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平成天皇、皇后さまに学び、初めて千鳥ヶ淵戦没者墓苑へでかけてきた

2018-08-31 14:37:56 | 紫金草
平成天皇、皇后さまに学び、
私は初めて千鳥ヶ淵戦没者墓苑へでかけてきた。

シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いは13時からはじまった。

この集いに
抑留者だった方が4人も参列されておられた。

ご高齢であることはもうすまでもないが、
自分たちは
戦後
シベリアへ拉致された
シベリアで重労働につかされて仲間は死んだ者が多い

この抑留での犠牲者は、「戦没」ではないのです、
といわれたことが
ぐさっと、私の胸を刺した。

はじめて千鳥ヶ淵戦没墓苑を訪れて
根本的な命題がだされたとおもった。


戦没ではない、と主張されるシベリア帰りの人々の声。
亡くなったひとたちの声なき声も代表されてのさけびとおもった。

聴いた話ではあの有名なとっとちゃんこと黒柳徹子さんのご尊父さまもシベリアかえりだったそうな。
白樺合唱団の創設者北川氏もシベリア抑留者であり、それでロシア民謡を主に歌う合唱団をたちあげたらしい。

シベリアでどんな扱いをされて死んでいったのか、
仲間をおもうとき、
われらは戦没者ではないと
政府に申し入れ

日本国主催で
追悼式をとりおこなってほしいと、要望してきたのであったか。

ところが
政府の回答は
天皇陛下御臨席で
戦没者の追悼式は毎年おこなっているので、
シベリア・モンゴルで亡くなった人たちの追悼式を特別にはやりません・・・
との回答らしい。

平成30年の8月23日のシベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いに
出席の元抑留者は
終戦後、拉致されてシベリアで亡くなったのですから、
戦没者扱いにしないでほしい、
の声は
私にはまっとうな声、とおもった。

今年の集いに、自由民主党の議員をはじめ各党の先生方が参列しておられた。
日本共産党の議員は抑留の原因など、調査をしてゆくべく要求してゆく、公明党さんともともに追究してゆくと、覚悟が表明された。
追悼式で、公明党さんともともにシベリア抑留者のこと、しらべて二度とおこさせない、と挨拶されたことはよいとおもった。

国会で対立していようとも、
手をくめるところではドンドン、共闘していってほしいと感じた。
追悼式のあと、祈念コンサートに出席した。いきいきプラザ一番町地下・カスケードホールである。
収穫は大きかった。
シベリア抑留者のアコーデオンの演奏があったのです。たしか新関省二さんであった。さらにすごいことは、神奈川大学混声合唱団クール・アンジェ(指揮:岩切佳苗さま)の出演。合宿までして第一回の祈念コンサートに出演されたのであった。感謝、感謝です。
アコの音色をきいておって、黒柳さんのご尊父のことおもったりしていました。
独唱された古川精一さまが、コンサートをやろうよ、といいだされたのかな、とおもって
すばらしいうたごえを聞きました。
シベリア抑留二世の古川さん
ありがとうございました。




上田市の長野県立上田高校と赤松小三郎翁

2018-08-16 08:13:34 | 日記
上田市の長野県立上田高校と赤松小三郎翁

私は
初めて上田市を訪れて
お城のなかに
上田高等学校があったことにおどろいた。

素晴らし環境のところに高校があったからだ。

写真におさめてきたので、張り付けておく。

この写真をとったときは


赤松小三郎翁のお名前もしらなかった。

この赤松翁を
知っておれば、せめて小三郎の生まれた木町というところを訪ねただろうに。
残念である。
市内を
散策をしていて
しだれの桑の木があったことが物珍しいことであった。
なるほど蚕都といわれるだけあって、
枝垂れの桑もあるわけだ。

『赤松小三郎ともうひとつの明治維新』の
著者
関良基さんに感謝する

さらには
郷土の生んだたちに赤松小三郎を研究し顕彰している上田高校の生徒さん、上田市の郷土史家さんたちに感謝する。

もともっと、
世の人たちにしってもらいたいものです。
私は
坂本龍馬記念館も訪ねているが、
上田市に赤松小三郎あり、ではありませんか・・・

昨日の73回の終戦記念日を迎えて、
さらに
赤松小三郎の理想をおもったのでした。


周防大島町の2歳児発見、終戦の日にうれしいニュースだ。いのちの尊さをかみしめた

2018-08-15 21:33:05 | 日記
周防大島町の2歳児発見、日本国終戦の日に
うれしいニュースがとびこんできた。

いのちの尊さをかみしめた日となった。

いのちの尊さをかみしめた日となれた。

わたくしは、
3日も行方不明では
神隠しにでもあって

あきらめかけていたのです。
そして、男の子のおじいさんが悪いといってもいた。

よっちゃんのおじいさんは
二歳の子に
ひとりで帰らせるなんてことをしたからだ、と。

わるいじいさまだなあ、と
家族にも話していたのです。

なんと、あきらめずに大分から周防の大島へかけつけたひとがいた。
尾畠春夫さんである。
ボランテアで捜索にかけつけられた。

捜索開始30分で発見してくださった尾畠さん。
尾畠さんは
こどもの習性は上へ上へと登る習性があり、それで上を探したとのことであった。
すげい78歳のボランテアさまだ。
東日本震災のときもボランテアでかけつけられておられた。
すごいお人である。

春夫さん、
ぼうやのいのちをすくってくれて
ありがとうございます。

こんなうれしい日はない。
それも終戦の日に、全国民が反省しているときに、鎮魂でかなしんでいるときに
うれしいニュースでした。

周防大島といえば
幕末の徳川政権が長州征伐でせめいったところだったと記憶する。
大島うまれの世良修蔵はその成敗軍をやっつけたところでもある。

明治維新150年の今年、よくぞ大島にスポットライトをあててくれたことよ。
わたくし、録画しておいた
NHK BSの『鳴門第九 歌声がつなぐ日独の100年』を今月、三日ほど前に鑑賞したばかりです。感動ものであった。
第九は坂東俘虜収容所所長の松江さんのはたした役割は大とおもった。

松江所長は会津藩ゆかりのおひとだった。参謀の世良修蔵は会津を攻めろと仙台藩主や奥羽の諸藩に口汚くはっぱをかけたとつたえられるが、
その口汚いことが態度が暗殺される原因こなったわけだが、世良にとってはねらい通りに会津藩は武力で征伐されたわけで・・・。
会津は僻地の斗南へ島ながしになった。そのときの苦労はさきほどの登場した松江所長の人間形成に影響を与えておって、
捕虜も人間扱いする英断につながり、一〇〇年後のこんにちでも第九がうたわれることの礎となったのだったのだ。

周防大島町出身の世良修蔵がおらなかったならば、会津はあれほどまでに攻められることもなかったのかも・・・と想い出して大島町のニュースを聞いた。

きょうは
よっちゃんが無事たすけだされた日
いのちの重みをかみしめさせられた一日となった。

いのちが
たすかることは
なんとうれしいことではないか。

平成天皇のおことばの
深い反省を、
かみしめつつ

二度と戦争のない世の中であってほしいといのった
球児と共にいのた日でした。

102歳で終戦
式典参列のおばあさまのお声は
こころにひびきました。
戦争はいやだあ・・・













安倍首相を痛烈批判して石破氏 自民総裁選出馬

2018-08-11 07:50:56 | 日記
安倍首相を痛烈批判して石破氏 自民総裁選出馬
石破さんは

出馬宣言で

正直、公正の旗を掲げられた。

私は思う
政治的立場が
ミギであろと
ヒダリであろうと

国民に誠実な政治家が首相になってほしいものです。

安倍政治は
忖度政治を助長してこなかったか?

国民にうそをついてきたのではなかったか?

それらが
絶対多数をにぎる国会で
横行してはいなかったか?

日本丸は
沈みかける船にさせられているのでは・・・・と心配は募る。

幕末に日本の行く末を心配し建白書を徳川将軍や薩摩の島津久光候、越前の松平春嶽候、土佐の山内容堂候などに提出した上田藩藩士・赤松小三郎がおられた
ことを
関良基著『赤松小三郎ともう一つの明治維新』で知った。

赤松小三郎翁は
「天幕御合体、諸藩一和」の国体を構想しておられた。つまり徳川幕府体制でなく立憲主義の政治を目指しておられた。

2院制の議政局(議会)をもうけ議政局が最高権力機関の創設を考えておった。

維新後に成立した明治憲法では、天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス、で、国民には主権はなかったかのではないか。

この明治憲法の大欠点は、
のちのと災いをもたらすことのなったのではなかったか。

赤松翁の建白書は現代の平和憲法精神と似ているといえるのではないだろうか。

赤松小三郎翁の提案する議政局に選ばれる人は
徳がなければならない、道理にかなう人でなければならない、
公平でなければならない・・・と書かれておるとのことだ。

150年も前に
赤松さんが考えておられた日本のあるべき議会、議政局であったのです。


安倍さんは
徳がおあり、と自負できますか?
国民に正直者ですと
目をあわせていえますでしょうか。

石破さんのいのいがけの立候補に拍手をおくります。


沖縄県 翁長雄志知事のご冥福をおいのりする。

2018-08-09 05:30:20 | 日記

 沖縄県民の
 安心
 安全
を先頭に立って
日本の中央政府に訴えってこられた沖縄県知事

翁長雄志さんである

亡くなられた。

私は夜9時にnhkニュースで知り、無念におもった。

翁長雄志知事のご冥福をおいのりする。

膵臓癌でありながら
県民の利益を守ろうと「反基地」を訴え続けておられた知事。

辺野古にアメリカの軍事基地を作らせない、と訴えておられた知事。

翁長雄志知事の遺志を

県民の皆様は

忘れることはないでしょう

本土の
私たちも忘れることはありません。

北朝鮮が

トランプアメリカ大統領と約束しあったこと

朝鮮半島の非核化
そのことを
進めてゆくと
沖縄のアメリカ軍事基地のあるいようも
変わらざるを得なくなるのです
基地を
新たに
つくることも

なくなることになりましょう


翁長雄志知事のご遺志は
その意味でも
東アジアの平和に貢献することであったのではないでしょうか

沖縄県民の
安全安心のため
先頭で奮闘された県知事 翁長雄志さま

ありがとうございました
ありがとうございました

ご冥福を
衷心からお祈りします。