日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

近江鉄道サイクルトレインの旅(5)多賀大社の文庫~つり鐘

2018-06-26 | 神社

文庫


桜田門外の変の後、彦根藩は勤王の旗印を刻印を明らかにしました。
この文庫は、江戸時代に多賀大社の神職などを務めた車戸(くるまど)家の文庫で、昭和7年の造営時に現在地に移築されました。幕末期の車戸宗功(そうこう)は勤皇の考えが強く、長州藩士ら勤王方と彦根藩老との仲介役を務め、徳川幕府家の井伊家の領内にある中で、長州の伊藤俊介(後の博文)らと、この文庫内で密会していたといいます。




大釜


寛永10年(1633)と元禄12年(1699)の銘が入った釜が2つあり、多賀大社が造営された竣工時に湯神楽に使うために寄進されたとされています。

 

神輿庫


昭和の造営時に、参集殿の西側から移築され、鉄筋コンクリートで築造されました。
神輿と鳳輦(ほうれん)が保管され、4月22日の古例大祭(多賀祭り)の際、町内を巡行します。


 
鐘楼



天文24年(1554)に不動院の別当・祐尊の歓進で鋳造されたもので、寄進者の中には浅井長政の幼名・猿夜叉も。
昭和61年の多賀講創設五百年の記念事業の一環で、現在地に新築された鐘楼内につり下げられました。



(滋賀彦根新聞参照)

近江鉄道サイクルトレインについてはこちらをご覧ください。
http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/cycle/index.html/

 


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近江鉄道サイクルトレイン(4)多賀大社の奥書院・名勝庭園

2018-06-17 | 神社

奥書院は多賀大社に残る最も古い建物で、江戸時代中期、安永12年再建の不動院書院跡です。








IMG_0254 奥書院

鶴の間






床の間に富士山と鶴が描かれています。



彦根藩井伊家の参内の時の休憩所ともなり、勅使の間ともいわれています。

狩野派の絵師による襖絵は、元々多賀大社の別当寺(神宮寺)であった天台宗不動院の大書院にあったもので、安永2年(1773年)の大火で大書院が焼失した際にも持ち出されて無事だったそうです。



庭園(国名勝指定)


奥書院から見下ろすように築かれた安土桃山時代の池泉観賞式の庭園で、広さは約二百坪。



正面に守護石を据え、左右に鶴と亀の岩島を配し、大きな自然石を渡して橋としています。
天正16年(1588)豊臣秀吉が、母・大政所の病気平癒を祈願して奉納した米一万石をもとに築造されたと伝えられています。

近江鉄道サイクルトレインについてはこちらをご覧ください。
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近江鉄道サイクルトレインの旅(3)多賀大社  神門~拝殿

2018-06-08 | 神社


反り橋を渡って神門をくぐります。



IMG_0216 神門

IMG_0223 多賀大社

手水舎


神馬舎

 

手前が拝殿。その奥が神楽殿。


さらに奥が本殿。

社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものです。

本殿右に能舞台

左に絵馬殿が立っています。


近江鉄道サイクルトレインについてはこちらをご覧ください。
http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/cycle/index.html/

 



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