興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

こころのびょうき #2

2022-03-27 | 戯言(たわごと、ざれごと)

(前回の続き)

昨日の夕方、久しぶりにこの病院の周りを二人で歩いていたら、彼は唐突に言った。

「こころのびょうきのびょういんはよるもやってるの?」

また始まった。彼なりに考えるところがあるのだろう。

「そうだね。この病院は24時間やってるよ」

「こころのびょうきはあしたもつづくの?」

「うーん、そうだねえ。心の病気はそんなすぐには治らないからね」

「こころのびょうきはなおらないの?」

「いや、そんな事はないよ。治るけど、時間が掛かる事があるんだ」

この後しばらく「なんで」の応答が続いた。「なんでひとはこころのびょうきになるの?」、「◯◯もこころのびょうきになるの?」などなど。

息子はとても元気な子だけれど、感受性が強く、最近はウクライナ情勢に影響されている。「ろしあぐんが、うくらいなをおそうのがこわい」、「ろしあぐん、なきながらたたかってるよね?」、などと言ったり、夜中に寝言で「◯◯、ろしあにいきたくない」、と言ったり、彼なりに「こころのびょうき」について考える事があるのかもしれない。

彼の「なんで」にいろいろ考えながら答えていて、ふいにある事を思い出した。なぜ忘れていたのか。

「そうだ、◯◯、パパ、言ってなかった事がある」

「なになに?」

「実はねパパ、人の心の病気、治せるんだよ」、

すると彼の表情は急にパッと明るくなり、

「え〜〜〜!!なおせないでしょう!?」

と歓喜に満ちた声で言った。これは彼が嬉しい時にする反応で、例えばおもちゃが壊れた時、「パパ、このおもちゃ、治せるよ」と言うと、「え〜〜!なおせないでしょう!?」と言う風に茶化してくるのだ。

「いや、本当だって。パパ、人の心の病気治せるんだよ。パパ、よくいろんな人とお話してるでしょ?お話しながらこころの病気治せちゃうんだよ」、

と説明したら、納得したようで、

「◯◯は、れいびょうで、こころのびょうきなおせちゃうよ!どうしましたか?はい、もうなおりましたって」

と楽しそうに、いつものように張り合ってきた。彼なら確かに0秒で人の心の病気を治せるかもしれない。

「そうなんだね、0秒でこころの病気治せちゃうなんてすごいね」

「すごいでしょう!」

こんな感じで話していたら気が済んだようで彼は別の話をしはじめた。

「心の病気」の話題はきっとまた出てくるだろう。

ナデシコジャパンの澤さんが娘さんにサッカーを教えるように、自分は息子に臨床心理学や精神医学を教えていく事になるのだろう。どうせなら、運命論的な論調じゃなくて、楽観的で楽しいものを教えていきたいなと、ふと思った。


こころのびょうき #1

2022-03-27 | 戯言(たわごと、ざれごと)

今から半年ほど前、地元にある県内最大規模の精神病院の周りを、息子と一緒に散歩していた。実はここは、彼が会うことのなかった彼の祖父がかつて院長をしていたところだ。

その病院の正面玄関の前を通り過ぎた時、息子が言った。

「ここはなんのびょういん?」

刹那の逡巡。何て答えようか。一秒ぐらい間を置いて、

「うん、そうだね、ここはいろんな人が来る病院だよ」

と答えた。なんとなくこの会話を早く終わらせたいと思っている自分に気づいた。どうしてだろう。すると息子は、

「ここは◯◯もくるの?」

と、とても素朴に言うので自分はますます困りつつ、

「いや、◯◯は来ないよ」

と答えた。

いつか息子にゆっくりとメンタルヘルスや臨床心理学について教えていこうと思っていたけど、その心の準備がまだできていなかった自分に気づいた。

しかし息子の好奇心は強まるばかりで、

「どういうひとがくるの?」

と、より具体的に尋ねてきた。

ここで再び刹那の逡巡。3歳になったばかりの息子に適切で誠実な回答はなんだろう?しっくりいく結論が出ないまま、

「うん、ここは心の病気になってしまった人が来るんだよ」

と答えた。「心の病気」という表現はあまり好きではないけれど、3歳児には分かりやすいかなと思った。すると彼は、

「◯◯もこころがおれることがあるの?」

と、再びとても素朴に言った。

ここでまたはっとする思いがした。3歳の息子は既に私の話をよく理解している。そして、ずっと先だと思っていたメンタルヘルスについての彼との対話のタイミングが突然訪れたのだ。

それにしても「こころが折れる」という言い回しはどこで覚えたのか。

「そうだね。◯◯も心が折れる事はあるかもしれない。でもね、◯◯にはいつでもパパとママがついているから大丈夫だよ。すぐに元気になるよ」

と答えた。すると彼は安心した様子を見せた。

(続く)


2022-03-25 | 戯言(たわごと、ざれごと)
昼下がりに息子と散歩をしていたら、道端に鮮やかなピンク色の草花が咲いているのを見つけた。

「見て見て!綺麗なお花!」

と彼の注意を喚起すると、

「ほんとうだ!きれいなおはな!これ、さくらだよ!」

と言うので、「え、これ桜なの?」

と聞くと、彼は自信たっぷりに、

「うん、さくらだよ!」

と答えた。

息子は花の種類は結構知っていて、梅と桜の違いも分かるので、地面に生えている草花を桜と言ったのがちょっと意外だった。

「桜かなあ。ちょっと調べてみよう」

と、すかさずグーグルレンズを使って調べてみたら、『シバザクラ』と出てきた。

「あ、確かに!『シバザクラ』、桜といえば桜なんだね」、

と言ったら、彼は、

「でしょう!◯◯、しってた!」と得意げに言って、目的地の和菓子屋に向かって走っていった。






横浜カウンセリング 3月20日(日) 空席状況

2022-03-08 | 横浜出張カウンセリング
皆さんこんにちは!

日増しに春を感じる今日この頃ですね。

さて、今月3月20日(日)の横浜カウンセリングの空席状況についてのお知らせです。

現在以下の1枠が空いております:

1) 14:30〜15:20

2) 15:30〜16:20

ご希望の方は、drtakakurokawa@gmail.comまでお気軽にご連絡ください。

よろしくお願い致します。

黒川

桃の節句とクリスマスツリー

2022-03-06 | 戯言(たわごと、ざれごと)

 我が家は息子の強い要望で、3月に入ってもクリスマスツリーが飾られていた。

 先月の頭ぐらいだったか、妻が息子と「春になったらクリスマスツリー片付けようね」と約束していた。

 確か桃の節句の夕暮れ時、リビングルームのシャッターを閉めるときに、薄暗がりの窓にはイルミネーションの灯ったクリスマスツリーが映っていて、一瞬今が何月か分からなくなるような不思議な感覚がした。

 いっそ、一年中クリスマスツリーが飾ってあるのも悪くないんじゃないかと自分を説得し始めている頃だった。クリスマスは好きな季節だし、毎日がクリスマスの家庭があったっていいのではないかと。しかしそれでは5月人形も出せないし、どうしたものかなと、考えあぐねていた。

 ところが一昨日、3月4日、在宅の仕事が終わって一階に降りると、クリスマスツリーからイルミネーションやオーナメントが外されてかごの中に仕舞われていた。遂にふたりの間に春が来たのだなと思った。クリスマスツリー、あとで解体してしまっておいてね、と妻に言われて同意した。

 その夜、家族で義母とビデオ通話で話している時、義母の後ろに雛段があるのを見つけた息子がすかさず言った。

「ばあば!ひなまつりおわったのに、なんでおひなさまがかざってあるの?」と。

「あら、〇〇ちゃん、よく見つけたわね。お雛様はね、ひな祭りが終わってなるべく早い吉日にしまうのよ。明日が大安だから、明日しまおうと思ってるのよ」と。

 今から思うと、息子自身、季節外れのクリスマスツリーを片付ける心の準備ができたから、桃の節句を過ぎた雛段が気になったのだろう。

 自分はその時、義母のそんなたたずまいになんだか感銘を受けた。彼女はそうやってこれまでもずっと伝統行事や風習に敏感に、いろいろなことを考えながら丁寧な暮らしをしてきたのだろう。

 なんだか自分も大安の日にクリスマスツリーを片付けたくなって、昨日はクリスマスツリーの解体を見送って、本日息子と一緒に片付けた。

 なんだかすごい満足感。