興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

ドラマ『知ってるワイフ』〜投影と放棄した自己

2021-02-22 | プチ精神分析学/精神力動学

(若干のネタバレあり)


ひょんな事から『知ってるワイフ』というドラマを見るようになり、精神分析学的にもカップルセラピスト的にも面白くて毎週楽しみにしています。


これはおそらく私を含めた多くの人にとって、多かれ少なかれ身につまされる内容だと思います。


設定は超現実的(非現実的)なのですが、同時に超現実的(極めて現実的)で、よく作り込まれた人間関係のリアリティがすごいです。役者さん達の演技も素晴らしいですね。


元春という他責性の強い男性が妻との関係性にうんざりして過去に戻って別の人と結婚してしまうわけですが、最初は「夢が叶った」ような新婚生活も、彼の自己中心性や妻に対する共感性の低さ、思いやりのなさでどんどん悪化していきます。


一度目の結婚から何も学んでいない彼は、呆れるほどに前回と同じ問題で現世の妻との関係性を壊していきます。無自覚に、無意識的に。


ここで面白いのは、元春が次に選んだ妻沙也佳は元春に負けず劣らず自己愛的で自己中心的な人で、元春が前妻を傷つけたのと全く同じ形で元春を傷つけてきます。因果応報的に。


そして元春と沙也佳は大喧嘩をしますが、その時に元春が沙也佳を非難する内容が圧巻で、これはほとんど元春の自己紹介、自分自身の問題を沙也佳の中に見ています。


これは非常に分かりやすい「投影」という私達人間の心の機制の表れで、元春は彼自身の受け入れ難い性質を自分から切り離して相手に投げ入れて映し出しています。


自分の中の好ましくない性質、見たくない、受け入れられない性質と向き合って内省して、折り合いをつけて自分のものとして受け入れていく事で人は変われるし成長できますが、それにはそれなりの人格的成熟が必要です。


なぜならそのプロセスにはそれ相当の精神的苦痛が伴うからです。


自己愛の強い未熟な人たちにはそれが耐え難く、それは自分の問題だと自覚して自責を経験する代わりに、これは自分じゃなくて相手の問題だと錯覚して他責に走ります。


その方がずっと楽だからです。


トランプが、2020年の大統領選で、敗戦を恐れるあまり、郵便局を弱体化させたり、州知事達に圧力を掛けたり、ありとあらゆる不正をしながら、「民主党によるかつてない不正選挙が行われている」と主張したのもこの好例です。


ちなみにこの放棄した部分の自分自身を専門的にはdisowned self(放棄した自己)と呼びます。沙也佳は元春にとって、自分自身の受け入れ難い部分を肩代わりしてくれる「放棄した自己」なのです。


同時に、沙也佳にとっても、元春は放棄した自己です。2人はある意味そっくりです。


互いに罵り合い非難し合うカップルは、往々にして、相手の中に放棄した自己を見ています。


人間の人格的成熟は、自分の問題を自覚して向き合って折り合いをつけていく過程によって起こりますが、未熟な人格の人達は他責を繰り返すので、その過程の機会をいつまで経っても経験できないという悪循環は、皮肉なものです。


ただ、このドラマは元春の成長の物語でもあり、彼は分かりは遅いものの、少しずつ自分の問題や過ちに気づいて反省し、内省力をつけて、行動修正をしていきます。


元春はどうしようもない人ですが、不思議と憎めないキャラクターです。それはきっと、私を含めて多くの視聴者が、元春の中に、それぞれの「放棄した自己」を見ているからかもしれません。


とても興味深いのは、「このドラマを夫婦で見ていて、毎回見終わった後に夫が妙に優しくなる」とか、「夫に優しくなれる」という声がネットで見受けられる事です。すごく嫌ですけど、私にも元春のようなところはあるし、毎回「うわあ、何やっちゃってんの?」と見ていて居た堪れない気持ちになります。それでいて目が離せない。登場人物全員を応援したい気持ちになります。今後の展開が楽しみです。




変動する自己愛2

2021-02-21 | プチ精神分析学/精神力動学

大変お待たせ致しました。本当に時間が経つのが早いですね。

前回は、コフートの提唱した健全な自己愛、つまり、人間が生活の営みの中で幸せに生きていくために必要であり適切なレベルでの自分を大事に思う気持ち、自分に重きを置く心性についてお話したところで終わりました。

このように、現代の精神分析学では「健全な自己愛」が人間の営みに必要なものであると認識されていますが、それでは「健全な自己愛」とはどのようなものでしょう?

自己愛の程度や質については具体的な描写が分かりやすいので以下に2つのケースを出して考えてみたいと思います。

ケース1: ある3歳児の父親である営業職の男性がいます。この方は元々お洒落な方でしたが、子供が生まれてから同じく会社員の妻との家事育児の共同作業で忙殺され、なかなか自分の時間が作れない日々が続いています。子供が生まれてから、それまで住んでいたマンションが手狭になり、戸建てを購入し、車もワゴン車に変えました。そんな感じで経済的にもあまり余裕がありません。しかし仕事柄お客様など人と会う機会が多く、最低限の身だしなみを保つ必要もあり、美容院に行きたいとは思うのですが、その度に、「美容院にいく時間があったらその時間を子供と過ごしてあげたい。妻にも時間を作ってあげられるはずだ」、「美容院に行くお金で子供に何か買ってあげたい」、「そのお金を家族みんなで使いたい」、などの考えが頭をもたげてきます。今までは月一ぐらいで行っていた美容院も気づいたら3ヶ月ほど行けずにいて、「ワイルドヘア」の限界に達した4か月目でさすがに限界が来て美容院へ行きました。

ケース2: ある3歳児の父親である営業職の男性がいます。現在同じ部署の後輩と不倫関係にあります。彼は容姿に自信があり、また、モテたいので身だしなみは常に「完璧」に保っています。しかし表向きは、「職業上必要な自己投資」です。美容院は月一で行き、毎日3時間ジムで鍛えています。毎朝のジョギングも欠かせません。食事は高タンパクのものを同じく正社員の妻に作ってもらっています。子供はかわいいけどお世話は煩わしいので妻に任せています。自分の方が稼いでいて家にお金を入れているので「役割分担」と割り切っています。寝室は別です。8時間は熟睡しないと仕事に支障が出るので。出産後何故か妻の機嫌が悪く面白くないのでなるべく外にいます。「俺がこんなに頑張って働いているのに感謝が足りない」と愛人に愚痴る日々です。妻は時短勤務で時間があるはずなのに、何が不満なのか理解できません。自分の時間が欲しいとか言いますが、甘えとしか思えません。

さて、同じように3歳児の父親で職種が同様でも、この2人の様子はかなり異なったものですね。

前者の方は、いわゆる「健全な自己愛」の持ち主であるのに対し、後者の方は、自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害、Narcissistic Personality Disorder, NPD)という、自己愛が病的に強い方です。有名なところでは、ドナルド・トランプがそうであると専門家の間では一定のコンセンサスがあります。ちなみに彼は「悪性自己愛」(malignant narcissism)という病理を持ち、自己愛性パーソナリティ障害でもかなり重篤な部類の人であると言われています。

自己愛性パーソナリティ障害とは、誇大性、共感の欠如、過度な賞賛欲求などの広範な様式です。

自己愛が強すぎるあまり、自分が重要であるという誇大な感覚を持ち、自己中心性が顕著で、共感性を欠き、選民意識など、自分が特別な存在であるという感覚があり、特権意識があり、ゆえに対人関係で相手を不当に利用する(搾取的でケチで貪欲)、尊大で傲慢な態度や行動といった特徴がみられます。

今回の話題は「健全な自己愛」の話であり、自己愛性人格障害についての細術は別の機会に譲りたいと思いますが、健全な自己愛と病的な自己愛の違いについては感覚的にご理解いただけたかと思います。

ちなみに前者のケースですが、後者のとの対比を分かりやすくするために、意図的にやや低めの自己愛に設定して書きました。いささかセルフケアの点で気になる点があります。例えば、美容院の予約ですが、「必ず埋め合わせをするから」と妻に約束して、もう少し割り切って、2ヶ月ぐらいで行っていても良かったかもしれません。

さて、ようやく本題に入ります。

ここまで、自己愛の質やレベルには大きな個人差があることについてお話しました。

ここで興味深いのは、ひとりの人間における自己愛の質やレベルには上限があるのもの、その範囲内において、その人の置かれた状況や精神状態によって、自己愛の質やレベルは変動するということです。

基本的に、人は精神的に追い詰められていて余裕がない時に、自己愛は強くなります。

その結果として、防衛的で、保身に走りがちになります。

普段はそうでない人でも、その時は精神的に不安定なので、自分の正当性を主張するために声を荒げたり、相手を攻撃してしまうかもしれません。

精神的に退行していて、いわばその人の「ワースト」な状態です。

こういう時に夫婦やカップルが破壊的な喧嘩をします。

ドラマ『知ってるワイフ』の広瀬アリスさんが恐妻になってしまったのは、彼女の基本的な自己愛が強かったからではなく、身勝手で自己中心的で共感性が低く思いやりのない夫によって徹底的に傷つけられて追い込まれてしまったからだと、その後の展開から分かります。彼女はむしろ、優しくて共感的で思いやりがあって、人望も厚く、セルフケアもできていて、「健全な自己愛」の持ち主です。

さて、ちょっと話が脱線しましたが、カップルが喧嘩する時のよくある皮肉は、この二人が喧嘩するタイミングは、二人が分かりあえる可能性が一番低い時であり、互いに傷つけあう可能性が一番高い時であるということです。

カップルは往々にして、最も議論を避けるべきタイミングで議論をします。

間違ったタイミングで行われた議論は間違った方向にヒートアップしていきます。

ふたりは同じページの上にいませんし、互いに理解してもらえない感が募っていき、声は大きくなり、言葉は過激になっていきます。そして絶対に言うべきでないことを思わず口走ってしまったりします。

とても悲しいことに、こうした破壊的な喧嘩が慢性化して別れてしまうカップルは本当に多いです。

さて、やっと今回本当に書きたいことが書けます。

カップルが喧嘩をすること自体は悪いことではありません。

ただ、喧嘩には、大きく分けて2種類の喧嘩があります。

互いに大きく傷つけあうことなく、相互理解が深まる、建設的な喧嘩と、人間関係に大きなダメージを与える、破壊的な喧嘩です。

今回問題にしている、避けるべき喧嘩は、当然後者です。

それではどうすれば、破壊的な喧嘩を避けられるのでしょう?

破壊的な喧嘩が始まってしまうことは、不可避な場合があります。

この場合、大事なのは、やり取りが破壊的になってきたことに、互いになるべく早く気付けることです。

そのためには、やはり自分自身のこころの状態をある程度客観的に見られる必要があります。

ここでは、自分の自己愛が強くなってきていることを自覚することです。

自己愛が強くなっているサインとしては、強い怒りを感じている、理解されていないと感じている、誤解されていると感じている、心外な気持ちである、自分の立場を強く主張したい、防衛的になっている、羞恥心を感じる、侮辱された気持ち、悲しい、怖い、寂しい、軽んじられた気持ち、敬意が欠けていると感じる、といった思想や感情、感覚です。

ここに挙げた要素が多ければ多いほど、あなたの中で、自己愛が強くなっています。

これは相手の自己愛についても同じことです。

こうした要素を相手に感じたら、それはやはり、相手の精神状態が悪く、自己愛が強くなっていることの表れです。

あるいはあなたが自分自身の自己愛を相手に投影しているのかもしれません。

いずれにしても、こうしたサインを自覚したら、とりあえずお互いに距離を取って頭を冷やしましょう。

大事な話だけれど、今は話し合うタイミングとしては良くないから、お互いにもう少し冷静になったら話そう、と伝えて、セルフケアをしたり、気分転換をしましょう。

お互いにある程度冷静になれるまでこの話は保留ですが、あまり先延ばしにしないで別のタイミングで話し合いましょう。

互いに愛し合っていて、大事に思っている者同士が、間違ったタイミングで話し合い続けて関係性を不可逆的にこじらせて別れてしまうのは本当に悲しくて残念なことですから。