浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

攻撃的なやつら

2008-01-27 22:42:55 | 食べ物
結構前にビストロ・モンペリエと言ううちの近所にある隠れた名フレンチ店に行ったときにそのそばにインド食材屋があるのを見つけた。結構広めの店内でスパイスだとかインドから直輸入したレトルトカレーなんかを売ってる。うーむ、こんな場所(繁華街じゃない)にこんな店やって儲かるかな~とも思うんだけどね。

まぁあまり知られていないけど僕はカレー好きなので(みんな知ってるか)「よしよしこんどスパイス買い込んでカレーでも作ったろか」と思ってた。

更に最近フードプロセッサーをゲットしました。

ネットオークション見てたら新品なのに800円だったので。

冷凍庫には鳥モモがある。こりゃサグチキンカレーしかありません。

サグというのはほうれん草のこと。好きなんですよね~。インドカレー屋とか行くと大体サグカレーかキーマカレー。

スパイスも買い込んだ。


ということで作っていきまーす。

まずご飯はサフランライスがいいね。サフランを水に入れて色を出してそれでご飯を炊く。

トマト缶をザルにぎゅーぎゅー押し付けて簡単に裏ごししておく。
ほうれん草は塩と重曹を入れた湯で茹でる。重曹入れると色が良くなるから。茹でたらフードプロセッサーでピューレに。

きゃーステキ!赤も好きだけど緑も好き!

フライパンにオリーブオイルとニンニクと唐辛子。それで鳥モモを焼く。表面が焦げてきたらスパイスさらさら。えーっと今回のスパイスは、クミン、ターメリック、コリンダー、チリパウダー。ついでにガラムマサラ、えーい粉末ココナッツも入れとくか。

計量カップにまとめてみたけどもうこの時点でかなり攻撃的なニオイがしている。

スパイスがなじんだらトマトピューレとほうれん草ピューレ。この時点で味を見てみると。うーむ、なんつーか攻めて来る感じは分かる。でもなんかこうまとまってる感じがしないにゃー。大丈夫かね。
そのフライパンのまま30分ほど煮込んだら出来上がり。

サフランライスはあんまり色がつかなかった。もう少し時間があればサフランからちゃんと色が出たんだろう。カレーもトマト缶が多くて緑じゃなくなってるけどね。なんつーか部屋中がインド料理店みたいなタダナラヌ攻撃的なニオイになってる。

いただきまーす。

ん!30分煮込んだら味がまとまってる!サフランライスと合うわ~。サフランいいね!さすが高いだけある(一瓶で500円くらいしやがった)。カレーの味的にはチリペッパーが強くてかなり辛め、というか重め。ずしんと来る。万人にはオススメできないけど僕はじゅうぶん美味しい。「僕ちん、カレー大好きー」なんてのたまってる子供が食べたらギャッと叫んで家出するね。それくらい攻撃的。

そうだそうだ、サグカレーにはカッテージチーズが合う、とか書いてあったな。そんな高級なのはないけど粉チーズかけてみるか。



ウマー!!!

合うわ!

チキンがこれまたスパイスと渾然一体となって。ぺろりと食っちゃいました。

こりゃたのしいなぁ。

と言うのが土曜の夜。そして今日は日曜。

サグチキンカレーを食ったらそりゃ次はキーマカレーでしょー。

あめ色に炒めた後にシナモンパウダーを絡ませたタマネギ、スパイスで炒めた豚挽き肉とトマト缶を鍋にぶち込みローリエで煮る。30分ぐらい煮たらキーマカレーと言えばグリーンピースですがそれもつまらんので5種類くらいの豆が入っている缶詰をぶち込み出来上がり。

「5種類豆の豚キーマカレー&サフランライス」
1,200円くらいは取りたいな。

サフランライスもうまく作れるようになった。キーマカレーにはヨーグルトを入れると爽やかな酸味で美味しいようなので少し入れてみる。
この写真だとどうも見栄えが良くないけどぐるっとかき回してみるといい見た目になったよ。

これもうまい!

カレーとサフランライスを食べて「はふっ」と息をしたときにサフランの香りがふわぁーっと。

うーむ幸せだ。



※よね3用にレシピ書こうと思ったんですが分からないのです。だってー「小さじ一杯」とか言われてもどれが小さじだか小西だかわかんないし~。基本的にこのサイトを参考にしてます。

週末男のこだわりカレー

ローマ人列伝:ティベリウス伝5

2008-01-27 00:00:15 | ローマ人列伝
アウグストゥスの神格化に伴い自動的に神となったのは後家、リウィア。えーっとつまりはティー坊の実の母です。幼い頃に自分を抱き辺境を逃げ、その後、アウグストゥスに見初められ実の父と離婚した母。そしてアウグストゥスの養子となったティー坊にとって再度、母となった人。夫が神になったのですから当然彼女も神格化されます。具合の悪いことに父は死にましたが母は生きているのです。元老院は亡きアウグストゥスに「国家の父」の称号を与えると同時にリウィアに「国家の母」の称号を与えます。



ローマ全市民の母となった人を「お母さん」と呼べるでしょうか?

聡明なリウィアはティー坊の政治にもたびたび口を出します。

母を知らずに育ったティー坊。だからと言って母を異常に愛するマザコンになったわけではありません。ただ彼は普通のお母さんが欲しかったのです。彼はたまに実家に帰って母のカレーライスが食べたかったのです。たくさん愛して欲しいと言っているわけではありません、カレーくらいいいじゃないですか、美味しいし。でも母リウィアはカレーを作ってくれませんでした。豚の角煮も、グラタンも作ってはくれませんでした。ただただ政治のことをちくちく言ってくるだけです。

カレーが食べられないのであれば家にいたって仕方がありません。「カレーないなら帰らないもんねーばぶー」とばかりにまた家出をします。今度はカプリ島。
いや、家出とかばぶーとか言ってますがこの頃、ティベリウス60歳くらい。(ちなみに母リウィア80歳くらい)


ローマからも比較的交通の便がいいこの島に居を移し、以降彼は死ぬまでこの島から皇帝の業務を行います。

カプリ島に居を移したとは言え彼の政治はうまく行っていました。(後の世に「ティベリウス・スクール」と呼ばれることになるティー坊が育てた若き政治家が有能だったおかげもありますし、それまでに彼が作った情報網がじゅうぶんに機能していたおかげでもあります。)

ここまで皇帝ティー坊の政治は概ね好評でした。いくぶん堅実で地味ではありますがそれでも大きな問題は起こっていませんでした。愛されなかったティー坊、ローマ市民だけは愛し続けていたのです。

しかし彼はその愛を失います。

その理由の一つ目は緊縮財政、公共事業の停止と増税。国のためとは言え実際の生活が苦しくなったローマ市民はティー坊を非難します。

そして帝位簒奪を企てたセイヤヌスを含む63人の処刑。これにより自らの権力を奪われることだけには敏感な元老院、身の危険を感じティベリウスを非難し始めます。
ここを少し弁護させていただくと、カエサルはガリア戦争において何万人もの兵士を殺しルビコンを渡ってからは何万人ものローマ兵を殺しました。またアウグストゥスはカエサル暗殺者を主とする共和制派を何百人と殺しました。

戦争で、あるいは「パクス・ロマーナ」の名の下に多くの敵を殺したカエサルとアウグストゥス。死んで彼らは神とあがめられます。一方、一応は尊厳毀損法という法律に基づいて63人を処刑したティベリウス。彼は元老院とローマ市民から嫌われます。

こんな一節を思い起こさずにはいられません。

「一人殺せば殺人犯、世界中の半分を殺せば英雄、全人類を殺せば神になる」


そしてもうひとつ、西暦33年、ローマ帝国属州の町パレスティナにおいて、ある新興宗教のリーダーが処刑されます。彼の刑罰はローマ帝国への反乱刑として十字架への磔。

もちろんそのリーダーとは、ナザレのイエス、後のイエス・キリストその人です。この出来事はティベリウスはほとんど関わっていませんが、彼の時代にキリストが処刑されたことは後のキリスト教徒が彼を非難する要因のひとつになったはずです。

当時のローマ市民が生活のために皇帝に求めていたものは「パンとサーカス」といわれています。まず「パン」とは食料。ローマ市民には常に国家から小麦が配給されていました。
それから「サーカス」とは娯楽。たとえばコロッセオでの剣闘大会など。ティべリウスはその剣闘大会をあまり好みませんでした。インテリの彼には奴隷同士を娯楽のために殺し合わせそれを見て熱狂する、という趣味がなかったのです。

人の喜ぶ顔が好きだったユリウス・カエサルは単なる一市民の頃から自費で剣闘大会を主催しました。(イメージで言うと普通の人が新日札幌シリーズの興行主になるようなものです。当然莫大な費用は全部借金)
現実的なアウグストゥスは剣闘大会自体は興味がありませんでしたが人気取りのために主催しちゃんと観客席に姿を見せました。市民に挨拶した後は観客席で自分の仕事をしていたそうですが。

しかしティベリウスは一度も主催せず観客席に出向くこともありませんでした。そういうの好きじゃないし~。

これもまたローマ市民から「ティー坊付き合い悪いよな~」と思われます。




現在、イタリアの歴史の教科書にはこういう記述があるそうです。

「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、この全てを持っていた。」

指導者に必要なもの、について僕は何もわかりません。その五つと言われればそうなのかもしれません。ただ僕は指導者として絶対に言ってはいけないこと、だけはおぼろげながら思っています。

それは、

「だったらお前がやってみろ」

です。

望んだ権力ではないにせよ、それを言ってはおしまいではないですか。つまり、指導者は絶対に投げてはいけないのです。誰かに譲ってもいい、辛ければ適当にお茶を濁してもいい、しかし投げてはいけないのです。
(という意味で僕は安部前首相を認めていません)

人生は不本意なものです。あっち行けーと言われればこっちに来いと言われ、やろうと思ったらやるなと言われ。一番好きな人とずっと一緒にいられることのほうが奇跡なのです。そんなことはわかっています。僕もわかっています。ドッピオさんもわかっています。

確かにティベリウスの人生は不本意なものでした。それでもそれを受け入れました。彼は言われたことを言われた以上にやりました。不器用だったかもしれません。それでも皇帝としての責務は何一つ投げませんでした。それで充分じゃないですか。市民に嫌われることが何だと言うんでしょう。

ティー坊が死んだとき、市民は口々に叫びました。「死体をテヴェレ河に放り込め!」と。しかし市民がおおっぴらに時の最高権力者を非難できる平和、というのもあるのではないでしょうか。そしてそれはその最高権力者によって保たれた平和であったことは間違いありません。

ティベリウスは皇帝でありながら人生最後の10年をカプリ島で過ごしました。それも市民が彼を嫌う理由のひとつでした。ローマ皇帝なのにローマにいないなんて、と。


「カプリ島、青の洞窟」

彼の気持ちを分かってくれるのはカプリ島の青い海だけだったのかも知れません。

僕はティベリウスが好きです。


<ティベリウス伝 完>

ローマ人列伝:ティベリウス伝4

2008-01-26 11:02:20 | ローマ人列伝
カエサルの血を重んじた皇帝アウグストゥスの血を引いた男子はこの時点で孫であるアグリッパ・ポストゥムスのみ。

ティー坊と共に、いや直系であるがゆえにティー坊以上にアウグストゥスが後継者として重んじたアグリッパ・ポストゥムスは精神的な問題を理由に幽閉された後、処刑されます。ティー坊以外の誰もが望む皇帝の座、それがどんどんティー坊に近づいてきます。

齢70歳を越えたアウグストゥス。若き日の彼の「直系親族への愛」は著しいものでした。子供は女であるユリア一人のみ。しかし彼女がアグリッパと産んだ三人の男孫、ガイウス、ルキウス、アグリッパ・ポストゥムスを異常なまでに愛したと伝えられています。一説には彼ら孫の彫像を作らせ家に帰るたびにその彫像に接吻をしたとも。

血への深い愛は反面、血を引かぬ者への冷遇となります。3人の孫が生きているときにはアウグストゥスの口からティー坊のテの字も出てきませんでした。いくらティー坊が優秀な将軍であれ重要なことは只ひとつ、「カエサルの血をひいていない」ということでだけです。

それがその3人が死んだとたん、ティー坊ティー坊。ティー坊星人か。

ローマ皇帝アウグストゥス晩年にティベリウス宛に送った書簡には。(このあたりアウグストゥスのイメージはパルパティーンが似合います。いや悪い人じゃないんですけどもう「妄執」という感じ)


「ティベリウスよ、戦地での活躍を嬉しく思う。ただ君が怪我をしていないか、ということを考えるだけで私は病に犯されそうだ」
「親愛なるティベリウスよ、私の健康状態など気にしないでくれ、君が健康でいてさえくれればいいのだ」

ティベリウスは、ローマ帝国とカエサルの血のことしか考えないこの老皇帝からの書簡をどんな気持ちで読んだのでしょう。

僕ならばこう思います。

「カエサルの血!と言いながらそれが途絶えた途端、求めるのは少しでも優秀な後継者か…」

そしてアウグストゥス崩御。実父の敵であり、実母の夫であり、何よりもローマ皇帝だった人の死。それはつまり「次の皇帝を誰が継ぐか」という問いの発生でした。彼の遺言書を開くとそこには「次はティベリウスだよ~ん」と書いてありました。はいはい、もう何でもやりますよ。

カエサルが切り開き初代皇帝アウグストゥスが確立した帝政ローマ、第二代皇帝の誕生です。


皇帝として彼が行ったことについてはあまり詳細には記載しません。僕自身も良くわからないし退屈だし。ただし当時の歴史家によれば「新しいことは何もやらなかった皇帝」。彼の統治期間は23年間続きます。

これについて僕は2点、記載したいことがあります。

ひとつめは「新しいことを何もしなくても23年間平和を保てたシステム」。経済にせよ法律にせよ23年間、特に新しいことは必要とせずティー坊がメンテナンスをすれば良かったのです。こればかりはこのシステムを構築したアウグストゥスの成果でしょう。

そしてもうひとつ、新しいことを何もやらなかった、ということは不要なことはやらなかった、ということでもあるのです。

思い返していただきたいのですがティベリウスは英雄カエサル、神君アウグストゥスの跡を継いだ男。普通であれば自分も彼らに負けずに、と何かを成し遂げたいところです。しかし彼はそういった偽りの名声というものをまったく求めない人でした。ティー坊の跡を継いだカリグラが偽りの名声しか求めなかったのと対照的です。

ティベリウス皇帝即位と共に、いやアウグストゥス崩御と共に、元老院とローマ市民はアウグストゥスに「神君」の名を送り神として祭ることを決めます。それ自体はたいしたことではありません。が、それにより自動的にもう一人、神が生まれることとなりその神がティー坊を悩ませます。

…to be continued...

ローマ人列伝:ティベリウス伝3

2008-01-26 00:15:44 | ローマ人列伝
ティー坊は数奇な運命をたどった人でした。名家に生まれたもののカエサルのおかげでばぶーのうちに辺境の地へ。ローマに戻れば母が皇帝の妻に。将軍として頑張っていたら皇帝の養子に。愛した妻と離婚され皇帝の婿に。

しかし彼は不平のひとつも言いません。

これは僕の想像ですが幼い頃に恵まれなかった人は2つのタイプに育ちます。何億もの人を2つのタイプにわけるのは不遜であることはわかっていますが分かりやすくあえて。

ひとつはすべてを求めて求めて何かを得ても更に求めるタイプ。後に書きたいと思っていますがローマ第五代皇帝、暴君ネロがその典型です。彼は常に言い続けます。「僕を愛してくれ!」と。

そしてもうひとつのタイプは今あるものに満足し幸福を見出すタイプ。ティー坊は後者だったのではないでしょうか。彼は子供の頃から知っていました、求めても求めてもすべては「カエサルの血」に妨げられることを。ならば、と彼は思ったのかも知れません。ならば何も求めるのはやめよう、ただ運命の輪の回るがままに任せよう、と。

そのタイプの人は一見穏やかですが不平や不満、ストレスがたまりにたまると爆発します。

ティー坊も「我慢して今に幸福を見出すタイプ」にありがちな一種の感情の爆発を起こします。今まで溜め込んだ不平や不満がどんと爆発する、そんな出来事です。彼の爆発は誰を傷つけるものではありませんでした。彼は家出したのです。

「今までちゃんとやってきたけどもう僕ちん何もしないちーん、ばぶー。カエサルなんて知らないぶー」とばかりにすべての職務を放棄しギリシャ領ロードス島に隠棲します。



元々インテリの彼のことです、大好きなギリシャ悲劇でも読みふけっていたに違いありません。さしづめティー坊の人生は機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナに操られるエウリピデスの悲劇のようなもの。男と女あやつりつられ、細い絆の糸引き引かれ~、けいこ不足を幕は待~たない、恋はい~つでも初舞台~♪

もうすべてが嫌になったのでしょう。妻ユリア(アウグストゥスの実娘)はローマに置き去り。結果彼女は浮気をし実父が成立させた結婚法に反した罪でローマから追放されます。

ユリアがいなくなったから、というわけではないでしょうが、気が済んだティー坊はローマに戻ります。アウグストゥスに「あーなんかすいませんした」とくわえタバコで謝り、軍の指揮官に10年ぶりに復職します。

軍に復帰したティー坊、兵士の前に立ちます。仮にも皇帝の婿でありながら指揮を放棄しいわば家出をしていた司令官。そんな司令官に兵士たちは駆け寄ります。そして口々に言います。

「将軍!覚えていますか?ゲルマンの戦線で将軍から勲章をいただきました!」
「また将軍と戦えるのですね!夢ではないのですね!」
「将軍と戦って恩賞を受けたおかげで家を建てたのです!」

ここで僕は思うのです。古代においては歴史のすべては字を書くことが出来る「知識人」によって書かれました。その「歴史」においてティベリウスの名は悪名とともにあります。しかしもしティベリウス軍の兵士たちが字を書くことが出来たら、彼の評価は違っていたのではないかと。

このときに、ティー坊はひとつ厳かな決意をしたのかも知れません。「どんなことがあっても自分はローマ市民のために生きる」と。家や血がなんだというのでしょう。実母は他人の妻となりました。愛した女、ウィプサニアもまた既に他の人の妻。その後、結婚したユリアとはうまく行きませんでした。ひとりぼっちの彼でもしかし、ローマ市民だけは彼を愛してくれるのです。

そして転がる運命はひとつの終着点へとたどり着きます。

…to be continued...

ローマ人列伝:ティベリウス伝2

2008-01-24 23:48:16 | ローマ人列伝
不遇の子供時代を経て「軍」と「愛する家庭」という自分の居場所を見つけたティー坊。運命の輪に巻き込まれます。


(タロット:運命の輪)

アウグストゥスが必死の思いで作った2人の孫が相次いで死にます。あせったアウグストゥスはアグリッパの三男、アグリッパ・ポムトゥムスを養子にします。それだけであればティー坊には関係ありません。

しかしそこは慎重なアウグストゥス。もし三男アグリッパ・ポムトゥムスに何かあったときのために保険でティー坊も養子にしておくことを考えます。一応、自分の妻の子ですから。この養子縁組には自分の血をひいた子を皇帝にしたかったリウィアの画策、という説もあります。
カエサルの敵の家系に生まれ、母をカエサルの血に取られ、今度は自分自身が家を捨て皇帝家に入らなければいけません。いや、それはないよね~、正直。

父の敵であったアウグストゥスを「お父さん」と呼び、実の母でありながら一度は忘れることを強いられたリウィアを「お母さん」と呼ばなくてはなりません。マドモアゼル唯先生を外人と呼んだら100円払わなくてはいけません。
このとき、ティー坊はどんな気持ちだったのでしょうか。いや、ぶっちゃけわかんないですわ。でも複雑な気持ちだったことは分かります。

それだけであれば、それだけであればまだ良かったのです。いや、良くないけどさー。

アウグストゥスは養子となったティー坊に言います。「ユー!今の奥さんと別れちゃえばいいじゃん!エンド ユー!!ミーの娘と付き合っちゃえばいいじゃん!子供つくっちゃえばいいじゃん!」

一度は一人のローマ軍人として生きることを誓ったティー坊。そのティー坊を愛してくれた妻。その2人の仲を単に「自らに流れるカエサルの血」だけを求める皇帝が切り裂きました。そしてその「血」のために自分の娘ユリアと結婚させたのです。

アグリッパ伝にアグリッパの親友として登場したおっくん、いや、もうおっくんとは呼べませんわ、僕の心情的にも。自分の娘を親友と結婚させ、その親友が亡くなったとたん後家となったその娘を今の奥さんの前夫との間に生まれた子に嫁がせる。あーもう書いているだけで良くわからなくなるわ!

参考までに家系図。


結局アウグストゥスは「カエサルの血」のことしか考えていません。そんなにカエサルカエサル言うならカエサルの家の子になっちゃいなさい! あ、なったんですけどね。

幸せに暮らした愛妻ウィプサニアとの離婚したティー坊。離婚後、町を歩いていると既に人の妻となったウィプサニアを見かけます。もし人たらし&女たらしカエサルであれば「どう最近?つーかさー今度飲まない?」とでも声をかけたでしょう。もし徹底的に現実的なアウグストゥスであれば「生活費は足りているか?」とでも言ったかも知れません。しかしティー坊は違いました。向こうから歩いてくるウィプサニアを見て、彼女に気づかれる前に身を隠します。それ以後、ティー坊はよっぽどのことがない限り町に出かけることはなかったと言います。

ここからティベリウスの女性嫌いが始まっていた、という人もいますが、アホか!お前分かってない!なんにも分かってない!死ねばいいのに。

ティー坊はウィプサニアを忘れようとしていたのです。でも…忘れられるわけないじゃな~い。ティー坊はいつでも探していたはずです。どっかに君のかけらを。旅先の店、新聞の隅、こんなとこにいるはずもないのに。二人で歩いた町に出てしまえばそこにウィプサニアの面影を見つけてしまう。ティー坊が単なる男であればそれもいいでしょう。ベージュのコートを見かけて指にルビーのリングを探してしまえばいい。その後、立ち飲み屋にでも寄って「やっぱあいつしかいねーんだよ!つーか早く焼酎お湯割り持って来いよ」とくだを巻いていればいい。

しかし彼は既に皇帝の養子であり婿。あーもうどうしろって言うのさ~。

更に運命の輪は転がります。


…to be continued...

ローマ人列伝:ティベリウス伝1

2008-01-23 23:09:42 | ローマ人列伝
ローマ人列伝、まだまだ続きます。

繰り返しますがこの列伝は個人的な趣味で書いているものですから歴史的間違いはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます。)

アグリッパ、ヴェルチンジェトリックス、ジューシーと続いてきましたがそれぞれ武将として優れまたドラマティックな人生でした。

しかし今回のティベリウス、あらかじめ言っときますが戦争での華々しいエピソードはありません。いや、正確に言えばアグリッパに負けず劣らず優秀な軍人だったのです。彼はローマという大帝国の中で運命を翻弄されます。しかし彼の人生は冷たく穏やかな鏡のよう。大きな台風の中でもその中心には風が吹いていないように彼の人生もまた静かに流れていきます。



生まれは紀元前42年ですから、カエサル死後2年くらい、ちょうどアウグストゥスがカエサルを継いですぐくらいです。
父は名門ティベリウス家の人。当時ティベリウスったらたくさんの政治家を輩出している名家でした。芸能界の海老名家みたいなもんです。
母はリウィア・ドルシッラ。クラウディウス氏族からリウィウス氏族の養子となったマルクス・リウィウス・ドルスス・クラウディアヌスの娘。うーん言葉の意味は良くわからんがとにかくすごい自信だ。

簡単に言うといいところの坊ちゃん、ということです。三国志で言うと名門袁家みたいなもんです。三代四公でしたっけ?四代三公でしたっけ?忘れたしどうでもいいけど。

もし50年前に生まれていれば彼は当然のごとく元老院入り(当時の国会みたいなもの)どころか文連委員長や学実委員長、そしてキャリアのトップであるローマ執政官(言わば総理大臣)にも当然なっていたでしょう。そういう家です。

しかし生まれた時代が悪かった。15、16、17と私の人生暗かった~、っと。

父は名門が故に体制派、時代はちょうどカエサルにより反体制が体制に移り行く時代です。長年にわたり5世紀にも渡る共和制という「体制」が崩壊を迎えつつある時代。カエサルの死を継いだアウグストゥスとは対立する勢力にいた父に連れられティベリウスは生まれたときから各地を転々とすることになります。

母に抱かれ敵から逃げる名門の子。本来であればローマのど真ん中でぬくぬくと育っていてもいい人です。それが辺境の町から町へ。当時、ティー坊はまだ乳児と言っていい年齢ですからどんな思いだったのかはわかりません。ばぶーとだけ言っていたでしょう。

戦乱が終わり、一家はローマへと戻ります。敗北者とはいえ名門は名門。キャリアはこれから、という話ですがそこに運命の偶然が起こります。

母リウィアを皇帝アウグストゥスが見初めたのです。

(リウィアとアウグストゥス)

この辺は結構適当な当時のローマ人。バツ一、バツ二とかあんまり気にしない人たちです。人の妻を取るのもまぁお互いが納得しているんならいいんじゃなーい、という感じです。皇帝とは言え無理をすればいちいちうるさい元老院とスキャンダル好きのローマ市民が黙っていません。このことからもこの結婚は一応、妻も旦那も納得の上だったと考えられます。

ティー坊の父母はアウグストゥスにより離縁され、母は皇帝の妻となります。そしてティー坊は父に引き取られ、母の愛を知らずに育つことになります。このときティー坊3歳。またもやばぶーと言っていたでしょう。

成長した彼はまず軍人としてキャリアをスタートさせます。奇しくも父の敵だったアウグストゥス軍の一員として。彼はずいぶん優秀な軍人だったようでいくつかの凱旋式にも参加しています。ばぶーと言いながら。いや言ってないけど。

彼は現皇帝の奥さんの実子です。もし普通の世であればどんどん出世したのかも知れません。現皇帝のアウグストゥスはすべてにおいて公平な人でした。しかしひとつだけ、執着したことがありました。それは自分の「血」です。ティー坊は今の奥さんの子ですが自分の血は引いていません。邪魔な存在ではありませんが愛する相手でもありません。ティー坊は一将軍として生きていくことになります。

結婚もしました。相手は皇帝の右腕アグリッパの娘ウィプサニアです。しかしその頃にはアグリッパはその娘の母とは離婚し、アウグストゥスの娘と結婚していました。ぱっと見、いい結婚のように思えますが、よくよく考えるとなんと言うか余りモノを押し付けられたような感じもします。ただティー坊自身は幸せでした。息子もばぶーと言ってましたし。

しかし、運命は彼を幸せなままにしておいてくれないのです。

…to be continued.

気分が良くて何が悪い?- What is so bad about feeling good?

2008-01-21 23:56:54 | 日記
こないだご飯を食べていたらテレビで(画面は僕の席からは見えなかった)、アニメの紹介で「三国志最強の武将と呼ばれた呂布がタイムスリップして現代日本の中学生の女の子に生まれ変わった!?平和な学園で大騒動を巻き起こす!」って言ってて飛び上がりました。
という話は今回の話とまったく関係がない。(でもすごいアニメだな)


よくさ、「最近どう?」って聞くと「いやー大変です」とか「ばたばたです」とか答える人が多いじゃないですか。

どうもそれは日本人の習性なのかね?

「どうよ最近?」「いや~大変ですわ」
「どうよ仕事は?」「いや~大変ですわ」
「どうよ結婚生活は?」「いや~大変ですわ」


あんたら大変星人か。

いや、そりゃ誰だって大変なんだろうけどさ。どうにも「大変って言っておいたほうがよい」という風潮があると思う。仕事でも「忙しそうにしているほうが偉い(というか無難)」というところもあるじゃん。なんというか謙遜と言うかね。

非常に個人的な意見なんだけどまず仕事に関しては「忙しい」ということを言わないようにしている。ほら、「忙しい」という字は「心(=りっしんべん)」を「亡くす」と書くからね。あんまりいい意味じゃないよね。

仕事頼まれるときにも「時間ある?」とか聞かれたら「あります!」と答えるようにしています。時間ない時には仕事頼まれないように会社にいないようにしている。

結婚に関しては経験がないので分からないけど「結婚生活どう?」と聞かれたら「楽しいよ~、結婚してよかった~」と答えられるのがいいと思う。そんな人いねーよと思うかも知れないけどうちの父は確実にそう。

僕は常に楽しいなぁと思っているけど30歳越えてからはまぁ~こりゃ楽しいね。こんな楽しくていいのかね、とも思う。そりゃ上見たらキリないんですけど毎日楽しいよ。美味しいもの食べて酒飲んで友達と遊んでさ。仕事だってまぁいろいろあるけど楽しいしね~。

今日はランチに新しい店を開拓してパスタはそんなに美味しくなかったけどセリエAの試合を流してたしカプチーノが美味しくて幸せでしたよ。



「幸せですか?」と聞かれたときに「ええ、幸せですよ」と答えられるような人生がいい。


(ちなみに今日のタイトル、元ネタ分かった人は友達になりましょう。)

趣味掃除、特技料理、好物収納

2008-01-19 21:42:16 | 日記
休日でした。

なのにさ~、隣の部屋が最近内装工事中なんですよ。平日はまぁ朝起こしてくれるからいいか、と思ってたんだけど土曜なのに8時からグィングィン作業。終いには壁(僕のベッドは壁際)に向かってギュイーンとドリルで穴開けてるからそりゃ目が覚めるっつーの。こんなの寝るのが好きなドッピオさんだったら壁に向かって浴びせ蹴りして意識失うところだ。

休日なのに早起きしてしまって何しようかなーと思ったらそうだそうだ、年末ばたばたしていて大掃除していなかった。ということで掃除。

あまり見た目から想像していただけないんだけど掃除大好き。

会社のデスクも超きれいだしね。仕事してても暇さえあれば雑巾を持ち出してその辺拭いてる。

(よい仕事と掃除の密接な関係についてはまた今度。)

まずは屋上に布団を干しに行く。人生で気持ちいいことはさ、そりゃ男女の営みに決まってるんだけど、しっかりと干した少し太陽のにおいのする布団でぐっすり寝るってのはその次くらいに気持ちがいい。

ベッドをひっくり返し掃除機をかける。どうせ隣もうるさいんだからとドッタンバッタンしてて気づいたけど下の階の人にはいい迷惑ね。

いい加減どうにかしなきゃと思ってた本棚と流しの下の掃除に取り掛かる。

本棚はね~もう宿命だね。増える一方だもん。

ポイポイカプセルの発明をまっていたんだけどあきらめて、本棚をちょっと前に出してその後ろに本を積む、という裏技で対処。きれいになった。



流しの下には食器を適当に入れているんだけどどうにかしないと、と思ってた。

ぐちゃぐちゃ。

これは棚がないからデッドスペースがあるんだな、とドンキホーテに原付でブィーンと向かう。棚ゲット。

キャーステキ!棚ってすばらすぃ!棚大好き!棚になら抱かれてもいい!
 
ぶら下げ収納もステキ!!

収納はいくらあっても困りませんなぁ。

ここまでやって12時。いつもの休日ならこのくらいの時間に起きるんだけどね。

気持ちいいまま皇居を走る。今日はなんか人が多かったなぁ。1周31分7秒。うーむ、5キロ30分が切れん。走り出して思うんだけどタイムを縮める、ってのはかなり大変なことだね。昔だったら「フルマラソン、世界記録を1分更新」とか聞いても「ふーん、つーかビール頂戴」とか思ってたけどゴメン、それはすごいことだ。

帰ってきてサックスの練習しにカラオケボックスへ。その前に指使いとか確認するためにサイゼリヤへ(カラオケボックスで確認とかしてたらお金もったいないし)。白ワインとマカロニグラタンで遅い昼ごはん。

サックスはね~、結局音が大きくて家では練習してないのでやっとドレミファソラシドがなんとかふけるかな、という感じ。でもおっきな音出すって気持ちいいよ。カラオケボックスで受付の可愛い女の子と「何名様ですか?」「一人」という会話するのは毎回恥ずかしいけど。「遅れて3名来ます」と嘘つこうかと思うけどお金取られるだろうから我慢してます。

人生で何が楽しいってそりゃ男女の営みに決まってるけど、「出来なかったことが出来るようになる」ってのはその次くらいに楽しい。走れなかった距離走れるようになったり楽器で音が出るようになったりさ。

帰りにスーパーに寄って今日のご飯のために食材を買い込む。

こないだ作ったポテッとしたポテトポトフが美味しかったので今日はそれのバージョンアップ。鶏胸肉(安いね~)、じゃが芋4個丸ごと、タマネギ1個丸ごと、キャベツ半玉丸ごとを圧力鍋にぶっこんでポトフにします。

こんなのが、

10分後にこうなります。

キャベツは笑っちゃうくらいにくったくた。今回じゃが芋は丸ごとだったからか思ったよりも煮崩れなかった。もっとポテッとさせたかったのに。ま、明日に期待。

じゃ、いただきます。

ということでよい週末を。

水曜日はカレーの日

2008-01-16 19:45:16 | 食べ物
ってわけでもないんだけど。

仕事場の近くにはいくつかカレー屋がある。

ひとつは基本的にはハワイアンレストランなんだけど昼はロコモコとかカレーがを出している。店員さんがハワイ風のユニフォームでそれもまたいいので結構行く。ハワイアンレストランのカレー、と言ってもパイナップルが乗ってるとかダイヤモンドヘッド並みのご飯の盛りというわけではなくて結構気合の入ったちゃんとしたカレー。女性が食べるには少し多いかな、というくらいの量。

それからアイリッシュパブ風のバーがランチにカレーを出しているところ。

それと本格スリランカカレー屋。これは結構スパイシーだし店の雰囲気も決していいとは言えないので好みの分かれるところだと思う。僕は別に嫌いではないんだけど食べ終わった瞬間に「じゃ行くか」と出たくなる。ま、落ち着かないんだよね、食後にコーヒーが出てくるわけでもないし。

それ以外ではなんかカフェが日替わりでたまにカレーを出していたり、「何食べてもまずい」と評判の店のカレーとか。(うん、カレーも美味しくない)

カレーを食べたくなって行く店の割合としてはハワイアンレストラン5割、スリランカ3割、パブ1割、その他(蕎麦屋のカレーうどんとか)1割、という感じ。

スリランカが水曜日休みなんだけど不思議なことに水曜日に「うーん、がっつりスパイシーなカレー食べたいな」と思うんだよね。それでその店に向かって前の道を入ったときに「そうだ!今日は水曜日じゃないか」と気づく。

ちょうどその前には松屋もあって「うーん、松屋でお茶を濁してしまおうか」とも思うんだけどいやいや、と思いつつ他のカレー屋に足を伸ばす。ちょうど高速道路が通っているところなので道の反対側に渡るのが結構おっくうなんだよね。

で、とりあえずカレー屋につき入り口入った瞬間に、「なすとひき肉のカレー!ご飯普通!」と叫んで席につき、タバコに火をつける。

今日もカレーが食べられて良かったな、と思う。

映画の話で夜があけて

2008-01-16 00:37:39 | DVD、映画
人それぞれ、「もう何度見ても!」と思うような映画があると思う。

たとえば僕にとっては「アンタッチャブル」。

高校の頃にバイトを始めてビデオデッキを買った。何を録画したかったわけでもないんだけどなんとなく留守録して録ったのが金曜ロードショーの「アンタッチャブル」。それまで映画なんてほとんど見たことがなかったけどこれは面白かったね~。



ショーン・コネリーとアンディ・ガルシアのかっこよさ!デ・ニーロの狂気!メガネの人(名前知らない)のコミカルさ。「いや~映画って本当にいいものですね」って思った。

駅の階段のシーンなんか最高。

大学に入ってよね3がビデオ屋でバイトしているときに、たまにビデオを持ってきてくれた。そのときは結構いろいろ見たけどなんたって心に残っているのは「パルプ・フィクション」

これも面白い映画だよね。

9日間連続で誰かが僕の家に泊まっている、というときがあって、そのとき3日連続くらいでよね3がこのビデオ持って来てくれたんじゃなかったかな。そして4日目には「吹き替え版」を持ってきてくれた、というね。どれだけ好きなんだか。

それから「カリートの道」



「カリート!カリート・ブリガンテ!!」
「ヘイ、ブロンクスのベニー・ブロンコだぜ」「お前はここに残れ」
なんて未だに覚えているなぁ。

それと忘れちゃいけない、「ブルース・ブラザーズ」



もちろんJ・ベルーシも最高なんだけど、エルウッドもいいんだよね。イントロのところでは仁王立ちなのに歌始まると踊りまくるところとかさ。

「モ’ベター・ブルース」もいいね!最高!


「Breek! your band! your band!」
「Please warm welcome to Mr.Breek…Giriam!」

なんて僕のモノマネ十八番のひとつですよ。


ということで、落ちはないよ。

邦画の話はまた今度。

休日でした。

2008-01-14 22:04:57 | 食べ物
成人の日ですか。僕の成人の日の思い出と言えば水道を凍結させてしまって(北海道では寒いので水道が凍る。普通のマンションではもう凍らないと思うけど僕の部屋は異常に寒かった)二日酔いのままシャワーも浴びずよね3と大通に行った覚えがある。晴れ着の人たちを見て人生負けた感じがしましたね。

さーて休日の晩御飯。

昨日は適当ポトフパスタを作りました。

じゃが芋を半分に切ったのとタマネギ丸ごと一個と鶏モモ肉一枚を適当に切ったの。鶏をローリエと茹でて灰汁を取ったら野菜とコンソメを投入し圧力鍋で8分。放置して圧力を抜き、蓋を開けて適当にマカロニを入れやわらかくなるまで茹でる。

うん、美味しい。

じゃがいもが崩れて(面取りしたんだけどね~)いい感じにとろみがでてる。ポテッとしてますよ、芋だけに。

今日の晩御飯はモツと野菜のトマト煮。

野菜はタマネギ、ニンジン、セロリ、ピーマン。適当に切ってニンニクとオリーブオイルをあっためた鍋で少し炒めたところにモツ(茹でてあるやつ)とローリエ投入。

モツって安いよね~。グラム80円。

茹だったら灰汁を取りトマト缶と赤ワイン投入。コンソメと塩コショウを適当にして圧力鍋で10分。この時点でワインを開けているので10分後には結構酔ってます。

出来上がったら別に茹でておいたマカロニにかけてその上から粉チーズ。今回は量が多くて明日も食べるつもりだったからマカロニ別茹でだけど食べきっちゃうなら鍋にマカロニ入れてもOK。

うん、美味しい。

30の手習い

2008-01-12 01:30:29 | 音楽
僕は今年で33歳になるわけですが、3年前、その年に30歳になる、という年の正月にちょっといろいろ考えました。

まぁいろいろ考えてそのほとんどは忘れてしまいましたが、ひとつは「趣味を持たなくてはいけないのではないか」と言うこと。

当時まで僕には趣味と言えるような趣味はまるで無かった。

多分一番プライベートな時間を使っていたのは「読書」だけど、「趣味は読書です」と答えてもなんかまぁありきたりでね。

大学の頃はTVゲームも良くやったけどもうやってないし、スノボは好きだけど札幌を離れて以来やってない。映画に関しても好きではあるけど最近は月一本見るか見ないか。趣味は言語学、なんて言ったら意味分からん。「女の子と美味しいもの食べることです」なんて言ったらちょっと正直すぎる。

よし、これからは1年にひとつ新しい趣味を始めよう!と思ったわけですよ。ありがたいことに独身30代男子だと自由になるお金は多少はあるしね。

そう思ってまず始めたのがイタリア語。次の年にはジョギング。

そして3年目である今年は何をしようかな、と思って正月に考えました。

自分の人生に足りないもの。いや、たくさんあるけど、キライじゃないけど足りないものは何か? うん、音楽だ、と思ったんです。

今まで僕の人生には「楽器を奏でる」という言葉はいっさい無かった。最後に奏でた楽器はなんだ?多分、学校で習ったピアニカかリコーダーくらい。それすら得意じゃなかった。

このまま演奏と無縁で死ぬのか?まぁそれももったいない、と思って音楽を始めることにしました。

何の楽器始めるか、と考えたときにまず選択肢は管楽器か弦楽器。ピアノとかはね~置く場所ないし。

チェロかサックスで悩んだんだけどサックスにしてみました。
決めたら即購入。

アルトサックス。なんにせよまず形から入る主義なのでね。

早速吹いてみると…音がでかい!

こりゃ近所迷惑になるわ。

うーむ、一人でカラオケボックスとか行こう。

今年の目標はとりあえず何でもいいから一曲吹けるようになること。

モ’ベター・ブルースなんて吹けたら最高だね。

ここに住みたい。家賃おいくら?

2008-01-09 23:42:11 | 日記
普通の人とほぼ同じで7日仕事はじめ。ですが8、9日と代休をいただきました。冬休みの4日から仕事してますからね。

休みをもらった理由は親戚が東京にあそびに来るから。僕の父の姉の娘。結構仲良し。それとその人の息子14歳。
8日の昼に上野に迎えに行き息子を東京観光に。都庁昇って見ました。

景色いいねー。

9日はディズニーシー。

ディズニーランドは結構好きなんだけどシーは行ったことなかったんだよね~。

行くまでは「え~シー?ジャングルクルーズないじゃん」と思ってた。何せジャングルクルーズ好きなんですよ。子供の頃なりたかった職業ナンバーワン。僕が船長やったら「すいません、喋りたりないんでもう一周」とか言うね。
でもやっぱいいわ、ディズニーシー!

モノレールは窓もつり革もミッキー。

冬休み明けてすぐなのでがらがら。大体のアトラクションが5分待ち。

がらがらっす。つーかさー5分待ちなんて待ち時間なしと同然だよね。アトラクション降りた後、入り口に歩いていったらまた乗れるの。

タワー・オブ・テラー5回、レイジング・スピリッツ4回、センター・オブ・ジ・アース3回乗っときました。これくらい乗ると「うーん、アトラクションより雰囲気楽しみたいんだよね~大人としては」と言いたくなるね。

あと面白かったのはミスティック・リズムというショー。

(HPから)
これは楽しいね。ライオン・キングみたいなショー。いや、見たことなけど。ブロードウェイにも匹敵するね。いや、行ったことないけどさ。屋内だからあったかいのがいい。結構火が燃えるのでそれもあったかい。

それからなんと言ってもゴンドラ。

ジャングルクルーズにも似て話が面白い。これは是非乗っていただきたい。
何せ船長さん(って言うのかな?ゴンドラ漕いでる人)の話がいいよねぇ~。

「橋の下をくぐるときには願い事が叶うといわれています。ぜひ目を瞑って胸の前で腕を組んで願い事をしてみてください。たまに両手を合わせて僕に拝む人もいますが僕にはそんなご利益はありません」
「このアトラクション、気を楽~にして楽しんでください。ただ西日がきついだけのアトラクションですから」

楽しいよね~こういうせりふ。

夜は水上のショーを見る。

きれいやわ~。

やっぱディズニーランドは楽しいよう。本当に帰りたくなかった。ここに住みたい。ここに住んだらさ~、朝起きてジョギングしてさ~、すぐうまいもの食ってさ~、暇つぶしにゴンドラのって歌でも歌ってさ~、夜はショー見ながら女の子といちゃいちゃしてさ~。仕事?いいよそのへんで大道芸でもするよ。

お酒が飲める、ってのもいいよね。なんかずっとバグバグ食べてた。

まず朝ごはん代わりにユカタンソーセージドッグ。

(HPから)

昼はスモークチキンのプレートとビール。

(HPから)

おやつにスパイシーチキンレッグ。

(HPから)

歩きながらココナツポップコーン。

これはにおいにやられた。

〆にギョウザドッグ。


いやいや堪能しました。これで1DAYパス5000円ちょっとは安いわ~。

ついでに近々にシーに行く人(主によね3)に丸秘情報。

・「最前列に座りたい」とか言ったほうがいいです。

ジェットコースター系はやっぱり最前列が楽しいんです。「何名ですか?」って聞かれたときに「2名なんですが一番前に座りたいんですが出来ます?」って(超笑顔で)お願いするとだいたい調整してくれます。

・スパイシーチキンレッグ

美味しいけどあぶらがダラダラたれます(ジャケットにたれた)。理想は買ってすぐ近くのユカタンベースキャンプというレストランに入って、そこでビール買ってテーブルで食べるのがいいですね。

・タワー・オブ・テラーのいい席


(HPから)

4の真ん中か1か6の真ん中がいいです。

↓こういう感じの席。
------後-------
333444
222 555
111 666
------前-------

4の真ん中は前に手すりとかないので足伸ばせて無重力を楽しめます。
1と6の真ん中は前に人がいないので景色独り占め。
逆にそれぞれの端っこはちょっと見づらい。
これも「何名ですか?」と聞かれたときに「2名。4の真ん中座りたいっす!」とかお願いしましょう(笑顔でね)。

・とにかくキャストの人に聞きまくったほうがいいです。

「ショー始まってるんですけど今からでも間に合う穴場ありますかね~」とか「あと乗っといたほうがいいアトラクションあります?」「土産何がいいすかね~」「妻になってよ~」とか何でも聞くと結構答えてくれます。

・シリキ・ウトンドゥの謎

最初のハイタワー氏の書斎でさ、これが消えるのは何度見ても分かりませんわ。知ってる人教えて。(いややっぱいいや)
それから最初の説明の部屋にかかってるシリキ・ウトンドゥをハイタワー氏に渡している現地の人。にがり具合が他人に見えませんでした。要チェック。

ローマ人列伝:ヴェルチンジェトリックス伝 4

2008-01-06 23:28:11 | ローマ人列伝
アレシアが陥落し、敗北を悟ったヴェルチンジェトリックス、すべての将、兵を集めこう告げます。

「この戦いは己の栄誉のためではなく、自由のための戦いだった。運命が私に敗北を与えたのならば、それに従うことにしよう。私を殺すか、あるいは生きたままローマ軍へ引き渡すか、諸君らが選択したまえ」

ガリア連合軍は彼をカエサルに引き渡すことに決め、彼を先頭にカエサルの元に出向きます。負けたとはいえガリア王、全裸で、いや全裸じゃないけど馬に乗ったままカエサルの前に立ちます。

ガリアの若き獅子対ローマの昇竜、初の対面。

この絵はヴェルチンジェトリックスがカエサルの前で武器を捨てたシーン。この瞬間、若きガリア王は単なる若きガリア人となりました。

まだ戦火の消えきらぬガリアの聖地アレシアを背に、どのような会話が交わされたのかは想像するしかありません。このローマ人列伝はほとんど僕の想像みたいなものですからここでも想像しましょう。

カエサルはまず若きガリア王の健闘を称えます。カエサルはもしかすると伝説に残るカルタゴ軍の天才、ハンニバルと自国の英雄スキピオにお互いを重ねていたのかもしれません。

神将の思わぬ言葉を聞いたヴェルチンジェトリックス。ひとまず感謝の気持ちを伝えます。良かれ悪かれ彼と戦うことにより自分の愛した部族は部族を超え、曲がりなりにも「国」の形を取りつつありました。戦いに負けはしましたが心から望んだ「団結」の結果です。何を恥じることがあるでしょう。
また戦乱の中でカエサルの戦略に触れることは武に生きる自分にとって何よりも興奮することでもありました。もし違う形でカエサルに会っていれば。二人は年齢を越えてよき友人になったかも知れません。あるいは「血統」に何一つこだわらなかったカエサルのこと、30歳下のこの若将を自分の後継者にすらしたかも知れません。

しかし今は勝者と敗者。敗者には何も残りません。戦争において勝利なき健闘に何の意味もないのです。カエサルは自分を奴隷にするか、それともこの場で首をはねるか。敗者はただ勝者の意志に従うだけです。若きガリア人はカエサルの目を見据えたまま、言葉を待ちました。

カエサルの言葉は、

「部下になれ」

でした。

カエサルはそもそも敵武将を殺さないことで有名でした。「自分は好きなようにやる、お前も好きなようにやれ」が口癖の男です。理由があって自分の敵になろうともそれは好きなようにやった結果です。怨みなど一切ありません。決着が着いてしまえばみんな友達。友達の輪。

ヴェルチンジェトリックスは驚きました。そして心が揺れました。

しかし、すべてを捨ててカエサルの部下になるには彼は若すぎました。もう少し年を取っていれば、残り少ない人生を惜しんで降ったかも知れません。若き彼が惜しむものは部族の誇りのみ。まっすぐさだけが若さのとりえ。彼の答えは「Non」(フランス人だからね)。

そのまっすぐな一言だけでカエサルは彼の思いを理解しました。そして二人の会話は終わりました。

ヴェルチンジェトリックスは捕縛。ガリア連合軍は後に遺恨を残さぬよう一部は解放、一部をローマ軍に併合。これによりカエサルの私軍は更に強固になります。

※私軍強化及びガリアからの税収による自身の財力強化がカエサルがガリアを攻めた目的ではあります。が、強大になったカエサルを元老院が恐れ、結果、軋轢を生むことになりますがそれはまた別の話。

カエサルは捕縛したヴェルチンジェトリックスと強大になった私軍を従えローマに凱旋します。

凱旋式の先頭を行くのは鎖につながれたガリアの若将。ガリア人を話では聞いても見たことは無いローマ市民は好奇の目で彼を見ます。そして最後尾のカエサルに最大の賞賛を与えます。

僕の勝手な想像ではカエサルはヴェルチンジェトリックスをローマ市民の目にさらしたかったわけではないと思っています。むしろ、自分の愛した敵将に自らの愛するローマを見せたかったのではないか。さすがに最後尾、カエサルの隣に敵将を座らせるわけには行きません。ならばせめて、一番良く見える最前列に。ルールに従い鎖に繋がれているとしてもそんなことでは傷つかない高い誇りをその若者は持っているはずです。

その後のヴェルチンジェトリックスを多くの歴史家はこう伝えます。

「6年間ローマの牢につながれた後、処刑された。敵将を処刑しないことで有名だったカエサルにとってですら、ヴェルチンジェトリックスは生かしておくには脅威だったに違いない。」

さてそうだったのでしょうか?

僕が想像するのは恐れ多いですがおそらくカエサルは6年間、事あるごとに牢に出向き、ヴェルチンジェトリックスの翻意を待ったのではないでしょうか。部類の人好き、人たらしで知られたカエサル。何度も何度も話をすればヴェルチンジェトリックスも考えを変えてくれるかもしれない、そう思って6年間待ったのではないでしょうか。

しかし思いというものは硬ければ硬いほど、年月が和らげるものではありません。逆に頑なになっていくものです。

6年目、「部下になれ」と言うカエサルの言葉にやはりヴェルチンジェトリックスの答えは「Non」(フランス人だからね)。そしてヴェルチンジェトリックスは続けたのでしょう。「獄に繋がれ恥の人生を送るのであればカエサル最大の敵として殺してくれ」。敵ながら愛した人の願いをかなえることはその人の死。カエサルは万感の思いを胸に処刑執行書にサインしたに違いありません。

こうしてガリア戦争は終わりました。





ガリアの獅子の死から2000年、かのアレシアの地にはフランス史上初の英雄、自由と解放、そしてガリア民族「団結」のシンボルとして彼の像が建てられています。

今もなお、ガリアの地に響くカエサル軍の蹄の音を聞くかのように。




<ヴェルチンジェトリックス伝 完>

ローマ人列伝:ヴェルチンジェトリックス伝 3

2008-01-06 00:29:25 | ローマ人列伝
一度は王手をかけながら掟破りの逆さそりで負けたヴェルちん、ガリア人にとって聖地とも言えるアレシアという都市に立てこもることにします。かたやカエサル、一度南下し兵糧と兵を補給します。ここに来てヴェルちんの戦略は裏目裏目。敗北を気にせず追走していれば得意のゲリラ戦に追い込めるかも知れなかったのに。。。

この年(紀元前52年)のカエサル軍の動きを見ておきましょう。
(右側の矢印は56年のものなので気にしないでください。)

北から始まり南下しジェルゴビア(赤線引きました)でヴェルちんを撃破、ヴェルちんは北東のアレシア(黄線)に敗走、カエサル追走、という動きです。これが後に「カエサル"し"の動き」とはぜんぜん呼ばれてはいませんが、各年のカエサルの動き(こちら)と比べると今までの矢印が比較的まっすぐだったのにくらべ、この年は明らかに動きが「ヴェルちん追走」に動いていたのが分かります。

アレシアに立てこもったガリア軍は8万、囲むローマ軍も8万。ただしガリア軍には援軍の当てがあり約30万がアレシアに向かっています。

アレシアを囲むローマ軍は工作上手のところをきっちり見せます。まずアレシアの周囲18キロに土手を築きます。土手には茨をつけて人が登って来れないように。その後ろには水を貯めた堀。更に落とし穴、穴の底には槍。更に落とし穴の手前には「棘」と呼ばれる細工。

棘を飛び越えたら落とし穴、スーパーマリオの9面を思い出します。

こちらは復元されたアレシア包囲線。

エキサイトバイクを思い出します。

こちらにまた違うアングルからの写真があります。(これ) よーう作ったなぁ。

史実に残るアレシア包囲網を見ておきましょう。

内側の紫の線が城壁、外側の青い線がカエサルの築いた包囲網。

恐れをなしたアレシアからは元の住人が脱走しカエサルに許しを乞います。しかし答えぬカエサル。住人は包囲網の中でぼこぼこと落とし穴に落ち死んで行きます。スペランカーを思い出します。

結果的にヴェルちんの篭城作戦はローマ人の一番得意技を使わせるだけに終わってしまいました。「兵站のローマ」と言われるだけあってこういううんしょ仕事は大得意なのです。

城壁の外からは落とし穴に落ちたアレシア住人の苦痛の声、その外側にローマ軍の怒声。もはやヴェルちんの頼みの綱はガリアの援軍のみ。援軍のみ、とは言え見込まれるのは歩兵25万、騎兵8千。ローマ8万を相手にするには十分な数、しかもガリアは内側と外側、包囲するローマ人を挟み撃ちに出来るのです。「花京院とじじいはDIOから逃げながら戦う、俺たちは追いながら戦う、挟み撃ちの形になるな…」
上記の図で言うと南西にガリア4個大隊が到着、包囲網突破部隊として待ちます。

ヴェルちん率いるアレシア部隊と突破部隊はカエサルによる包囲網の「穴」を見つけます。上図で言うと北西、○をつけてある場所があります。ここは川と山に挟まれ包囲網を築くことが出来ませんでした。

ガリア全軍はここを攻めることにします。

内から8万、外から30万、それがローマ軍唯一の穴を攻めるのです。

長年にわたり部族間抗争を繰り返して来たガリア人、ここに来て初めて心がひとつになります。戦える年齢にあるほぼすべてのガリア人が聖地アレシアに集いカエサルの「穴」を見つめています。ガリア全人民の団結。勝利ももちろんですが、ヴェルチンジェトリックスが望んだものはまさにそれでした。

いよいよ、アレシア攻防戦の火蓋が切って落とされようとしています。






塩野七生著「ローマ人の物語」の物語にこんな一節があります。

「なんであれその人の性格にあったやり方がもっとも巧く出来るのである」

団結に縁の無かったガリア人30万がひとつになりカエサルの「穴」を攻める、この攻め方は性格にあっていたでしょうか?

やはりガリア人の性格にあったやり方は「ゲリラ戦」、一点集中よりもフィールドを広く使った各個撃破が向いていたように思えてなりません。一方、希代の人たらしカエサルにとっては相手の心理の先を読むということでこれ以上性格にあったやり方はありません。

今までガリアがローマ軍に勝てた要因は「団結」、しかし歴史において勝てた要因が後に負ける要因になる、ということが起こりうるのです。

ガリア軍の無秩序さ、それは弱さであり同時に強さでした。理屈無視神出鬼没愉快痛快怪物君フランケンフンガードラキュラざーます。軍として強かろうと弱かろうとやりにくい相手であったことは確かです。ヴェルチンジェトリックスのおかげでガリア軍は団結して強くなりました。軍としてのレヴェルが上がりました。しかし残念ながら如何にレヴェルが上がろうが軍と軍の戦いであれば百戦錬磨のカエサル軍に敵うわけがありません。無秩序な部隊よりも秩序だった部隊のほうが強い反面、「読める」のです。

話は飛びますが歴史上名高いカンネーの戦い。ハンニバル軍4万がローマ軍8万を完璧に包囲し倒した戦いですが、ここにおけるハンニバルの戦術の成功要因のひとつに「ローマ軍の秩序」があったように思えます。ルール無用でやたらめったらかかってくる軍であればこのように綺麗にハンニバルの戦術にははまらなかったのではないでしょうか。ルールのある軍同士の戦いでこそ戦術は活きるのです。






地上最強の生物、範馬勇次郎は言いました。

「4人に勝てれば100人に勝てる」

さすがオーガ、意味が良くわかりません。

つまり100人対1人の戦いでも同時にかかってこれるのはせいぜい4人。他の96人の攻撃は届きません。一度に4人と戦うことが出来ればあとはそれを25回繰り返せばあら不思議、100人に勝ててしまうのです。

幅1キロにも満たないカエサルの「穴」、そこにガリア30万が攻め込みます。一見怒涛の攻撃、しかし実は一度に戦える兵数としてはローマと同等になっていました。あとはローマ軍のスタミナの問題ですがそこは「兵站のローマ」、不安はありません。

勝負事には常に「流れ」がつき物です。一度は引き寄せた「流れ」をヴェルチンジェトリックスは失いました。どこで?今までずっと避け続けてきた会戦を受けた故郷ジェルゴビアに流れがあったような気がしてなりません。やはりホームで負けてはいけないのです。

30万対8万という道内の人口にたとえれば函館対岩見沢という圧倒的な数的優位を持ちながらアレシアは陥落します。

…to be continued.