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政治学者である篠田英朗氏の見当違いの「ガラパゴス憲法学」批判1 八月革命説は別に荒唐無稽な説ではない その2

2019-12-03 09:08:37 | 政治・社会問題
続きです。
こちらで引用した篠田英朗氏の「八月革命説」批判の文と、谷田川惣氏による南出喜久治氏の「憲法無効論」批判の文を意図的に合成してみました。


(篠田氏の文)

日本の憲法学のガラパゴス的な性格を決定づけたのは、宮沢俊義(編集部注:1934~1959年、東京帝国大学法学部教授、憲法学第一講座担当)の「八月革命」説であろう。「八月革命」とは、日本がポツダム宣言を受諾した際に、「天皇が神意にもとづいて日本を統治する」天皇制の「神権主義」から「国民主権主義」への転換という「根本建前」の変転としての「革命」が起こったという説である(注1)。この「革命」があったからこそ、日本国憲法の樹立が可能になったという。

かなり荒唐無稽な学説である。敗戦の決断であったポツダム宣言受諾を、革命の成就と読み替えるのは、空想の産物でしかないことは言うまでもない。国際的に全く通用しない学説であるばかりではない。日本国内ですら、かなり特殊な社会集団の中でしか通用しない学説だろう。

宮沢は、「法律学的意味における革命」が起こったという説明が、日本国憲法成立の法理のために必要だ、と主張し続けた(注2)。しかしその宮沢自身ですら、ポツダム宣言によって「日本の政治は……国民主権がその建前とされることとなった」とするだけで、「国民」がどのような「革命」を起こしたのかを説明することはしなかった(注3)。


(谷田川氏の文を、氏に断りなく、あえてshpfiveが編集したものであることをお断りしておきます)

八月革命説というのは、

現在のわが国における憲法学の“圧倒的通説”となっています。

自著『憲法学の病』の中で篠田英朗氏は八月革命説について、

「かなり荒唐無稽な学説である。敗戦の決断であったポツダム宣言受諾を、革命の成就と読み替えるのは、空想の産物でしかないことは言うまでもない。国際的に全く通用しない学説であるばかりではない。日本国内ですら、かなり特殊な社会集団の中でしか通用しない学説だろう」と述べています。

これは“革命”という言葉に目を奪われて、

八月革命説の正確な意味を理解していないことを表しているのです。

改正の限界を超えた場合、新たな性質の憲法に生まれ変わり、

旧憲法と新憲法との法的断絶が起こることを、“法的な革命”と表現しただけであって、

八月革命説の生みの親である宮沢俊義は、

もちろん本当に革命が起こったなどと説明しているわけではありません。

たまたま日本ではGHQによる占領中にそれが実現したので

「八月革命説」という表現を使っただけで

GHQによる占領状態にあったかどうかに関係なく、

憲法改正の限界を超えた改正は、改正ではなく、

改正前の憲法と関係のない新しい憲法の制定とみなすといっているのです。

最近の、憲法学者は「八月革命説」という用語はほとんど使用していませんが、

改正の限界を超えた憲法改正は、法学論的には改正ではなく

旧憲法の廃棄と同時に行われた新憲法の制定とみなす、という考えは通説になっています。

大学生が使う憲法学の入門テキストの99%はそのように書かれているのです。


谷田川氏の意図として、全く異なる方の主張を批判した文章であるのにもかかわらず、結果として

篠田氏の「八月革命説批判」に対する、憲法学をきちんと学んだものからの、これ以上ないくらい適切な反論になっていることに、あらためて驚かされます。
(なお谷田川氏による南出喜久治氏の「憲法無効論」批判については本題ではありませんので、ここでは立ち入りません)

個人的には、篠田氏が政治学者としての立場から、既存の「憲法学」を批判したい気持ちもわからなくはないのですが

批判する以上は、その分野について、少なくとも専門に学んだ人を説得できるだけの内容あるものとしなければ、結果としては第三者に「トンデモ」と批判されても仕方ないという、まさにその実例となってしまったように思います。

さて、篠田氏は『憲法学の病』のP236で、次のように述べています。

葬り去られたのは、国際主義の性格を持つ憲法論だった。「八月革命」によって、アメリカの影も封印された。憲法学通説が描き出す憲法は、日本国民の虚構の自作自演の「決断」、「革命」の芝居を通じて、閉ざされた法理の世界に生きていくものとなった。


篠田氏は「国際主義の性格を持つ憲法論」と表現していますが、それは一体どのような「憲法論」なのでしょうか?

既存の「通説」とされる「八月革命説」を否定する

それは、まあ、いいでしょう。

しかし、その「革命」という「単なる言葉」に惑わされて、本質を見失った批判をしても、良識ある人たちはついてきません。

八月革命説というのは、要するに

「ポツダム宣言」にある

十二、前記諸目的カ達成セラレ且

日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立

セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ

「日本国民の自由に表明された意思」により政体を決める

を受諾したことにより

「日本の政治についての最終的な権威が国民の意思にある」

ということが認められた、という前提に基づき


日本国民に「自国の将来についての最終的な決定権がある」ということを前提に

ポツダム宣言を受諾したと同時に、我が国に法学的意味でいう「革命」(正当な法的手続を経ずに主権者が代わり)が結果的になされ、天皇主権から国民主権に変わったという理論なわけです。
(細かな議論は省略します)

「日本国憲法」は、この法学的意味でいう「八月革命」によって新たに主権者となった日本国民の代表として

1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議が行われるより前、1946年4月10日、女性の選挙権を認めた新選挙法のもとで衆議院総選挙が実施され、20歳以上の男女による普通選挙が行われたことにより、そこで最初に選ばれた(新たな国民の代表である)国会議員の審議により有効に制定された憲法であるというわけです。

この前提がないまま、例えば、なぜ「日本国憲法」が「民定憲法」とされるのかということについて
(あくまでも例として取り上げます)

ただ、大日本帝国憲法の制定の形が、天皇が『これが憲法である、と言ったから憲法なのだ』だったのとは違って、衆議院と貴族院から構成される議会で可決されたからそれが憲法となった、と言うのは明らかです。だから、日本国憲法は民定憲法、と言われます。

その議会の議員の選出方法が、成人男女の普通選挙か、男子のみの普通選挙か、あるいは参政権に財産などの制限のある制限選挙か、それは憲法が欽定か民定かには関係ありません。それは単に民意の反映の仕方として十分かどうか、って話に過ぎません。


などといっても、何の説得力もありません。

欽定憲法である帝国憲法の正式な手続きに基づいて「改正された」はずの「日本国憲法」が、なぜ「国民主権により制定された民定憲法になるんだ?」と突っ込まれておしまいです。


ネットには、この手の浅薄な理解による「憲法論」が蔓延ってはいますけど

仮にも政治学者として博士号まで持つ篠田英朗氏が、そのレベルの内容で「ガラパゴス憲法論批判」などといい放つのは

正直、どうかと思います。

政治学者である篠田英朗氏の見当違いの「ガラパゴス憲法学」批判について (前書き)

2019-12-01 06:35:35 | 政治・社会問題
最近、政治学者である篠田英朗氏が「ガラパゴス憲法学」批判と称して、特定の憲法学者に対する批判的な書籍を次々発表しているのは以前から気がついていました。

ある分野で実績のある学者であっても、畑違いの分野でトンデモな主張をし、それが注目を集めることは、ままあることです。

なので、私自身は篠田氏の「ガラパゴス憲法学批判」に対する書籍については、わざわざ読む必要を感じていませんでした。

実際に、著名な憲法学者である水島朝穂氏による篠田氏の言説に対する批判がネット上でも公開されていますし
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2017/1016.html


当の篠田氏は水島氏の批判を、著書である『憲法学の病』(新潮社)P7において「いわれのない誹謗中傷」として取り上げられていますが、内容に対する具体的な反論はないように感じられます。

個人的には篠田氏の「ガラパゴス憲法学批判」が妥当なものであるかどうかの判断は、最低でも、この水島氏の批判と読み比べた上で判断すべきとは思いますけど

まあ、それは各人の判断ということになるのでしょうね。

さて、私自身はいわゆる「憲法学上の通説」を支持するものではありません。

が、仮にも「通説」と呼ばれるものが、多くの専門家からそのように呼ばれるのは、当然ながら「しかるべき理由」がある、ということくらいは理解しているつもりです。

それをわきまえず、見当違いの「ガラパゴス憲法学批判」を繰り返す篠田氏の著書については、これは少なくとも鵜呑みにするべきではないと考え、ある方にそのような「忠告」をさせていただいたのですけど、その方から
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10216098710


篠田氏も著書の冒頭で、同様の批判があったことを著述なさっておりましたねw
しかし、そのような論理が通ずるのならば、国際法における「戦争」の定義を非専門家である憲法学者たちが云々する姿は、実に嘆かわしいことですw
2019/11/13 07:35


との反論を受け、あげく

修正主義護憲派といわれる長谷部恭男・木村草太氏などにも、宮澤→芦部の伝統的護憲派ラインより「さらに説得力をかく」と、この本で著者は断罪しております。

一度貴方様が「憲法学の病」をお読みになって、また感想をお伺いしましょう。
2019/11/13 14:31


とまで言われてしまいました(苦笑)。

なので、やれやれと思いながら、そこで取り上げられた篠田氏の『憲法学の病』を実際に読んでみました。

その上で、あらためて「通説批判と呼ぶに値しないトンデモ」であるとの確信を得ましたので、本ブログにおいて、いくつかの指摘を行おうと思います。

私自身は篠田氏には何ら含むところはありませんけど

そのようなわけですので、閲覧者の皆様にはご承知いただきたく思います。

政治学者である篠田英朗氏の見当違いの「ガラパゴス憲法学」批判1 八月革命説は別に荒唐無稽な説ではない

2019-12-01 06:35:35 | 政治・社会問題
政治学者である篠田英朗氏は、「日本国憲法」成立の法理について、憲法学者からもっとも支持を得ている「八月革命説」について、このような見解を述べています。

以下は『憲法学の病』P221「第2部 ガラパゴス主義の起源と現状」からの抜粋がネット上で公開されていたので、それを引用したものです。

https://president.jp/articles/-/29565

日本の憲法学のガラパゴス的な性格を決定づけたのは、宮沢俊義(編集部注:1934~1959年、東京帝国大学法学部教授、憲法学第一講座担当)の「八月革命」説であろう。「八月革命」とは、日本がポツダム宣言を受諾した際に、「天皇が神意にもとづいて日本を統治する」天皇制の「神権主義」から「国民主権主義」への転換という「根本建前」の変転としての「革命」が起こったという説である(注1)。この「革命」があったからこそ、日本国憲法の樹立が可能になったという。

かなり荒唐無稽な学説である。敗戦の決断であったポツダム宣言受諾を、革命の成就と読み替えるのは、空想の産物でしかないことは言うまでもない。国際的に全く通用しない学説であるばかりではない。日本国内ですら、かなり特殊な社会集団の中でしか通用しない学説だろう。

宮沢は、「法律学的意味における革命」が起こったという説明が、日本国憲法成立の法理のために必要だ、と主張し続けた(注2)。しかしその宮沢自身ですら、ポツダム宣言によって「日本の政治は……国民主権がその建前とされることとなった」とするだけで、「国民」がどのような「革命」を起こしたのかを説明することはしなかった(注3)。


私自身は「八月革命説」について、これを支持するものではありませんけど、別に荒唐無稽な学説とは思いませんし、「日本国憲法」が形式論としては帝国憲法の手続き通りの改正によるにもかかわらず

天皇主権である帝国憲法が、国民の制憲権により制定された「民定憲法」であることを説明するのには、もっとも説得力がある説の一つであることについてであれば、別に異存はありません。

そもそも篠田氏の著書、少なくとも、この『憲法学の病』を読んだ限りでは

なぜ「日本国憲法」が「民定憲法」であるとされるのか、についての具体的な説明はどこにも出てきません。

それとも

政治学者である篠田英朗氏は「日本国憲法」が「民定憲法」であること、それ自体を否定しようとしているのでしょうか?

笑い事ではなく、ここはかなり重要なところです。

それについては次の記事でふれることにしますが、ここでは「八月革命説」についての確認を先に行うことにします。

以前、こちらの記事でもふれたことですけど
(今回、多少文を修正しています)

まず「日本国憲法」は

「大日本帝国憲法」第73条の憲法改正手続に従って制定されたわけですが、その内容についてみると、主権(統治権)が「天皇」から「国民」へ移っている、とされます。

「日本国憲法」の「上諭文」 によればこうなります。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

憲法改正の「限界説」(後述)という考え方からすると、

「日本国憲法」の前文

「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり」

これに対し、大日本帝国憲法の「上諭文」は

「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス・・・」

とすると

「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の根本的な部分を否定しているわけですので、理屈からすると「大日本帝国憲法」を否定するなら、その正式な改正手続き(帝国憲法第73条)により「改正」された「日本国憲法」も論理的には成立しなくなります。


さて

「憲法改正」については、大別して「憲法改正無限界説」と「憲法改正限界説」という二つの考え方があります。

まず、いわゆる「成文憲法」の場合、基本的には憲法自体の改正手続を定めています。

改正手続に従って行われた「憲法改正」は、当然法的に正当なものとして承認されるわけですが(改正し得ない「憲法改正の限界」を当該憲法に明記してある場合を除く)、仮に「憲法改正」の限界が明記されていない場合であっても

例えば前憲法を無視して、100%全文に及ぶ改正をすることが可能なのか?
(憲法改正無限界説)

それとも法理論上一定の限界があるのか?
(憲法改正限界説)

という事について、学説上の争いがあります。

「憲法改正無限界説」によるのであれば、大まかに言うと「憲法改正手続に従った改正」であれば、いかなる内容への憲法改正も法的に正当化される事になります。

それに対して「憲法改正限界説」の場合、これも概略として言うと「憲法改正手続に従った憲法改正」といえども、前憲法の基本原理・根本規範を改めてしまうような改正は、改正前憲法によって法的に正当化されないと考えられています。

ただし言うまでもないことですが、改正前憲法によって法的に正当化されないからと言って、新憲法が「無効」という事になるわけではなく、新たな基本原理・根本規範によって正当性の理由付けが求められる事になります。

「憲法改正限界説」の立場から考えると、「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の改正ではなく、全く新しい別個の憲法である、ということであり、そして、それは「国民自らが制定した民定憲法」というわけです。

「八月革命説」は、当時の通説であった「憲法改正限界説」に基づき、帝国憲法が改正によって誕生した「日本国憲法」が、なぜ天皇主権から国民主権に変わったのか?

その説明として誕生しました。

ここまで書いたところで、そういえば保守論客である谷田川惣氏が、南出喜久治氏の「憲法無効論」批判についてネット上に公開した一文があったのを思い出したので、以下に引用することにします。
(勿論、谷田川氏としては篠田英朗氏に対する批判目的として発表したわけではないのは明らかですけど、そこはご容赦いただくことにしましょう。)

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ytgw-o/sinmukouronhatangaisetu.html


八月革命説というのは、

現在のわが国における憲法学の“圧倒的通説”となっています。

同パンフレットで南出氏は八月革命説について、

「革命とは国内勢力による政治的な自律的変革の現象であって、

外国勢力による征服下での他律的変革を意味しないからです」と述べています。

これは“革命”という言葉に目を奪われて、

八月革命説の正確な意味を理解していないことを表しているのです。

改正の限界を超えた場合、新たな性質の憲法に生まれ変わり、

旧憲法と新憲法との法的断絶が起こることを、“法的な革命”と表現しただけであって、

八月革命説の生みの親である宮沢俊義は、

もちろん本当に革命が起こったなどと説明しているわけではありません。

たまたま日本ではGHQによる占領中にそれが実現したので

「八月革命説」という表現を使っただけで

GHQによる占領状態にあったかどうかに関係なく、

憲法改正の限界を超えた改正は、改正ではなく、

改正前の憲法と関係のない新しい憲法の制定とみなすといっているのです。

最近の、憲法学者は「八月革命説」という用語はほとんど使用していませんが、

改正の限界を超えた憲法改正は、法学論的には改正ではなく

旧憲法の廃棄と同時に行われた新憲法の制定とみなす、という考えは通説になっています。

大学生が使う憲法学の入門テキストの99%はそのように書かれているのです。


さすがに谷田川氏は法学を基礎から学んだだけあって、その説明もシンプルでわかりやすいものとなっています。

次の記事で、篠田氏の「八月革命説」批判の的はずれぶりを、もう少し詳しく見ていきたいと思います。

こう、ご期待!