そらとうみとりくと

初めて一緒に暮らしたそらがお空に帰り、その後ポメキーちゃんを迎え、うーたんと穏やかに暮らしています。

あたり前の日常

2016年03月11日 | かわいい2ワン

あの日、5年前の3月11日、午後2時46分。

皆さんは何をしていましたか?

ワタシはとっても仕事が忙しい時期で

事務所にもたくさんの方がお手伝いにきてもらっていて

自身は3時から始まる会議のために、ビルの8階で待機してました。

そこへあの揺れ。

新しい建物ではあったけど、ミシミシと音を立てて激しく揺れ

窓ガラスは割れて、即刻停電。

復旧を待つ間、会議開催は遅らすことになったけど

結局それどころではない事態ということになり、解散。

一緒に行った事務局長が車を駐車させて

エレベーターが使えないため、階段を登ってようやく着いたけど(息を切らして)

また一緒にとぼとぼ降りて…

直後から大粒のぼた雪が降りしきり

信号も使えないため、20分で着くはずの道を数時間かけて帰り

とりあえず、その日は解散となりました。

うーたんは事務所で皆さんとお留守番をしていて

そらはとーたんと家にいたけど

とーたんは招集がかかって、すぐに職場へ。

 

その夜はガスでご飯を炊き、ろうそくの灯りで過ごし

それでも停電したのはわずか1日足らずで、ガスも水道も大丈夫だったから

ひもじい思いもトイレやお風呂を使えないといった苦労もほとんどなし。

これがワタシの3.11

 

今日の新聞で

まだ見つからない方が2561人もいると知った。

諦めきれずにまだ探し続ける人もいれば

区切りををつけるために死亡届を出した家族。

どちらも胸の内は例えようがないほど苦しいに違いない。

 

 

朝帰り24時間の勤務を終えて帰ってくるとーたんを

気配をいち早く察知して

ドアの前で待つそらうみ。

 

待ちくたびれたね。

 

最後は立っちゃった〜。

短足姉妹!

 

なんでもない当たり前の毎日が

一番幸せだとしみじみ感じた2016.3.11。

 

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6 コメント

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Unknown (むくまま)
2016-03-11 23:05:48
5年前の今日。
むぎもくるみもまだ我が家にはいませんでした。
わたしも旦那も父も仕事。
母は横浜にいっており、当時小学2年の息子は学校が終わったら留守番の日でした。
あの揺れ…頭の中は息子のことで一杯でした。(娘は保育園だったので安心でした)
幸いにもたまたまお友達と学校の図書室にいたので無事でした。
あの日で今までの生活が変わってしまった方々が沢山いますね。まだまだ復興がなかなか進まない地域もあります。色々な思いを馳せながら黙祷しました。
返信する
もう5年、まだ5年 (ハナオンマ)
2016-03-11 23:29:05
本当に日本列島が悲痛に満ちた日でしたね。
こうして平穏に毎日を送れることが
どんなに贅沢で幸せなのか!
文句を言わず感謝して平凡な日々に感謝しようね。

家族からすぐメールで無事連絡が届き
安否の心配はしませんでした。
東京に居た息子には無理に帰るなと伝えたわ。
子どもが小さかったらもっと不安だったでしょうね。

大きく揺れたけどひとつも落下物も無かったの。
停電も結局なく普通の毎日だったわ。
でも買いだめとかガソリンの列とか・・・
小売店勤務なので怖ろしい形相のお客さまの
対応が怖かったし、我先にって雰囲気が嫌だった
記憶があります。

そして福島産、東北産の食品不買に腹がたって!
意地でも福島産を買ってやるって思った。
野菜を全部九州から取り寄せるブロ友さんがいて
本当に悲しかったな。
返信する
少しの揺れで、テレビで知った恐ろしい出来事 (よたろうママ)
2016-03-12 09:10:41
おはよう(*^-^*)
あの日あの時会社で仕事中
こちらは離れていたので揺れも少なかったのだけど
駐車場に出て様子をみた
テレビをつけた時そこにはどこの世界の事かと
信じられない様な津波
ただただ茫然とニュースを数日見ていた
今日は少し冷たいけれど、穏やかな晴れ
ほんとなんでも無いいつもと同じの日々が一番幸せ
生きていられる事に感謝です(^^)/
返信する
日本に笑顔が戻る日が早いことを願います (doll49002004)
2016-03-12 12:33:45
あの日、あの時間は、歩くこともできず、ベッドの上でした。
電気は消えて、寒くて、このまま、どうにかなってしまうような心細さでしたね。普通の何でもないときは、結構、肝っ玉母さんなんですが、動けないときは、どうしようもなかったですね。蝋燭の火で、二日暮らしました。水も出なくて、トイレが大変でした。ようやく、電気がついてこんな、ことでも、とてもうれしかったです。ただ、テレビの映像であの津波の様子を見たら、ものすごい恐怖に襲われてこの世の地獄を見せられました。
あんなことは、二度とあってはなりませんし、また、今現在生きている、生かしていただいている人たちへの何らかの教訓と受け止めています。教訓というにはお亡くなりになってしまった方々が、何ともお気の毒で涙が渇く暇がありませんでした。来夢は、まだこの世に生まれていませんでした。自分の人生の中で、穏やかにばかりは暮らしていけないこともあるのが解りますが、普通の、何もない穏やかな世の中になってほしいものです。一日も早い復旧、復興がなされて日本の人々に笑顔が戻ることを願ってます。
返信する
Unknown (雪太郎)
2016-03-12 15:41:05
九州は全く揺れなかったから、テレビをつけていなかったら
夕方まで知らなかったと思うの。
津波の映像はいろんな場所のライブ映像が流されて、
本当に起きているとは思えないほどだったよ。
宮城の友人とは一週間近く連絡が取れなくて、心配した。
逆に被災地の方々は、停電でテレビがつかなくて、
どういうことになっているのかもわからなかったみたいね。
翌日は九州新幹線の開通日だったの。
福岡、熊本、鹿児島では、オープンイベントの準備をしていたのだけど
とてもそういう雰囲気ではないということで、全て中止になったよ。
くまモンも3月12日がお披露目でさ、毎年「くまモン誕生祭」なるものがあるのだけど
それを見聞きするたびに、震災を思い出す。
ある意味、遠くの地でも、震災の記憶を風化させないために
くまモンが役に立っているかもしれない。
忘れないこと、後世に伝えなければいけないこと、あるものね。
原発の怖さも、たった5年しか経っていないのに、
全国一番で川内原発が再稼働してしまって、なんともいえぬ気持ち。
これから、電力自由化で、どんな物で電力を作っているかによっても
選ぶことができるようになるといいな。
返信する
皆さんへ (そらうみかーたん)
2016-03-12 21:15:15
いつも楽しいコメントありがとうございます^^


むくままんへ
そっか、そうだよね。
むぎくるみちゃんはまだ生まれてないのよね。
お兄ちゃんもお姉ちゃんもまだ幼かったのよね。
子どもの成長を見ると、それだけの時間が流れたことを感じるけど
でも復興という言葉はまだまだ遠くて
もっともっと行政が力を入れないといけないと思うけど、なんだか違う方向へいってる気がするよ。


ハナオンマさんへ
オンマさんのところはどれくらいの震度だったんだっけ?
秋田は5くらいはあったけど、それでも何かが落ちたとか壊れたということはなかったし、幸いにも秋田では亡くなった方がいなかったのよ。

ほんとにね、家族それぞれでも
みんな元気に
普通に暮らせることに感謝だわね。

そうそう、秋田もガソリンや灯油が買えなくて
大変だった!
スタンドがずっと閉鎖されて、開いたとしても
何時間も並ばないといけなかったりで
車を使わないとどうしようもない田舎は苦労したわ。
こんな窮地では、自分のことしか考えられない自己中になる人が増えるのね。


よたろうママさんへ
そうらしいね。
ワタシたちもすぐに停電したから
津波のことを知ったのは翌日の午後。
番組はまったくやらなくなって
その映像が流れるニュースとACのコマーシャルだけだったね、すっかり飽きてしまったよ。


doll49002004さんへ
dollさん、入院でもしていたの?
それはまた不安な時間でしたね?

天災だから、人智の及ばぬこともあるし
これからもまた思いもせぬ災害が起こるかもだけど
個々の準備や対応ももちろん、行政にももっと頑張ってほしいね。


雪太郎さんへ
そっか、九州はまったく揺れなかったんだ。
そうよ、停電したから津波のことはまったく知らず
地震大変だったね、停電で暖房が困ったね。
ご飯も炊けない、お風呂は入れないわーと
自分たちの生活のことばっかり。
あんな大変なことになっていたとはね。

あぁ、あの翌日が九州新幹線とくまモンのデビューの日だったの?
しばらくはどんなイベントも中止か延期だったものね。
原発も…エコや省エネなんていう言葉も遠く感じるこのごろだね。
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