市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

ベッドから

2015-12-20 | 日常
 9月9日の投稿「2020年東京オリンピックと不幸」から、今日まで投稿を休んでいましたが、今朝、やっと投稿の原稿を書き出しました。実は、7月から右肩の腱鞘炎が左肩にも生じて、両手が不自由になっていきました。朝もベッドからかんたにおきられなくなっていきました。なんとか、手で体を引き起こすようにして起こすことはまだ可能ではあったのですが、9月になると、両手首も腫れてきて、起床は不可能となりました。それは電動ベッドを借りて、なんとかなったのですが、激痛が日夜を問わず襲い掛かって、不眠がはじまり、鎮痛剤の最後の頼みの綱、ボルタリンを服用したところ、激痛にほとんど効かないのに驚愕させられました。あの抜歯の痛みさへ簡単に止まったのに、なぜだ!!という驚いたのです。

 ただ、どんな激痛であろうと、耐えられないことはないので、耐えられなければ死んでしまうわけですから、まだ死にたくはないので、その欲望で、痛みをしのいではいけました。その対処については、いずれブログで詳細にのべてみたいと思います。

 9月中旬になると、手首ばかりでなくて、膝から下も腫れだして、歩行も困難になって、一日中、ベッドで寝ているばかりの毎日となっていきました。痛みも慣れてきたせいか、なんとか耐えがたい激痛は弱まっていきました。不眠も日常になってきたので、これもなれてくるのですね。

 ただ、両肩、両手手首、膝から下の腫れというのは、ほかの症状ではないのかという、まわりの懸念や僕自身もそうかもと思い出して、近くの善仁会病院に行きました。そこで宮崎医大から派遣さこれはれていた若い女医の診断と彼女との対話でいろいろわかってきたのですが、いくら両肩を無理したからといって腫れるということはないということを知ったわけです。そして,原因はリュウマチか、なにかがある、リュウマチなら一発で治せるのにと言われ、、検査したところリュウマチではなくて、感染症にもなっているということも分かったのです。炎症係数もふつうなら0.2なのに12もある、この炎症の原因はなんなのだろうと彼女がさぐっていってもらい、上司の外科医とも相談の結果、「偽痛風」を突き止め、その対症療法で、ステロイド投与(関節ない注射)となったのです。
 
 その処置が功を奏して、ようやく激痛から解放され、進行も止まり、11月の下旬から、ベッドからでられるようになったわけです。ようやく自転車で5キロくらいは走行できだしました。3時間くらいは、起きていて行動もできますが、そのあとはベッドで休んで、体力を回復させる必要があります。いまは、ステロイド剤のプレド二ゾロン錠と鎮痛剤セレコッコックス錠を服用して、自然治癒をまっているわけです。

 うまれきりて初めての長期療養で、身体に自由を奪われ、激痛の数か月という体験は、まさに意味深で興味ある毎日です。体重は56キロから48キロ台になり、主として40年間に蓄えてきた筋肉が削げ落ちてしまったのがわかりました。こうしてぼくの人生は症状前とは、別の次元に入っていったことを自覚させられました。もう自転車で50キロを走ったり、500メートルを一気にクロールで泳ぐような体にはもどれないと思います。それはそれでいいですね。痛みも消え、一人で衣服も着脱でき、毎度に食事もおいしいのであれば、これ以上の欲望はないとつくづく
感じますね。ということで、ブログ復帰をご報告いたしました。
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2020年東京オリンピックと不幸

2015-09-09 | 政治
 2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレイムをテレビ公開で初めて目にしたとき、がっかりしたのを今でも思い出す。なんだこれ、煙草の箱か、清涼飲料の缶のレッテルにしかみえなかったのだ。オリンピックという人間ドラマも、世界の中心という存在感もない、ただ商品のモノを目立たせる幾何学的デザインにしかみえなかった。なんで、こういうものを公募の結果、決定したのかといういらだちだけはのこっていた。ところが、このデザインの盗作疑惑が発生し、かれの否定にもかかわらず、かれの他の作品に盗用がつぎつぎと発見されて、ついに作者、佐野研二郎デザイナーが撤回を組織委員会に申し入れ、撤回されたわけである。はじめ、公募条件などと考えてもみなかったのだが、今度は、公募条件をゆるめるなどという報道をしって、最初の条件はどうだったのかと、にわかに興味がわいて募集要項をみると、以下のようなものである。

 「応募資格があるのは、東京ADC賞やTDC賞、ONE SHOW DESIGNなど組織委員会が指定した国内外の7つのデザインコンペのうち、2つ以上を受賞しているデザイナー。エンブレムはオリンピックとパラリンピックの両大会を対象に様々な場面で活用されるため、単なるアイデアだけではなく、様々なシーンでの汎用的な使用も考慮したデザインであることが条件になっている。」

 まず、このばかばかしい権威づけ、聞いたこともないコンペの賞、その国内外7つのデザインコンペで2つ以上の受賞者というのだ。つまりコンペ賞さへとっていれば世界をおどろかす作品が可能という、その意識があるのだ。しかして、その結果は煙草ケース・缶ジュースのラベルになったのだ。むしろ既成の受賞者よりも、未知のアウトサイダーのほうに、時代を動かすアーティストが潜んでいる確実が高いはずである。組織委員会のメンバーには、アートのそういう常識さへないのだろうか。その無知におどろかわれる。さらにエンブレイムについては、「様々なシーンでの汎用的な使用も考慮したデザインであること」という条件も付けられていた。なるほど、これじゃ、商品パッケージにもなるようなデザインになるだろう。一方では、国の威信、他方ではさまざまのシーン、この意味のあいまいさ、こんな格好付けした文句にそって、応募者は、煙草箱やジュースの宣伝ラベルにも使用可というデザインに至るのをさけられなかったのかと、思うのだ。で、その賞金は、デザイン料と著作権譲渡料を含めて100万円というのだ。1000万円のマチガイじゃないかとおもえるほどの金額である。

 この公募にうかがえるのは、大衆を、つまり安倍首相のいう「国民のみなさま」をバカにした、下位にみた、権威こそすべて、であるというかれの知性の浅はかさ、そして、国民を教導せんとする思い上がり、その天命に従った役人根性である。世界の中心で美しい日本をさけぶという趣旨のオリンピックはなによりも必要な、人間個人の存在は、じつは消えているのだ。こうみたとき、この前のイラクの建築家、ザハ・ハディドの新国立競技場の設計撤回にも、おなじ権威主義があったと理解できる。あのグロテスクな巨大感だけが売りのような建築物が、日本の存在の権威づけに適すると、組織委員会が、思い込んだと考えられる。だが、コストが高過ぎた、というより、やはり大衆感情を逆なでするような国威発揚の不快感が、人々の反感を買ったのだ。大衆はばかではない。

 今、東京オリンピック開催は、国民を上からの教導という安倍政権の本質が生み出している不幸なのではないか。かくして、不幸は条件がのぞかれないかぎり、なんどでもつづくと思えてならない。ことわざにも言う、不幸は重なるもの、二度あることは三度ある、不幸はつづくもの,Misfortune never come single.不幸は重なるものである。もう一つ条件をつけくわえるならば、異常気象の5年後は
どうなっているのか、天候異変、超台風、噴火、巨大地震と目白押し、再稼動しだした原発が災害に遭うかもしれないのだ。2020年夏にである。
 

 
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2020年東京オリンピックと不幸

2015-09-09 | 政治
 2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレイムをテレビ公開で初めて目にしたとき、がっかりしたのを今でも思い出す。なんだこれ、煙草の箱か、清涼飲料の缶のレッテルにしかみえなかったのだ。オリンピックという人間ドラマも、世界の中心という存在感もない、ただ商品のモノを目立たせる幾何学的デザインにしかみえなかった。なんで、こういうものを公募の結果、決定したのかといういらだちだけはのこっていた。ところが、このデザインの盗作疑惑が発生し、かれの否定にもかかわらず、かれの他の作品に盗用がつぎつぎと発見されて、ついに作者、佐野研二郎デザイナーが撤回を組織委員会に申し入れ、撤回されたわけである。はじめ、公募条件などと考えてもみなかったのだが、今度は、公募条件をゆるめるなどという報道をしって、最初の条件はどうだったのかと、にわかに興味がわいて募集要項をみると、以下のようなものである。

 「応募資格があるのは、東京ADC賞やTDC賞、ONE SHOW DESIGNなど組織委員会が指定した国内外の7つのデザインコンペのうち、2つ以上を受賞しているデザイナー。エンブレムはオリンピックとパラリンピックの両大会を対象に様々な場面で活用されるため、単なるアイデアだけではなく、様々なシーンでの汎用的な使用も考慮したデザインであることが条件になっている。」

 まず、このばかばかしい権威づけ、聞いたこともないコンペの賞、その国内外7つのデザインコンペで2つ以上の受賞者というのだ。つまりコンペ賞さへとっていれば世界をおどろかす作品が可能という、その意識があるのだ。しかして、その結果は煙草ケース・缶ジュースのラベルになったのだ。むしろ既成の受賞者よりも、未知のアウトサイダーのほうに、時代を動かすアーティストが潜んでいる確実が高いはずである。曽木委員会のメンバーには、アートのそういう常識さへないのだろうか。その愚弄さにおどろかわれる。さらにエンブレイムについては、様々なシーンでの汎用的な使用も考慮したデザインであること」という条件も付けられていた。なるほど、これじゃ、商品パッケージにもなるようなデザインになるだろう。一方では、国の威信、他方ではさまざまのシーン、この意味の格好付けした文句にそって、応募者は、煙草箱やジュースの宣伝ラベルにも使用可というデザインに至るのをさけられなかったのかと、思うのだ。で、その賞金は、デザイン料と著作権譲渡料を含めて100万円というのだ。1000万円のマチガイじゃないかとおもえるほどの金額である。

べ この公募にうかがえるのは、大衆を、つまり安倍首相のいう「国民のみなさま」を愚弄した、下位にみた、権威こそすべて、であるというかれの知性の低さ、そして、国民を教導せんとする思い上がりと、に従った役人根性である。世界の中心で美しい日本をさけぶという趣旨のオリンピックはないよりもそこに人間個人の存在は、じつは消えているのだ。こうみたとき、すでにその不幸は、この前のイラクの建築家、ザハ・ハディドの新国立競技場の設計撤回にも、おなじ権威主義があったと理解できる。あのグロテスクな巨大感だけが売りのような建築物が、日本の存在の権威づけに適すると、組織委員会が、思い込んだと考えられる。だが、コストが高過ぎた、というより、やはり大衆感情を逆なでするような国威発揚の不快感が、人々の反感を買ったのだ。大衆はばかでなにのだ。

 今、東京オリンピック開催は、国民を上からの教導という安倍政権の本質が生み出している不幸なのではないか。かくして、不幸は条件がのぞかれないかぎり、なんどでもつづくと思えてならない。ことわざにも言う、不幸は重なるもの、二度あることは三度ある、不幸はつづくもの,Misfortune never come single.不幸は重なるものである。もう一つ条件をつけくわえるならば、異常気象の5年後は
どうなっているのか、原発が災害に遭うかもしれないのだ。
 

 
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谷本 仰ライブは、魔法のコンテンツ

2015-08-31 | アート・音楽
 前回(8月29日投稿の分)につづく。ここまで谷本仰のライブについて、そのチラシによる
先入観をながながと記した。その夜の谷本さんも演奏も、チラシの先入観とは正反対であったのだ。なによりも、谷本さんは、三木ちゃんの言ったとおりの気さくで、接しやすい人柄であった。また難しい話などは、ぜんぜんなく、要は、かれの演奏するバイオリンに話はこめられているのだった。その「話」は、その夜の「ひむかの村の宝箱」と、20人の聴衆と、台風前夜の風と驟雨と暗い闇の自然がくわわったその夜かぎりの話であったと思えた。つまりちらしのタイトル「Solo Dialogues」独奏者の対話であった。さらに言えばバイオリンが、ぼくと対話するという魔法のコンテンツを出現させたのである。

 何も知らず、ひたすら偏った先入観を抱いていたことが、かえって良かった。こんな魂消たバイオリン演奏があるのかという衝撃が心身をゆさぶった。クラシック音楽会などで手拍子をうったり、リズムの合わせて手足を動かしたり体をゆすったりすることはありえないのだが、幕開きの即興曲がクライマックスになっていき、まさに轟音となって満ちていくとき、ぼくはそうしていた。そのうえ、なぜか哄笑していた。三木ちゃんも先駆けていつものように声たてて笑っていたので、ぼくだけが変態ではなかったのを知った。

 夜の森の一本の木のしたで、狸や街から来た犬や猫がくわわって、バイオリンを中心に演奏をしているという様子を感じ取れたのだ。雨、風も強くなってきたので、それに負けじと、かれらは懸命に演奏をするのだ。負けるな、負けるなの演奏ぶりが、なぜか笑えるのだ。なにゆえか、犬や猫も狸も迫り来る台風の予感のなかで、ひたすらにバイオリンの曲をもりあげている。それはまさにドンキホーテのこっけいさを感じさせるのだった。ここは、人間という音楽家でなくて、動物たちであるのが、イメージとして心に響いてきた。つまり純粋さといえようか、ひたすらに生きていくために、目の前に音楽が演奏されている。どこかユーモラスなシーンにおもえたのであった。実現しえない魔法の国の光景に思えたのであった。こうして、怒涛が引くようにして、演奏は終わった。汗がどーっと吹き出すような沈黙が訪れた。その即興曲は、パンクという曲名にしたと、かれは汗をぬぐようにして告げた。高速道でパンクした経験で、生まれた曲だと説明された。

 以上は音楽エフェクトを併用し、エファクト自体も演奏されて展開した序曲のぼくの感想である。具体的な演奏法については、語れない。ただ聴いてもらうしかない。その高度なテクニックに裏打ちされたバイオリン演奏が、聴衆を魅了するに違いない。その意味でアートである。ここで、アートはステージから聴衆と対話するために降りてくる。この実感に興奮させられたのだ。そして、「パンク」という曲名自体も、ぼくには意味があった。なにかやろうとし、つらぬけば、人生、パンクの連続ではないかと。パンクにわずらわされていたら、一歩もまえにはすすめないという現実である。ここに谷本仰の生きる意味がこめられているような思いがした。

 つづけて、アメイジングレイスのバイオリンソロであった。それは、灼熱の砂漠の荒野で流れ出すようであった。鋼のような賛美歌になっていた。この演奏には、谷本さんの練達の技と冷徹な意識がこめられていた。甘い優美な優しい賛美歌のかわりに、立ち向かい、破れ、悔いる、立ち上がるという精神の賛歌のような力強さがこめられた、吸いこまれるような演奏になっていた。それから第2部のタンゴの演奏になっていったのだ。

 タンゴは、ぼくはあまり好きではないのだ。このグローバルになった世界のなかで、いまだにヨーロッパ至上主義のような雰囲気をかんじてならないのだ。あのリズムそのものもマンネリに覚えて退屈なのである。ところが、かれのタンゴの解釈は、えっという視点がかたられたのだ。タンゴは落ちこぼれて、アルゼンチンにやってきたなぐれものが、ここでふたたびなぐれてしまった男たちの嘆きと郷愁の歌だというのだ。男と女の華麗な駆け引きではなくて、女を追いかけても手にいれられぬ男の悲嘆だというのだ。希望を失った男がすがったヨーロッパへの郷愁だという。疎外された脱落者の歌という。夢なく、孤立し、生きる実感もなく、自分を喪った男のよりどころという。まさに「パンク」だ。この解釈はいい。それなら分かる。だが、かれのバイオリンだけによるタンゴには、まだついていけないものがあった。あのタンゴのリズムがあるかぎり、それはタンゴになるからである。いや、その夜ぼくは、序曲の即興曲と、谷本のアメイジンググレイスに意識をすでに占められていて、もう満喫していたせいかもしれない。それほど、かれの演奏の振幅は広かったともいえる。ただ、近く宮崎市民会館で、「トリオ・ロス・ファンダンゴス」というかれのばんどで、公演があるということを聞いた。その夜を待つことにしようと思ったのである。
 


 
 


 
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谷本 仰(たにもと あおぐ)ライブと宮崎市

2015-08-29 | Weblog
 この春、どくんごの実行委員三木ちゃんから、谷本仰さんというバイオリニストの宮崎市でのライブができる場所を探して欲しいと依頼を受けた。そのチラシを読んで、どんな内容なのかと理解しようとしたが、内容をつかみようがなかった。すばらしいバイオリン演奏というのだが、具体的にどんな演奏なのかと尋ねても、彼女はどくんご芝居のあの幕開きとフィナーレでのかれのバイオリンの迫力に圧倒されたとだけで、ほかはまだ聴いたことがないというのであった。彼女を信じて、それなら「ひむか村の宝箱」がいいかもというと、そこがかりられたら、いい、わたしもそう思っていたというので、池辺さんに話して承諾をえたのだった。話すときに、ぼくは、どうも反原発とか、有機農業とか、自然賛歌で、話や演劇とも融合したライブだから、店の雰囲気に合うという伝え方をした。そういいながらも、それがどういうバイオリンの演奏になるのか、またどうじにアルゼンチンタンゴもくわわり、フリーインプロヴィぜーション、演劇音楽ともチラシには紹介されていた。インプロヴィぜーションは即興という英語であるのを、じつは後で知ったが、この語を理解していればかなり内容も推測はされたかもしれないが、即興ではかたづけられない内容であったから、この点は知らなかったほうが良かったのではあった。

 宮崎市では、バイオリンといえばクラシックで、過去の偉大なる音楽家の名曲を、最高の技術で弾く演奏家のコンサートしか思い浮かばない。そして田舎ほどクラシックがポップよりも盛んなのであるという現実もあらためて想いうかべるのであった。メジャーな非クラシック音楽などは、市場価値を問われるポップ音楽は、経済効果上、上演不可能であるからだ。バイオリンのライブなどと、田舎では田舎向きにあつらえられた特製作品であろうか。昔は田舎向けのパンというのは、特別に製造されて、安値でパンなど食ったこともない村人に送り込まれていた。その現実は今でもつづいてはいるのだから、バイオリンもそうかもという気持ちもどこかにあったのだ。

 こうして2015年・8月17日の当日となった。池辺さんは、谷本さんは反原発や平和への激しい情熱の人のようで、それがあなたの気に入ったようですねと言っていた。それは彼女の見当違いなのだ。バイオリンは、この宮崎市で、どんなライブが可能かが問題。たしかに池辺さんのいうように、社会をあり方をタダす情熱の人かとも思えた。チラシの写真でかれをみると、すごく暗く思いの深い粘着気質の音楽家に見えてはいた。他方、三木ちゃんはこんなあっさりした、きさくな、親しみやすい演奏家はないと褒める。今回でも、入場者のことなどなんにも要求されないし、チケットも予約制一本槍で、チケットは販売しないのですから、のほほんとして、こだわらない人ですよね。だから今回は、まずはぼくと私の二人だけでいいんじゃないですかと、言うのだった。ふたりだけでも聴衆はいいのだから心配はしないでいいですよというのだった。彼女のこと話がなかったならば、その夜のライブは、緊張を強いられる予感でつつまれていただろう。なんとか、数人に呼びかけて、ますは今回は聞いてからだということで、ライブを迎えることに話は行き着いたのであった。それにして、写真の谷本さんが本当か、きさくな、動物「怠けもの」のような現代離れした音楽家なのか、人物、演奏内容とも不可解なまま、台風の迫ってきた夜の平和台の雑貨店「ひむか村の宝箱」でライブ会場に入った。もう一人の実行委員青木さん(お好み焼きしぇ・こぱんの店主)の車で店に到着した。曇天で小雨がばらつきだしてきた。午後6時というのに真っ暗な広場が淋しげであった。これからすぐにライブがはじまるにしては・・・

 

 


 

 

 
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安倍戦後70周年談話と、みんなの広場投書(毎日新聞投書欄)

2015-08-26 | 政治
お盆休みの二日目2015年8月14日、安倍談話を聞いた。うん、なるほど、いいじゃないかと、戦後70年の談話としてわが国の侵略戦争のまちがい、その謝罪、そして反省と、戦争放棄の戦後70年の平和主義
を誓うという、いつもと違って聞きほれていた。ところが、これで終わるかとおもったところ、まだまだつづきだした。おわるどころか、ここからが本番とばかり、わが国がなにをアジアで貢献したか、これからどうするかとことばがながれていく。そのうえで、国民の立場大きく前面に出てくる。それを聞くうちに、だんだん社長が、えんえんと社員に訓話を垂れるのに似ているとかんじだした。わが会社つまり「わが社」を発展させること、わが社の社員としての誇りと使命とかが、いかに世界に貢献できることであるとか、聞いていて気分はだんだんしらけてくるのだ。第一、「会社」とははあんたのものじゃないだろうという気分、なにがなんでも会社に尽力をささげる使命などと、やってられうかという気分に似てきたのだ。

 こいつはぼくの安倍嫌いの偏見がなせる業かと、やっとおわった安倍首相談話がテレビから消え他跡で思ったのであった。翌日、毎日新聞に談話全文章というのが掲載された。文章なら、感情的にならず、判断できるはずとさっそく、読み出した。すぐに形容詞や修飾が、数多くあるのに気づいた。挙げると「二十世紀という時代を、私たちは心静かに振り返り」とか、「広大な植民地」「悲惨な戦争」「壮絶な犠牲の上」などなどがつづく。心静かにとか悲惨とか壮絶という形容は、戦争や犠牲、そして反省を、おおげさな修飾によって、かえって本当の現実を黄な粉まぶすような甘いものにしてしまっているのだ。
 
 もう一点は、美辞麗句が、あちこちに散在している安倍主観的表現である。「祖国の行く末を案じ
家族の幸せを願いながら、先人に散った方々。」映画のシーンじゃあるまいし、甘すぎル形容ではないか。「灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、なくなられた方々。」こんな流行歌の言葉で戦争で犠牲になった兵士や市民の死が総括できるものではないのだ。そして、どこまでもこの種の文章がえんえんと流れ出していく。「一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。」いまさら、こういうことを言うよりも、もっと切実な平和への実現への具体的な意思、つまり謝罪と反省と不戦を、よけいなことばをつらねるより、ばしっと一言と極めればいいのだ。だが、それをしないで、かくもつづくのはと、かんがえてみると、謝罪と反省が、美辞麗句でなされるということ自体が可笑しいのだ。この部分は、ほかの主題と関係しているのではないかと思えることだ。

 そうかんがえたとき、わかってきたのは、安倍首相の胸中にあるものだ。それはお詫びと反省ではなくて、それよりも日本国への偏愛である。あやまります、土下座もします、それでもわが国は偉大なのですという感情である。ぼくが、テレビ談話を視聴しながら、だんだん社長訓示におもえだしたことは
この社長の高揚感であった。そして想った。戦争はだれが起こしたのかということだ。一般大衆、徴兵されて何百万人と戦死した人々は、国家権力の起こした戦争の犠牲者にすぎなかったのだ。「今なお、言葉を失い、ただ断腸の念を禁じ得ません」といわれているが、いったい、さしあたりそうしているのはどこのだれなにか、じつにあいまいである。日本人みんなのようでもあり、だれひとりそうでもないようでもある責任不在のあいまいさが漂う。まるで、自分自身がしているような高揚感の独りよがりが忌々しいではないか。

 文章が長すぎる、本質がぼやけている。このとき、ふと脳裏にうかんできたのは、ときどき毎日新聞の投書欄「みんなの広場」の文章である。ここには、戦争について、平和について、日本と世界について、明晰で主題の透徹した説得ある文章にたびたび出会える。長さは400字内外である。しかし、なんという無駄のない、わかりやすい、そして真実である文だろうか、それでいて、かれらのほとんどは文筆にたずさわる人ではないようだ。世界に向かって発信する文章なら、有識者などにたよらず、一般大衆に1000字限定で公募したほうが、おそらく比較にならぬくらいの優れた談話を見出しうるだろうと想う。二言目には有識者のご意見とか、ご検討をいただいた結果とか、錦の御旗のような権威付けも、それほど意味があるわけではないのを、現実に知らされた思いのする戦後70周年談話であった。世界のみなさん、どうか、新聞投書欄の読者の文章もぜひよんでいただきたいと念願してます。

 
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お盆休み、世界の中心で『ここだ』を叫ぶ

2015-08-12 | 生き方
 
 新鮮なにがごりを、両親が育てたと職員の看護師さんが、プレゼントしてくれた。今日は街中
をぶらつくので、明日もってかえるから、スタッフ室の冷蔵庫へ入れてくださいと頼んだら、皆
が、明日から盆休みですよといっせいに言い出した。えっ盆休み!だったのかと、おどろいたわ
けであった。そのあと、なにかもうけた気分になっている。明日の木曜日から日曜日まで休みに
なったのだ。

 ところで、なにをしようか、なにをすべきかと、この日曜日の塊が、そのままにはしておけない
気分になりだした。春に行った臼杵市にまた行くか、熊本の現代美術館か、福岡市か、あるいは鉄
道での九州一周か、韓国への3泊4日の旅行や台湾か、中国かと、いや、東京かと、考え出すのだが
手配も計画も、これからすると、一日がふっとんでしまうほど、手配がむずかしくなるようだ。
日帰りするしかないようである。ホテルは詰まっているだろう。


 旅行とすれば、韓国がいいかもしれない。今はわすれられていそうだから。だが、体力がない。家
内は、長距離の歩行はできない。観光地は、歩けなくては、おもしろくない。歩かずになにかをやれ
る、美術館だとか、演劇とか、映画とか、そんな観光となると、わざわざ観光地にいかなくても家の
なかで十分やれる。一日中テレビをみるとか、レンタルビデオをみるとか、読書だとかだ。
 
 この世の充実した遊びとは、どんな遊びなのだろうか。そうかんたんにおもいつけないのだ。ますは
体力と、かなりの努力がなければ手に入らぬもののようだ。あれをしようか、これをしようかと、迷い
かんがえだしてきたら、時間はどんどん経っていく。もう午前11時前になった。これでもし、300万円
でも、盆休みに使える一日平均のお金があったら、さらにぼくは、有効な休みの過ごし方にむかって、
ベターを求めて心労をしなければならなくなるだろう。幸いその必要はない。

 充実した盆休みの処し方などというめんどうな計画や実行は、もうかんがえるの止めた。時間の無駄
である。思えば世界の中心は、自分であり、自分の居場所が、世界の中心である。ということは、どこ
にいても、自分の位置が中心なのだ。ほかのところに行く必要はないわけである。今、ここで、盆休みを
愉しんでしまうことは、可能である。昼になった。今日は午後2時で終わる。が曇りだした。

 
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猛暑、サンダルを求めて

2015-08-06 | 日常
 現在、九州全域はもちろん日本列島でいちばん炎暑を免れているのは、宮崎市である。太平洋で
ひやされた大気が、東風となってこの低い家並みとビルと野原の市街地を20キロ先の九州山脈まで
吹き抜けていくからである。しかし、太陽光線は圧力を感じるように照射しつづてて、コンクリー
ト道路は摂氏50度を超えている。

 歩行するのに靴と靴下では歩けるものではないので、サンダルを求めて、店を先週日曜以来、ひま
をみて回った。自転車で5分のイオンショッピング・モール、川向こうの新しくできた大型店のニトリ
や、スポーツ店などである。またダイエーの流れを汲む百貨店の靴売り場、イオンの旭スポーツ、良
品計画、大型靴店、ユニクロ、ブティック、セレクトショップつまり雑貨店、スーパーなどなど。だ
が気に入ったものは、見つからなかった。2年ほど前までは、安売り店でも、スポーツ専門店でも、か
んたんにみつがったのだが、ないのだ。これらの店、店でぼくが手にして、履いてためしたのは、ほ
とんど格好だけで、機能が、満足できないものばかりであった。

 あるスポーツ店で、店員にどういう基準で、サンダルを選んで品揃えしたのかと聞くと、おしゃれ
感覚ですと一言で答えられた。なるほど、てかてかと光ったもの、あちこちに余計なバンドがくっつ
けられて、かんたんにつっかけられないもの、綺麗は色彩で、板のように平板なもの、またゴム草履
風なもの、曲がりくねったもの、ボート状で、ふちがつき、下が平底、サンダルの案内に海辺の楽しも
うなどとある。そうか、サンダルを海用としか考えてないのかと、はではでで、安っぽい草履風のサン
ダルも納得はできた。そして、全体の印象は、派手に見えて、安くて、手軽で、使い捨ての製作意図が
ありありとかんじられるのであった。こんな劣位のひと夏の日用品などに手間はかけられぬという販売
意識に不快感をおぼえてくるのであった。

 たしかに、この宮崎市では、家から自転車なら30分で海辺にいけるし、自動車で30分も走れば有名な
青島海水浴場、ここからはじまる日南海岸のさまざまの海水浴場にいける。しかし、小学生のこどもで
もいなければ、ひと夏に、海浜に行くことはないのが普通である。まして、自動車で3時間もかかるよう
な、東京などの都市住民が、海浜に行くことは、何べんあるのだろう。サンダルなどで楽しむひまなど
ないだろうと思う。サンダルは、海浜だとか、避暑地用ではなくて、炎暑の市街地を、靴よりも快適に
歩けるという機能の履物なのである。炎暑の街路を、快適に歩けるサンダル、これが、ぼくの求めるサ
ンダルなのだが、サンダルなどは、以前は手軽に簡単にすぐ見つかったものだが、デザインや装飾や、
低価格の保持のために材質が悪くなり、手抜きがあり、派手な形だけで用を足すに至らないというサン
ダルが山積みされていた。 
 
 ただ、なんとか、一点だけ、ぐうぜんに靴専門店「てづか」で見つけた。しゃれている。むだがない、
ウレタン底で、かかとがある。全体は紺色で瀟洒である。その商標が底にはりつけてあるが、あの映画
のトラック野郎の電飾看板のようである。そのアンバランスな商標に同社の時代ばなれした職人気質が
あるのかもしれない。MADE IN JAPAN と刻印されている。これもほっとした。しかし、はきごこちは、
おととし購入したサンダルよりも劣る。ここで、ふと連想した。サンダルも、冬、年末のNHK紅白歌
合戦のように外面だけがはってんし、中味はからっぽになった、あの勘違いの流れになったのか。

 サンダルよ、お前もかである。もうすこし、サンダル探しを、この夏探しつづけてみよう。見つかれば
いいけど。
 
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熱中症と全体主義

2015-08-04 | 政治
 先週水曜日から、宮崎市も猛暑という日々となってきた。午後からは、ぼくの事務長室の南の診療棟との間には海岸からの東風がびゅうびゅうと吹きこんでくる。午後3時頃はそこに椅子を出し、熱いお茶をすすり一時間ほど過ごしている。吹き抜けの天井をもつ、ギャラリー兼用のの事務長室(通常一人執務)では、クーラーは使用せずに扇風機だけである。たまに院長(長男)がが顔をだして、なぜクーラーをかけないのかと不審がってきたが、必要がないと返事してきている。やがて、パソコンが傷むとか、使用しなければクーラーもダメになるから、かけよと命令しだした。じゃ、かけるからといって、じつは、かけない。窓を閉めてしまうのは、はなはだ不快、この開放感には替えられない。

そうこうするうちに毎日、テレビで熱中症が事件のように報じられだした。今年も盛夏になったのだなと、熱中症報道を、帰宅し、夕食のあと、風物詩として、その数字を眺める。この時はもちろんクーラーは、かけている。なぜかけるのか、住宅ではかけなくては過ごせないからである。クーラーなしには不快だからである。事務長室はかけないほうが快適、自宅の居間はかけたほうが快適だからである。要は、快、不快が基準であるにすぎない。  

クーラーは熱中症予防のために使用するわけではない。最近は、救急車で搬送される熱中症患者は1000人を超えるようになった。そして、危機感を募らせる、アナウンサーの声を聞き、数字を眺めると、熱中症が、日常身近に迫っている猛暑の日々を、えらいことだと感じだす。だが、しかし、ちょっと数字を分析してみると、この数は、平成二七年夏の国内日本総人口1億2699万人(総務省統計平成27年7月1日現在)の1000人内外である。その割合を計算してみると、およそ0.000008人である。10万人に8人ということ。ということは、ほとんどの人が、熱中症患者を目撃することはできないということである。だれか、ご近所で、職場で、熱中症で倒れた者を見たことがあるのだろうか。ぼくはかって見たことはないし、これからも見ることはないはずである。この患者に出会うのは、ジャンボ宝くじで100万円が当たる確立に相当する。当たらないし、死ぬまで一万円ずつ買い続けても当たらないということと同じである。つまり、普通の日常生活を送っていれば、熱中症にはならないということである。
 
そればかりか、かなり過酷な炎天下でもならない。ぼくは、その実験も気温36度以上になる猛暑日が週末であると、サイクリングをして試してきた。このブログにも、そのことを何度か発表している。午前11時ころから午後3時ごろまで、炎天の野や日陰のないバイパスの勾配を上下できる往復して50キロくらい走行するのだが、かんかん昼間を、西都市まで走ることであるが、危険をかんじることはなかった。首に湿ったタオルをまき、手首までの黒シャツをじかに着て時速17キロで走行すれば、紫外線をカットする黒シャツだけでも冷やりとするが、湿ったタオルは体温を奪い、クーラーとなる。半時間ごとに自動販売機での飲み物は、最高の玉露だ。要は、無理しない走りを、すればいい。ギヤは24段階ある。その最適の組み合わせで脚力を抑えられる。ただこれは経験がいるかも。そして、炎暑の熱気の陽炎のなかを走るのは、空中を飛んでいるような快感がある。

 というような体験を述べるのだが誤解しないてもらいたいのは、ぼくは、人一倍元気だということではないのだ。標準的な『老衰』を日々味わい、顔にはしみができ、関節は軋み、ラジオ体操は、できないといっていいほどぎこちない。まっすぐ歩けず、肩や足はがたがたとして、年中痛みや故障が発生しはじめている。僕自身は高齢疾患群と名薬もかかせないようになっているのだ。その高齢シンドロームでも、日射病にはかからないということを証言したいだけのことである。
 

 そしてもう一点強調したいことは、テレビ報道の数値などは、つねに相対化して、計算しなおしていくことである。つまり、自分の判断を中心にすることを習慣づけることを、しようじゃないかという点だ。安倍政権が、推し進める全体主義への抵抗は、それこそ熱中症への予防どころのいい加減な問題ではないのだ。一人、一人が、疑えること。われ疑う、ゆえにわれありという、個人の能力を高めることこそ、この盛夏の課題であるということを伝えたいのだ。
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三ヶ月ぶりのブログ

2015-07-29 | Weblog
 ブログを書くのがあほらしくなって止めていたが、昨日、どうなったのかと『市街・野』を開くと、なんと685pvで、その前日が428で、それまで200から300pvでつづいていた。これほんとうよんでもらっているのだろうか。なにか、検索にただ引っかかった名残の数ではないのだろうか。驚きである。
 ひょっとしたら、読まれているのかもしれない、そう思うと、やはり、まだブログに発表したいことは、あり、やっぱり書いてみようかという気分になった。それで、今日、市街・野の再スタートについては、5月以来天候不順で雨ばかり降っていたような5月、6月、7月が経って、ようやく梅雨があけたという感じから話をしてみたい。このうっとうしい3ヶ月であった宮崎市は、日本全国では、相対的には一番気候温順で、ゲリラ雨も台風もなく、猛暑もないという季節であった。おそらく、ほぼ直線状に南北100キロの海岸が太平洋という安定した海に面しているせいであろう。夏になれば、海はエアコンディションとして作用し、猛暑はやわらげ、ゲリラ豪雨を発生する上昇気流も抑えているからであろう。この安定した気候は宮崎市街平野の特徴となってきている。

 もしここが、中国か、アメリカならば、高級住宅地区が開発され、全国から富裕層が住宅街を形成したであろう。それはない。あまった土地はないのだ。金持ちだけが集まって住むような土地はないのだ。あったとしても、そういう土地へ金持ちが集まって生活をしようとする意思はないのは明白である。せいぜい東京都の億ションに住むくらいのことである。階級意識があまりないせいからであろう。
 
 アメリカの高級住宅地区の実際を訪れたことはないが、グッグル・マップなどでフィラデルフィアのメインラインのストリートビユーを利用して散策してみると、あんな住宅地や、市街には住みたくもないという気分に襲われる。画一的な高級住宅が、幾何学的に並んだ単調な通りをみると、この宮崎市の郊外にある住宅団地と変わらないし、スケールが大きすぎて不便であり、どっちを向いても、歩こうとも、行ってみたいとも思わぬ無機質な住居と庭と門があるばかりである。美的でもない。デザインだけが仰々しくて空しい。生活感がないのだ。こんな住宅街と比べると、宮崎市街の郊外にひろがっている団地は、狭く、手軽に買えそうで、ごちゃごちゃで、高級感よりも、やすっぽさで、開放感がある。これはたしかに日本的、またアジア的とでもいえる生活環境である。よく、北欧のドイツやデンマーク、イギリスなどの街を
美しいといわれる。あるいはテレビで街角散歩で、映像的にこれでもかというくらい、美しさが西欧に街として賛美される。しかし、そんな美しさは、そこでの暮らしとは、何の関係もないといったほうがいい。まだ、日本で、住み慣れた故郷での暮らしのほうが、はるかに快適であるのだ。言葉が通じない生活環境では、生活は空ろでしかないことも加わるわけである。

 ということで、富裕層地区というのが、借りに開発されたとしても、そこは一般の暮らしから疎外された、不幸な不愉快な場所でしかないであろう。そういう場所が、宮崎市にはないのである。まさか、これからもそんな地区を開発しようというあほはいないだろうが、そういう
疎外された場所にうかつに飲み込まれることがない、われわれはしわわせかである。
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橋下さん・民主主義 うん?

2015-05-18 | 政治

 大阪都構想は否決された。ぼくは反対派で、午後9時から開票速報を眺めだしたのであった。そして10分も経たぬ内に、賛成が、反対をうわまりだした。その差はあっという間に、五千なり、すぐに一万をこえてきだした。もはや決着がついやようだと、呆然として速報値を眺め、疲れがどっとでてきた。ところが、そのころから全投票各区別の投票率、反対・賛成の投票数が報告されだした。そこで、注意を呼び覚まされたのは、この時点でも、まだ開票が4パーセントとか、8パーセントとかで賛成1000と反対1000とか、なかには4パーセントで500対500があるのが、報告されだしたのである。そうした区は、低所得者層が多いとか、高齢者マンションの地区とか、人工密集地帯とかと、説明があった。やがて、多くの区の開票が終わっていくなかで、まだ集計が数パーセントという区が、一つ、一つとあらわれだした。そこで思え出した。この開票がなぜか遅れていて、しかも賛成・反対の差が無い地区とは、高齢者、低所得者層、人口密集地帯などなど、そこに、逆転の可能性がありそうだ。他方、その差は5000位になってきていた。未開票の地区はまだ5地区あり、まだありそうだ、その地区でそれぞれ反対が賛成より1000票を越えれば、逆転できると確信できたその臨時、臨時ニュースで賛成派が勝ちました、と出口調査の結果が報じられたのであった。午後10時半ごろであった。終わった、これで眠れる。明日は、忙しいのだ・・・だが、橋本さんの心境を聞きたい、その本音を。

 11時10分に、橋下さんの記者会見がホテルであるということで、がんばって目をさましつづけた。ほんとうに彼は政界から身をひくとうのかと、この弁を聞かずに就寝できるわけがないと、かれの登場を待ったわけである。

 登場したかれは、これまでテレビで見た表情でもっとも魅力に溢れ、語りも爽やかで、ある種の感動をも与えてくれた。一流の役者だな、これでもう一度人気があがるだろうなと、かれのキャラの吸引力に驚くのであった。

 かれは満面の笑みをたたえ、「民主主義は素晴らしい、民主主義の日本は世界一」と。ぼくが彼に政治界から引退してもらいたいとううののは、ここのところなのだ。民主主義というのは、個人の力に基礎が置かれる。一人、一人の判断力、その判断を可能なかぎり保障する制度のうえで、真価を発揮する体制である。今回、これまでも彼がやったのは、宣伝とスローガンの波状攻撃であった。如何にして、賛成表となる大衆を生み出すかに、全精力が注がれた、今回の結果が若者を中心にして積みあがり、僅差の結果をもたらしたというだけである。イメージでもって、大衆を絡め取るは、全体主義である。全体主義の身体を民主主義の衣でおおった、一人の政治家が、破れ敗退し、政界を惹くと、ここは未練なく誠心に語り続けた。この点では感銘させられたこれは立派である。政治家をやめるというのは結構なことである。

 最後に「独裁者は使い捨てが一番だ」と橋下さんは、なんかをふっきたような満面の笑みで、宣言した。しかし、独裁者が自ら身をひくことはない。独裁者の首を切るのは、ひとりひとりの判断力にたよるしかい。その判断力の正当な集計が、なされていないという現実をあまりに忘れた言い草ではないかと、思えるのである。

 
 このとき痛烈に思うのだが、「おいちょかぶ」のようなことを日本人に強制して、丁か半かで、都構想や道州制を決めたり、ついには、日本国憲法の改正をきめることになるとは、民主主義の最悪の利用にすぎないことを、あらためて知らされたおもいである。
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水元博子リトグラフ展・この一枚

2015-04-21 | アート 美術
 水元さんが、初めてリトグラフを製作(プリンターは、リトグラフ作家杉尾龍司さん)その作品を、宮崎市広島通りの画廊喫茶「ArtSpace色空」で開催している。水元さんも杉尾さんも宮崎市で暮す画家である。
 彼女は、絵画、デザイン、絵画塾などで、生活を支えてきている。宮崎市では絵画の販売を専門とする画廊はなく、市民も絵画の購入という習慣はない。そのような街で、自分の作品を売らねばならないという生活は、かなり厳しい製作条件を強いられる。だが、彼女は油彩だけでなくデザイン面でも企画や作品製作にも携わってきた。その作品は、カフェのような都市的な開放感を感じさせる。そのことは、彼女の資質であり、また、彼女の作品を売らねばならぬという生活がもたらすものだろうと、ぼくは思う。作品には、彼女の自己主張よりも、好感をもたれる商品としての価値に意欲がそそがれてきたように思う。だがしかし、その製作意識は、現代的な画家が直面するあり方である。だからこのポジションが彼女の絵画に現代性を与えている。いや、現代絵画への通路を提供しているのだとも言える。この見方が当たっているかどうかは、別として、まずは、ぼくは彼女の作品をそのように見てきた。今回は彼女が初めて取り組んだリトグラフというので、いっそう商品として確かになるであろうと、思っていた。
 ところが今回、彼女の案内状(葉書)に載せられた一枚のリトグラフを目にしたとき、思わず目を奪われたのだ。これまでとは、違う意図を感じたのである。彼女の顔が、もっと現れている。自分を主張している。そんな感じがした。もっとも彼女自身が描かれているわけではない。その一枚のリトグラフは、若い女性が、カーテンのまえで猫を抱いて座っている絵である。
 ぼくが惹かれたのは、これまでのカフェ的な雰囲気とは異質なドラマチックなシーンを想像できるからである。このリト作の女性は大きな目を、ななめ下に向けている。彼女に抱かれた猫は、獲物を狙うかのように正面に向けられている。彼女は困惑し、猫はやる気にあふれている。その対比が物語りを感じさせる。彼女の大きな目が表情を少女のように無垢にし、俗世間の荒々しさへの臆病を語るかのようでもある。だが、この少女の真っ黒い頭髪に息を呑まされる。カーテンの前のこの黒髪の存在感は、この少女めいた女性の存在感でもある。この女性自身にも力と弱さの対照があり、それが物語りを増幅してくる。
 この一枚は、トーンの明るさを少し変えたものが2点あったが、この2点と案内状の写真のあわせての3点とも、まったく同じ力の吸引力をもっているのに、おどろかされた。これは刷り物であるリトグラフの特性でもあろうが、それを越える主題の強い吸引力のゆえである。そこで、水元さんに絵のまえで聞いてみた。モデルはあったのですかと。モデルはなく、無我夢中で竹ペンで一気に書き上げたのですというのであった。ということは、彼女自身の意識が作品となったということであろう。それは、頭で前もって考えられたことでもない。彼女の生きている現実そのものが、リトグラフとして表現されたのだると、ぼくは視たのであった。
 ふたたび言おう。二つ眼が、彼女を少女のようにみせており、猫が抱かれていようと、ある孤立感を感じさせる。しかし「われ泣きぬれて蟹とたわむるとか」、白鳥は「故郷」とか「哀しからずや」とか、孤独の芸術化はない。健康な一人の若い女性が何かに困惑しているだけである。それゆえぼくは、この女性との共有点をいだきはじめるのである。
 ここにあるのは、なんの迷いもなく、ひたすらまっすぐにつきすすむNHK朝のドラマの主人公の人生でもない、ただ困惑が存在する。自民党一党独裁政権となった安倍首相の女性の活力などという一本筋の人生とは、異質の人生をこの女性の困惑は表していると受け取れる。そこに現代性がある、今の存在感を共有できるのだ。この人物像が花瓶や陶器の美しさではなく、NHK朝ドラや安倍政権のスローガンとも次元の違う生活意識を訴えてくるのだ。よかったまた一つ女性の作品が宮崎市に生まれたことを感謝したいと思う。
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戦争 殺人 悲嘆 

2015-03-10 | 社会
朝ドラ「まっさん」はなにを主題にしているのか、まっさんの家族も仲間も戦争で、希望が破壊され、息子が召集される。戦争を知らぬ世代でも、その悲しみは、テレビの物語であろうと、悲劇を、痛切に再体験できるであろう。戦争の悲惨が、視聴者に伝わり、悲劇を二度と繰り返してはならないと、実感させる。こうなると、中島みゆきの主題歌、進軍らっぱのメロディーはまた戦争の虚無感を逆に訴えてくるのだ。あの歌を唱和しながら、まっさんのシーンを視てみよう。あほらしいスローガンが、うつろにくりかえされているに過ぎない空虚さが、感じられてこよう。

 そして、戦争は悲惨だ、戦争はいやだ、戦争は絶対、してはならないと、気持ちが湧き上がってくる。戦争の悲劇は、戦後70年、意識に刷り込まれて、すでに耳にたこが出来てしまっているように記憶にも積もり積もっているのだ。そしてまた、今朝も涙をながす。そして犠牲者への心痛と同情の涙が溢れてくる。しかし、いくら泣いても戦争は、それで起きぬわけではない。戦争をおこした国家権力、その当事者の犯罪を明確にし、そういう権力を生み出した社会の矛盾を明確にし、つまり戦争の原因を突き止め、この原因を探りだすことによって、再度、戦争権力が出現しないための具体的な政治の方向がしめされねばならない。だが、泣いたところで、先へ進めない。テレビもそこまでで、綺麗な涙を流すことで、終わりとなっている。

 さて、ドラマではなく、先月、母親一人、子一人の男子中学生が、同じ少年たちのグループから長期の暴力を振われ、あげくの果てに、川岸で殺された事件である。その川辺には、花束が草の生えた斜面にうずたかくなってきた。その前にしゃがみ泣きながら言葉をつまらせている老若男女があらわれている。助けてあげたかった、守ってあげたかった、なにもしてあげられなくって御免ねと、なくじゃくる一人一人が、放映される。かれらは真剣に泣いている。おどろくほど何人もの人たちが悲嘆のことばを発する。何日も何日もつづいている。 
 
 こうして山づみになった花が出現している。花たちは、自らの死を曇天に晒しながら訴えてくる。だが、しかし、死者は、おまえら生きている人間であると。花の命を受け継がなくてはならないとの思いがのしかかってくる。

 今朝また田舎で一家5人が、隣近所の男から殺害された。男はツイッターで、氏名、場所を挙げて、一家への殺人予告の投稿をくりかえしていたにもかかわらずである。
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思考と食うこと 殺人事件

2015-03-07 | 生き方
先月26日の朝、もはや毎週、心理的に三日ごとに殺人事件が起きる現実を本ブログに投稿した。その殺人が、幼児、小・中学生・女性・高齢者に向けられている、無抵抗で安全で殺すことが可能だからである。3月に入って第一週に、殺す対象は、ついに赤ちゃんと癌患者もしくは肝臓病者へと、絶対無抵抗者に及んできているのが報道された。赤ちゃん、重篤な病人を殺すことが可能なのは、殺しているという意識が無いから可能なのである。無抵抗者に対する恣意的な殺人は、殺しているという意識がないということを、今回の殺人事件で象徴している。

 そして、さらに嘔吐感がするのは、この殺人事件に当事者がだれも止められなかったことである。経過についてテレビ番組では大衆を相手にして、ということは高視聴率をも期待して、しかも経済的に、ニュースはもちろんワイド番組で、具体的な殺人までの経過を執拗にまで、毎日、アキがくるまで、コメンテーターが分析し、意見をのべつづける。これも呆れた番組であるが、それはそれとしてそのプロセスは、テレビで知るかぎり、嘘八百とは思えない。だとすれば、なぜ、これほその予兆をだれもきづかなかったかということである。分かるのは、殺人が起きる後まで、だれも無関心であったという事実である。そして、無関心の巣は、考えない脳の中であるということである。従って、この殺人は「考えない」日本人の犯罪であるということである。

 今、われわれがやれることは、考えることと、飯を食うということは、同じことであるという自覚を実践することであろうと思う。生きているかぎり、考えることを停止してはならないということである。飯を食うこと、また同じである。しかし、考える行為も食事も、消費社会では、本質を遠ざける。消費行動は、快楽になって欲求を満足させ、快楽が目的となる。食事も生きるためでなく、ファッション化され、食事ではなくなる。考えることは、考えるを停止したときが、快楽の充実感を保障する。これが、今の日本である。従って、無抵抗者の殺人は、現況では、これからも三日置きにつづきつづけていく予感がする。そのうちにだれもが、もう取り上げない些細な事件となって、狎れて行くのであろう。その後にはどんな殺人行為が出現していくのであろうか。
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無関心という関心

2015-02-28 | Weblog
 
 吐き気のする少年犯罪がまた起きた。高校生のグループが、一人の中学生をなぶり殺したのだ。グループのリーダと、その支配下の二人の高校生が、その14歳の少年にそれまで、日常で、執拗な暴力をくりかえしてきた。それもリーダーの万引きせよという命令を断ったといったようなことである。右目がつぶれるほどに紫に晴れ上がった顔の少年の写真もテレビに現れた。登校拒否は、リーダーの命令によっていた。ついに少年はグループを抜けるという決意を告げて、3人の高校生のリンチによって絶命した。近所の川べりで、数十箇所の暴行のあとを残したまま、首をナイフで刺され、素裸で、岸辺の草むらの放置されたままであった。その嗜虐性はイズラム国をまねた様子もあったと述べるものもある。
 
 この殺人は、高校生らに人を殺すという意識がまったくかんじられないという一点で、まさにテレビ的である。そこにあるのは、映像というシーンだ。深夜午前2時、高層マンションに近い川岸で、執拗に14歳の少年の体にナイフを刺しつづけた少年たちには、テレビの一こまか、ゲームかの感覚しかなかったと思える。

 こういう高校生たちを生み出したのは、彼ら自身の非人間性、素質、学校教育、家庭環境があるわけであろうが、今回とくに痛感せざるをえないのは、殺されるにいたった中学生の切羽詰った日々に学校も家族も、だれも無関心であったという一点である。右目のまわりが、赤黒くなるほど変形していたのを、だれも理由を追求しない。登校拒否が始まったのも、少年の日ごろの生活からはありえないと、だれも気づかなかったのか。その他、学校生活の毎日で、だれも異変を、とくに教師がき気づかなかったことだ。

 つまり、ここで、理由を知りえたならば、少年をグループから引き離すことも、守ることも可能であったはずである。だが、だれもが、理由をしらなかった。ここで、かんがえてみよう。一つの兆候がある。それが兆候に見えるには、まずなぜという疑問がなければならない。つまり関心がなければならない。なぜか、そんな関心は、少年にまったく注がれてなかったということである。つまり他人のことなど、知らないという無関心が、当たり前のこととしてあるということである。

 しかし、その意識はほんとうに無関心からであったのか。おそらく、なにか変ときづいても、そのことに関心をもつことをしない。関心はあれど、無関心のままであるとくいう意識が、常にわれわれにあるということを、改めて思い出すのである。とくに中学、高校に姉弟を置く両親たちは、教育課程に口を挟まない。おかしいと思いながら、無関心を装いながら、だまったままで卒業日を迎える。この無関心という関心こそ、忘れえない苦い経験、行為の体験として、ほとんどの日本人は記憶している。そして、こんどは、一般社会でも、この無関心という関心を、やらざるをえないし、やってきたし、今もやっている。この臆病さ、卑劣さを、グループの高校生たちは、見抜き、やりたい放題の反社会的行動を繰り返してきたのが、他方の現実である。かれらにとっては、この卑劣な空気のような社会が、かれら自身を幻想的な立場に落としこむ
空ろとして、内面に巣をつくっていたに違いない。かれらにとって、現実は無いのだ。すべては無関心でしかなくなったのだ。

 逮捕されたリーダーの少年は、殺人はやってないとこたえているという。後の二人もやってないといったそうだ。自分の意識のうつろさを見事にさらけだしているではないか。おそるべきは、無関心という関心では大人たちもたいしてかわらぬ構造をもっていることである。テレビのコメンテータもまた然りである。
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