市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

谷本 仰(たにもと あおぐ)ライブと宮崎市

2015-08-29 | Weblog
 この春、どくんごの実行委員三木ちゃんから、谷本仰さんというバイオリニストの宮崎市でのライブができる場所を探して欲しいと依頼を受けた。そのチラシを読んで、どんな内容なのかと理解しようとしたが、内容をつかみようがなかった。すばらしいバイオリン演奏というのだが、具体的にどんな演奏なのかと尋ねても、彼女はどくんご芝居のあの幕開きとフィナーレでのかれのバイオリンの迫力に圧倒されたとだけで、ほかはまだ聴いたことがないというのであった。彼女を信じて、それなら「ひむか村の宝箱」がいいかもというと、そこがかりられたら、いい、わたしもそう思っていたというので、池辺さんに話して承諾をえたのだった。話すときに、ぼくは、どうも反原発とか、有機農業とか、自然賛歌で、話や演劇とも融合したライブだから、店の雰囲気に合うという伝え方をした。そういいながらも、それがどういうバイオリンの演奏になるのか、またどうじにアルゼンチンタンゴもくわわり、フリーインプロヴィぜーション、演劇音楽ともチラシには紹介されていた。インプロヴィぜーションは即興という英語であるのを、じつは後で知ったが、この語を理解していればかなり内容も推測はされたかもしれないが、即興ではかたづけられない内容であったから、この点は知らなかったほうが良かったのではあった。

 宮崎市では、バイオリンといえばクラシックで、過去の偉大なる音楽家の名曲を、最高の技術で弾く演奏家のコンサートしか思い浮かばない。そして田舎ほどクラシックがポップよりも盛んなのであるという現実もあらためて想いうかべるのであった。メジャーな非クラシック音楽などは、市場価値を問われるポップ音楽は、経済効果上、上演不可能であるからだ。バイオリンのライブなどと、田舎では田舎向きにあつらえられた特製作品であろうか。昔は田舎向けのパンというのは、特別に製造されて、安値でパンなど食ったこともない村人に送り込まれていた。その現実は今でもつづいてはいるのだから、バイオリンもそうかもという気持ちもどこかにあったのだ。

 こうして2015年・8月17日の当日となった。池辺さんは、谷本さんは反原発や平和への激しい情熱の人のようで、それがあなたの気に入ったようですねと言っていた。それは彼女の見当違いなのだ。バイオリンは、この宮崎市で、どんなライブが可能かが問題。たしかに池辺さんのいうように、社会をあり方をタダす情熱の人かとも思えた。チラシの写真でかれをみると、すごく暗く思いの深い粘着気質の音楽家に見えてはいた。他方、三木ちゃんはこんなあっさりした、きさくな、親しみやすい演奏家はないと褒める。今回でも、入場者のことなどなんにも要求されないし、チケットも予約制一本槍で、チケットは販売しないのですから、のほほんとして、こだわらない人ですよね。だから今回は、まずはぼくと私の二人だけでいいんじゃないですかと、言うのだった。ふたりだけでも聴衆はいいのだから心配はしないでいいですよというのだった。彼女のこと話がなかったならば、その夜のライブは、緊張を強いられる予感でつつまれていただろう。なんとか、数人に呼びかけて、ますは今回は聞いてからだということで、ライブを迎えることに話は行き着いたのであった。それにして、写真の谷本さんが本当か、きさくな、動物「怠けもの」のような現代離れした音楽家なのか、人物、演奏内容とも不可解なまま、台風の迫ってきた夜の平和台の雑貨店「ひむか村の宝箱」でライブ会場に入った。もう一人の実行委員青木さん(お好み焼きしぇ・こぱんの店主)の車で店に到着した。曇天で小雨がばらつきだしてきた。午後6時というのに真っ暗な広場が淋しげであった。これからすぐにライブがはじまるにしては・・・

 

 


 

 

 

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