日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

多賀町を巡る(7)多賀大社のケヤキ「男飯盛木」

2021-06-23 | 名木

多賀と敏満寺の境界には、2本のケヤキの巨木が立っています。

こちらが、男木の男飯盛木

この木の杓子で飯を盛り差し上げたところ、天正天皇が快癒したという言い伝えからこの名がついています。

元正天皇(715~724)の病気平癒祈願にケヤキで杓子が謹製された。その残り枝を地に挿したものが大木になったと伝承されている。東の木が男飯盛木、西側の木が女飯盛木と呼ばれ、「お多賀杓子の飯盛木」の言伝えで親しまれている。

樹周6.32m 樹高15m 樹齢(推定)300年以上

だいぶ傷んでしまっていて、痛々しいですね(:_;)

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多賀町を巡る(6)西徳寺

2021-06-15 | 織田信長

滋賀県の多賀大社の門前に位置する西徳寺を訪ねました。

山門



聖武天皇の勅願により、天平八年(736)行基が創設。
当初は「山天平寺」と称し、法相宗に属す。

天平11年、行基により座像弥陀仏一体、立像二体を彫刻。
座像弥陀仏は多賀大社の本地仏に、立像一体は西徳寺の本尊、
もう一体は四十九院の本尊に給う。

第二世基恩僧都の天平12年には帝により多賀天守社を命じられる。

第八世義真大僧都が延暦寺初代座主となり、第十四世静源権大僧都の時、承和二年(835)に法相宗から天台宗に改宗。

第四十八世慈広大僧正の建長七年(1255)親鸞聖人が関東から上洛の際、当院に三日間滞在。

第六十一世慈照の永正元年、勅許を得て浄土真宗に改宗、寺号を「西徳寺」。
室は蓮如上人第十三女貞子なり。

元亀元年(1571)織田信長浅井長政による元亀の役の兵火により七堂伽藍が焼失。

本堂


慶長13年に仮本堂再建。

鐘楼


元禄元年再建。


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多賀町を巡る(5)調宮神社(ととのみやじんじゃ)

2021-06-06 | 神社

調宮神社は、多賀大社のお旅所になっており、古例大祭には頭人を先頭にして行列が続き、富の木を持ち帰る儀式があります。

飛の木とは、神社東方の4株が寄り集まったカツラの木を称し、多賀大社創始にまつわる縁起があるとのこと。

今も多賀大社古例大祭には「富の木渡し」という重要な神事に使用されるそうです。(多賀観光協会HPより)

参道には、この黄金の橋が架かっています。

拝殿

本殿

神代の昔伊邪那岐大神は杉坂山にご降臨なされ次いでこの栗栖の里にて暫くお休みになられたことが當社の創祀とされる のち多賀の宮にお鎮まりになった大神は毎年四月の多賀大社古例大祭に先ず當神社へ渡御されて神輿鳳輦に境内の富の木を飾り打籠をて大社に還幸される これはご鎮座の昔を再現する神事といわれる なお十一月十五日の大宮祭にも大社より神幸がある


豊かな自然に囲まれた調宮神社。

間違いなく多賀のパワースポットでしょう。

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