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実感。『教わる』ということ。

土曜日の午後。

ポストに一葉の葉書が届いていた。

それは、子供の頃からお世話になっている、眼科の先生からだった。
もしや、いよいよお仕事をお辞めになるというお知らせか?と固まる私。
先生は去年、確か「私も数えで八十ですから」とおっしゃっていたからだ。
でも、どうやらそうではないらしい。

はて?とさらに読み進めると、それは意外な内容だった。

「先日頂いたバレンタインのチョコレート、大変有難う存じました。昨日、○○をホワイトデー迄にお届け申しました・・・・・・。」

・・・・・・びっくり!
確かに、先生にチョコレートを差し上げました。
先月、診察に伺ったのがたまたまバレンタインデーの前日だったので、行きがけにデパートに寄り、毎年決まって自分用に買っているお気に入りのものを、せっかくだからと先生の分も購入して、お渡ししたのだ。

まさかこんな丁寧なお礼が来るとは・・・・・・。あっ、そうだ、先生にも!なんて気軽にお持ちしただけなのに。恐縮しきりである。先生からのお品が届いたら、お礼のお電話とお礼状を出さなくては!と背筋を伸ばしていたら、電話が鳴った。

なんと、電話の主はその先生ご本人からだった。
それは、品物が届く日に私が在宅かどうか、という確認のお電話だった。
あいにくホワイトデーは月曜日。私は仕事で不在なので、帰宅は夜になります、でも宅配業者は再配達してくれますから大丈夫です、とお伝えした。

ところが先生は、それはいけない、とそのあとすぐ、配達時間が夜になるように手配し直して下さったのだ。

もう嬉しいやら恐縮するやら申し訳ないやらで、私はすっかり混乱してしまった。先生にお礼を申し上げるのがやっと、という有り様。

ほんの思いつきのような気軽さでしたことだったので、先生のお気遣いにそれは驚いてしまったのだ。ましてや私など、お付き合いが長いとはいえ先生にとっては孫ほども年の離れている存在なのに、このように丁寧に気配りをして下さるなんて。

でも、先生の振舞い方に、日本人として本来あるべき姿を教わった気がした。
そしていかに自分が物を知らないか、というのが身にしみてわかってしまう。ただただ恥じ入って米粒のように小さくなってしまう自分がそこにいるだけだ。

昔は、ひとつの家庭にいろんな世代が暮らしていたから、生活の中で多様な場面に出くわして、身の置き方も自然と学べただろう。時代が流れた今はそれも難しくなっているけれど、先生のように素敵な心配りが出来る方を見習い、そういう姿を見る機会に恵まれることに感謝していきたいな、と思う。
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