なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ番外編

2017年07月18日 10時03分04秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

先週お話しした『焼け跡から』についてもう少し話させてください。
この舞台の原作は、作家西村滋さんの『それぞれの富士』という作品です。
西村滋さんについての資料を読み、是非ご紹介したいと思いました。
この文章を書かれたのは、兵庫県丹波市浄土宗の和尚さんで「天壺山主人」と名乗られる方です。
次のような文章です。

「原作者のこと」
この劇の原作者・西村滋氏に関し、浄土宗の僧侶・荻野圓戒上人(故人)から伺った話がある。同氏の母にまつわる話である。
氏がまだ5歳になるか成らないかの頃、ある日突然、母が庭に新しく建てられた粗末な離れに移ったのだそうである。
事情を知らされていない滋少年は、母恋しくてその離れの母に会いに行くのだが、あの優しかった母が、あろうことか、彼が近づくとありったけの罵声を浴びせ、コップ・手鏡・枕等々傍にある物を手当たり次第投げつけたのだという。
実はその時、母は結核を病んでいた。自ら不治の病に冒されたことを知った彼女は、家政婦さんに次のように告げたのだそうである。
幼い子が母親に死なれて泣くのは、優しく愛された記憶のなせるもの。もし憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。
また、夫が再婚したなら、その継母に愛されるためには、実の母に対して憎しみを持っている方が良い…と。
この家政婦さんは、滋少年が幼稚園から帰ってくると、必ず離れのある裏庭で「大きな声で!」と言って、彼に幼稚園で習った歌を歌わせたのだそうである。
言うまでも無い、離れにいる母親に聞かせるためにである。
しかし、滋少年は、母の望み通り?心底母を憎み、葬儀の際、「棺の中のお母さんに花を」と勧められても、家政婦さんに全身で抵抗し、棺の中の顔すら見ようとはしなかった。
少年が9歳の時、父親も結核で病没。そして継母もいずことなく姿を消して、彼は孤児院を転々としながら次第にグレていったのだそうである。
その滋少年の前に、ある日家政婦だったおばさんが現れた。
彼がいっぱしの札付きであった13歳の時である。
そして彼に、母にまつわる出来事の詳細を語って聞かせたのだという。
それは、彼が20歳になるまで伏せておいて欲しいと、母から頼まれていたことでもあったのだが、滋少年がグレているという噂を聞いて堪らず駆けつけてきたのだという。
全ての事情、母の深い深すぎる愛を知り、彼の目からとめどなく涙があふれ出たことは言うまでもない。
そして、この日を境に彼は立ち直ったのだそうである。

涙で回す八十八番
その後、孤児院で小さな子達のまとめ役となった滋少年は、何度も自分がもてあます問題に直面することがあったのだという。
そんな際、彼は電話ボックスに飛び込んで八十八番(=はは)をダイヤルし、受話器に向かって「お母さん!」と大声で呼びそして泣いた。
彼は其れを繰り返すことで心の平静を取り戻したのだという。
その西村氏は、自らの境遇に似た戦災孤児を題材にした多くの著作を世に問うている。
氏は戦災孤児に何を見、如何なる心を通わせ、そして彼らを通じて何を語りかけたのだろうか?
そして又、そこから紡ぎ出された「焼け跡から」で、劇団・希望舞台が我々に問いかけているものは一体何なのか?   (天壺山主人 識)


この舞台が訴えるものは、この原作者の体験がベースになっているということが分かりました。
因みに、西村氏は「戦災孤児」ではなく、「戦争孤児」という言葉にしています。
次のように語っています。

「戦災孤児とは云わない。こだわるようだが、「災」が、自然災害を連想させるので。そして人間達はいつからか、台風でも地震でもない戦争という人工悪を習慣的にまた、不可抗力として自然災害同様のものと思いつつあるみたいなので。」と。

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