日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

岡崎めぐり(8)大樹寺 松平八代墓

2019-06-26 | 

松平八代墓




元和元年(1615)徳川家康は、先祖松平八代廟所を寺内に建立しました。




元和3年には家康の一周忌が営まれ、現在の墓の姿が整ったとされます。

昭和44年には岡崎市民が家康の徳を顕彰して遺品を納めて墓と碑を建立しました。

徳川家康の墓

 

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岡崎めぐり(7)大樹寺 

2019-06-19 | 仏閣

永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで、今川義元を失った今川軍は潰走、拠点の大高城で織田方の水野信元の使者からの今川義元討死の報を聞いた松平元康(のちの徳川家康)は、岡崎の松平家の菩提寺・大樹寺に手勢18名ととも逃げ込みました。

しかし寺を囲んだ追撃の前に絶望した元康は、先祖の松平八代墓前で自害して果てる決意を固め、第13代住職登誉天室に告げると、登誉は問答の末「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)」の経文[汚れなき世を築くために生きよ」の教えを説いて諭しました。これによって元康は、生き延びて天下を平定し、平和な世を築く決意を固め、教えを書した旗を立て、およそ500人の寺僧とともに奮戦し郎党を退散させました。以来、元康はこの言葉を馬印として掲げるようになります。こうして元康は、今川軍の元での城代山田景隆が打ち捨てて空となった古巣の岡崎城に辿り着いたとされています。

大樹寺の歴史

応仁元年(1467年)、松平氏宗家第4代当主の松平親忠が井田野合戦の死者を弔うために千人塚を築きました。しかし、塚が振動し、悪病が蔓延するなどの事態となり、増上寺開山聖聡の孫弟子勢誉愚底(せいよぐてい)に念仏をさせて抑えたといいます。
文明7年(1475年)、戦死者供養のため松平親忠の開基、勢誉愚底の開山により大樹寺が創建されました。「大樹」とは征夷大将軍の唐名であり、松平氏から将軍が誕生することを祈願して、勢誉愚底により命名されたと伝わるものです。
親忠により大樹寺は松平氏の菩提寺とされ、松平郷の高月院にあった墓から分骨され、先代3代である松平親氏墓、松平泰親墓及び松平信光墓が大樹寺に作られました。
天文4年(1535年)、松平氏宗家第7代当主松平清康により再興され、一層方形二層円形の多宝塔が建立され、現在、国の重要文化財となっています。

山門 


寛永18年(1641)徳川家光建立(県指定文化財)
楼上に後奈良天皇の勅額「大樹寺」(重要文化財)が掲げられ、釈迦三尊16羅漢を安置しています。





本堂


松平家と徳川幕府の庇護のもと隆盛を誇っていた大樹寺も、安政2年(1855)幕末の騒然たる時代に、出火により本堂、庫裏、書院など主要建物が全焼し、後に約2~3割減の規模で再建されたそうです。






鐘楼



寛永18年(1641)3代・徳川家光公建立。楼上の大鐘は9代・家重改鋳によるもの。

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岡崎めぐり(6)滝山東照宮

2019-06-12 | 神社

滝山寺境内の滝山東照宮は、三代将軍・徳川家光の命により勧進されたものであり、日光、久能山とともに、東照宮三宮とされています。



正保元年(1644年)、徳川家光は徳川家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせたところ、家康もよく訪れていた滝山寺に観請するのが良いということになり、正保3年(1646年)9月17日に創建されました。

創建以来、滝山寺が別当職を兼務(別当寺)してきましたが、明治6年(1873年)の神仏分離により、滝山寺の運営から独立して独自の神官が選任され、無格社に列せられました。

大正5年(1917年)白山社、日吉社を合祀。

大正12年(1924年)稲荷社、若一皇子社、荒神社、神明社を合祀。

昭和28年(1953年)11月、本殿ほかが国の重要文化財に指定されました。昭和44年(1969年)より社殿の復元・大修理が行われ、
昭和46年(1971年)に完工。

本殿、拝殿・幣殿、中門、鳥居、水屋が重要文化財となっています。

拝殿




本殿









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岡崎めぐり(5)滝山寺

2019-06-05 | 仏閣

滝山寺は1300年前に開かれた古刹で、天武天皇の勅願により薬師如来を祀り、吉祥寺と名乗ったのが始まりとされています。

山号を「吉祥陀羅尼山」、院号を「薬樹王院」といい、熱田大宮司家、源頼朝の鎌倉幕府、歴代の足利氏、徳川家の恩恵を受けてきました。

岡崎市最古の和様建築物である三門、本堂ともに国の重要文化財です。

三門

(三門の画像:Wikipediaより)

本堂



貞応元年(1222年)三河の地頭で清和源氏の流れをくむ足利義氏が額田郡碧海の庄、吉良の東条・西条の住人に命じて五間四方の本堂を建設。

現在の本堂は、明治43年頃に解体・大修理をしたもの。

寺宝の聖観音・梵天・帝釈天三尊像は、鎌倉時代の第1の仏師運慶・湛慶父子の作として、昭和56年に国の重要文化財に指定されました。

聖観音像は源頼朝の等身大で、仏身に御髪と御歯が納められています。

本坊




寺の裏には、近江国日吉大社から勧請、慶長13年(1608年)徳川家康が建立、正保2年(1645年)、徳川家光が再建したといわれる日吉山王社があります。



この時、ちょうど修復中でした。




徳川五代将軍・徳川綱吉寄進の梵鐘


立ち並ぶ石灯籠

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