浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:アグリッパ伝 3

2008-01-03 00:36:08 | ローマ人列伝
アグリッパの親友であり皇帝であるアウグストゥスは非常にバランスが取れている人でした。


権力を持っていても濫用することはまったくありませんし、元老院とも非常にうまくやっています。市民との関係も良好。ただし、ひとつだけ他の人があきれるくらい執着したことがありました。それは「血」です。

アウグストゥスは人生をパクス・ロマーナ(ローマの平和)にささげました。そのために彼がやったことはすべてのシステム化。税制も政治もすべてシステムを作りました。彼の後を継ぐ人がそのシステムをメンテナンスすればよいようにしたのです。その彼がもっとも作り上げたかったのは皇帝の世襲システム。彼自身は皇帝の立場をカエサルからタナぼた式にもらいました。それには感謝しています。その代わり苦労も多かったのです。生まれたときから「自分は将来皇帝になる」と思っていたらもっと学べたかも知れません。自分の後を継ぐものがよく分からない人であればせっかく作ったシステムが無駄になってしまうかも知れません。皇帝の世襲システムを作り上げ現皇帝が次の皇帝に生まれたときから帝王学を叩き込む。それが連綿と繰り返されるようにしたかったのです。そのためには継ぐものは自分の子供でなくてはいけない。

もしかしたらアウグストゥスは決して名家ではない自分の家への引け目もあったのかもしれません。皇帝でありながら(この時代の皇帝は総理大臣くらいなので)元老院議場では名家出身の元老院議員からたびたびやり込められることもあったそうです。

カエサルを継いで以降、彼にとって子作りは手に入れた権力を自分の家に留め置かせるための重要な仕事になりました。

ここで、想像がつくかも知れません。

他のものすべてを捨てても手に入れたいと思った物は手に入れられない、というのが世の常です。そしてその手に入れたいと思っているものがささやかであればあるほど手に入れられないのです。

残念ながらアウグストゥスは男子に恵まれませんでした。生まれたのは女の子、ユリアのみ。仕方なくアウグストゥスは姉アウグスタの息子マルケッルスに嫁がせます。しかしマルケッルスは子を生む前に19歳で死亡。未亡人となったユリアをアウグストゥスはアグリッパに嫁がせることを考えます。

アグリッパはこの提案を快諾。妻と離縁しユリアと結婚します。アグリッパ40歳ユリア19歳。(調べるの面倒なので年齢適当。21歳差というのは正解)

あらかじめ言っておくとローマでは離婚と言うのはそんなに恥ずべきことではありませんでした。離婚した女性と結婚することも普通のことなのでアグリッパが元の妻によっぽどひどいことした、という感じではないです。

アグリッパは「血」にこだわるアウグストゥスの気持ちをしっかり理解していました。子供を望みながら女の子一人しか持つことの出来なかった友人アウグストゥス。カエサルとアウグストゥスに会わなければ騎士階級の自分は百人隊長(足軽頭くらいだと思っていてください)になるのが関の山だったでしょう。それが彼らのおかげで皇帝の右腕にまでなれたのです。娘と結婚し子供を産むことくらいお安い御用です。アウグストゥスは病弱だったため常に死の不安と戦っていました。一方アグリッパは子供の頃から頑丈がとりえ。アウグストゥスの血に自分の頑丈さが入ればアウグストゥスの考える皇帝家系は更に強固なものになるでしょう。

更にアウグストゥスはもし子供が生まれる前に自分が死んだら次の皇帝はアグリッパにお願いしたい、とも言ってくれているのです。中継ぎ的な皇帝とは言えアグリッパには異存のひとつも在りません。

アウグストゥスの血にこだわるが故の政略結婚ですが娘ユリアとの結婚は決して悪いものではありませんでした。幸福なものだったと伝えられています。(アグリッパ死後、ユリアは悲しい運命をたどるのですがそれはまた別の話)

さすが頑丈なアグリッパ、ユリアとの間にどんどん子供をもうけます。子供が生まれるたびに「おめでとう、アグリッパ」という友のねぎらいが嬉しくもあり悲しくもあり。

長男ガイウス・カエサル、次男ルキウス・カエサル、長女小ユリア、次女大アグリッピーナ。

※この時代、女の子はだいたい母の名前をそのまま名乗るか、父の名前を女性系に(…ーナ)して名乗るのが普通でした。だから日本語にすると一応区別するため大とか小がつきます。
※また長男ガイウス・カエサルですがあのカエサルと同じ名前、Gaius Julius Caesar。将来の皇帝となることが約束されていたことが分かります。

大アグリッピーナが生まれ更に5人目の子(三男アグリッパ・ポストゥムス)の妊娠が分かった紀元前13年が彼らにとって一番幸せだった年かも知れません。ローマ帝国はとりあえずOK、直系の男子を欲しがったアウグストゥスにとってもとりあえず2人の男孫を授かりました。その2人の男孫はアウグストゥスの養子となり帝王学を叩き込みます。アウグストゥスの幸せは自分の幸せであるアグリッパにとっても友人が一番欲しかったものを自分が与えることが出来たのです。
子供の歓声と友人の笑顔に囲まれたアグリッパ、至福の時間だったに違いありません。

50歳になっていたこのとき、アグリッパが考えていたことは多分3つ。

ひとつはローマ帝国のこと。これからも自分の仕事である公共事業をきっちりやって更によい国にしていこう。友と誓ったパクス・ロマーナ(ローマの平和)。

二つ目は友人アウグストゥスのこと。多分、病弱な友人は自分より早く死ぬだろう。彼が50まで生きられた、ということだけでも感謝しなくてはいけない。自分は友情の証として養子に出した長男と次男をしっかり育て、彼の後を継がせなくてはいけない。万が一、長男次男が若いうちにアウグストゥスが死ぬようなことがあれば中継ぎとして自分が皇帝を継ぐことも考えなくてはいけない。

三つ目は前の二つに比べるとまぁどうでもいいこと、自分の家。今度生まれる子が男であればそいつに継がせよう。もし女の子だったらどっかから婿でももらえばいい。アグリッパ家は長男次男どっちかが皇帝になるのだから皇帝を出した家、ということで名家の仲間入りも出来るだろう。出来れば次に生まれる子は男の子で、兄である皇帝を補佐して、自分と友人アウグストゥスみたいな関係になってくれれば言うことないなぁ。

ローマ帝国と皇帝アウグストゥスに人生をささげた男のささやかな3つの願いは残念ながら1つしか叶いません。

1年後、アグリッパは死にます。病死。

頑強で鳴らしたアグリッパ、彼の寿命は50歳だったのです。病弱でいつまで生きられるか分からない、と言われたアウグストゥスよりも早く死んだのです。紀元前12年のことでした。(ちなみにアウグストゥスは77歳までの大往生を遂げます)

アウグストゥスは悲しみます。そして最高の友人のために今は養子となった二人の息子をしっかりと育てることを誓います。

その誓いを神はかなえません。

紀元前4年。まず次男ルキウス・カエサルはこれから、という15歳で病死します。軍人としてのキャリアをスタートさせるべくスペイン方面に向かう船の上でした。

更に紀元前2年。長男ガイウス・カエサルは24歳の年にトルコ付近で戦闘中で負傷。その怪我が原因で旅先でローマを見ることなく死にます。

アウグストゥスはあせります。自分の「血」を継がせるためにアグリッパに産んでもらった後継者がこの2年の間に死んでしまったのです。もはや自分の血を継ぐ男子はアグリッパの忘れ形見である彼の三男アグリッパ・ポストゥムスしかいません。名前にカエサルとついておらず、アグリッパであることからもこの三男はアグリッパ家を継がせる予定でした。

しかしそんなことは言ってられません。手段は選んでられません(このへん、アウグストゥスの外観イメージはパルパティーンでお願いします)。アウグストゥスは即刻、彼を養子にし次期皇帝として育てます。

しかし運命は皮肉です。

唯一生き残ったアグリッパ・ポストゥムスは養子になってすぐ、性格の問題により牢に幽閉されることになりました。正確なことはわかりませんが幽閉されるほどの性格、というのですからかなりのもんでしょう。もしかすると精神的な病であったのかも知れません。また皇帝の跡継ぎ争いに巻き込まれた策略だった、という話もありますが正確なところは分かりません。
分かっているのは彼が紀元14年、アウグストゥスの死とともに処刑された、ということだけです。

結果、ローマ初代皇帝アウグストゥスの跡を継いだのはアウグストゥスの妻、リウィアが前夫との間に作っていたティベリウス。アウグストゥスとは血はつながっていません。

更にアグリッパの娘、長女小ユリアですが、ずいぶん奔放な娘に育ってしまったようで様々な人と浮名を流します。アウグストゥスは浮気を規制する法律を作っていましたがその彼の孫娘がその法律に違反しているものは市民の間ではずいぶんうわさの種になりました。結果、父が作った法律で娘が追放される、ということになりました。

次女、大アグリッピーナは結婚し6人の子を産みますが、そのすべては成長して権力闘争に巻き込まれ殺されます。

(大アグリッピーナ)

大アグリッピーナ自身も流刑された地で死にます。更に大アグリッピーナの娘、小アグリッピーナは暴君ネロの母として名を馳せ、「アグリッピーナ」(アグリッパの娘、の意)は悪女の代名詞となります。

アウグストゥスのためにすべてをささげたアグリッパのたった一つの喜びはアウグストゥスの願いをかなえることでした。ローマのためにすべてをささげたアウグストゥスのたった一つのこだわりが「血」。アグリッパは快く自分の人生を差し出しました。たぶん、そのとき二人は笑顔だったでしょう。

ローマ市民は最高の皇帝であるアウグストゥスとその忠臣アグリッパに常に笑いかけました。戦いの神ヤヌスですらもアグリッパには微笑みました。ただ彼らの「血」だけが彼らに笑顔をもたらしませんでした。


(死後発行されたアグリッパの彫られたコイン)


<アグリッパ伝 完>

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8 コメント

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Unknown (よね3)
2008-01-03 01:00:32
長いので明日読みます

嘘です、読みました。先生のシリーズを一通り読んでから、自分も読んでみようかなと思いました。

ハンニバルのお話も読みたいです。
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Unknown (show)
2008-01-03 01:10:21
あざーっす。

かきながら僕も「なげーなー」と思ってました。

次はガリアの若き獅子、ヴェルチンジェトリックス書きたいです。構想段階で確実に4回シリーズは越えそうな予感です。

ハンニバルは確実に10回シリーズものです。
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Unknown (マドモアゼル唯先生)
2008-01-03 11:34:06
いやー面白かったわ。
結局、誰が2代皇帝か気になってウィキってたら止らない。
ティベリウス、カリグラの途中まで読んだけど
これで良く1400年も続いたなローマ。
ってくらい2代目から波乱の展開ですな。
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Unknown (show)
2008-01-03 16:28:24
そうね、誰が継いだのか描き忘れてた。アグリッパ伝なので関係ねーかーなーとも思ってたんだけど。追記しました。

カリグラはひどいね。ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロ、までは悪帝の時代が続きます。
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Unknown (マドモアゼル唯先生)
2008-01-04 15:21:59
そうか、2代目以降が酷い時代なのね。
カリグラも十分悪帝だと思ったけど、
暴君ネロってくらいだから、かなりのワルなんだろうね。
あ、まだ、ビデオみてないからネタバレなしで。


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Unknown (show)
2008-01-04 16:42:14
あくまで「元老院と市民からの評価では」悪帝なんだけどね~。ティベリウス伝は弁護のために書こうと思っています。カリグラはま、いいや。
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Unknown (Ciliege)
2009-06-11 04:02:47
showさんのローマ人列伝を全部読んでいるところです。
とっても勉強になるし、読み出すと止まりませんね。

オクタヴィアヌスとアグリッパ伝の最後、あまりに悲しいです。
はぁ~。
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Unknown (show)
2009-06-11 21:25:27
>Ciliegeさん

光栄です。
でも何よりもCiliegeさんがうらやましいのはイタリアにいらっしゃるからこういう人たちの遺跡を生で見られる、ってことなんですよねー。僕はローマのパンテオン(アグリッパが建てた)を生で見たら2時間泣きます。
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