一大決戦に負けたポンペイウス。ギリシャから更に南下します。
負けたとはいえ彼はローマ最高の武人。オリエント征伐という偉業を成し遂げたポンペイウスの名はいまだエジプトに響いています。
彼にとってエジプトは第二の故郷のようなもの。ローマを捨て、ギリシャで負けたとは言え、まだ広大なエジプトの地が残っていました。
日暮れに大型のガレー船でエジプトに入った彼を以前からの知り合いであったアキッラスとセプティミウスという人間が迎えます。
旧き友と温かい抱擁、と思った刹那、ポンペイウスの動きが止まります。
以前であればローマの武人を迎えたであろうエジプト、しかし今は時代の趨勢が変わっていました。
エジプトはこの時、プトレマイオス王崩御に伴う権力争いの真っ最中。王の息子派も王の娘(=クレオパトラ)派も欲していたものはローマとの戦いではなくローマからの庇護。そのために取り入るべきは武力のポンペイウスではなく権力のカエサルでした。エジプト人がカエサルに差し出せるものはカエサルの敵であるポンペイウスの首、そのためにポンペイウスは殺されました。
紀元前48年9月29日、奇しくもポンペイウス58回目の誕生日のことです。
武力によってローマ権力の最高まで上り詰めたポンペイウスは一人の刺客によってその生を終えました。
そして殺されたポンペイウスの首はポンペイウスの死から約10日後、エジプトへと到着したカエサルの元に届けられます。
盟友でありライバルとも言えるポンペイウスの死をカエサルがどうとらえたか、カエサルの自伝のひとつとも言える『内乱記』の中に、ポンペイウスの死についての記載が一行だけあります。
「アレクサンドリアで、ポンペイウスの死を知った」
自分の周りで起こったことを歴史家以上に記載しつつも、自分の感情は極力記載せず後の世の人の判断に任せたカエサルが残した一行をどうとらえるべきでしょうか?
シニカルな歴史家は「あえて一行しか書かないことで民衆派にも元老院派にも敵を作らなかった」と記すでしょう。
僕はカエサルにとってポンペイウスはかけがえのない友人であったと思っています。友の死を冷静に語るほどカエサルは強くなかった、と考えるのはセンチメンタルすぎるでしょうか?
とは言え、カエサルの本当の気持ちは2000年後の今となっては想像の中にしかありません。
これでカエサルのルビコン渡河を発端とするローマ内乱は終了します。共和制ローマに輝き咲いた武力の大輪、ポンペイウスの人生は終わります。
後に残されたのは蛇足の如き後日談です。
内乱を制し、ローマ最高権力者となったユリウス・カエサル。ポンペイウスを愛し、彼と組み、彼を利用し、そして彼を殺したカエサル。ファルサルスの戦いから4年後、彼は暗殺されます。皮肉にも暗殺された場所はポンペイウスの偉業を称え設立されたポンペイウス劇場。
劇場内のポンペイウスの銅像の足元に、カエサルは倒れたと言われています。
まるで、自らの復讐にポンペイウスが立ち会ったかのように。いや、ポンペイウスが唯一の友を黄泉にいざなうかのように。
<ポンペイウス伝 完>
負けたとはいえ彼はローマ最高の武人。オリエント征伐という偉業を成し遂げたポンペイウスの名はいまだエジプトに響いています。
彼にとってエジプトは第二の故郷のようなもの。ローマを捨て、ギリシャで負けたとは言え、まだ広大なエジプトの地が残っていました。
日暮れに大型のガレー船でエジプトに入った彼を以前からの知り合いであったアキッラスとセプティミウスという人間が迎えます。
旧き友と温かい抱擁、と思った刹那、ポンペイウスの動きが止まります。
以前であればローマの武人を迎えたであろうエジプト、しかし今は時代の趨勢が変わっていました。
エジプトはこの時、プトレマイオス王崩御に伴う権力争いの真っ最中。王の息子派も王の娘(=クレオパトラ)派も欲していたものはローマとの戦いではなくローマからの庇護。そのために取り入るべきは武力のポンペイウスではなく権力のカエサルでした。エジプト人がカエサルに差し出せるものはカエサルの敵であるポンペイウスの首、そのためにポンペイウスは殺されました。
紀元前48年9月29日、奇しくもポンペイウス58回目の誕生日のことです。
武力によってローマ権力の最高まで上り詰めたポンペイウスは一人の刺客によってその生を終えました。
そして殺されたポンペイウスの首はポンペイウスの死から約10日後、エジプトへと到着したカエサルの元に届けられます。
盟友でありライバルとも言えるポンペイウスの死をカエサルがどうとらえたか、カエサルの自伝のひとつとも言える『内乱記』の中に、ポンペイウスの死についての記載が一行だけあります。
「アレクサンドリアで、ポンペイウスの死を知った」
自分の周りで起こったことを歴史家以上に記載しつつも、自分の感情は極力記載せず後の世の人の判断に任せたカエサルが残した一行をどうとらえるべきでしょうか?
シニカルな歴史家は「あえて一行しか書かないことで民衆派にも元老院派にも敵を作らなかった」と記すでしょう。
僕はカエサルにとってポンペイウスはかけがえのない友人であったと思っています。友の死を冷静に語るほどカエサルは強くなかった、と考えるのはセンチメンタルすぎるでしょうか?
とは言え、カエサルの本当の気持ちは2000年後の今となっては想像の中にしかありません。
これでカエサルのルビコン渡河を発端とするローマ内乱は終了します。共和制ローマに輝き咲いた武力の大輪、ポンペイウスの人生は終わります。
後に残されたのは蛇足の如き後日談です。
内乱を制し、ローマ最高権力者となったユリウス・カエサル。ポンペイウスを愛し、彼と組み、彼を利用し、そして彼を殺したカエサル。ファルサルスの戦いから4年後、彼は暗殺されます。皮肉にも暗殺された場所はポンペイウスの偉業を称え設立されたポンペイウス劇場。
劇場内のポンペイウスの銅像の足元に、カエサルは倒れたと言われています。
まるで、自らの復讐にポンペイウスが立ち会ったかのように。いや、ポンペイウスが唯一の友を黄泉にいざなうかのように。
<ポンペイウス伝 完>
タノスミダ
しかしそろそろ読み返さないと、混乱しそうです。
正直、そろそろネタ切れです。三頭政治の一頭、クラッススも書きたかったんですが3行くらいで終わっちゃいそうで。
>ドッピオ
乱世に咲いた華、って感じでしょ。
フィレンツェとピサの攻防とか
あ、ハンニバルまだじゃん
ハンニバルも書きたいんですがめっちゃ長くなりますよ。
長い?
ばっちこーい
ルネサンスはわかんないんですよね~。
クレオパトラの記事にあたりました。
ローマ人列伝、すごい面白いですね。
夢中になって、一日に全部読んでしまいました。
ネタ切れということですが、ぜひ皇帝ネロをやっていただきたいです。
これからも楽しみにしています。