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憲法学舎佐々木惣一氏の「日本国憲法」欽定憲法説について

2019-10-13 20:34:45 | 日本国憲法
日本國憲法の成立は、帝國憲法によりて定められていた行動の行われた結果である。凡そ、法が、現に存する法によりて定められた行動でなく、法外の實力上の行動により成立せしめられるとき、その行動は革命であり、その法は革命により成立する、という。故に、日本國憲法を成立せしめた行動は革命ではなく、日本國憲法は革命により成立したのではない。このことは、法の規定する内容如何の問題ではないから、日本國憲法が内容上、帝國憲法を全面的に變更するものするものであつても、その故に、その變更を目して革命といい、その憲法を目して革命による憲法、といい得ないことには、變りはない。日本國憲法は前述の如く、帝國憲法第七十三條の定めるもの、天皇の提案、帝國議會の議決、天皇の栽可という行動により、成立したのである。即ち、日本國憲法は天皇が制定したもうたのである。故に、日本國憲法は欽定憲法である。尤も、日本國憲法は、將来日本國憲法自身の改正を爲す場合の手續を定めて、天皇による制定ということを否定している。故に、日本國憲法によれば、天皇の制定による欽定憲法というものは、將来は存在し得ない。併し、それは日本國憲法自身のことではなく、日本國憲法の定めるところにより日本國憲法の改正として成立せしめられることあるべき將来の憲法のことである。憲法の成立手續より見た、日本國憲法自身の性質の問題と將来の憲法の性質の問題を混同してはならぬ。

佐々木惣一『改訂 日本國憲法論』(有斐閣)P113~114より


さて、佐々木 惣一博士といえば、言わずと知れた戦前日本の権威ある憲法、行政法を専門とする法学博士でした。

法学博士以外にも。貴族院議員(勅選)。京都大学名誉教授。立命館大学学長。京都市名誉市民。文化功労者、文化勲章受章者。贈正三位、贈勲一等瑞宝章など、その肩書きは多く、同時代において、佐々木博士と並ぶ憲法学の権威を挙げるとしたら、それこそ「天皇機関説」で知られる美濃部達吉、枢密院議長をつとめ、昭和天皇の師でもあった清水澄の両博士くらいでしょう。

後に「八月革命説」により東大憲法学を牛耳るようになる宮澤俊義博士といえども、「日本国憲法」制定以前の時点から見れば、三博士に比べれば、一歩以上も下がったポジションでした。

逆にいえば「八月革命説」こそが、宮澤俊義氏を「日本国憲法」制定後における憲法学の権威に押し上げたとも言えますが、今はその事の是非についてはふれません。

さて、その佐々木惣一博士は1945年(昭和20年)の我が国の敗戦後、ポツタム宣言により要求されていた我が国の民主化のための一つの手段として提案されていた「帝国憲法改正」のための内大臣府御用掛として憲法改正調査に着手し、俗にいう「佐々木憲法草案」も作成しました。

が、占領軍を牛耳っていたマッカーサーにより、いわゆる「マッカーサー草案」に基づき「日本国憲法」が作成されることになったのは周知のことと思います。

佐々木惣一博士としても、美濃部、清水両博士ともども、こうした「新憲法の作成」には最後まで反対したのですが、結果的には押しきられ、「日本国憲法」の制定に至ったことも、わざわざの説明は必要ないことと思います。

さて、結果的に「マッカーサー草案」を元に作成された「日本国憲法」ですが、これが体裁上は「民定憲法」とされているのは、本記事閲覧者の皆様もご承知のことと思います。

意図的にこちらからコピーペーストしますが

辞書・事典類がまとめて引けるサイト『コトバンク』で見られるデジタル大辞泉の解説に…

みんてい‐けんぽう〔‐ケンパフ〕【民定憲法】
国民主権の思想に基づき、国民が直接に、または国民から選挙された議会を通じて制定される憲法。(以下略)

きんてい‐けんぽう〔‐ケンパフ〕【×欽定憲法】
君主によって制定された憲法。大日本帝国憲法(明治憲法)など。(以下略)

とある通りです。


さて、「日本国憲法」が本当に

国民主権の思想に基づき、国民が直接に、または国民から選挙された議会を通じて制定される憲法

なのかどうか、というのは単純に言い切れる問題ではありません。

現に佐々木惣一博士のような同時代の憲法学の権威が

日本國憲法は前述の如く、帝國憲法第七十三條の定めるもの、天皇の提案、帝國議會の議決、天皇の栽可という行動により、成立したのである。即ち、日本國憲法は天皇が制定したもうたのである。故に、日本國憲法は欽定憲法である。

と述べているように

「八月革命説」のように
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%88%E9%9D%A9%E5%91%BD%E8%AA%AC

ポツダム宣言受諾後に行われた総選挙で、新たに主権者となった国民の代表者として衆議院議員が選出され、衆議院が中心となって、内閣がGHQの指示を受けて起草した大日本帝国憲法改正案(日本国憲法案)を審議した。この改正案審議は、国民と直接的な関係を有しない貴族院でも行われ、若干の修正が加えられたが、修正後に衆議院の議決を経ている。また、主権者の地位を失った天皇の裁可により改正は成立したが、裁可の段階では修正は行われていない。このように、実質的に日本国憲法は、新たに主権者となった国民によって制定された憲法となる。


などの説明を用いない限りにおいて
(他の学説もありますが、説明は割愛します)

「日本国憲法」それ自身に基づき改正されるまでは「欽定憲法のまま」という見方も確かに成り立ちます。

「日本国憲法」は本当に、私達日本国民が主権者として自らの意思で制定した「民定憲法」なのでしょうか?



佐々木惣一博士による「欽定憲法説」は、そんな問いかけをしているようにも見えます。