。そこはゲームセンターか、同種のアトラクション施設の感じであった。昼間の中・高年の目立つ街の様相は夜は一変していた。こうなると、イオンも味気ない。それにしても市街地はなんと暗いのだろうか。

 ようやく、闇を通り抜けて橘通り3丁目、中心商店街の中心に来た。しかし、ミスタードーナツやマクドナルドくらいしか店は開いてなく、後は、路地の奥や、西のはずれに並ぶ飲み屋街だけが客を待っているだけであった。以前、金曜の夜などは、若者たちが、街路を滔滔と川が流れていくようだったが、消えてしまっていた。だれもが、ジーパンによれよれのTシャツで、数人ずつたむろしているばかりで、元気の良い若者はみんなイオンに入っているかのように思えた。

 一部の若者が元気を失いつつある宮崎市、これが2005年夏の夜の風景であった。ただ三連休の二日目の夜10時半ごろの風景であって、一般的でないかもしれない。しかし、あのホームレス一歩手前の姿は、異様な衝撃があった。若者が希望を持って仕事する職場が恒常的になくなってきた。市は、そんな絶望にお構いなく九州一の景観都市をつくるという、奇妙な幻想にとりつかれて、街を破壊し始めだした。

若者のこの服装は、贅沢に飽きたゆえの、ホームレスへの擬態であろうか。ここに景観などとは、何の関係もない絶望を感じる。
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第11回宮崎映画祭への願い

2005-07-27 | Weblog
 7月のブログの半分は、自主映画会や映画祭について書いていた。おまけに新聞にも宮崎映画祭への批判や注文を発表した。聞けば,宮崎市の補助金も半分以下に減ってきたという。まさか、ぼくのコラムが、映画祭への支援を減らすことがないように、もう一度、ぼくの願いをのべてみよう。

 ぼくは映画とは娯楽であると主張したい。ところが、映画祭といえば、宮崎にかぎらずどこの都市でも、なんだかお勉強会のようなものものしさが漂ってくる。これが嫌な感じがする。それをまず省こうじゃないかと願いたい。そのためには、トークショーを止める。地方関連作を外す、「創造」か「世紀の」とかいう冠かぶった映画を敬遠し、監督が監督自身のために作った作品を落とし、国際映画祭の、批評家賞受賞作とか、特別賞受賞作を避ける。これだけで、映画祭は、風通しがよくなる。

 映画が娯楽であるとする映画祭であれば、みんなが楽しめる。昔、マンガ本と文学作品を並べて、マンガは下位文化、つまり下らぬ娯楽作品として、公共図書館は蔵書に加えなかった。今となっては、その文化的損失はたいへんなものである。映画祭でも同じように、ほんとうに面白いフィルムが藝術とういうくだらぬ物指しをあてられ、除外されている。
  
宮崎市では、映画祭チケットはプレイガイドで100万円くらいのチケットが売れていくとか、確実に映画祭は大衆化されつつある。しかし、映画は娯楽であると面が軽視されつづけると、未来は無いかも。
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至福の空間 ミラクル

2005-07-26 | Weblog
 去る6月26日、現代っ子センター主催の「日韓現代作家展・日韓児童画展」の最終日のことだった。同センター代表の藤野忠利さんが、ダンボールを新聞紙半分くらいに不定形に裁断した100枚ほどの作品のをどれでも持って帰っていいといわれ、その一枚をいだだいた。帰途、イーチャフェに立ち寄って、カウンターの女性に差し出した。背の高い細身の彼女は、見たとたん、ものも言わず、小刻みに体がふるえだした。たまらず同僚を呼び寄せると、奥からきた同僚と二人で、今や堰を切って笑いだしたのである。

 このダンボールには、ただ「大入」と描かれていたのだ。いつもいつも暇なこの「至福の空間」(6月9日付け当ブログ掲載)に、まさにぴったりのギャグに、日頃は澄まして話しかけるの遠慮したい美人の二人は笑い転げて止まなかった。オーナーに見つかったら出入り禁止になったかもしれない。茶は一段と美味だった。

 ところが、7月10日過ぎころからミラクルが起こった。なんと、連日、来客が増えてきだしたのだ。土曜、日曜はとくに多く、24日には、「あれからも満席続きで新人二人で何とか乗り越えたわ」「もう毎日イーチャフェです。毎日お菓子つくり」と知人はメールで報告してきた。背の高い彼女も、笑顔をみせてくれる。もう一人の小柄の彼女もいろいろ話しかけてくれるようになった。それは、あの藤野記号絵画{大入}の魔力だったろうか。
 
外から見れば小城羊羹、中に入れば、贅沢、静寂だ。ノートによると一人の英国人客がそのままイギリスに持って帰りたいとしるしていた。無駄の無い茶道の空間というわけか。若者なら、まったり、まったりというのだろうか。表にないからなおさら。いい感じのする空間である。
 
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班長さんになって7 夏祭りの夜

2005-07-25 | Weblog
 気になっていた地区の夏祭りが、土曜の夜に終わった。班長さんとしては終わった後の片付けが仕事だった。夏祭りにかくも長時間つきあったのは、成人以来、初めての体験だった。幸い、面白くないわけでもなく、謎めいて不思議な一夜であった。ワルキューレの夜でもあった。

 まずは演歌による日本舞踊だった。空手着の3人の年配の女性が、空手の演舞を舞った。風雪に耐え、人生を克服してという演歌にジーン。と、すぐに真ん中の踊り手に惹かれだした。空手の演舞なのに、あらゆるところに攻撃的力が入ってないのだ。だが脇の二人は、突拳、手刀、蹴りと力もスピードも懸命だが、やればやるほど力もスピードも抜けた。しかし、この力を感じさせぬ中心の踊り手こそ、空手の美と迫力があった。それは力でなく舞踏だった。町内の踊りの師匠さんとアナウンスされた。いい踊りだった。

  ぼくの班から一人の来場者もなかった。しかし、会場は地から湧き出したような子ども、大人で埋まっていた。孫(4歳)も、もう何時間もいっときもじっとしていずに、保育所の友達を見つけては走ったり、どずきあったり、大人の手にぶらさがったりしている。大人たちも絶え間なく体も口も動いている。それらが会場に一つの渦を生み出していて、気分が酔わされる。孫は日頃は、折り紙など何時間もしている大人しい男の子だが、狂ったように走り回ってやまない。この会場はいったいなんなのだ。それは夏の灯に集まる昆虫である。かって文明のないころの人類とは、こうして野原での集落の夜ををつくりだし、すごしたのではないだろうか。エネルギーを満たすために。

 昭和30年代までは、市街も毎夜そうした祭りの空間を持っていたが、今は消滅、イオンが代替をしはじめている。そういう時代の中で、年に一度、ご町内で祭りの一夜が開催されるのも意味がない事ではないかとも思えた。ただ、好きな人だけでやってもらえるのが一番である。考えると、今も役員、つまり先にも言ったきまぐれ人がやるのだから、まあ結構かと思う夜であった。
 
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かりん糖屋さん、その後

2005-07-22 | Weblog
 5月17日付け当ブログ「わが町商店街」で紹介したかりんとう屋さんを、SoRaの田中編集長が同誌で紹介したいと場所を聞いてきた。7月2日のブログでは、この来客のまれな店さへも、イオンの影響で客足が減ったと言っていた矢先だったので、この話はぜひ実現すればと思った。おととい店を覗いてみたら、奥さんと鹿児島弁を話す嫁さんとが一緒であった。

 取材はすでに終わっていた。「この夏は、こんなかりん糖は珍しい、贈った相手にもよろこばれたからと、ファックスの注文も多くなったです」と奥さんはニコニコ顔であった。見ると壁には10枚近くのファックス注文が貼られていた。鹿児島弁を話す息子さんの嫁さんも、ハスキーな声で、話をしてくれた。「きんぴら牛蒡かりん糖」「わさびかりん糖」、よもぎ、梅味、しょうが、野菜たっぷり、しそザラメ、七味唐辛子、沖縄産黒糖かりんとう、その他のもろもろのかりん糖諸君、よかったねえと、ぼくはうれしかった。ついでに牛蒡、わさび,しそ味を買って、知人に渡したら、全部のかりんとうをためさんけりゃと翌日、メールがあった。

 明後日は地区夏祭りで朝の7時から会場設営にかかる、このかりん糖を持参しよう。雨が降るといいのだが、どうも快晴猛暑から逃げられぬようである。竹炭かりんとうを持っていこうか。効き目がありそうだ。

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イオン宮崎とお年寄り

2005-07-19 | Weblog
 イオン宮崎がオープンして2ヶ月が過ぎた。賑わいは衰えない。だんだん昼間の高齢者の来場者が目立ってきている。今では、若者に混じって相当な人数となっている。夫婦連れ、仲間同士、とくに女性は、中年、高年の友達同士があちこちで談笑している。聞けば、一例として日豊本線最北端の駅、市棚駅から毎朝、買い物電車が宮崎市へ出ていて、2時間かけて宮崎駅へ到着、ここからシャトルバスでイオンへと、毎日満席ということだ。こんな電車で日中イオンへ来られる層は年金退職者か、暇の出来た中年女性たちであろう。

 猛暑の日中に、この別天地のような涼しさ、退屈せずに歩ける街並のような商店街、そして裏町の飲食店街、それにおしゃれな都市的雰囲気で、暇の多いおとしよりは、おおいに楽しい時間を味わえよう。いや孤独そうな一人だけのおとしよりも、タリーズや五穀やフランス亭などの前で、椅子に座ってゆったりできる。若者をターゲットにしたというが、これからはますますお年寄りの遊ぶ場として人気を呼んでくる気配である。これは宮崎市が橘通りの空き店舗に、「いっぶくコーナー」という名で、狸穴のようにしつらられた老人用休憩所よりも、イオンは、はるかに快適かつ心身にいい場所となった。

 年寄りにとつぜん降ってきた天国は、じつはイオンに出店した商店が、金を出し合って提供していることになろう。これが宮崎市や宮崎県の税金で提供する老人休憩所「いっぷくコーナー」より何十倍も楽しいのである。これからは、わかものだけでなく、お年よりも金がどんどん使えるような商品構成が必要になるだろう。でないと、いくらイオンさまでもサービスだけではおとしよりの面倒はみきれなくなるかもしれない。
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自主映画「107+1 天国はつくるもの」 再考

2005-07-14 | Weblog
 2週間前に見た自主映画「107+1 天国はつくるもの」は、退屈といったが、感動したシーンがないわけではなかった。産業廃棄物には、ペットの犬も廃犬として処分する。その現実に泣き崩れる少女の姿。廃船から修復され、ついに900キロの航海まで、その若者たちの可能性。1キロに連なったに虹色のマフラー。そのマフラーを強奪した難民キャンプの子どもたちが、ふたたびマフラーを返却しはじめた大団円と、感動のラッシュが観客を襲う。価値ある行動とは何なのか、求め悩む人々には天啓のようにフラッシュするものがあったと思う。

 しかし、ぼくが退屈と感じたのは、「やれば出来る、夢は適う、天国はつくれる」という主題であり、その説得の仕方であった。ぼくは行動するから天国がつくれるのではなくて、天国があるから行動できると思うのだ。夢の実現が天国でなく、すでに内在する価値観こそ天国である。少女は犬を抱いて泣き崩れる。その愛が廃犬の現実を阻止しようという行動を生む。戦争に反対して平和という天国がつくれるのでなくて、平和という天国を価値観として持っているから、戦争を反対するのではないかということである。

 マフラーは日本人にとってはゲーム、誰があのマフラーを首にまくだろう、だが難民にとっては死活にかかわる衣料品であった。必死で奪ったマフラーを、日本人の思いのため、つらねて虹にしたいという、てんつくまんの必死の説得に応じて、戻し始める。それはわれわれの夢の実現でなく、廃棄されたに等しいキャンプのこどもたちに、これほどの人間への愛情が残っている事実に感動できたのである。

 どこまでもどこまでも強烈な個人性を、いかに保持できるのか、天国をつくるでは、この点が曖昧なのが気にかかった。個人性のない集団ほど恐ろしい組織はない。軍隊、オカルト教団、極右、極左革命集団、全体主義国家と、それらは、日常のすぐ隣に匂っている。個性の保持には、非常に複雑な対応の仕方が、それぞれに必要である。ときには、忍従そのものの行動も必要となる。それは、夢とは断ち切れた裂け目である。これらも視野に含めて、若者の生き方、その価値観の形成、つまり天国をつくる方法は、まだ別バージョンとしてありうるのではないかと思えるのだった。
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第11回宮崎映画祭とうっとうしい映画

2005-07-13 | Weblog
 塩田明彦監督「カナリア」は、テロを犯したカルト教団から施設に保護された12歳の少年が、家族をとりもどすために、施設を脱走、妹だけを連れ帰った祖父の住む東京を目指すというストーリである。途中、これも家族崩壊で放り出された12歳の少女も同行しはじめて、旅がつづく。テロのオカルト教団は10年前のオーム事件だが、それと少年をむすびつけて、いったい何を言おうとしたのか、最後まではっきりしない。ただ、教団に母を、祖父に妹を奪われた少年の鬱屈した思い(これは監督のもの)だけが、描かれるというしんどい映画である。                       

いたるところに、ご都合主義の筋運びがある。少女と男の車を追いかける少年は、手に金属バットをにぎって、追ってくる。いつバットを見つけたんだ、しかも数キロも走って、交差点で車の屋根に飛び乗る。スーパーマンかお前は。少年の行動には何の計画性もないのだが、東京では元幹部に出会える。それに古女房のような12歳の少女に日常をたすけられる。この女性観もおかしい。そしてご都合の筋にのって、ついに妹を取り戻すというえんえん2時間14分の映画であった。日本映画の閉塞感のみが重く伝わった。しかし、こんなマスターベーションは、そっとほっとけばいいのである。監督の濡れた石を、映画祭で、こっちがなぜかかえねばならんのだ。

 鈴木清順の「オペレッタ狸御殿」を恵風のひろこさんは、清順は嫌いと一言ではねつけた。会場のオルブライトホールは年寄りが多かった。しかし往年の狸御殿とは似て似つかぬ、まるで特殊浴場の街か、地方に出現してきた奇怪なアトラクションの施設をぐるぐる引き回されたようであった。本人は新機軸のつもりだろうが、昔の講談社絵本、岩見重太郎とか、源義経、狸合戦とかの武者絵を、何枚も何枚も見せられつづけられただけだった。

 新機軸は、70年代のアングラ演劇のシーン、その後は小劇場運動で周知となったミュージカル形式によっている。しかし清順が当時それに関心をそそいていたとは思えない。それらも今は古くなったカステーラだ。今頃になって、そのしなびた皮やスポンジをよせあつめて、菓子を作るという行為は空恐ろしい。

 ある意味ではこれが現代日本かもしれない。安土桃山から平安時代、近現代まで勝手きままに引き出し、自分のあたまにあるイメージの西洋、東洋、そして日本まで組み合わせ、風土も伝承もなんの関係も無い文化、こここそが日本知識人、芸術家の旅路の終着点かもしれないぞ~怖いいい・・・こんなものを映画祭でやるとは、うっとうしいぞ。あんたらの趣味なんか。
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キム・ギドク「サマリア」3

2005-07-12 | Weblog
 「サマリア」のヨジンは、レイプされた後は、肉体を男に提供するばかりか,その行為を通して、チェヨンへの慰霊とした。男にほほえみ、チェヨンが受け取った金を戻す。この行為をかさねつづけ、ついにレイプの恨みを昇華させてしまう。それは自虐ともマゾヒズムともいえるが、キム・ドクトの視点は、意識の変革というプロセスに注がれる。シュールという言葉を常識的な理屈を超えた世界という意味で使ってきたが、理屈に合うとか合わないということは、サマリアではたいして意味はない。意識の変革のリアリティこそ主題なのだからである。世界とは、われわれの大脳に生じる意識の反映であるといえるなら意識が変われば、世界は根本から変わるということだ。ソナタはここで完結したのである。その後をどうこういうのは間違っている。別の世界に入ってしまったのだから、ここで見事完結なのである。

 この恨みへの対応の仕方は、おそらく韓国独特の情念だろうか。わが国の義理、忍従のあり方が他国人にはわかりにくいのと似ているのではないだろうか。サマリアは、この分かりにくい情念の重さがある。そこで、一見、いかにも藝術的内容の作品という匂いもする。しかし、本質は、エンターテイメント作品である。エロスと暴力の娯楽作品として韓国民には好まれるように思う。それを藝術風にしてしまうのは、映画祭のなんとか賞だとか、くだらぬ批評家の文章であろう。目を据えてみれば、ヨジンとチェヨンが行為の後、シャワールームでお互いの裸体を洗うシーンのエロスや、父親の執拗な復讐の暴力などが、観客の快感をくすぐる。しかも展開は、精密機械のように娘殺しというスリラー感もちらつかせながら、クライマックスへと向かっていく。この点では一級のエンターテイメント映画ということができよう。ついでに「サマリア」とは知人によれば古代パレスティナの都市の名前だそうである。別世界のイメージを暗示させるためのタイトルで、これなどもどこか藝術臭をただよわせ、評論家がひっかかるのだろう。

 ぼくは、どうせ娯楽ならタランティーノやペキンパーのようなあっけらかんとした打楽器のような暴力の方が、すっきりする。観終わって胃がもたれるような澱(おり)が、キム・ドクトの「サマリア」や「悪い男」には残ってしまう。はっきり言えば、好みではない作品である。

 さて、始めに「第11回映画祭」の作品をうっとうしいと感じたが、なぜそう感じるのか、このサマリアについてのぼくの反応で、いくらかご理解いただけただろうか。もっともこれも好き好きで、うっとうしさを否定するわけではない。しかし、まったくナンセンスのうっとうしさと思えたのは「カナリア」であり、まったくバカさでうっとうしくなったのが鈴木清順の「オペレッタ狸御殿」であった。こんなものを金払って、時間つぶして観ることはない。この点、さらに、これと映画祭の関係について述べねばと思う。次回、乞う続読を。







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キム・ギドク 「サマリア」2

2005-07-11 | Weblog
  キム・ギドク監督作品「サマリア」の後半は、「ソナタ」とタイトルが降られている。そうなるとサマリアとは、音楽形式に名称なのかと思った。さて、そのソナタの展開である。ヨジンの刑事の父親は、まさに刑事の本能で娘の援交を執拗につけまわし、終わった男に暴力を振るう。路地の奥で、マンション暮らしの家族の前で、そんなある日、公衆便所で、男を抵抗されたためコンクリート塊で撲殺してしまう。ヨジンにとっては、この男で終わっていたのだ。彼女は、すべての男の名前が塗りつぶされ返金が終わった手帳を道に捨てていた。父親はそれを拾い、ページをめくっていった。

 翌朝,憑きがおちたような顔の父親は、娘を誘って母親の墓参りで出かける。山奥の墓で二人で食事(これが巻き寿司)のあと、父親は号泣する。しかし、やがてふたたび車で山を下り、とある場所で娘に運転をすすめてみるが、怖いからと断られた。そのまま山の廃屋で一夜を明かし、翌朝は、麓の川原にたどりついた。父親がいつ娘を殺すのだろうか。ついに川原だ。その川原で、父はヨジンの首を締め上げ殺害する。砂の下の死体へ、音楽が流しこまれる。それがサティのジムノべディである。つまりシューベルトのセレナーデか、マスネーのタイスの瞑想曲を聴かされる按配、この感傷性、これで殺されるなんて割にも合わんと思ったとたん、ヨジンは眼を覚ます、つまりこれは夢であったのだ。シュールでしょうが!!

 娘が眠っている間に父は川原にペンキで黄色く塗った石を並べて、クランクから車庫入れまである運転コースを作っていたんだ。ここもシュールいつこれほどの石とペンキ塗りをおわったのだ。ま、とにかくヨジンは運転に熱中しはじめる。その間に刑事の同僚に自主を連絡した父親は、迎えに来た車で去り始める。それに気付いたヨジンは、習い覚えた運転で後を追う。しかし追いきれず、途中で水溜りにはまり、立ちすくむ。これでエンドである。
 
父の殺人を知ったらヨジンはどうなるんだよとか、疑問は意味が無いのだ。ソナタの一曲を美しく聴いたのだから、それで完結であるとうわけだ。この曲を聞きほれる奴は立てないほどの感動にしびれるし、何も聞こえない奴は頭にくるということである。 でなんななのだ。つづきます。乞う続読を!!

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キム・ギドク監督作品 サマリア 宮崎映画祭作品について

2005-07-09 | Weblog
  キム・ドク監督の「サマリア」は映画祭ベスト作品とすすめられ、観た。ぼくが「コニー&カーラ」だけがすばらしいとうイメージのブログを書いたので、これもあるのにという配慮を感じたのだ。
 そこで観た。いい作品です。うっとうしい、というような言葉で排除はできないと思った。まずは失言をご容赦ください。

 さて、この「サマリア」だけど、去年の「悪い男」にしても、この監督の映画は、嫌いな奴と好きな奴にはっきり分かれる思う。また、なんだこれはと腹を立てる奴と、腰が抜けるほど感動する奴と両者になると思う。ぼくとしては、観たくはないが、観れば惹かれた映画だった。ほんとおもしろいにも、外食、旅行、ドライブ的おもしろさから、この鬱屈した、いや哲学的か、シュールレアリズムとしかいいようのないおもしろさまで、いろいろあるのを痛感した。映画祭であれば、さまざまのおもしろさを提供するのも必然だろう。ただ映画祭でどのお神輿を、どう担ぐかが問題になるだろうと思う。「SoRa」の田中編集長のコメントは、この点を指摘していた。(7月7日第11回宮崎映画祭への遭遇コメント ~ディレクターが必要かと~参照)
 
 キム・ドクの「悪い男」そうだったが、「サマリア」でも処女、前回は大学生、今度は中学生がレイプされるのが悲劇の根源になる。韓国ではまだ処女性がふつうなのか、このシュールな現実。ヒロインのヨジンは親友のチェヨンに援助交際をさせ、自分は見張りと金の管理に徹して、身を売らなかった。しかし、見張りを怠った目、チェヨンが警察に踏み込まれ自殺した。瀕死のチェヨンに頼まれ、相手になった男を見舞いに連れていこうとして、男にレイプされ、病院に連れてきたときはすでにチェヨンは死んでいた。

 ここから映画は主題を展開する。ヨジンは、チェヨンとおなじセックスを売り
彼女がいつもしたように客にありがとうと笑顔をみせる援交の苦業を始める。しかも、チェヨンの相手を一人一人誘い、その受け取った金銭を男にもどすのというのである。それだけが喜びとは!その現場をぐうぜんに刑事である父親に見られる。父は号泣するのだが、かれは、相手になった男に暴力を加え始める。しかし、そのことを一言も娘に告げることもなく、娘を責めることもない。ひたすらマグマのように吹き上がる悶々たる苦悩を背負いながら、相手にした男たちへの暴力をはけ口していくのであった。どうだろ、なんとシュールな男ではないか。そして他方には、自虐というにはあまりにも突き抜けたシュールなヨジンではないか。

 なせ、かくもシュールなのか、そのシュールはさらに大団円に向かって極限状況になっていく。このキム・ドク映画の真骨頂について次回に。







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天国はつくるものコメント所感

2005-07-08 | Weblog
  てんつくまん氏の映画「107+1 天国はつくるもの」について、未来君、偽坊主さんからコメントがあったのでうれしかった。それぞれにぼくの及ばぬ点をこの映画に見られていることに感銘した。そこで、この映画の問題をもういちど論じてみましょう。

 「藝術以外の映画があっていいんです。営利団体、国家他がんじがらめにされた映像よりは。」(偽坊主)ということです。藝術という言葉は概念がものすごく広がるので、どうもあなたとは概念が違うようです。ぼくは営利団体、国家などががんじがらめにする映画こそ非藝術作品の最たるものとおもうので、当然、こんな映画以外の映画が存在すべきと強調したいです。藝術ということばを省けば、貴兄とまったく同意見です。

 そこで、藝術ということばを使用しないで、天国はつくるものの感想をのべます。なぜこの映画が退屈であり、つまらいと思えたのかというと、あまりにも紋きり型なんだからです。問題の提示もストーリーの運びも、遊び、冒険、ボランティアをドキュメントしたてで、映画化したものは、とくにテレビ番組にいくらでも転がっています。ここでは視聴率を稼ぐ営利の視点で、徹底した見せ所をつくっていくわけです。それこそ営利でがんじがらめにされた映像でしょう。人間の本質を描くより、設定された結果を手にするまでの苦闘を劇的に描いて感動をとる、つまりそれが視聴率達成への道であるわけで、それはそれなりみおもしろい展開をします。その映像つくりときわめて似ていると思えたのです。

 それに天国では、行動の斬新さ、非日常性、わくわく感のあふれたプロセスや若者の姿を克明に映像化するよりも、若者つまり人間の存在を明かすよりも、がんばれがんばれの掛け声が、前体をよいしょ、よいしょと推し進めていくのが、退屈だったのです。こんな単純な世界の切り取りで、なぜ若者が燃え上がるのか、じつは不思議で、あまり贅沢に育った日本のわかものの不幸つまり内的エネルギー枯渇をかんじたのです。その枯渇を描いたと未来君が言えばそうかなと今は感じています。世界を書くも単純に描いていいのだろうかともね。ではこの見方ではいかがですか。良かったらまたコメントをどうぞよろしく。
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第11回宮崎映画祭への遭遇

2005-07-07 | Weblog
 宮崎映画祭、今年は諸般の事情により、1本、良くて2本しかみる暇がないので、その1本を選んだ。選ぶ基準は、いわゆる遊びの3要素、外食、旅行、ドライブの楽しみを満足させてくれるものを探した。つまり喰って楽しく、日常をわすれさせ、スピードがあって快適なものをである。まず監督が自己満足でつくったようなもの、今回はトークショーのくっついている映画をはずした。料理なんて他人のために作るしか美味いものは無いと思う。美味いものをそばで講釈されると不愉快になる。男女の憎愛、純愛、勝手におまえらでやっとけよで、これも敬遠。考えを強制されられそうな、つまりそこから出られない非ドライブ的、うっとうしい映画も止めた。その点で、VOICESもはずした。

 そこで残ったのが「コニー&カラー」であった。ギャングから身を隠すために逃げ回るダンサーの二人組が、思いついてドラッグクイーンのショーに出演し始める。女性がドラッグクイーンとなり、おかまらしいステージでの歌・踊りを演じる。その歌・ダンスが、キャバレーやジーザス・スーパースターなどミュージカルのスタンドナンバーを演じるのだ。これがおかまの舞台になっていて、楽しませる。音楽もダンスも目を見張るような完成度で驚嘆させられもした。そして、男とは何か、女とは何かを生き生きと考えさせてもくれうる。たのしませながらね。これがすばらしい。コニーを演じたニア・ヴァルダロスという女性が監督・製作したというから、米国のインディ(独立系)映画の幅、奥の深さを思わせる。

 映画祭ではハリウッド映画のように商業映画として、はなばなしく世に登場してないが、それにも劣らぬおもしろい映画を、選んできて公開してくれてきた。今年もその一本に出会えたわけだった。しかし、全体には、マイナーで趣味的で、おたく臭をかんじさせる「宮崎映画祭」配布ちらしである。これは、「コニー&カラー」の製作会社ちらしを比較しても違いがわかる。第11回目で、だんだん回覧板に挟む市広報、県広報に似てきた。これはちらしの編集のためだけだろうか。この傾向が気になる。もっと冒険を、破壊を。自分でなく他人の楽しみを追求する視点の強化をぜひお願いしたい。
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班長さんになって6

2005-07-06 | Weblog
 2日の土曜、夕方帰宅するやいなや、家内が夏祭りの寄付集めはどうなったの。今日までとかで役員の人がこられたけど、どうなってるのか主人からなにも聞いてないというと、おどろきあきれてかえられたわよと難詰された。寄付金集めもなにも、夏祭りという意識さへ消えたままだったのだ。ああそうだったか、そうだったかじゃないわよ、役員のWさんもこんなことははじめてと、おどろいてかえられたわよ。とういうわけで、夕食もチップの散歩もほうりだして、寄付集めに家を飛び出したわけである。

 ぼくは、市の総踊り大会にも県のフラワーフェスティバルも行ったことがないし、国際音楽祭にも行ったことがない。孫の保育園の夏祭りもそう、祭りが嫌いなのである。しかし班長さんの義務として夏祭り寄付金を忘れていたのはまずい、で寄付集めにはダッシュした。寄付は基準は400円、それ以上か、以下かかは各所帯判断してほしいということなので、ぼくは400円をお願いした。金額と氏名を記入する一覧表も手渡されていた。でも400円で統一した。

 ぼくの班の所帯数は15所帯で、6所帯が配偶者を失った独身者である。また年齢が70代半ばをこえる所帯主が7人いる。夕方の夕食時に訪問すると、ぼくの声をきいただけで、ほとんどの家で、400円または500円硬貨をすでに手にして、ごくろうさまですねえと出てこられた。もうおつりはいりませんと、ぼくの手を押し戻す人も多かった。今年で夏祭りも最後だそうですよというと、あら良かったですわねえと、じつはぼくをねぎらう奥さんもいた。あっという間に寄付金も集まった。無責任で、自分本位でしか考えないぼくにとって、この所帯員の心というのは、ほんとにきれいだと思うのであった。
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天国はつくるもの

2005-07-04 | Weblog
  未来君がてんつくまんの映画「107+1 天国はつくるもの」へのぼくの批判について以下のコメントを投稿してもらえた。この映画への視点がはっきりでているので、ぼくの批判とあわせて、多くに読んでもらいたいと転用させてもらった。

 「比べちゃいけない」「個性を尊重しよう」と最近様々な場面で耳にする。しかし物事には必ず二面性があり、長所=短所と言えるように、「比べる」「集団でくくる」ことにもメリットはある。どちらがいい、悪いではなく、大切なのは「適材適所」と「バランス」ではないか?要は、何事も「使い方」ということ。
本題に入ります。ブログにあった「仕事でなく遊びによって、天国を実現できると信じられる若者は、豊かな日本が生んだ若者の不幸を逆に伝えている」、これ同感です。でも「若者の不幸を逆に伝えている」からこそ、多くの人にみて欲しい、考えて欲しいと僕は思います。
それと、映画に限らず、物事の捉え方は人それぞれで色々な感じ方があるでしょう。ただ、僕が思うこの映画をみて感じて欲しいことは、「自分の日々の生活の見直し」です。この映画をみることで、生活が180度変わる人もいれば、全く変わらない人もいる。でも今の日本が抱える問題のメッセージが込められている以上、映画をみた日本人には、(どう思うかどう動くかは別として、)必ず伝わることがある筈です。だから、今の自分の生活を見直して欲しい。まずはそこから・・・。経済や科学の発展により先進国と言われている日本ですが、でもその目覚しい発展(長所)の裏側には、後になって気づいた大きな綻び(短所)が同じだけあり(もはや先進国、ではなく潜侵国)、しかし遅まきながらもようやく人々は気づきはじめました。てんつくマンが26日の映画終了後、“戦争をしないということでは、日本人は一致団結している、それだけの力があるのだから、今の世の中を変えることは絶対にできる”と語ってくれました。本人の言葉そのままではないので若干意味合いが違うかもしれませんが、日本が誇れる先進の国の最たるものが「戦争をしないこと」と今回のイベントを通して僕は強く感じました。そして、自分が何かにくじけそうになった時に、でも立ち直ろうと思う時に、映画のラストのアフガニスタンのおじいちゃんの言葉を思い出して頑張ろう、いや“顔晴ろう”と思います。

 未来君は「映画に限らず、物事の捉え方はそれぞれ色々な感じ方がある」という。それを前提にするなら、あんたはあんた、おれはおれで終わるよね、幸い、その後の君の論旨は、この映画の肯定面が明確にでているので、ぼくと論
が交わえると思えた。ぼくが、この映画に感じるものは、「日本の問題へのメッセージ」でなくて、「若者へのメッセージ」であり、それは「動け、出会え、天国は実現する」というてんつくまんのミッション行為への疑問であった。さらにこの映画の映画としての芸術性の問題で、これに疑問があるという芸術批判の視点です。この2点から問題を論じ合いましょう。長くなるので、次回にまわします。
 この前に別に報告したいブログ材料があるので、今週末から上記の論点を展開します。では。

コメント (1)
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