面白い面白いと評判の漫画ですが、実際読んだら評判以上に面白かった。
ゴールデンカムイ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
簡単にあらすじを。時は日露戦争直後(西暦1910年くらい?)、二〇三高地戦の生き残り、杉元佐一は「アイヌ埋蔵金」の話を聞き、アイヌの少女アシリパと共にそれを追う。そこに実は生きていた土方歳三、更に陸軍第七師団が絡み、三つ巴の争いになる、、、というもの。
どこがどう面白いのか、というのは読めばわかるとして、僕なりの「うーん、この漫画の設定がうまいな」と思う点。
この漫画が面白いのはストーリーやキャラクターの魅力があるとして、その前提として僕は「時と場所」が巧いと思っている。
時というのは1910年という時代設定。ちょうど100年ほど前、現代を生きる我々にとってギリギリ、ほんとうにギリギリ地続きの時代だと思う。例えば、僕の母方の祖母がちょうど生まれた頃。このように、ギリギリ3代前、4代前の先祖が生きていた時代ということになる。事実、この作品の主人公「杉元佐一」の名は作者の曽祖父の名から取っているらしい。
歴史的な事実で言えば、夏目漱石が「三四郎」「それから」を出版したり、アメリカではライト兄弟が飛行機を発明し、自動車(T型フォード)なんてのが出ている時代。
作中では出来たばかりの札幌ビールを飲みながらカレーライスを食べるシーンも出てくる。
このように、非常に「現代」に近い。
一方で、昭和ほど我々に「近すぎない」ので、ある程度「嘘はつける」時代でもあると思う。例えば主要登場人物として「土方歳三」が出て来る。史実では土方歳三は五稜郭で戦死しているわけだけど、それが実は生きていたという設定。これもこの時代なら「まぁあるのかもな」と思える絶妙な時代だと思う。実際、新撰組の原田左之助は戊辰戦争を生き残り、満州に渡ったという伝説もあるくらいだから、あの時のドタバタならなんとかギリギリ、通る設定じゃないかと思う。
もう一つは「場所」、つまり「舞台が北海道」であるということ。
作中では殺し合いも起こるし、山中でヒグマに襲われたりもする。僕は北海道に多少いたことがあるのですごく感じるんだけど(もちろん人殺しだのそういうのは無いよ)、北海道の夜の山中などを通っていると「もしかしてここで死んでもしばらくは発見されないかも知れないな」とは思った時があった。ヒグマについても本州の人間よりも、北海道の人間は意外と近く感じる。「昔、ここでヒグマに襲われて○人亡くなった」なんて話は歴史的事実として頻繁に聞くし、現代においても「札幌市内のどこどこにヒグマが降りてきて警察が出動した」なんてニュースはたまに聞く。
北海道は本州に住む人が考えるよりももっとずっと自然は深い。しかも明治の北海道であればそれはもっと深かったのではないかと思う。
「明治時代の北海道」というのはある意味、アメリカにおける「西部開拓時代の西部」と言ってもいいんじゃないかなと思う。一攫千金を狙う有象無象の人々が集まる場所、みたいな。そうそう、そういえばこの漫画も少し「西部劇」っぽいところもあるよね。茨戸の攻防戦なんて完全にマカロニ・ウェスタン的だった。もちろんそれはマカロニ・ウェスタンがインスパイアされた黒澤明の「用心棒」的要素があるからなんだけど。
さて、面白いのは保証付きのこの作品、更に掘り下げて、最近、僕が考えている「悪の論理」と「FOOD理論」から書いてみます。
以降はかなりのネタバレなのでぜひ作品を読まれてから読むことをおすすめします。
まず「悪の論理」というのは最近、僕が考えていることなんだけど、作品における「魅力的な悪役」というのはその人なりに一本筋が通った「論理」がなくてはいけないのではないか、ということ。
例えばね、作品に出てくる悪役として「世界征服をしてやるー」という悪役がいたとしましょう。よし、世界征服が目標ならそれはそれでいい、でもさ、その人は世界を征服した後のビジョンがあるの?世界を征服するのは出来るかもしれない、でも征服した後は大変ですよ~。経済はどうするの?税金は?各国、民族が違うんだけどそれをどう統一するの?そういうビジョンもなしに「世界征服じゃー」なんて言うのはそりゃずいぶん短絡的じゃあ無いのかい?と思うんです。
そもそも、世界征服しようと思ったら部下が必要なわけだけど、そんなビジョンも無い上司に部下がついていくと思いますか?世界征服じゃなくてもいいよ、例えば「たんまり金儲けがしたいんじゃー」という悪役がいたとして、そんな人に部下がついていきますか?行かないでしょう?
こういう悪役には魅力が無い。悪役に魅力がなければ結果として作品にも魅力が出てこない。
魅力的な作品というのは、悪役が魅力的で、もちろん主人公も魅力的で、その二者それぞれに筋の通った論理があり、どちらも正しい2つの論理がぶつかり合い、結果、主人公が勝つから、そこにカタルシスや爽快感が生まれる、というものだろうと僕は思う。
例えば「ジョジョの奇妙な冒険」の悪役DIOには明確な論理があった。それは有限の生しか持たない人間という存在を超え、永遠の命を獲得すること。しかし、ジョナサンは永遠の命よりも「人としての死」を選んだ。これが人間賛歌ッ!いや、ジョジョの話は止めよう、長くなるから(笑)
繰り返しになるけど、悪役には悪役の一本筋が通った「論理」、部下や、場合によっては読者すらをも引きつける魅力的な論理が無いと、その悪役が魅力的に映らない、ということ。
「ゴールデンカムイ」に話を戻せば、物語上、主人公と対するのは鶴見中尉率いる第七師団(帝国陸軍の一部隊)と、土方歳三の一味。
鶴見中尉のこの作品における「動機」、つまり埋蔵金を追う理由は作品の中で明確に、本人の口から語られている。
曰く、
「軍事政権を作り、私が上に立って導く者となる」
鶴見中尉は日露戦争において、自身は反対していたものの無能な上層部により無茶な作戦に参戦させられた。結果として部下を無駄死にさせ、戦争に勝ったにもかかわらずろくな恩賞も得られなかった。無駄死にした部下のためにも、同じように部下を無駄死にさせないためにも、自身が上に立ち、北海道の豊富な資源を使い、産業を発展させ、軍事政権を作る。そうすれば少なくとも自分がさせられたような無謀な作戦で兵士が無駄死にすることは無くなる。発展した産業は兵士の家族に仕事を与えることになる、そうすれば兵士が戦争に行ったとして家族は飢えない。なるほど、それは筋が通っている。だからこそ、忠実な部下である月島は鶴見中尉の指令にも従っているのだろうと思う。(あくまで僕の印象だけど鶴見中尉がこのことを宣言するシーンはレーニンに重ねられていると感じる)
また、同じく土方歳三一味も「北海道を独立国にする」という目的のために金塊を追っている。これまた筋が通っている。なぜなら彼らは一度は「蝦夷共和国」として北海道を独立させたから。(歴史的解釈は色々あるだろうけども) 江戸幕府のために明治政府と最後まで戦い続けた土方歳三がまたそれを続ける、というのは筋が通っていることだろう。
このように、この作品において第七師団と土方歳三は主人公に対する敵役ではあるんだけど、この2者の論理の筋が通っているからこそ魅力的に見え、それが作品を魅力的にしていると思う。
そしてもうひとつ「FOOD理論」。これはお菓子研究家の福田里香さんという方が唱えている理論で、一種の「キャラクターの描き方」の話。
基本的な「FOOD三原則」というのがあって、それは、
1,善人は食べ物を美味そうに食べる。
2,悪人は食べ物を粗末に扱う。
3,正体不明者は食べ物を食べない。
というもの。
単純にね、例えば作品の中である男が出てきて、炊きたてご飯の上にタバコの吸殻をギュッて入れたら、それ以降、そのキャラクターのことを好きになれないでしょう?あるいはどんぶり飯を美味しそうに食べている人がいるとしたら少なくともその人は悪い人ではないんじゃないか、と思う、そういうキャラクターの描き方の話。
このゴールデンカムイ、グルメ漫画でもあってとにかく料理を作って食べるシーンが出て来る。
例えば、こんな風に食べ物を美味しく食べている人たちは確実に「いい人達なんだろうなー」と思える。
それが敵役でも一緒なんです、実は。
例えば土方歳三は「お茶漬けに刻んだたくあんを載せたやつ、と松前漬け」を食べるシーンがあるし、鶴見中尉は小樽名物花園団子を食べるシーンがある。鶴見中尉は少し頭のネジが外れた、人間離れしたキャラクターではあるけど、その彼が「スィーツを食べる」という描写が非常に興味深い。ちなみに鶴見中尉の苦手なものは「酒類」とある。残虐なんだけど酒はやらず甘党ってのは、、歴史上いろいろいますね。例えばヒトラーは酒タバコをやらず菜食主義者で甘党(チョコレート大好き)だったそう。
このように、敵役も「食べ物を食べる、血の通った人間」として描かれている。ここがやはり「敵役のキャラクターも魅力的に描かれてる」という所以なのではないかと思う。
この漫画は確実に「食べ物に関する話」でもあると思っている。
例えば、「食うか食われるか」という言葉があるけど、ヒグマとの戦いなんて本当に、文字通り「食うか食われるか」の戦いなわけだし。実際、食われちゃう人もいるし、ヒグマ取って食べてるしね。
実際、第一話の3コマ目で既に食べるシーンが描かれている。つまりこれって「この漫画は食う話ですよ」ということだろう。
そのうえで僕は考えるのだけど、この作品のメインキャラクターたちのキーワードは「過去」なのではないだろうか。この作品の軸は「金塊を追う三者の三つ巴の戦い」なわけだよね。三者というのは杉元&アシリパ、土方歳三、第七師団(鶴見中尉)。この三者は実は共通する動機があって、それは「過去に囚われている」ということ。
杉元は故郷に残してきた思い出に、土方歳三は自分が所属していた新撰組、というかいわば「もう既に時代遅れとなってしまった武士社会」に、鶴見中尉は報われることの無かった日露戦争で散った部下たち、いわば「軍人としての後悔」に、囚われている。そういう点では三者とも「過去の奴隷」とも言えて、結局同じ存在なのだ、とも言える。
そして、主人公である杉元だけが「未来」を味方につけている。未来とはそう、アイヌ語で「未来」を意味する名を持つ「アシリパ」のことです。アシリパの存在こそが彼を主人公たらしめていると僕は思っている。
アシリパはアイヌの娘なわけだから最も古い「過去」を背負っている存在とも言える。杉元より土方歳三より鶴見中尉より昔からアイヌは北海道に居たわけだからね。でも彼女自身は過去に囚われることなく(アイヌの伝統は大事にしているけども)、自分自身で「私はアイヌの新しい女だ」と言うように未来に向かっている。
三者(杉元、土方歳三、鶴見中尉)の男が過去に囚われていて、女性のアシリパだけが未来を観ている、というのはとても現代的だとも思うけど。
ということで、おすすめです、「ゴールデンカムイ」。