なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ75

2016年10月02日 07時15分41秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

おはようございます。
朝晩はめっきり肌寒くなってきました。
昨日今日は稲刈りの最盛期です。

さて、昨日は池田弦さん、弦ちゃんでいいか、弦ちゃんの偲ぶ会でした。
200席準備した中央公民館の椅子が足りなくなり追加するほどでした。
殊更に感情を引き出すような演出もなく淡々と進めながら、一人一人の一つ一つの言葉に、皆共感し、涙のあふれるいい会となりました。

第1部は、弦ちゃんの最上町での活動を中心とした映像の上映。いい出来でした。
次いで、代表者3名による追悼の言葉。
特に3番目に立った弦ちゃんに合唱指導を受けた少年、今は青年の言葉には皆涙しました。
思いのこもったとてもいい言葉でした。
そしてビデオメッセージ。上條恒彦さんからもありました。
休憩をはさんで第2部は演奏と合唱。
母親である池田敏美さんのヴァイオリン演奏とピアノ。
敏美さんは、弦ちゃんとの思い出の曲を涙を流しながら弾かれました。そうでしょうね。
そして、やなせななさんの歌。『手向け花』と『青空ピアノ』の2曲。
『手向け花』は、最新アルバムに収録されている1曲ですが、新潟小千谷の片貝花火で上げられる供養花火を題材にした歌です。まさに弦ちゃんに捧げる供養の歌でした。

ななさんと弦ちゃんのつながりはまけない!タオルでした。
震災の年の4月にまけないタオルを思いつき、私と彼女で作り始めました。
同じスピードでテーマソング『まけないタオル』が出来、6月に彼女と二人で被災地にタオル配布ツアーを行いました。
その最後に松林寺に寄ってもらい、大般若会で歌ってもらったのが、最上町での最初のまけないタオルでした。
その時寺に来ていた門前の亘くんが、ななさんの控室まで来て、「今の歌を子どもたちにも歌わせたいんだけどだめですか」とお願いしました。
彼女は即答「いいですよ」。
そして相談された弦ちゃんのが知り合いに依頼して出来上がったのが合唱曲『まけないタオル』でした。
その後弦ちゃんの指導で、最上町の全部の小学校でこの歌が歌われるようになりました。
弦ちゃんがプロデュースした震災復興支援演奏会「音の風」の最上公演、東京公演、最上中学校での音楽祭、埼玉県加須市の双葉町避難所でのコンサートにもななさんが出演しています。
そんな縁で、今回ななさんも奈良から来てくれることになったのでした。

最上町男女混成年代混成合唱団「絆」の合唱では、もちろん「まけないタオル」も歌われました。
最後は会場全員で『千の風になって』を歌って弦ちゃんを偲びました。

こんなにも幅広い人から慕われた弦ちゃんという人はどんな人なんだろうと思います。
48歳という若さでこの世に別れを告げてしまった弦ちゃん。
多くの人たちの心を揺さぶり、心に刻み、笑顔と多くの教えを遺していった弦ちゃん。
でも、もしかしたら、それが弦ちゃんの生きた意味であり、48歳でこの世を去った理由なのかもしれません。
弦ちゃんが実らせた種は、たんぽぽの綿毛のように、音の風に乗って、遠く近く幅広く広がり、多くの人々の心に根付かせていきました。
お疲れさま、弦ちゃん、ありがとう。
「弦風唱導信士」 合掌。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


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1 コメント

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もったいない人を失った! (栗林です。)
2016-10-02 11:07:55
昨日は本当に心のこもった「偲ぶ会」でしたね。こんな素敵な音楽葬が最上で実施されてまるで夢を見ているようでした。私は弦さんとは距離をとっていました、近づくとなんかこっちまで燃えてしまいそうで…今思うともったいないことをしたなぁと…。彼の意志を少しでも継承することがこれからの私の役目かな…この町の音楽活動に積極的に参加して行こうと思います。月末の分水領祭りにギターサークルで参加しますよ、弦さんの追悼公演だ!
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