興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

自然体って?

2021-05-01 | プチ精神分析学/精神力動学

近年よく「自然体」の自分とか自分らしさという語彙を見聞きします。


自己啓発系の本やSNSなどでもこの語彙はキーワードのひとつとなっています。


それでは「自然体」ってなんでしょう?


それが大事な事、そうあれたら良い事は、多くの方が感覚的には理解できるものだと思います。


書かれている事、言っている事はよく分かると。


そして同時に、あまりも多くの人が、それでも自然体になれずに苦しんでいます。


この分野は熱心なライフコーチや心理カウンセラーが相当数おられ、とても具体的なノウハウを語られている方は少なくないですし、読者やフォロワーは、その通りに行動してみますが、実際にはなかなか「自然体」になれません。


ちなみにこれは、自己評価とか自己肯定感とか自尊心の高め方というトピックにもそのまま当てはまります。


「その類いの本は片っ端から読みましたけど、変わらないですねー」。


という声をとてもよく聞きます。


毎回ですが、またちょっと話が横道に逸れましたね。「自然体」のお話でした。


自然体の自分でいられない、という人が多い一方、自分が自然体でいると思い込んでいる、自然体を他の何かと取り違えている人も相当数います。


例えば、「これが俺のやり方だ」、「これが私なんだからしょうがない」、などと言って、異様に不親切であったり、協調性が著しく欠けていたり、偏屈で意地悪な人がいます。極端に露悪的だったり無駄に毒舌だったりする人もいます。


「自然体」と「自己中心的に振る舞う」事を履き違えてしまっている人たちです。それが格好いいと思っていたり、それがあるべき姿だと思い込んでいたり。自分の悪い部分、まずい部分を全面に出すのが自然体だと思っている人たちです。


しかしこうした人たちがこのようになるまでにはそれ相当の事情がありとても長い経歴があるので、それ以前の事は忘れている事が多く、本人も周りもその人が初めからそういう人だと思いがちです。


これはPTSD、特に複雑性PTSD、発達性PTSDと呼ばれる、深刻な問題のある家庭環境で繰り返される有害な親子関係の中でできる精神疾患に罹っている人たちにも言える事です。


とても長い間PTSDに罹ったまま生きていると、自分はもともとこうだったのだと思いがちですですし、周りの人も、特にその人がPTSDに罹った後で出会った人達は、その人がもともとそうだった、性格的なものだと思ってしまう事が多いです。


しかし実際には、その人がPTSDに掛かる前の状態というものが存在します。


複雑性PTSDほど深刻ではなくても、たとえば小学校低学年ぐらいまではすごく元気な子だったのに、中学年、高学年ぐらいから元気がなくなってそのまま大きくなっていった人たちは少なくありません。


このように、本人も周りも「性格だから」と思っている状態が実はそうではない、というケースは多々存在します。その前の自分が昔過ぎて思い出せず、現在の状態を元にして「自分らしさ」、「自然体」を追求するわけですが、その前提である土台に問題があるため、変化は表層的になりがちで、なかなか根本的かつ大きな変化は望めません。


長い事サイコセラピーを行っているなかで、こうした人たちが部分的に元気だった昔の自分を取り戻すケースは少なくないですし、PTSDに関しては、その治癒や寛解によって別人のようにイキイキとしてきます。すっかり忘れていた、トラウマ的出来事以前の自分を思い出します。


このように見ていくと、本当の意味での自然体の感覚や境地にたどり着くのは実はそんなに簡単な事ではなく、ある程度腰を据えて本格的に自分と向き合う必要がある事が分かります。


必ずしもサイコセラピーが答えではありません。しかしいずれにしても、自然体になるためには、自分がかつて自然体だった頃を思い出す必要がありますし、そこから自分の人生に何が起きて、どんな影響を受けて、自分が変わっていったのか、よく調べて理解を深めていく必要があります。それは数年前かもしれないし、あなたが子供の頃だったかもしれません。