日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

京阪電鉄で巡る旅(5)円満院 その壱

2022-09-23 | 仏閣

京阪電鉄で巡る旅、しばらくお休みしていましたが、久しぶりに続きをアップします。

今回は、滋賀県大津市園城寺町にある円満院を紹介します。

京阪電車石山坂本線「大津市役所前」駅より徒歩7分「三井寺」駅より徒歩10分「浜大津」駅より徒歩15分
と、どの駅からも徒歩圏内にあります。

この時は、「大津市役所前」駅で下車し、大津市歴史博物館を見学した帰りに、円満院に立ち寄りました。


圓満院は寛和三年(987年)に、村上天皇の第三皇子悟円親王により創立された天台宗の門跡寺院です。
三井三門跡の一つであり、開基当時は平等院と呼ばれていました。

永承7年(1052年)、関白・藤原頼通が父の道長の別荘であった宇治殿を寺院に改めて、平等院(後の圓満院)の明尊大僧正によって完成しました。

悟円親王の子永円親王が初代院主となり、三井平等院の名前を宇治に譲り、現在の宇治平等院の初めとなっています。

一方三井平等院は明尊大僧正によって圓満院と命名され、悟円親王をはじめとして歴代皇族の入室する門跡寺院となりました。

しかし室町時代後期までは、通称三井平等院と呼ばれていました。

江戸時代の初期に現在地に移転し、正保4年(1647年)には寝殿が明正天皇より下賜されています。

(円満院HP、Wikipediaより)


勅使門

皇陛下や、天皇陛下のご命令や勅旨を伝達するために寺院を訪れる勅使がお越しの時のみ開門されました。



護摩堂

毎月28日、第2日曜日に不動護摩が行われます。


宸殿(重要文化財)

大玄関の前に広がる白砂の手前には、通常、青竹の結界が張られており、本来は、天皇陛下が行幸された場合のみ、その結界が開けられます。

当初は元和5年(1619年)に2代将軍・徳川秀忠と江姫の五女・和子(東福門院)が後水尾天皇に入内した際に禁裏に造営されたものと伝わる。
その後正保4年(1647年)になって和子所生の明正天皇によりこれが円満院に下賜されて同地に移築されたもので、1902年(明治35年)には国の重要文化財に指定された。

湧き水「三井の名水

天智天皇・天武天皇・持統天皇が産湯をつかったとされる湧き水です。

長寿がかなうと言われている開運の湧き水を、ペットボトルなどをご持参すれば、無料でいただけるそう。


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岩佐又兵衛「浄瑠璃物語絵巻」(2)

2022-09-13 | 浄瑠璃姫
※2014年の秋に、熱海のMOA美術館で催された展覧会を振り返っています。
 
 
この展覧会は、岩佐又兵衛の三大絵巻を同時公開ということで、前々から楽しみにしていました。
 
展覧会場内はもちろん撮影禁止なので、私が事前に購入したMOA美術館所蔵「岩佐又兵衛作品集」から何場面が紹介します。
 
『浄瑠璃物語』

奥州へ下る牛若と三河矢矧の長者の娘浄瑠璃との悲恋物語。

15歳の春、鞍馬を出た牛若は奥州を目指す。


浄瑠璃姫と出会い、恋に落ちる牛若

 




 
しかし、先を急がなければならない牛若は、浄瑠璃姫と別れる。
その悲しさと旅の疲れからか、牛若は病に。

源氏に伝わる宝物が、大蛇、白鳩、烏、小童に姿を変え、牛若を守る。


後に浄瑠璃姫を再会した牛若は、平家討伐の暁には、浄瑠璃姫を北政所にすることを約し、大天狗・小天狗に姫を送り届けるように頼む。


といった展開で進んでいきます。

又兵衛の絵は、愛と復讐の物語というテーマで、凄惨な合戦場面や惨酷な殺戮場面が描かれている点が共通しています。
 

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岩佐又兵衛「浄瑠璃物語絵巻」(1)

2022-09-05 | 浄瑠璃姫
2014年の秋のことですが、熱海のMOA美術館で開催された岩佐又兵衛の「豊国祭礼図屏風」と「浄瑠璃物語絵巻」という展示会へ出掛けて来ました。



  

岩佐又兵衛といえば、今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも一躍有名になった黒田官兵衛を有岡城に幽閉した荒木村重の子どもで、落城の際、城の残された荒木一族・郎党は惨殺されましたが、幼子であった又兵衛は乳母に救い出され、京都の本願派寺院あるいは石山本願寺に保護されました。 成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り、信長の息子織田信雄に近習小姓役として仕え、信雄の改易後は「勝以」と改名し、京で絵師の修業を積んだといいます。

この又兵衛の作品の一つに「浄瑠璃物語絵巻」があり、義経浄瑠璃姫の物語が描かれています。


展示会場まで、この近未来的なエスカレーターに乗って行きます。


色も少しずつ変わっていくのですよ。

 
 
円形ホール

まるでUFOのようですね(@_@;) 

いったいいくつのエスカレーターに乗り換えるのでしょう?


両サイドに上下1基ずつ、計14基、総延長は約200m、高低差は約60にも及ぶそうです。


ようやく本館展示場のフロアーへ



 

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