日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

修学院離宮(10)上離宮~下離宮

2020-03-29 | 庭園

今まで歩いてきた道、見学してきたところを対岸から眺めながら、浴龍池のまわりを歩いていきます。

千歳橋

松並木を通り、出口へと向かいます。

急な斜面の登り下りを含め約3kmほど歩いてことになります。

結構な運動をした感じでした(^^;

今年の春も京都に行く予定でしたが、コロナの影響で、キャンセルすることにしました。

また機会があれば、この素晴らしい修学院離宮を見学してみたいと思います。

この記事をもって、修学院離宮の記事は終わりです。

最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m

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修学院離宮(9) 上離宮 土橋

2020-03-20 | 庭園

窮邃亭を出て、浴龍池の周りを歩いて行きます。

池に映る樹々。まるで鏡のように映し出されています。

土橋

下離宮から歩いてきたところを上から見下ろすことができます。

回遊式の庭園としてつくられているので、様々なアングルから池を中心とした景色を楽しむことができます。

 

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修学院離宮(8) 上離宮 窮邃亭

2020-03-13 | 建築物

続いて、上離宮の窮邃亭へ。

窮邃亭は、創建当時から現存する唯一の建物だそうです。

後水尾院によって造営された上の茶屋・下の茶屋の建物のほとんどが滅失または再建されているなかで、本建物は唯一、創建当時のものとされている。ただし、幕末頃には相当に荒廃していたようで、大幅な修理が加わっている。大きい中島の上に建ち、宝形造、杮葺、屋根頂部に瓦製の露盤を置き、その上に切子頭の宝珠を乗せる。南面と東面は縁および土間庇をめぐらす。内部は18畳の1室とし、間仕切りはない。ただし、北側の東隅に板間が突出し、水屋となっている。水屋には流し、天袋、地袋を設ける。床(とこ)、棚などの座敷飾りはないが、池に面する北面から西面にかけて鉤の手に6畳分を框一段分高くなった「上段」とする。上段の西側窓際には幅1尺、長さ2間の肘掛板があり、これは欅の一枚板である。この建物は、壁でふさがれているのは前述の水屋部分のみで、他は4面とも明障子の戸または窓とする。南側上がり口の軒下の「窮邃」の額は後水尾院の筆である。(Wikipediaより)

後水尾院の筆による「窮邃」の額

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修学院離宮(7) 千歳橋

2020-03-06 | 建築物

隣雲亭から浴龍池に向かいます。



千歳橋


中島と万松塢の間に架かる橋は、千歳橋という屋形橋で、東には宝形造、西には寄棟造の屋根を架け、宝形造屋根には金銅の鳳凰が飾られています。



文政7年(1824年)の離宮改修時に、京都所司代の内藤信敦が橋台を寄進し、文政10年(1827年)に水野忠邦が屋形を寄進したもので、当初から離宮にあったものではないそうです。

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